虹の誓約
和也たちは戦闘のあった日の翌日、笠原に連れられて広い学園の端にある倉庫に来ていた。メンバーは和也のチームメンバー四人と緋ノ宮妃。音羽は行方不明の勇人についての情報を得るため一緒ではない。勇人の件もあって和也と智花のテンションは低めだ。
「ここに倉庫があること自体知らなかったわ」
八田がわざとらしい高いテンションでそう言う。雫はそれに目障りだと言わんばかりの顔を向けた。
「あ、雨堤さんは知っていた?」
「……私は知っていたわよ。学園の隅々まで把握済」
「ああ、ぼっちだから!」
「せっかく生き残ったのにこんなところで死ぬなんて残念ね」
二人のコントにも誰も反応しない。先を歩く笠原と妃が倉庫の中に入る。とても頑丈そうな扉だが笠原が魔術を唱えることで扉が透明となりすんなり通ることができた。中に入るとそこには広い空間となっている。外から見るとせいぜい家一軒分ほどしかないのだが中は並のスタジアム以上の広さだ。真っ白い壁に囲まれた中に見たこともない大きな機械やたくさんの色の液体、さらにそれらの周りに存在するいくつもの不思議な文様。職員らしき男たちの白衣も相まって科学的な雰囲気が漂っている中、その文様だけは確かに魔術によるものだとわかる。
「驚いたでしょう?ここは我々、国家魔術師が学園の職務とは別で働く場所です。まあ大学の研究室みたいな物と考えていただければいいと思います」
「ほう……。つまりここで貴様らはコソコソと何かをやっていたわけだな?」
「別に隠れてはいませんよ。話す必要がなかっただけでね。でも生徒の意志は尊重する。だからほら、望まれたらこの通り連れてきたでしょう?」
(知らないことをどうやって望むというのだ?)
妃は不満そうな顔で壁から天井までをグルッと見回し、次に何カ所かを交互に見ては首を縦にふって頷いている。一方の和也はこの空間の最奥のほうにある水晶のようなものに目を向けていた。
「水瀬君、あれが気になりますか?」
笠原が聞く。が、和也はその声が聞こえてないようでそのまま水晶の方へ歩いて行く。智花はその和也の異変に気が付いたのか焦って和也を追いかけて手を取った。
「和也くん!」
和也が智花の方を向く。その表情にいつもと違うところは見られない。不思議そうな顔で智花を見返す和也がいる。
「どうした?」
「その……なんでもないよ」
「なんかこの結晶、不思議な力を感じるんだよなー。何だろう、この感じ」
遅れて八田と雫が和也の下に集まる。妃はキョロキョロと周囲の様子を見ながら移動してきて四人の後ろで腕を組んだ。そして笠原が五人に向かい合って結晶の前に立つ。
「では改めて。ここは日本の誇る最大の魔術研究所の一つ、関東魔術研究所。ここでは魔術に関する最先端の研究が行われております。で、なんでこのような場所にあなた方を連れてきたかと言いますと……」
「前置きはいい!要はここに水瀬和也が、いや私が知るべきことがあるのだろう?ならば早く教えろ。他人の手の平でコロコロと転がされることにはいい加減飽きた」
笠原は妃を見るとハァーとため息をつき、手を水晶に触れさせる。
「イリス、彼らにすべてを話すよ。その上で協力してもらおう。いつまでも防戦一方では勝てない。総力戦ではまだ彼らの方が上だ」
水晶に向かって優しく話しかける笠原。もちろん返事はない。笠原は水晶をそっと愛おしそうに撫でて、それから手を離す。気が付けばさっきまで働いていた職員らしき人達も和也達の後ろでその様子を見守っていた。
「今から君たちに話すことは今からちょうど五十年前の出来事。魔術師が生まれ始めたころのことです。昨日の戦いで君たちの進む道はその様を大きく変えた。これを聞けば君たちの人生はまた一つ大きく変わるでしょう。最後の確認だ。聞くかい?」
妃は間髪入れず頷く。八田と雫は特に表情を変えずに黙っている。和也が智花の手を握り、智花もそれを握り返した。そして二人同時に首を縦に振る。
「それではお話しします。むかーし、むかし。あるところに二人の仲睦まじい男女がいました……」
