兄と妹と友と
「ハァハァ」
息を切らしながらも必死で走る。先程までは日常に紛れ込んだ怪奇程度の認識だったが気が付けばもう日常でないことがわかる。異様に爪の長い狼らしきものが目に入った。その体長は三メートルを超える巨体。自分たちを認知するやいなや全速力で迫ってくる。自分なら叫びながら逃げ出している状況だが先頭を身軽に駆ける少女は両手の銃を冷静に構えて小さく呟いた。
「ツインスワロウ」
銃から発射された二発の銃弾は燕のように具現化した魔力を纏い目の前の魔物に迫る。魔物は構わず突進してくるが一発目の銃弾は魔物を登頂部から後部まで一直線に貫通し、二発目は当たると魔物の体を無数に切り裂いた。そうして倒れた魔物には目もくれず彼女は通り過ぎる。
「あと少しです。もう少し走り続けて下さい」
黒守音羽が後ろを見ながら、息を切らしている森谷智花と水瀬和也に声をかけた。そう言われて前方を見ると長い一本道の向こうに校門が見える。普段は見ると鬱になる校門も今日だけは救いに見えた。
「智花、頑張れ!」
和也と違い、目に見えて疲労している智花。彼女が普段運動していないこともあるがそれ以上にこの雰囲気に疲れたに違いない。まあ普段から運動していても血が噴き出す場面は見ないが……。と目の前に再び何かが現れる。それはちょうど校門の前で宙に浮いていた。大きさは一メートル立方の角柱程度。不思議な光を放っており、さきほどの魔物のように生き物らしさを感じさせない。和也が正体を聞こうと音羽を見ると彼女は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ここで天使ですか……。タイプは〈ノーマル〉」
彼女の言葉を聞き、和也が気を引き締める。第二種、天使。危険種と呼ばれる魔物。狂獣に比べれば見た目の怖さは薄いもののその危険度は段違いだ。
「和也さん、やむをえません。ここは私が戦います。お二人は学内へ。校門を越えてしまえば天使と言え侵入は不可能です」
「走って切り抜けられない?」
「無理です。天使の最大の特徴はその正確無比な攻撃。ノーマルタイプなら最大捕捉は一人ですが下手に背を向ければ一人は確実に殺られます」
「……」
「私が戦っていればさすがにお二人を狙うことはないでしょう。私も隙を見て退避しますので」
音羽一人では厳しい相手だがかといって和也と智花に天使と戦うほどの力はないのでこの案しかない。一人置いて退避というのはあまり好ましないが和也は仕方なく了承する。
「ではお二人は一直線に学内へ。仮に天使が変な動きをしたり、他の魔物が来ても気にせず走ってください。必ずお二人は守ります」
「お、音羽ちゃんも気をつけて……」
「はい、ありがとうございます!」
音羽は明るく返事をすると銃を構える。そして銃に魔力を溜めた。さきほどとは蓄積されていく魔力の量が違う。
「初手の攻撃後走ってください」
「わかった」
「ツインスワロウ、真の力を示せ」
音羽のその言葉と共に銃口に魔力が集まり始める。するとその魔力に気が付いたのか天使の顔らしきものが音羽を捉えた。
「飛べ」
銃口から発射された複数の弾が天使に向かう。と同時に和也と智花が走り始めた。無数の銃弾はさきほどと同様、燕の形の魔力を纏い天使に向かう。一方、天使は攻撃を認知したのか不気味に光り、不可解な音を発した。すると天使の周りに魔力障壁が形成され、向かってきた銃弾をあっさりと弾く。
「まあ、防がれるでしょうね。回れ」
音羽がそう言うと弾かれた銃弾に魔力が再び宿り、燕の形を成す。そして天使の張った魔力障壁の周りをクルクルと回り始めた。それは魔力障壁を破ることはないが天使の視界を覆う。音羽はその隙を見て校門に走った。和也と智花はすでに学内にいる。
「音羽ちゃん!早く!」
音羽が全速力で駆けてくる。このまま行けば何の問題もない。しかし校門まであと二メートル足らずというところで音羽が大きく上方に跳ねる。そして彼女の足が地面から離れた直後、まさしくレーザー光線という名がふさわしい一撃が地面を抉った。
「早い!」
音羽が空中で銃を構え直し、同様に発砲する。さきほどとは違う弾。今度は威力に念頭を置いた弾。その弾が天使を貫こうとする。しかし天使もさきほどより強力な魔力障壁を張り防ぐ。そして再びレーザーを発射しようと魔術を発動した。そのまま着地すればレーザーが彼女を貫くだろう。
