火の宮
(ああ、情けない)
東京に次元の歪みが発生し、人々が泣きながら逃げていたあの日。彼女は思った。このすべてを救いたいと。しかし彼女がそれを言うと周りの者は決まってこう言う。
「それは無理だ」
当時の日本でも五本の指に入る実力を持ち、誇りに思っていた祖父。その祖父ですらも彼女の願いに首を振った。そのときの祖父のことを今でも覚えている。悲しそうな、申し訳なさそうな顔で自分を見ていた。そして手を握って顔を近づけて小さな声で一言。
「妃。おまえなら、おまえならそれを実現できるかもしれない。その夢はおまえが自分で実現するんだ。その内に秘めた炎が我々と同じ偽りのものではないことを示せ」
(そういえばそんな夢を抱いたこともあったな。今日わかったのは、私にはこの学園を守ることだけで精一杯ということだ。それですら今は叶いそうにない。まったく情けない……。ああ、ムカつくな。ああ、ああああああああああああああああああ)
「なんだ?」
和也を抱えたアルフレッドが異変に気が付き立ち止まる。その次の瞬間、地面が揺れた。地震のような揺れ。しかし振り返ったアルフレッドにはそれが地震でないことはすぐにわかる。炎を纏った恐ろしい何かがこちらを睨んでいた。それが足を一歩、前に動かす。すると学園の校舎の横に炎の柱が上がった。もう一歩。するともう一つ。気が付けば学園の周りを隙間なくビルのような炎の柱が囲う。
「バックアップなしでこの規模。ゼフィールクラスの魔力量か……。正真正銘の天才。完全に侮っていたね。面倒だから元帥に押し付けよう」
アルフレッドは急いでヘリコプターまで移動し、和也を載せると運転手に発進の合図をする。アルフレッドもそれに乗り込み、ドアを閉めるとプロペラが回転し始めた。回転するスピードが上がっていく。そして機体が浮かび上がろうとしたところで
「アルバトロス!」
学園の屋上から一発の銃弾が発射される。それは的確にプロペラの中心に命中。プロペラが軸ごと外れヘリコプター本体を残して横に飛んで行った。
「また餓鬼か!」
アルフレッドがイライラした様子でドアを蹴り破り、狙撃ポイントに向かって一閃、校舎の屋上をまるごと吹き飛ばす。はずだった。しかし何も起こらない。まるで何事もなかったように、いや本当に何も起こらず静まり返る。アルフレッドが自らの持つ剣を見る。じっと見つめる。そしてヘリコプターや周囲の音によってかき消されていた、かすかな音色に気付き、慌てて振り返ってヘリコプターの中を見た。
「くそ!くそ!くそ!」
水瀬和也の姿がない。おまけにパイロットが気絶している。そして流れ続ける綺麗な音色。目の前にはフルートを構えた男子生徒がいた。その隣には巨大な銃、対物ライフルを持ち肩に水瀬和也を担いだ女子生徒もいる。二人の生徒は既に森谷智花にかけた魔術も解除して、倒れている小柄な女子生徒のもとに駆け寄っていた。
「この私が餓鬼の幻術ごときに一杯食わされたというのか!」
本来の彼であれば幻術になど引っかからない。鎧の効果に加え、彼は今まで対幻術の訓練を幾度としてきている。たとえ紫の魔女の幻術であっても引っかからない自信があった。
「子供だと侮っていたか……しかし!」
アルフレッドが剣を、盾を構える。身に纏う気はさきほどの戦闘のときとは比べものにならない。本気だ。鎧に掘られている溝が光り始め何かの文様を描き始める。そして光が徐々に鎧から剣へと流れていき、剣にその文様が現れた。
「君たちを称えよう。この剣の一撃をもって」
アルフレッドが剣を振り下ろした。智花も、八田も、雫も、音羽も何もできない。威力の桁が違い過ぎる。この学園の敷地をすべて吹き飛ばせるのではないかとすら感じられる。まさしく伝説クラスの一撃、雫の模倣品では勝負にならない。
「ふざけるな!」
勇ましい叫びと共に四人の前に男子生徒が飛び出す。それは意識を取り戻した和也。剣が振り下ろされた真正面に、青の光を全身に纏って立ちすくむ。和也はその青い光を手に集めると剣によって放たれたその一撃に正面からぶつけた。
「ぐ!」
