2部 プロローグ(的な)
2部スタートとなります。よろしくお願いします。
彼女は銃に弾を込める。一つ、また一つ。丁寧に。兄に教わったように。その兄はもういない。辛かった。泣きたかった。いや、実際に泣いた。戦いが終わってから兄を探して、黒守勇人の死の報告を聞いたとき自然に涙が流れた。力が抜けて、その場で膝を付きそうになってしまった。
「これでよし!っと」
いつものように銃の手入れを終えて、制服に着替える。こうして自然に行動できている自分が信じられない。絶対に大泣きすると思っていたのだ。兄からは自分が死んだ後のことを何度も何度も言われてきた。いや、それは懇願に近い。どうか悲しまずに。どうか二人を守ってほしいと。でも彼女はその懇願に決まってこう答える。
「嫌です。泣きます。大泣きです。家に引きこもって、もしかしたら和也さんのことも放り投げちゃうかもです。だから……」
着替えを終えるとリビングの大きな机の上で朝食を摂る。四人用のその机に今は自分しかいない。もともと海外勤務の両親がいないので物寂しかったのだが、兄がいないのは段違いに寂しい。そういえば両親にもこのことを伝えなくてはならない。いったいどんな反応をするのだろうか?子供にはあまり関心を示したことがない親だ。もしかしたら「そう」なんて言って、またせっせと働きだすかもしれない。
「では……行ってきます」
ドアの鍵をしめて、家を出る。向かう先は学園。足取りはいつもと変わらない。自分が想像以上に強かったのか、無情だったのか、或いはそれ以外の何か……。とにかく今の自分がどんな気持ちを抱いていて、どのくらい向き合えているのかはわからなかった。それでもこうして足が進むのはひとえにこの銃があるからである。進むしかないだろう。止まっている余裕はない。先日の戦いから微かだが、それでいて確かに各国、各組織の動きが活発化していることがわかる。そしてその原因ともいえる者がちょうど目の前にいるのだ。彼と会うのは戦いの当日以来である……。
「和也さん!」
元気な声で挨拶をした。その声に驚いたのか水瀬和也はすぐさま振り向いて音羽を見る。そして悲しそうな笑いを浮かべた。
「音羽ちゃん……おはよう」
「おはようございます!三日ぶりですね。一緒に……登校してもいいですか?」
「うん……」
和也と音羽が並んで歩く。音羽は言葉を発することができない。いくつも聞きたいことがあった。戦った相手のこと、虹の欠片という物のこと、笠原優一のこと、そして水瀬和也のこと。彼がこれからどのように動いていくのか聞く必要がある。しかし……。
「和君!それに……音羽ちゃん……」
森谷智花の声が聞こえる。でも……なんだか視界がぼやけて上手く彼女の姿を捉えられない。彼女はきっとあまり強くないから……笑わなくては。彼女が泣いていたら兄の代わりに慰めなければ。でも……でも……。
「音羽ちゃん!」
自らを温かくていい匂いが包み込んだ。何が起こったのかはわからない。ただただ大粒の涙が流れ落ちる。悲しいだけじゃない。悔しいだけじゃない。寂しいだけじゃない。辛いだけじゃない。色々な感情がごちゃ混ぜになって、それを吐き出すように目から溢れ出す。よく考えれば二日間、誰にも会っていなかった。悲しくなかったわけじゃない。きっと彼女は支えて欲しかったのだ。一人で泣いたら崩れてしまう心。それをわかっていたから彼女は耐えていた。
「和君……」
智花が涙ぐんだ目で和也を見た。和也は智花を見て頷くと音羽の頭を手で優しく撫でる。優しく、優しく。
「……」
五分程経った。兄より少し柔らかくて、優しい手。音羽は泣き止み、自分の頭に乗ったその手の主を見上げる。それは光に見えた。青くて、温かくて、綺麗な光。その光から差し出された手を取る。そして彼女はいつもの元気を取り戻すかのように勢いよく立ち上がった。
「和也さん!智花さん!学園にいきましょう!」
彼は刀を振るう。強く、強くただひたすらに。そこに意志はない。希望はない。それは置いてきた。預けてきた。だからいらない。どんな結末を迎えようともこの“物語”に自分はいらない。自分が願った空も、怯えた空ももう存在しない。ならば迷いなく振るうことができる。強く、強くただひたすらに……。