「燕よ、羽ばたきなさい」
着地する寸前、音羽のその言葉とともに風が舞い上がり、彼女の体が浮き上がる。それによってレーザーは再び地面を抉るにとどまった。音羽は着地と同時に銃を何発か撃ち、地面を蹴って天使に接近する。
「疾く、軽く」
銃弾は今までと同じように弾かれるが流れるような身軽さで距離を詰める音羽。手には二本の、黒鉄と白銀のバタフライナイフが握られている。
「斬る!」
間合に入った音羽はナイフに魔力を込める。天使が障壁を再度発動しようとするが間に合わない。そのまま二発切りつける。両者の攻防で初めて攻撃が通った。しかし天使の装甲は固く僅かに怯むだけで特に損傷があるようには見えない。
「あの頑丈さ、やはり勝ち切るのは無理ですね。どこかのタイミングで離脱しなければ……」
音羽が武器を銃に切り替えて再び距離をとる。
「音羽ちゃん、周り!」
和也が声を上げた。音羽はそれで気が付く。周りに魔物が集まり始めている。天使に比べれば弱いものばかりだがそれでも天使と戦いながらとなると相当に厄介だ。
「さて、どうしましょうか」
額に汗が浮かぶ。こうしている間にも天使は攻撃の魔術を発動するだろう。そして長期戦もできない。ならば機会は今だ。音羽は先程使ったバタフライナイフに魔術を込めて天使に投げた。当然防がれるだろう。しかし隙を生み出せる最大の方法はこれしかない。弾かれたナイフが魔術を発動した。無数の鳥がナイフから生み出され、魔物に当たると爆発する。そしてその中を起用にステップを踏みながら校門に向う音羽。しかし彼女が発動した魔術は天使によってすぐさま打ち消されてしまう。音羽が校門に足を踏み入れようとする。天使が魔術を発動する。
(間に合わない)
彼女は目を瞑る……。そしてすぐに目を開いた。それは大した理由ではない。ただ、ただ自分が最も頼りにしている人の気配を感じたから。
「勇人!」
和也の嬉しそうな声が聞こえる。音羽は学内に入ると同時に、振り返り天使たちを見た。天使には……五本の刀が刺さっている。おそらく呪符から生成したものだろう。天使はそれだけの傷を負って、なお魔術を発動しようと動いている。他の魔物は……全滅。
「吸血鬼に比べると動作が遅くて単純だな。魔術のバリエーションもない」
勇人は天使に近づくと持っている刀で一閃、天使を真二つに絶つ。「圧倒した」という言葉が正しいだろう。隙を付いたとはいえ天使をものの数秒で片付けて見せた。「やはり兄は強いな」と音羽が嬉しそうに笑う。
「二人とも大丈夫か?」
刀を鞘に収め、和也と智花の下に向かう勇人。その顔は少し青ざめている。
「大丈夫だよ。俺たちより音羽ちゃんの心配してあげてくれ。正直助かったのはなにもかも彼女のおかげだ」
智花もぶんぶんと首を縦に振って同意する。勇人は軽く二人に怪我がないことを確認して音羽の方へ歩いて行った。
「兄さん、ありがとうございます。危うく死ぬところでした」
「音羽……悪いな。無茶を言って。まさかこんなことになるとは……おまけに天使まで……」
「いいです。何とか兄さんの“大事な物”も守れました」
「……」
「それとこれ!こんな状況なら絶対に必要でしょう?」
音羽は肩にかかった長い筒のようなものを勇人に、兄に渡す。勇人は妹からそれを受け取ると同時に音羽の反対側の肩にある楽器ケースのようなものに目を向ける。
「アルバトロスも持ってきたのか?」
「必要だと思ったので……正解でした」
「……」
「早く移動しましょう。校舎の中が良いでしょうか?」
「ああ、校舎内の結界はより強固だ。少なくとも競技場にいる生徒が移動してくるまでは中で待機した方がいいだろう」
「わかりました。中の様子を確認してきます」
音羽が校舎内に向かう。それを見た和也と智花が勇人に近づいた。
「八田と雨堤もこっちに来るのか?」
「来るだろう、他の生徒全員も含めて。笠原が誘導しているはずだ」
「道中に結界みたいなものはないよね?危なくない?」
「危険だろうが競技場も同じようなものだ。あの人数でとどまるなら学園の方がいい」
「まあ向こうは殆どが中級組以上の魔術師の集団だから、そんなに心配することもないんじゃないか?それより俺達はどうする?ただ待機っていうのもなんかな……」
和也がやや高揚気味にそう言う。