少女の名前は……わからない。でもそこでは№7と呼ばれていた。その場所は白い壁で覆われている。何もない、ただただ真っ白の壁だけが取り囲む空間。彼女はそこにずっといる。本当にずっといるのかはわからないがそれでも彼女によってはそこがすべてだった。そこには本当になにもなく、時々どこから現れたのか、自分より大きな人が来ては何かをして帰るだけ。何もせずにずっと時が流れていく。彼女は大きくなるにつれて次第に不満を覚え始めた。感情が芽生え、言葉も覚えていく。そんな生活のかでも楽しみはあった。月に一度ある、お遊戯会。自分と同じくらいの身長をした子たちが集まってお話を聞いたり、映画をみたりする機会だ。彼女はそこで綺麗な絵を目にする。七つの色を持つ曲線。青い何かの中に存在するそれは「虹」と言うらしい。絵の中では上方に存在しているが彼女にとって上にあるのは白い天井だ。その日以来、「虹」に興味を持った彼女は虹を見るために色々なことを試みた。逆立ちしてみたり、隠して持ってきたクレヨンで天井を青く塗ってみたり。挙句、実際に虹を天井に書いてみたりもした。しかしどうも思っているものと違う。どうすればいいかと悩んでいたとき、お遊戯会である男の子と出会った。彼は自分より少しだけ身長が高く、少しだけ多くのことを知っていた。
「ねぇ?あなたの名前は?」
「僕は№6。君は?」
「№7よ」
「へぇ、じゃあ君は僕の一個後だね」
「え?どうして?」
「数を知らないのかい?教えてあげよう」
№6と№7は次第に仲良くなっていき、№7は彼と話すことが楽しみとなっていった。互いに色々なことを教え合う。ある日、№7は「虹」の話題を№6に振ってみた。もしかしたら彼なら見る方法を知っているかもしれない、そんな期待を込めて。
「うーん……残念だけどわからないね」
「そう……。あなたが知らないなんて、本当にこんなもの存在するのかしら?」
「この「虹」というものが見たいのかい?」
「ええ、見たいわ」
「どうして?」
「だってとっても綺麗でしょう?」
「うーん……僕には七色の線にしか見えないんだけど?」
そう言って№6は紙に七本の線を描いて、それらを虹色に塗っていく。そして書き終わるとそれを№7に見せた。
「これとは違う?」
「違うわ」
「何が?」
「……何かがかな?」
「えー」
「違う物は違うの!」
「そっかー」
「あ!からかっている?」
「ない、ない」
二人で笑う。こんなやりとりをもう何回もやった。彼は彼女を数字で呼ぶのは嫌な気がしたので二人だけのときの新しい呼び方を考えた。
「君は虹が大好きだよね。だからこれからはイリスって呼ぶよ」
「え?どうして?」
「虹には色々な呼び方があるらしいんだけど、イーリスっていうのが一番好きだから」
「そう。いいわよ!なんだか可愛らしいもの。でもあなたはどうしようかしら。私あまり呼び方とか詳しくないのよね」
「僕はいいよ。いつも通りで」
「あ、じゃあユーイチにしましょう。この間読んだお話で一番カッコよかった人が確かそう呼ばれていたわ」
「う、うん。じゃあそれで」
「こんにちは、ユーイチ」
「うん。イリス」
そうして彼女だけの希望であった「虹」が次第に二人の目標に変わる。いつか虹を見ること。「空」と呼ばれる広大な青に架かる七色のアーチを見ることだ。その願いが崩壊をもたらすとも知らないで……。
研究対象は子供だ。とても多くの魔力を持った子供。この時人類はすでに魔力の存在を知っていた。でも扱い方を知らなかった。二度の人類史最大の戦争でも魔力は形成をひっくり返す存在として期待され、研究されて来たがいまだに使い方がわからない。研究の過程で多くの死者が出る。それでも止めない。尽きることのない欲望が彼らを突き動かす。そうしてその研究はとうとう成果を挙げる。№7という膨大な魔力を持った子供、その子供に宿る魔力だけは人間が扱っても支障はないことがわかったのだ。手始めに七人の英雄に魔力移行を試みた。成功する。