和也が苦しそうに片目を瞑る。アルフレッドの一撃が和也の青の光を上回っている。それでもなんとか均衡していた。和也は両手を前に突き出して必死に受け止める。
「聖剣よ。邪悪な魔女の光を滅せよ」
アルフレッドが叫ぶ。和也の青の光が徐々に小さくなっていく。和也の体が後退していき、ついに吹き飛ばされそうになったとき、双方の間に紅蓮の球体が落下した。それはアルフレッドの攻撃と和也の青の光を弾き飛ばしながら爆発し、地面に巨大な窪みを作る。和也はその状況をしっかり確認すると安心したような顔で再度気を失った。
「和くん!」
智花が駆け寄る。続いて音羽も駆け寄った。八田は雫を抱えながら目の前にいるアルフレッドと、それから緋ノ宮妃を見て、一言小声で呟く。
「緋ノ宮妃……黒の剣と青の欠片ばかり意識していたがこりゃ完全に誤算だ」
その緋ノ宮妃はアルフレッドをじっと睨んで対峙している。彼女の周りを渦巻く龍のような炎は、学園を囲む炎の柱から常時供給され徐々に大きさを増していく。もう魔術の領域ではない。ここはもう彼女の世界だ。空の不気味な赤ですら炎に呑み込まれていくようだ。
「私の宮殿で何をする」
妃が籠った恐ろしい声でアルフレッドを威圧する。それに対してアルフレッドは目を細めて盾を構えるとその紅蓮の悪魔をしっかりと目に焼き付けた。
「私は騎士団の幹部だ!この程度で立ち止まるわけにはいかない!」
どちらかが一歩踏み出せば再度戦いが始まる。そうすればもう学園は消し飛ぶだろう。見ている四人の生徒に緊張が走る。
「ん?」
電話が鳴った。アルフレッドのスマートフォンだ。もちろん出ない。相対しているのはそんな隙を見せられる相手ではない。そのとき今度は予想外の方向から声がする。
「なに?」
ギオル・ベルト。笠原と戦闘していた男の声だ。その声からはわずかな焦りが見受けられる。彼は手短に話しを終えると瞬間移動かと思われるほどのスピードで移動し、アルフレッドの背後に現れた。
「どうしました元帥?」
「緊急事態だ。撤退するぞ」
「無理ですね。この女だけは殺さなければ幹部としての示しがつきません」
「ならば自分の国が滅びるのを見ていろ」
「は?」
アルフレッドが一歩バックステップし、元帥に並ぶ。さすがの妃も幹部二人は危険と判断したのか攻撃しない。妃が動かないことをチラッと横目で確認したギオル・ベルトはスマホの画面をアルフレッドに見せた。それを見たアルフレッドは目を丸くする。
「……どういうことだ」
画面に書いてある内容は彼にとって驚きの物だった
(欧州の三地点で次元の歪みが出現。魔物が大量発生)
「わからん。そこの男が知っているんじゃないか?」
そう言われたアルフレッドが八田の後ろを険しい表情で見据えた。八田が不思議そうな顔で後ろを向くとそこには黒のスーツに白の手袋をした眼鏡の男が笑って立っている。笠原優一。いつもと変わらない綺麗に整えられた服は戦闘の後とは思えない。
「皆さん、ご無事でした?」
笠原が笑う。智花はそんな笠原を見て、少し安心したような表情をした。
「元帥、奴はあなたが殺すのではなかったのですか?」
「はっ、お互いさまだろう。今回は相手の戦力を測れただけでも上出来としよう。予想に反して強敵が多いわ」
ギオル・ベルトは何故か嬉しそうに笑うと大きく真上に飛び跳ねる。そしていつの間にか和也達の上を低空飛行していた飛行機や戦闘機とはまた違った不思議な形の飛行船に乗り込んだ
「おまえも乗っていくか?今日ならタダだぞ。我らがロシアの最新のバトルシップだ」
ギオル・ベルトが自慢げに言う。アルフレッドはチラッと上空を見て、その船を確認すると次に目の前の和也たちを見た。今は学園を覆う炎は消え、青い光もない。普通の学園で過ごす、普通の学生たちが目の前にいる。
(いずれ再戦するだろう)
アルフレッドは大きく跳躍して上空の船に乗り込んだ。彼の搭乗を確認するとその乗り物は高速で学園から遠のいていく。そして一瞬のうちに赤い空の中に消えていった。
「早いなー」
