運命
「和也ぁぁぁ……助けてぇぇぇ……」
二人の生徒、八田慎二と雨堤雫が全速力で走りながら血相を変えて、前方にいる水瀬和也に助けを求めた。それもそのはず、後ろからは凄まじいスピードで牙を生やした人型の魔物が追ってきている。スタートダッシュは八田の幻術でどうにか差をつけることができたもののそのあとの妨害は難なくいなされてしまい、その差は徐々に縮まっていた。
「よし、ちょっと待ってろ」
和也はそう叫ぶと手に魔力を溜める。そしてそれを吸血鬼に向けて放った。……つもりだったが何も放たれていない。魔力は以前和也の手に留まったままだ。
「あ、切り離しできないんだった。智花、チェンジで」
後ろで腕を組んで和也の攻撃を見ていた勇人は大爆笑した。彼は笑いながら不安そうな智花の隣に立つ。
「大丈夫だ。魔術の扱いはなかなか上手いからな。少し戦闘でのコツを教えてやる。和也も聞いておけ」
「う、うん」
「はいはい、お願いします。勇人先生」
「よし!」
「黒守ぅぅぅ……助けてぇぇぇ……」
「この距離からの攻撃じゃ、吸血鬼にはまず当たらない」
「智花ちゃぁぁぁん」
「八田はうるさいな」
「そ、そうだね……でも早く助けてあげた方がいいかな……」
智花が泣きそうになりながら走っている八田を見て苦笑いをする。雫にいたっては若干切れ気味だ。
「それもそうだな。まあ、いま言ったように攻撃は当たらない。おまけに智花の魔力じゃあ威力が低いから当たっても魔物にはダメージがわずかしか入らない。今は少しでも敵の速度を遅らせれば十分だ。だから必ずしも吸血鬼を狙う必要はない。例えば」
「地面とかかな?」
「そういうことだ。センスあるな」
話しを聞きながら手に魔力を溜めていた智花が魔力を放つ。地面に向かって。魔力は地面に当たると地を抉り、破裂する。その影響で四方に岩が飛び散り、砂煙が俟った。
「というように良い感じの足止めになる」
「なるほど」
「しかし残念ながら相手は吸血鬼。あの程度では」
吸血鬼は飛んでくる岩に当たってもまるで傷つかず、砂煙の中を一直線に進む。そのスピードに殆ど変化はない。
「おい、どうする!追いつかれるぞ」
「智花、縫いぐるみのやつできるか?」
「コン吉さん以外なら大丈夫。でもコン吉さんほど強度は良くないよ?」
「それで十分だ。和也縫いぐるみにありったけ魔力を流して吸血鬼に向かって投げつけてみろ」
「それ何が起こるの?ていうか届かない」
「届かなくてもいい。物は試しだ」
「そう?じゃあ」
和也は智花からウサギの可愛らしい縫いぐるみを受け取るとそれを吸血鬼に向かって投げた。縫いぐるみは八田と雨堤の頭上を越え、吸血鬼の前に落ちる。吸血鬼はそれをチラッと見るがまるで気にせずそのままの速度で縫いぐるみを通り過ぎようとした。その時、
「ボコッ!」
不思議な音と共に縫いぐるみが急激に膨張し、人の丈の三倍ほどになる。さすがの吸血鬼も驚いたのかバックステップし、その縫いぐるみを見るが……その後特に何も起こらない。縫いぐるみが徐々に縮んでいく。
「という感じだ」
「……」
「吸血鬼の縫いぐるみを見る顔、面白かったな。ハハハ」
「お、おう」
「大きいピョン助さん可愛かったね!」
「足止めにはなったからいいか。ていうか智花の縫いぐるみ、なんで村人みたいな名前なの?」
そんなやりとりをしているうちに八田と雫が学園内に駆け込んでくる。二人とも息を切らしながら、ホッとした表情をしている和也を睨んだ。
「ちょっと真面目にやりなさいよ」
「そうだ、そうだ。死ぬところだったんだぞ!」
「え、俺?」
「「ははは」」
「ニンゲンメェ……」
低い声で吸血鬼が唸る。和也たちまで三メートルほどのところにいるがそれ以上は近づいてこない。吸血鬼も学園に張られている防御結界を認識しているのだ。
「ナンダココハ……」
「岩戸よ、開け」