七人の異能を持った戦士が誕生する。彼らの使う異能を魔術と呼び、使用者を魔術師と読んだ。次に軍事利用を考える。これまた成功。最新鋭の兵器を遥かに凌ぐ強大な兵器が誕生する。便利だ。あまりにも便利すぎる。研究員たちは№7を拘束した。彼女は最近色々なことを覚え始めたがそれにより魔力に影響があっては困る。彼女は魔力を精製することのみしていればいい。№6という被験体がうるさいが気にしない。最悪№6は処理しよう。強大な魔力を持ってはいるがアレのは使いづらいのだ。№7に影響が出るのは避けなければ。そして……歯車は狂った。理がその形を変える日が訪れる。事態はほんのわずかな油断と隙によって発生した。№6が№7の拘束を解いて脱走したのだ。話によれば№6は不思議な力で警備を軽々と突破しているという。魔術だ。彼にのみ扱える魔力によるものだ。これはまずい。公になれば何もかも狂ってしまう。何としても外に出るのだけは阻止しなければ。たとえ殺してでも。
「ねぇ、もう無理よ。これ以上走れないわ」
「止まっちゃいけない!今は走り続けないと」
二人はただひたすらに長くて白い廊下を走り続けていた。人の気配はしない。しかし間違いなく追手は迫っているだろう。ずいぶんと走ったつもりだったがそれでも廊下はなお続いている。
「だいたいどうして逃げる必要があるの?確かに今は動けなくて辛かったけど、終わったら虹を見せてくれるって言っていたわ。なら私は耐えられる。勘違いしないで。もちろんあなたに会えないのは辛いのよ」
「いや、あいつらの言っていることは嘘だ。僕はあいつらに君に合わせてくれると言うから着いていった。そしたら殺されそうになったんだよ」
「うそ……」
「もう駄目だと思ったとき、この不思議な力が使えるようになって……何とか脱出できたけど。おまけに君があんな姿で拘束されているのを見たら……もう逃げるしかない」
「でもここからどうするの?どこかに逃げるあてはあるの?」
「正直、ない。でも君に虹を見せることはできるかもしれない。君がいない間に本で色々なことを知った。空というものがあって、その下でたくさんの色々な生き物が生きている。犬や猫、君が好きな鳥だっているんだそうだ。そこでは時々空から水が降ってきて、その後に空に虹というものが架かるらしい。それはとても大きくて、透き通っていて、それでもって近づくと見えなくなる。そんな僕たちの想像とは全然違うものが「虹」なんだよ」
「素敵ね……。でもその空がないわ。空はどこにあるの?」
「そう!だから僕はずっと考えたていたんだ。もしかしてここはお家の中のようなもので実は外があるんじゃないかって。僕たちはずっとここにいるからそんなこと思いもしなかったけど、ここから出れば外があって空があって、そして虹が架かる。そんな広い世界なんじゃないかって」
「凄いわ……」
イリスは目を輝かせる。彼の言ったその世界を想像して胸が高まる。たとえ逃げられなくても、ここで自分がいなくなったとしても見たいと思った。
「行きましょう!どこに進むの?」
「とりあえず走り抜けよう。僕の力ならこの白い壁だって簡単に壊せる」
そう言って彼は手を目の前のドアに添えた。黒い何かがドアを侵食していき、その存在を消し飛ばす。あまりに異様なその力は彼のオリジナルの魔力から生じるものだ。二人はまた走り始める。果てしなくとすら思われる廊下をひたすら進み続ける。しばらく走ると後ろから声が聞こえた。
「いたぞ!捕まえろ!殺しても構わん」
二人は走り続ける。後ろから大きな耳をつんざくような音と共に何かが二人目がけて飛んでくるがユーイチの力によってそれらはすぐに消滅した。そうして進み続けていくが追手は増え、距離も縮まっていく。
(追いつかれる)
ユーイチがイリスだけでもと思い、時間稼ぎのために走るのを止めようとした。そのとき。
「これは何?」