「……二人は音羽と一緒に競技場から来る生徒の援護をしてくれ。俺は今の状況についてなにか情報を集める。特に戦況と次元の歪みについてだ。戦況は……道明寺神子が戻ってきているはずだから大丈夫だとは思うが……」
「じゃあ俺たちは西門で待機するよ。音羽ちゃんは……」
和也が校舎から出てくる音羽を見る。
「兄さん、校舎には一般組の生徒と教員の方が数人と避難してきた人が何人かいますよ。教員の方は魔術師ではありませんね」
「わかった。教員とは俺が話す。音羽は和也と智花と一緒に退避してくる生徒の……」
「了解しました。では私は屋上から狙撃をします。お二人は敷地に西門で待機を」
「わ、わかった」
和也は、てきぱきとした動きでケースを持って校舎に戻っていく音羽に少し気圧されながらも返事をした。
「よくできた妹だよな」
「ああ」
「音羽ちゃん、テンション高めかな?」
「お?よく気付いたな、智花」
「うん、なんか嬉しそうだよね。でもどうしてだろう?」
「それは……まあ、俺にもよくわからんな。どっちにしろ、アルバトロスを使うのならいい状態だ」
「アルバトロスってあの背負っているやつか?狙撃っていうくらいだしライフル?」
「対物ライフルを改造した特注品だ。あいつの本領はあれを使っている時だろう」
「へぇ……」
さきほど身近でみた音羽の実力を思い出し、なんとも言えない表情になる和也。あれが本領ではないのか?そんな疑問が頭に浮かぶ。この兄妹はちょっとおかしい。とそんなことを思っていると遠くから爆発音が聞こえた。そしてその直後上空を凄まじいスピードで戦闘機が通り過ぎていく。
「いよいよ本格的に戦争状態か?あんな音初めて聞いたよ」
「……和也。智花を守ってやれよ」
「ああ!勇人と一緒なら大丈夫だ」
「……そうだな」
勇人は腰の刀に手を添える。その手に触れた刀はさっきまでのモノとは違う。黒に赤の文様が描かれた鞘。金色の鍔と柄。そして真紅に染まった持ち手。一般的なものに比べて幾分か長く、太い。
「勇人、その刀は何というか……凄いの?」
「……」
「いや、わざわざ持ってくるくらいだし……なんか見た目も派手だから凄いのかなー、なんて。振るうとバァーンって感じか?」
「はっ」
「?」
「ハハハ」
「なんで笑うんだよ!」
「ハハハ、バァーンって何だよ。子供か?」
「子供で悪かったな。でも勇人だけずるいぞ。そんなカッコイイ武器持って。俺なんか手ぶらだからな」
「なんか使えるのか?」
「いや、何にも」
「なら、魔術の方が強い。ああ、でもそうだ。これ預かっていてくれ」
勇人がそう言って差し出したのはさっきまで使っていた刀。少し汚れていて年季を感じる。そしてわずかに魔力の残滓を感じた。
「お、まじで?でも何で?」
「邪魔だから」
「……なるほど。二刀流は?」
「あれで強いのは宮本武蔵と道明寺神子くらいだよ」
「へぇー。まあよくわからないけど預かっておくよ。護身刀的なノリで」
「ああ」
和也は刀を受け取ると少し強めにそれを握り占める。するとなんだか勇気とやる気が出てきた。刀を、いや武器らしい武器を持つのはこれが初めてなのかもしれない。
(今後も持つことになるのだろうか?)
ふと和也が疑問に思う。数時間前までは自分が魔術師として戦うなんて想像もつかなかった。しかし今はこうして戦っている。怯えてまだ戦いらしい戦いはできてないがそれでも戦わなければいけないことはわかる。学園に退避してくるとき、自分が頼ってきた大人達に助けを求められてそれが嫌というほどわかった。そんな今の和也にとってこの刀は凄く自然に感じられる。
「さて、それじゃさきほど言ったそれぞれの役割をこなそう。じきに競技場の生徒も来るだろう」
「わかった。行こう、智花」
「うん」
元気よく返事をして和也と智花が西門に向かおうとする。勇人も校舎の様子を見るため二人とは反対に歩き始めた。そのとき
「和也さん、智花さん!西門に向かって二人走ってくる人影が見えます。あれは……たしか……お二人のチームメイトです」
音羽が屋上から大声で叫ぶ。
「八田と雨堤か!」
「よかった。無事なんだね!」
しかし音羽はその問いには答えない。そして三秒ほど間を取ってから
「いえ、安心するのは早いです。あれは……吸血鬼が追尾してきています。お二人は早く正門へ。兄さんも」
音羽の冷静な声でそう告げられる。三人はそれに返事をせず、全速力で正門へ向かった。




