光
「はぁ、はぁ」
走る。必死に走る。目の前に二体の魔物が現れる。それを走りながら手に持った刀で切り裂く。それらは倒れるが後ろからは走ることに特化した狂獣が数多迫っている。遠い。毎朝鍛錬のために往復しているこの道をこれほどまでに遠く感じたことはなかった。足をつりそうになる。息が切れ、肩や胸が痛みを始める。
「必ず、必ず!」
叫ぶように言う。止まれない。止まるわけにはいかない。止まれば多くの意志が失われる。それだけは許されない。勇人の、明の、千恵の、勇敢に戦った生徒たちの思いを無駄にすることは絶対に許されない。生き残らなければならない。
「はぁ、はぁ」
すぐ後ろから猛獣の呻く音がする。その距離が徐々に詰まっているのがわかる。そしてそのうちの一体が怜に向かって飛び跳ねた。その鋭い爪が彼女の左肩付近の背中を制服の上から抉る。
「くっ」
痛みをこらえ、走り続ける。さらにもう一体、今度は彼女の右腕の二の腕部分に噛み付く。がっしりと鋭い歯で噛み付かれていて離れない。怜は左手に構えた呪符で魔術を発動し、その魔物の頭を吹き飛ばした。魔物の歯が二の腕に残ったままだが気にしない。再度走りだそうとする。しかし足は前に動かず、そのまま転倒してしまう。見ると右足のふくらはぎにも魔物が噛み付いていた。その頭を今度は右手の刀で倒れた姿勢のまま切断する。進むため再び立ち上がろうとするが……立てない。足に力が入らない。何度も何度も試みるがそのたびに転倒してしまう。
「う……」
後ろからは魔物の足音が近づく。何十、何百という数の足音。怜の目には涙が浮かんだ。どんな時でも泣くことのなかった彼女。怖くて、悔しくて、申し訳なくて涙が溢れる。彼女は仰向けになって空を見た。月がある。綺麗な三日月だ。
「カラン♪」
魔物の足音と呻き声のなかで澄み渡った音が響き渡った。何百という足音の中、それでも明確に響き渡る洗練された音。その音は徐々に怜の下に近づいてくる。音がなるたびに月の繊細で鋭い光が強さを増す。月光が赤の空を切り裂いた。切り裂かれた空からは壮大な青が広がり、輝ける膨大な光が漏れ、赤い空を一層強く破壊していく。
「太陽……」
怜は笑う。彼女の涙をその光がすべて吸い上げてくれた。気が付けば魔物の足音はしない。そしてひょっこりと優しそうな顔が仰向けの彼女を上から覗いた。
「あなた……大丈夫かしら?」
杖を突いた七十歳ほどの女性。怜はその顔をしばらく眺めると徐々に目を丸くしていった。
「道明寺……神子?」
「あら、ご存知なの?私のこと」
「はい……」
彼女が誰かを手招きして呼んでいる。しばらくすると彼女の体は担架のようなもので持ち上げられ大きな車の中に運ばれた。そこから記憶がない。なんとなくわかったのは最低限の目的は達成できたということ。ぼろぼろになりながらも生き残ることはできたということ。次に目を覚ました時には洋風のやたら大きな部屋だった。ちょっと恥ずかしいくらいの豪華なベッドで横になっている。怜が不思議に思ってキョロキョロと周りを見回していると道明寺神子がドアを開けて中に入ってきた。
「安心しなさい。ここは私の家。出血がひどかったからここで車のなかで治療して、ここで休んでもらっていたの。今日は水曜日。私があなたを見つけてから二日が経っているわ。とりあえず名前を教えていただけるかしら?」
「……はい。魔術学園の二年生、菜ノ原怜です。危ないところを助けていただいてありがとうございます」
「菜ノ原……天皇制があった頃に代々神巫として呪術的な側面を司ってきた一族ね。陰陽道にも精通した、魔術が生まれる前からの異能使い」
「そうです」
菜ノ原の家系は歴史的に表舞台に立ってきたことは殆どないため、その名を知る者は世間的には少ない。しかし逆に同じような分野に少しでも携わっている者であれば、その名を知らない者はいないほどの有名な家系である。
「貴方の家系で魔術師だった人はいる?」
「いえ、祖父は魔術師が生まれる前の人間です。父も魔術師ではありませんでした」
「そう。ということはあなたが菜ノ原で最初の魔術師ですか。強いのでしょう?」