吸血鬼が学園に張られている魔術に気をとられているなか、勇人が手を合わせて、魔術を唱える。和也や智花にはそれがどのような魔術かわからない。聞いたことも無い言葉だ。しかし吸血鬼はそれを聞いた瞬間に大きく後退する。
「キサマ……」
「閉じろ」
「グ……」
吸血鬼の足が止まる。比喩ではない文字通り全く動かなくなる。一方の勇人も手を合わせたまま動かない。
「遠距離から操作可能の強力な魔術なんだが、残念なことに発動中は自分も動けない」
「じゃあ俺たちが攻撃すればいいのか?」
「ああ。だが吸血鬼は足が動かなくても強力な魔術がある。うかつに近寄るのは危険だ。だからここは安全策を取ろう」
「安全策?」
和也のその疑問の声とほぼ同時に……上空からの飛来物により吸血鬼の上半身が吹き飛んだ。高速の岩が当たっても傷ひとつつかなかった体が崩れ落ちるように倒れる。
「ナイスだ、音羽」
「……」
「よし、とりあえず安全は確保だな」
「ちょっと待ち、今の何?」
「音羽の狙撃だが?」
「吸血鬼って強いんだよね?」
「ああ、今更どうした?」
「気のせいかなー、あなたたち兄妹を見ているとそうでもなく見えちゃうのは……」
「まあ俺が強いからな」
「出た!」
和也と勇人が楽しそうに話し、智花はそんな二人を嬉しそうに眺めている。そこに座って休憩していた雫と八田が近づいてきた。二人とも以前として険しい顔をしている。
「悪いけど休憩している暇はないわよ」
「俺たちがここに来たのは逃げてきたからじゃないんだ」
二人の深刻そうな顔を見て、和也たちも話を止めて二人に向き合った。雫が移動中に襲撃を受けたこと、それによって多くの被害者が出たこと、再度撤退をするために自分たちが先行したことを話す。話を聞いていくうちに智花は悲しそうな表情となっていった。
「……つまり予定ではもうすぐここに大量の生徒が避難してくるのか?」
「ええ、予定ではね。幻術は張ったから余程のことがない限りは大丈夫なはずよ」
「でも……」
「そうね、森谷さん。現に吸血鬼がいた。おまけに天使も確認している」
「それはこっちも。俺たちも天使に襲われた」
「そう……。つまり学園は狙われていると考えるのが妥当じゃない?理由かはわからないけれど」
「「「……」」」
勇人以外の三人の表情が強ばる。一方勇人は西門の方を見ていた。その表情は他のメンバーとはまた違った険しさを内包しているように見える。彼はそのまま西門まで歩くと刀の柄をギュッと握り、振り返って雫を見た。
「雨堤さん、俺のチームのメンバーはどうしたかわかるか?」
「菜ノ原怜、来栖明、渡辺千恵については少なくとも私たちが離脱するまでは全員生きていたわ。でもそれ以上はわからない」
「そうか……」
勇人が再び学園の外の方を向く。その反応に雫は意外そうな顔をした。彼は……黒守勇人という人間は……。
「で、俺たちはこのあとどうする?引き続きここで待機か?」
和也が少し不満そうにそう言う。
「おまえの気持ちも分からなくもないけどよ……俺らが出ていっても大した貢献できないだろ?」
「そうだよ、和君。今は安全を第一に考えよう?」
「だよなぁ……。とりあえずさっきと同じように逃げてくる生徒を援護するか」
「そうね、ここで待機しましょう。で、あなたはどうするの?黒守勇人」
雫が勇人に問いかける。勇人はさきほどと同じようにゆっくりと振り返り、今度は和也と智花を見た。そして意を決したように空を見る。
「俺は……チームのところに向かう。あいつらを置いて来てしまったから……迎えに行かないと……」
「そう。まあ、あなたなら一人でも心配ないでしょう」
雫は淡々と答えると校舎の方に歩き始めた。勇人はその背中を鋭い目で見る。そしてしばらく見ると和也と智花に歩み寄った。
「というわけだ。ここは任せるぞ」
「わかった。大丈夫だとは思うけど、気をつけろよ。何かあったら携帯に……と思ったけど回線が混んでいるんだっけ?」