いつの間にか意識が戻っていた和也がそれを見ていたのか呟く。その瞬間、智花が彼に抱き着いた。嬉しそうに泣いて抱き着く。和也も彼女を大切そうに抱きしめた。そして自分の周りを見る。めちゃくちゃだ。校庭の地面は割れ、校舎にはいくつものヒビが入り、空はいまだ赤い。これは……何なのか?魔物が怖いとか、騎士団幹部が強いとかそういう話ではない。わかってしまったのだ。この戦いの中心に自分がいることに。勇人のような強さを持つ者、生徒会長のような飛び抜けた才能のある者、騎士団幹部のような強い意志のある者。そういう人たちが物語の主人公になるものだと思っていた。自分は大きな世界の端っこで時には頑張って、時にはのんびりとして生きていくものだと思っていたのだ。
「笠原先生、俺のことをもっと詳しく教えて下さい。俺がどういう存在なのか。誰がどういう目的で俺を狙っているのか。そして俺にはどういう選択肢が用意されているのか」
「ええ、そういう約束です。後日、必ず教えます。今は負傷者の治療が優先でしょう?」
笠原が八田の背中で目を瞑っている雫を見る。和也はそれに了承し、妃を見た。気が付けば、すでに二人のチームメイトを担いで校舎の入り口で待機している治療担当の教員に引き渡している。
「八田、雨堤もあそこに」
「おう!おまえは大丈夫なのか?」
「俺は大丈夫だ。それより三人とも怪我はない?」
「色々ピンチでしたけど、和也さんに守っていただけたので大丈夫です」
音羽が答え、それに智花と八田も頷いて同意する。そして三人とも怪訝な顔で和也を穴の空くほど見つめた。
「え、何?」
「和くん、やっぱり見てきてもらったら?」
「いや、大丈夫だって。むしろ普段より元気なくらい」
和也が腕をブンブンと大げさに回す。
「でもよ……気絶して、青い光放って、また気絶した人間いたら、とりあえず病院連れていくぜ?」
「たしかに」
「ほらー。やっぱり心配だよ」
「いや、でもほら!本当に重症の人も中にはいるからさ。とりあえず今はいいよ」
「智花さん、強制的に連れていきましょう!連行です!」
「うん!」
和也が両脇を智花と音羽に抱えられて、救護室に連れていかれる。八田はその慌てた様子を面白そうに見ながら、雫を背負って着いて行こうとした、そのときポケットのスマホが鳴る。八田はそれを窮屈そうに片手で取ると耳に当てた。
「そっちは大丈夫か?」
低い男性の声が八田に聞く。
「はい、大丈夫です。どうにか」
「どうだった?」
「化け物の巣窟に放り込まれた気分です」
「なら予想通りだ」
「はあ」
八田が深いため息をついた。それを聞いた電話の相手の男は「はは」と笑う。
「で、これどうすればいいですかね?」
「またしばらく様子見だ。とにかく騎士団幹部の動きがバラバラでな。誰がどう動くかを確認せんと対策もできない。特に聖戦メンバーが何を企んでいるかはさっぱりわからん」
「じゃあ引き続き、パズモンして、ナンパ頑張ります」
「ああ、№6の動きだけ監視してくれれば問題ない。……おまえには学園での生活も十分に楽しんでほしいと思っている。まあ聞いている感じだと心配ないくらい楽しんでそうだが」
「バレましたか」
「ははは」
笑い声とともに電話が切られる。八田はゲンナリした顔をしてスマホをしまうと背中から少しずり下がってしまった雫を抱え直して歩き出した。その体重はあまりにも軽い。
「本当に軽いな、このお姫様」
「……」
「にも関わらず、魔術師になって、おまけに強くて勇敢なんだから凄いよなー」
「……」
「あ、でも魔術師にならないほうが凶暴にならなくて、友達できたかもしれないな。ははは……」
「……」
「あのー」
「……」
「もしかして起きてる?」
「……」
「はは、なわけないか!」
「起きてるわよ」
「うわぁー」
八田が慌てて後ろを振り向く。しかし背中に背負っているのでもちろん後ろにはいない。
「馬鹿じゃないの?」
「起きてるなら言ってくれよ。死ぬかと思ったわ。いつから起きてたんだ?」
「たった今よ」
「そ、そうか。ならしょうがないな」
「ええ、だから安心してボッチの凶暴女を救護室に連れていってちょうだい」
「は、はい」
八田がさっきよりも少しだけスピードを上げて移動し始める。雫はそれに複雑そうな表情を浮かべて大きな背中に寄りかかり、再び目を閉じた。