二人の頬に生暖かい何かが優しく触れる。似たような感触は遊んでいる時や走っているときに感じたことがあるがこんな暖かくて力強いものは初めてだ。イリスはそれがやってきたと思われる方向に目を向ける。するとそこには大きなドアがあった。隙間からまばゆい光が漏れている。
「こっちだ!」
二人がそのドアに向かって走っていく。後ろからはさらに追手が迫っているが気にしない。魔術で容易にドアを破り、そしてドアを勢い良く通り抜けた。
「これが空?」
壮大な青が上空を一面に占めている。煌く丸い何かがその中で圧倒的な存在感を放っているがあまりにまぶしいのでその姿しっかりと確認することはできない。自分たちが踏みしめているのは一面の緑。それは足にフサフサと当たって少しだけくすぐったい。さきほどわずかに感じられた生暖かい何かは一段と強さを増していて、立ち尽くして周囲のものすべてを眺めている二人の長い髪が大きく後ろに靡く。
「凄い……虹は?虹はどこなの?」
「虹は雨というものの後に現れるらしい」
「じゃあきっとすぐに雨が来てくれるわよ!こんな美しい世界なんですもの!」
既に追手は彼らの真後ろまで来ている。あと十秒もすれば捕まるだろう。それでも二人ともそちらを一切見ない。イリスが空を見て手を合わせる。その手の上に手を重ねて同じように空を見上げるユーイチ。二人は願った。虹を見るという些細な、か弱き者たちの願い。だからかもしれない。神がその願いを叶えてしまったのは。あるいは魔力という神秘を探求し過ぎた人間への罰か。
「な、なんだ!あれは」
研究員の男が叫ぶ。見れば空の青を切り裂き、赤黒い血のような物が染めていく。その裂け目から翼を持つ機械のようなものが数多降り注ぎ、地上に向かってレーザーのようなものを放った。一帯は一瞬のうちに火の海となっていく。
「イリス!」
ユーイチが声を挙げた。彼女の体が七色の光を放っている。その光をユーイチは気味が悪いと感じた。
「ユーイチ、これが空?」
「違う。僕の聞いた空はこんなんじゃない!」
「あれは何なの?虹はどこ?ねぇ、ユーイチ……怖いわ」
「大丈夫だよ」
ユーイチが怯えるイリスの肩に手を置こうとしたその瞬間
「ぐあ!」
彼を銃弾の嵐が襲う。ユーイチは自分が死ぬことがわかった。痛みはあまりに一瞬。倒れた体が一切言うことを聞かない。それなのに意識だけは鮮明で目の前で自分を見て泣き叫んでいる子がいる。イリスから発せられる光は次第に強くなっていき、やがて視界すべてを覆った。そんな中でも彼女の姿ははっきりと覚えている。寂しそうな表情で天に昇っていく彼女。周りからは悲鳴や叫び声が聞こえてくる。彼には何が起きているのかわからない。自分が撃たれて、それで何が起きたのか。いや、そんなこと以上にこの世界とはどうなっているのか。天が裂けることが、赤い空が普通なのか。彼の頭があらゆる疑問で埋め尽くされる。自分が自慢げに語っていた知識はこの世界の本当にわずかな理の一つで、何も知らずに生きていたことがわかって悔しくなる。
(ああ、あと一度。一度だけチャンスが欲しい。そうして今度はすべてを知りたい。そうすればきっと……)
イリスが目の前にいる。彼女は自分に優しく微笑みかけている。ユーイチも笑いたいがそれができない。イリスはユーイチの血まみれの手を優しく握るとその手の甲に口づけした。
「あなたの希望を叶えるわ。どっちがいいか考えたのだけれど、私はこっちを選ぶ。だからどうかお願い。これから進んでいく未来で私たちのような子がいたら教えてあげて。世界は広くて、美しくて、そして空には虹が架かることを。これは誓いよ。虹の誓約。それじゃあここでお別れ。楽しく生きてね。あなたならできるわ」
イリスが空へと飛んでいく。そしておびただしい数の、後に魔物と呼ばれるものが大量に吐き出されている空の裂け目に向かう。彼女が裂け目の中に入ると同時に、魔物たちは攻撃を止め、彼女に続いて裂け目の中へと消えていった。空の赤が引いて行き、再び青い空が天を覆う。そして空には大きな虹が架かった。あまりに綺麗な虹。ユーイチはそれを見ると悲しそうに笑って目を閉じた。




