第84話 お坊ちゃまと苦労人騎士(2)
「え?」
それで僕は広げていた本から顔を上げた。
「死んだって両親とも?」
「ええ、両親も姉妹も。下に妹が二人いましたが、全員」
「どうして?」
カイトの境遇を知っている以上、この時点で僕は何やら悪い予感がしていたが、会話の行きがかり上たずねずにはいられなかった。するとカイトは特に表情も動かさずに答えた。
「ウェブスター本家の目的は幼い男子だけでしたからね。始末されたと言えばいいんでしょうか。後から家族だと言ってしゃしゃり出て来られると困るということだったのだと思います」
予想通りの酷い内容に、僕は頭痛がした。
「始末って、君、さすがに目の前でとか、言わないよね……」
「いえ、目の前でですよ。ウェブスター家の私兵に、家屋を襲撃されたんですから。
何にせよあのときは、妹たちが幼くてよかったです。七歳と六歳だったので、只殺されるだけで済みましたからね」
「……」
僕は何も言えずにまたカイトの顔を見た。
彼は引き続きまったく平然とした顔をしていて、何故そんな悲劇を何事もないような態度で話せるのかが僕には分からなかったが、取り敢えず、生まれながらに贅沢な生活をして、側にはいつもコンチータとタティがいてそれなりに楽しくやっていたが、ときどき僕を可愛がってくれる兄さんが女といちゃついている間は寂しかったという僕の主張を、口にしなくてよかったと思った。
「どうしてそれを今まで言ってくれなかったんだ……」
本を閉じ、頭を振りながら僕は言った。
「前に身上を話してくれたとき、家族から無理やり引き離されたとは言っていたけど、殺されたとは言わなかったじゃないか。僕はまた、君は単に貰われて来たんだとばっかり思っていた。それなのにそんな、そんな酷いことをどうして……」
するとやっぱり世間話でもしているような調子でカイトは答えた。
「いやあ、何しろ内容が酷いですからね。一部始終に、割と救いがないんですよ。だから、アレックス様が聞いたらショックなんじゃないかと思いまして……、正直、想像もつかないでしょ?」
「想像つくわけがない」
僕は愕然としながら言った。
「君、どれだけ苦労しているんだ。そんなの、あんまり酷すぎるよ……」
「そうですかね? まあ、そうかな?」
僕はカイトの話を聞いただけで、本気で目の端の涙をこすらなければいられなかったのに、当の本人は僕に久しぶりに相手にされたことでかえっていつもの調子を取り戻して、まったく飄々とした態度でいるのが理解に苦しいほどだった。
カイトはもしかしたら図太いんじゃなくて、図太くならなければ生きられなかったんじゃないかとさえ思ったが、それはたぶん、あながち間違ってはいないのだろう。
「それにしても、デイビッドがそんな男だったとは知らなかった。
さっきジェシカたちが、たまたま彼のことをあまりよく言っていなかったんだけど、それはそういう人間だったからなのか……」
僕が言うと、カイトはただ黙って肩を聳やかした。
僕は気遣わしくカイトを見た。
「そんな経緯があったのでは、デイビッドのこと、罰して欲しいだろうね。本当に本当に、許せないだろうね。親兄弟の仇じゃないか、それじゃあヴァレリアと結婚するのだって嫌なはずさ……。
カイト、僕としてもこんな話を知った以上は、できる限りのことをしたいと思っているよ。
兄さんに言えば、彼を厳罰に処することができると思うんだ。ウェブスター家なんか潰してしまえばいいんだ。それで、君が新しく名前を引き継げるようにして貰おう。そうすればいい。だって、こんな酷い話はないんだから……」
ところがカイトはきっぱりとかぶりを振った。
「いえ、きっとアレックス様のお話を聞いたところで、閣下は何もなさらないと思います」
「そんなことはないよ。兄さんは……」
僕はそう言いかけて、兄さんが必ずしも正義に篤い人道的な人間ではないことを思い出した。僕はついそのことを忘れそうになるのだが、アディンセル家に仕えるあらゆる者たちが、必要以上に兄さんを畏敬している理由はまさにそれなのだ。
「無駄です」
カイトは僕の思考を理解するように頷きながら繰り返した。
「でも、そんなのって、あんまり酷すぎるよ……」
僕はまるで自分こそが家族を殺された被害者のような気持ちでカイトを見た。
「カイト、君はまるで平気な顔をしているけど、本当はたくさん、泣いたんだろう? 今だって、悲しくて生きていられないくらい悲しいだろう?
こんな、こんなことってないよ……。
だからカイト、僕は君のために何かしたいんだ。僕はこんなこと、絶対許せない。見過ごしたくない……」
するとカイトは少しの間目を伏せて、それから再び僕に視線を向け、少し冗談めかしたような感じで微笑んだ。
「じゃあ…、アレックス様。ひとつだけ」
「うん、何でも言ってくれ。僕にできることなら何だってするよ」
「ありがとう……、では先日、俺が貴方の胸倉を掴んで、逆らってしまったことを水に流してください。うん、これで決まりっ」