「わからん。その時々によるからな。そっちこそ何かあれば連絡しろ。それと音羽のことも頼んだぞ」
和也が屋上をチラッと見て頷く。勇人はその相槌をしっかりと確認して歩き始めた。一歩を踏み出し、右足が地面に付いたその時、うしろから制服の裾を引っ張られる。それはとても弱い力。あまりに簡単に離れてしまいそうな力。しかし勇人はそれにしっかりと気付き振り返った。
「行くの?三人で一緒じゃダメ?」
智花が今にも泣き出しそうな目で勇人を見る。勇人はそれに困ったような、恥ずかしそうな表情になりそっと手を握った。
「俺にも……仲間ができた。この二年間支えてくれた仲間だ。放ってはおけない」
「うん……」
「すぐ戻るよ。からくれないに誓って」
智花はその言葉に驚き、目を見開く。
「和也、智花を頼む」
勇人はその言葉と共に後ろに一歩下がり、振り返って走り出す。そのスピードは速い。さきほどの吸血鬼ですら追いつけないほど。智花は、和也に後ろから支えられ、勇人の後ろ姿を不安そうな顔で見つめていた。
「……」
一方、八田は……その姿を無表情に見つめていた。
今からちょうど二年ほど前、多くの生徒が泣き、抱き合って別れを惜しむ日。中学校の卒業式が行われた日、殆どの生徒が会場である体育館に集まる中、中学生にしては少し大人びた真面目そうなその男子生徒は一人で正座をして佇んでいた。周りには立派な文字が書かれた掛け軸と日本刀が飾ってある。道場だ。その男子生徒にとって見慣れた道場。子供のころから何度も訪れている。
「流石に少しぼろくなったか?」
そんな独り言をつぶやくと同時に入り口の戸が開いた。見なくても誰が来たかはわかる。優しそうな顔をした、それでもって威厳のある風貌を持つ、五十代前半の男性。世界でも最高と言われる刀鍛冶師。森谷正宗。森谷智花の父親。
「道場は多少ぼろい方が味があると思わないか?勇人君」
「聞こえていましたか……」
勇人が苦笑いで答える。森谷正宗は勇人の前まで歩いてくると向き合うようにして正座した。
「大事な日にすまないね。ただこんな日でないと話せないことだから……」
「いえ、別れを惜しむ相手もいないので」
「ふむ……」
森谷正宗が困ったような顔で勇人を見る。勇人は黙ったままだ。
「まあ、卒業式なんてものはただの通過儀礼だ。本当に別れを惜しむ相手ならば卒業程度では別れないからね。でも君は……」
「わかっています。早く要件を済ませましょう。智花が帰ってきちゃいますよ」
「うむ……。しかし君はいいのかい?私には選択肢があった。道明寺神子と黒守勇人。百戦錬磨の戦神と学生。君が選ばれたのはあまりに不自然じゃないかい?」
「……わかりません。ただこれは運命でしょう?水瀬薫子、和也の母親がいなくなったとき運命が動いた。欠片は受け継がれ、もはや和也は争いから逃れることはできない。そして智花が和也を……和也を好きな以上、智花も巻き込まれることは必然です」
「そうだねぇ……」
森谷正宗が目を閉じてゆっくりと頷く。その相槌に迷いや焦りはない。しかし目を開くと悲しそうな表情で勇人を見る。
「しかし君は違うだろう?この際限ない争いに巻き込まれないという道がある。和也くんは恋敵だ。智花は……君を選ばなかった。そんな二人のために刀を取る意味がどこにある?君は天才だ。道明寺神子にも届くほどの。輝かしい将来が待っている。それを台無しにする理由は」
「おじさん」
必死に話すその父親を勇人はまっすぐ見つめる。
「すべてわかっています。それでもここにいるのは……それは俺がどう足掻いてもこの道に辿り着くという証拠です。それに道明寺神子でなく、俺を選んだのはあなただ。刀の所持者を決めるのは刀とその製作者。それは私にその道を歩いて欲しいと思っているということです」