たなびく赤のマント。指にはめた七つの指輪。二メートル近いその巨体からはその大きさにふさわしい迫力が感じられる。赤き賢王は黙って一点を見つめていた。足元には数えきれないほどの魔物の死体が転がっている。しかしそれらには意も介さない。ただただ目の前の青年を見る。
「あなたは?」
手に握った刀を“地に落ちた天使”に突き立て、俯いたままの状態で青年が問いかける。その問いかけに60代前半と思わるその男はゆっくりと答えた。
「ゼフィール・エクスフォード。アメリカのしがない軍人だ」
「……」
青年はそっと顔を上げ、男を見た。大量の返り血のせいか視界がぼやけている。
「赤き賢王がどうしてこんなところに?」
心底不思議そうな表情で聞くその青年。青年を見てゼフィールは笑みを浮かべる。
「スカウトだ。優秀な戦士が日本にいると聞いたんでな」
青年はその言葉を聞いてますます困惑した表情になる。落ち着いて状況を見極めるためか、彼は巨大な何かに刺さったままの刀を抜き、素早く振って血を落として鞘に収めた。
「状況は?」
「ギオル・ベルト、アルフレッドともに目的を達成できずに母国に帰還。魔物共も日本国軍の精鋭により次元の歪みも消滅した今、駆逐されるのを待つだけだ」
「ではこんなところで油を売っている暇はないだろう?とっとと……」
「私は虹の欠片などに興味はない。故に奴らは独断で動いていた。騎士団は関わっていない。私の目的は言ったように君のスカウトだ」
ゼフィールは青年に歩み寄り手を差し出す。
「天を落とすほどの強者はそうそういない。ぜひ仲間になってほしいものだ、黒守勇人」
勇人はゼフィールが差し出した手を見る。なんて胡散臭いのだろう。自分をスカウトしに来ただと?それはありえない。自分は騎士団にとって、笠原にとって、水瀬和也を利用しようとするあらゆる者にとって厄介ものだ。それを味方に引き入れようすることが理にかなっていないわけではないが、目の前の虹の欠片を無視してやるようなことでもない。ましてや虹の欠片に興味がないなどありえない。
「自分がこの物語に関わることはない。そう決めた。だからここにいるんです。あなたの目的がなんであれ期待には応えられません……」
「君は……何か勘違いをしているな」
そう言うとゼフィールは勇人の胸に向かって指をさす。勇人はそれを見て、顔を歪めた。ああ、迷惑だ。面倒だ。もう終わったのだ。この男の、ゼフィール・エクスフォードが何を言うのか容易に想像できる。すべてをかけて戦った自分にはその言葉が最も効く。予想外にも、運命が生に傾いてしまった自分にはそれに惹かれてしまう。
「先程も言った。私の目的は“君”だ。黒守勇人という人間だ。魔女など興味ない。虹の欠片など興味ない。私の興味は“君の紡ぐ物語”だ。さあ、どうする?私はその物語に「騎士団」という道を提示しよう」
勇人が顔を上げて学園の方を見た。木々の合間から特徴的な白い屋根が見える。損傷は思ったよりも激しくない。三日もすれば再び学園での生活は始まるだろう。みんなで話して、ご飯を食べて、嫌なテストを受けて、そして笑う。楽しかった日々が戻ってくる。苦しい戦いを生き抜いた自分にはその権利がある。
「だが……今しかないか……」
「そうだ。今しかない。これは“おまえ”にとって重大な選択だ。元より運命などコロコロと変わる曖昧なもの。私があの戦いを生き残ったように。おまえがこの戦いを生き残ったように。あらゆる事象、あらゆる因果が重なり合い我々を嘲笑う。故にそれを見定めようとすることに意味はない。ならば決めるのは簡単だ。“黒守勇人”という存在を中心に物事を決めろ。それこそがおまえの“運命”だ」
勇人は握ったままの刀をそっと撫でる。選ぶのは実に簡単だった。今までとは違う。自分を中心に据えて道を選べばいい。たとえ道を間違えたとしても、その過ちは自分にのしかかる。それならば安心だ。
「一つ聞きたい。俺があなたに着いて行った先には何がある?騎士団のアメリカでの影響力は欧州、ロシアに比べれば弱い。アメリカでの騎士団はどんな活動をしているのですか?」
それを聞いたゼフィールはにたりと笑う。勇人は怪訝そうに目を細めた。
「おまえにとっては最高に面白い場所だ。限定的にしか発揮してこなかったその武を振るう機会が増え、さらに磨きがかかるだろう。難点は少々癖のあるやつばかりなことだが……まあそこはなんとかしてくれ」