「……」
答えない。いや、答えられない。もちろん彼女の力は同世代では最高峰だ。しかしさきほど弱さを思い知ったばかりである。自信を持って肯定できない。おまけに話し相手はあの道明寺神子だ。
「あの、魔物は結局どうなりましたか?次元の歪みは……」
「それなら心配ないですよ。国軍の精鋭が次元の歪みの消滅に成功したようです。魔装兵器も出動して、あとはもう残ったものをしらみつぶしにしていけばいいですから」
「学園の方はどうなっていますか?」
「それはわかりません。あそこは最大規模の魔術的な事象がひしめき合う場所。私でも簡単に立ち入ることはできないの。でもどうやら大きな戦いがあったみたいで……パッと見聞きした情報だと校舎や敷地に破壊のあとがありますね。それと学園でではないですが別に動いていた三年生と二年生、合わせて五十名が魔物の奇襲でほぼ全滅しています」
「それは……知っています」
怜が悲しそうな表情をして俯く。神子はその表情だけで彼女の身に何があったのかを察し、無言のまま気の毒そうな表情でそっと怜の手を取った。すると怜は何かに気が付いたように顔を上げ、緊張の面持ちで神子と目を合わせる。
「私のほかに生存者は!生存者はいませんでしたか?」
神子の額の皺が深くなる。表情が険しくなる。それだけで怜は彼女の伝えようとしていることがわかってしまい、
「生存者はいません。貴方を除く四十九人、全員の死体が見つかっています」
「そう……ですか」
泣くのを堪える。必死に堪える。知っていた。勇人に別れを告げた時すでにわかっていた。それでも淡い希望を抱いていた自分が嫌になる。
「貴方みたいな若い娘にとっては辛い現実よね。魔術師といえども現実を突きつけられるには早すぎる。まったく、狂った世界だわ」
「……」
「それでも」
「前に進みます」
怜が強い意志を込めて言う。
「私が助かったのはきっとそのためです。ここで止まるわけにはいきません」
「そう……」
怜はベッドから起き上がると窓の外を見た。朝日が輝いている。久しぶりにみる太陽の日は彼女にとって少しまぶしい。そういえばあの時の太陽もこんな輝かしい光を放っていた気がする。
「もう行きたいと思います。私はあの学園でやることがあるので」
それを聞くと神子が立ち上がる。そして杖で床を二度コンコンと床を叩いた。するとすぐに髭を生やした神子と同じくらいの歳の男性が現れる。彼の手には制服と刀があった。どちらも新品より綺麗なのでは?と思うくらいピカピカだ。
「大事なものでしょう?どちらも貴方がどういう存在かを表すもの。これがある限りあなたは諦めず、力強く進む」
「ありがとうございます!」
怜は元気よく返事し、服と刀を受け取った。人目も憚らず、その場で着替え始めようとズボンを脱ぎかけるが、すぐにその恥ずかしさに気が付いて手を止める。メイドらしき人が来て更衣室に案内された。いつもの手順で制服を身に付けていく。帯刀のためのベルト、右太ももの暗器用のケースも忘れない。最後に腰に刀をつけ、胸の校章を確認する。
「よし!」
玄関で待っている神子に何度もお礼を言って、勢いよく走り始める。場所はあらかじめ聞いていた。意外に学園に近いところにある。授業が始める前に到着できればいいのだが。
「まあ授業があればだが、な」
神子は元気よく走っていく怜の背中をまぶしそうに眺めていた。今を生きている人間。過去のくだらない陰謀に囚われず、友のため、愛する者のため戦う人間。どれだけ鍛錬を積もうと、どれだけ偉大な意志を持とうとも、たとえ無敵の強さをもってもそういう人間には及ばない。だからあの時負けたのだ。あの男は愛するものためにすべてを捧げた。そして今も捧げ続けている。ならば今度はどうなるだろうか。
「これでいいのですよね?ゼフィール……」
三つの意志がぶつかり合う。あるいはそれ以上。今のところ我々に有利に働いている。しかし自らの考えと、過去の教訓、そして輝ける次世代の猛者たち。
「案外思い通りには行かないかもしれませんよ?」