「……はぁ。君は頭がいいねぇ、本当に。だから君を選んでしまった。いいだろう。待っていてくれ……すべてを君に託そう」
そういって森谷正宗がゆっくりと惜しむように立ち上がると奥の部屋に入っていった。智花も入ったことがないと言っていた部屋だ。勇人は……表情を変えない。
「これにまだ名はない。渡すときに決めようと思ってね」
そう言いながら持ってきたのは赤い鞘の綺麗な日本刀。普通のものより長さも太さも一回り大きい。
「持ってみたまえ。この刀はある剣の刃を溶かして打ったものだ。日本を創生のときより見守り続けてきた最古の剣。君ならば……」
勇人が森谷正宗からその刀を受け取る。
「ん!」
受け取ると同時に心臓の鼓動が高ぶったのがわかった。あらゆる感覚が研ぎ澄まされる。視覚が、聴覚が敏感になり、思わず刀を離してしまいそうになった。そこで離していれば重荷を背負うこともなかったかもしれない。しかし勇人はギュッと握りしめて離さなかった。
「それを所持できてしまった以上、あとは何も言うことはない。あるのは願いだ。どうか……どうか智花を守ってくれ。和也君と一緒にいる限りあの娘にも危険はおよぶだろう。しかし私は智花の恋を壊したくない。和也くんと引き離したくない。ああ……なんと酷いエゴだ。君も智花が好きだというのに。その君に命を懸けて守れと言っているのだ。もし私を許せなければその刀で切ってくれ!しかし……しかしそれでも智花を……智花だけは……」
「ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
勇人がそっと歌を詠む。すると狂ったように勇人に頭を下げていた智花の父親が静かに顔を上げた。
「俺が好きな歌です。百人一首なんてテストで出るから覚えただけなんですが……」
「何故その歌なんだい?」
「自分でもよくわかりません。しかし恋の女々しい歌に比べて、この歌はなんというか……カッコよく感じたんです。どうしようもない理由ですいません」
勇人が照れくさそうに笑う。そんな勇人を森谷正宗は申し訳なさそうに見ている。そして立ち上がると使い古された紙を持ってきた。そこには彼が作ってきたであろう歴代の刀の名前が並んでいる。
「では……名前は唐紅でどうだろうか?」
「いいですね!紅っていう表現がカッコイイです」
「そうか……刻んでおこう。明日もう一度取りに来てくれるかい?」
「わかりました」
勇人がそう答えると同時に、智花の家のインターホンが鳴る。森谷正宗は慌てて奥にその刀を持って行った。
「もう帰ってきたか。いつもより早いな」
「卒業式の日は早く終わるんですよ」
「そうなのか!これは困った。どうする勇人くん」
「いえ、どうせ……」
勇人の言葉を遮って道場の戸が勢いよく開く。そして聞き慣れた可愛らしい声が少し不機嫌そうなトーンで聞こえた。
「おとーさん!勇くん知らない?卒業式に……っていた!やっぱりここにいた!」
「え!勇人、なんでこんなとこいるんだよ。あ、お邪魔してます」
和也と智花が小走りで勇人に近づく。二人とも卒業式の正装のままだ。
「いや、おじさんに日本刀の話を聞かせてもらっていたんだ。卒業式だるいからな」
「もう、信じられないよ。おとーさんも注意してよ!」
「悪い、悪い。お父さんも楽しくてな」
「もう!」
「プイッ」と頬を膨らませる智花。そんな智花に嬉しそうに謝る森谷正宗。勇人はその父親の姿を見て、奥の刀のしまわれた部屋を見る。
「おい、勇人!写真撮ろうぜ。三人で」
「俺写真は……」
「さぼった奴に拒否権はない」
「和君の言う通り!」
「ええ……」
和也と智花が勇人の両腕を掴んで強引に外に連れていく。勇人はそれに観念したように、それでいて嬉しそうに笑っている。
「願わくば、彼に新しい出会いと……恋を」
森谷正宗はそう呟くと三人を見送り、奥の部屋へと入っていった。