「はっはっはっ」と高笑いしながら、その大男は搭乗していきた大型輸送機に向かって歩き始める。騎士団幹部の長、あらゆる魔術師の頂点に立つ最強の男。勇人もその背中をじっと見つめる後、歩き出す。そして学園の方をもう一度見て、自嘲気味に笑った。
「さっそく選択を間違えたかもしれないよ。和也」
「はぁ……それで黒守勇人を死んだことにしろと?」
「ああ、これは本人が望んだことだ。自身にとっても、周りの人間にとっても状況を鮮明にする決断だ。それに黒守勇人の存在は№6に対しての切り札になる。やつは恐れていたからな」
場所は輸送機の中。ゼフィールは目の前で睡眠をとっている勇人を見ながら、目の前に映し出されている人型の粒子に話しかけていた。3Dホログラムを用いた通信機能。魔術ではなく科学よって生み出された技術。
「おまえが人を騙すことが嫌いなのはわかっている。しかし生きていることを伝えたことで状況が変わるわけでもあるまい。この戦い、下手をすれば禁忌の域にまで到達しかねん。いざという時のためにも最善手を打っておくべきだろう」
「……わかりました。なんとかしましょう。幸いにも現地に駆け付けたのは私たちが最初です。知っての通り、日本での騎士団の力はとても弱い。幹部としてできることはこれぐらいですから」
ゼフィールが話している相手、道明寺神子は悲しそうに横を見る。そこには映像に写ることはないが、綺麗な黒髪の美少女が可愛らしい寝息を立てて寝ていた。
「皮肉なものよ。本当は二人を合わせてあげたい。そうすればどんなに喜ぶことか。辛い戦いを生き延びた彼らに当然の喜びよ。でもわたしたちにはそれができない。最強と言われる魔術師が二人も揃っていながらそんな簡単なこともできない。こんなことで世界を守るなんて語るの……嫌になるわ……」
「まあ、そう自分を卑下するな。おまえが守ってきた命は計り知れない。それにこの選択も最終的に彼らに笑顔をもたらすためだろう?我々にできることはそのために一つずつこなしていくことだけだ」
神子はその言葉を聞いて、嬉しそうに笑う。そしてお茶を一口すすった。
「年下のあなたに諭される日が来るとは。これはもうお姉さんキャラを演じるのも限界ですかね」
「……」
「あら?どうしました?」
ゼフィールが神子から目を逸らす。そんなゼフィールを神子は一層笑って見つめた。
「……勘弁してくれ」
「ふふふ」
「……では通信はこれくらいにしよう。具体的な今後の動きについては明後日の会議にでも話す。さっきから通信を仕切りなしに受信していてな。さすがに無視するわけにもいかない」
「欧州、ロシアに出現した魔物は大丈夫でしょうか?」
「問題ない。連絡によると出現位置こそ首都のど真ん中だが数は極端に少ない。まるで二人の撤退のためだけに用意されたかのようにな」
「……了解しました。では後日」
神子によって通信が切られる。ゼフィールは通信機のリモコンのようなものを取るといくつかボタンを押して、再びONにした。無意識に口元にやけて、優しそうな表情になっている。
「なに?」
映像に映し出された少女がぶっきらぼうに聞く。褐色の肌と短めのポニーテール、ワンピースを着た少女。
「アナか?」
「そうだけど」
「今日はどうだった?」
「……普通。で、なんか用があるんでしょう?なに?」
「ああ、宿舎に新しいメンバーが入ることになった。その件で話がしたいからエリアナとサンに三時間後に私の部屋に来るように言っておいてくれないか」
「ふーん……日本に行ってたんだよね?じゃあ日本人?」
「ああ」
「男?女?」
「男の子だよ」
「男かぁ……今度はどんな厄介者?」
「いや、今回はそういう者ではない。とても優秀な人間だ」
「そんな人がなんでうちに来るのよ」
「そうだな……おまえたちに良い刺激になると思ってな」
「そう……まあよくわからないけど伝えてはおくね。じゃあ今忙しいから切るよ?」
「ああ、ありがとう。アナ」
ゼフィール・エクスフォード。七つの指輪とともに世界を収める偉大な魔術師。彼はいくつもの人の歩みを見てきた。いくつもの空を眺めてきた。そのすべては千差万別。出会いと別れ。喜びと悲しみ。愛と憎悪。それらに同じものはなく、故にそのすべてに価値がある。しかして、彼の者にはいまだ虹は架からず。また天女は微笑まず。然らばその因果、漆黒の剣にて切り開いてみせよう。




