第81話 冬に想う(2)
そしてクライドは何かを言いたげにジェシカをちらりと見た。
それでジェシカは少しむっとした顔をして、彼女の弟を睨み返した。
「いいえアレックス様。私は、主に口答えをするような真似は、あまり褒められたものだとは思いませんね。ましてや掴み合いだなんて、想像を絶します。理由が何であれ、その件については私はカイトは出過ぎたと思いますよ。
アレックス様が生まれて初めて喧嘩をしたと聞いて、伯爵様が笑っていらっしゃいましたので、それ以上問題になるようなことにはなりませんでしたがね。
しかし私に言わせれば、彼は無礼にも程がある。前々から、アレックス様のお側につけるにしては少々礼儀が身についていないとは思っていたのです。
もしウェブスター家のデイビッド卿の子供が男子であったなら、そもそも彼はこのような日の目を見ることもなく打ち捨てられていた存在。それを拾って貰った大恩がありながら……、それに悪いが三代前の駆け落ちした三男の子孫という話も、何処まで信じていいのか分からない話なのです。どうあっても男子を授からなかったデイビッド卿が、苦し紛れに農民の子供を引っ張って来て、でっち上げたという疑念は拭い切れない。そもそもが、成り上がりの家系ですからね、あそこは」
ジェシカは基本的に公平な考えの持ち主だとは思うが、やはり彼女の意見は兄さんに仕える多くの人々と同じように、カイトに対して厳しかった。平民を家系に入れるということは、即ちこういうことでもあるのだと思った。父系が確かでも母親の血が劣っていると、場合によっては子供までが差別対象になりかねない。貴族と平民との間には大きな身分の壁があり、生理的に平民を受けつけない人々は多いのだ。
「カイト殿は貴族の血が入っていると思いますよ」
ジェシカを窘めるようにクライドが言った。
「平民にしては随分背丈があるでしょう。それに彼は器用ですよ。伯爵様が目をかけていらっしゃるのだからそう悪く言ったものでもない。出自の悪さに優る評価点が、あるということなのでしょう。何せ、てのひらに乗せて愛でているアレックス様とやりあって無事で済んでいるのですからね。この話を聞いたとき、私は今後、彼とは是非仲よくしておきたいと思いましたね。
それに姉上、もし本当に血筋に疑いがあるのなら、それこそデイビッド殿はカイト殿を最初から実子ということにしているのではありませんか。可能性を疑われないために。養子などとまどろっこしいことをしては、誰かしらがいずれそういった疑問を呈することにもなるでしょうし」
クライドの言い分に、ジェシカは同意しかねると言う顔をした。
「いや、デイビッド卿というのは、おまえの考えている以上に良心とか、温情とかいったものを欠いた人間だ。カイトが遠縁の子供であれ拾った子供であれ、彼を養子としたのはそのような慮りなどとはおよそ無関係のこと。単に実子にすれば自動的に家ごと乗っ取られるからそれを避けたかったのではないか。
それに出自の劣る養子であれば、扱いが多少粗雑であっても誰も疑いの目は向けない。だが実子であれば、嫡男としての待遇というものが必要になってくる。娘と婚姻させる余地も生じない」
「確かに。父親も母親も共通する兄妹となれば、結婚させるなんてことはさすがにおぞましい。神すらもその例外をお認めにはならないでしょう……。
ですが養子だからとて、本当を言えば現在だってその余地はないでしょう。継承権はカイト殿にあるのであって、どのみち娘にはない」
そしてクライドはジェシカを見た。その視線には言葉にして余りある含みがあり、それで僕は、クライドがこの議論にかこつけて、ジェシカにも家系を継ぐ資格がないのだということを暗に彼女に言いたいのだと気づいて、少々当惑した。
単純に仲のいい姉弟だと思っていたのに、こんなところにまで権力闘争が潜んでいたのだ。
「血統というものは、我が国では決して違えられてはならんものだ。浮浪児を簡単に実子にしてしまえなどと言える辺り、おまえにはこの問題の重大性がいまいち理解できていないように見受けられるが、これは妾を作ってでも産ませるほどに重視されるものなのだよ」
しかしジェシカはそれに窮した様子もなく、そう言ってクライドを見返した。
それでクライドはお手上げというように苦笑した。
「ああ、これは。姉上は私が妾腹だとおっしゃりたいのですか。だから貴方よりも血が劣っていると」
「それは被害妄想というものだ」
澄ました様子でジェシカは言った。
「おまえは我が家の列記とした男子だ、だから家はおまえが継ぐといい。我が父上も、そのつもりでおまえをもうけたのだ。愛してもない女を囲って家の存続のためだけにわざわざおまえを製造した。
だから、遠慮することはない。だが私の生き方に口出しをするなという話だ」
「姉上に結婚を勧めて何が悪いのです」
クライドの笑顔の中に、険が生じ始めていた。
「何か不都合でも?」
「私の夫にとおまえが父上を言いくるめて用意した男……、母方の従兄とは呆れ果てる。もっとも妾腹のおまえには他人だが、私にとっては近い血縁者だ。私がそれを忌み嫌うことを知っていておまえはそうした」
ジェシカが弟に蔑むような目を向けると、彼はまるで冗談をかわすように吹き出したが、それすらも悪意に満ちていることが僕にも分かった。
クライドは続けた。
「姉上、貴方もご自分の年齢をお考えください。そろそろ、贅沢を言えるようなお立場ではないのです。それに、彼の何に問題でも? 初婚、子供はなし、財産もあるし」
「血縁者と交わるくらいなら死んだほうがましだ。汚らわしいにもほどがある」
ジェシカが本当に嫌そうにして弟を睨んでいるので、僕はこんな話に口出しするべきか迷ったが、ちょっと口を挿んでみた。
「……クライド、ジェシカは結婚するのを嫌がってるのに、なんで君はそういうことを勝手に決めようとするんだ?」
「私を排除して、自分がギルバート様の腹心になりたいのですよ」
すると吐き捨てるようにジェシカが言った。
「いいえ、そうではないですよ」
にこやかに笑って、クライドも続けた。
「分かっていらっしゃる癖に……、姉上は素直じゃない。愚直なのはいいですが、愛想がなさすぎるのは……困ったものです。
アレックス様、私は単に姉上に、幸せになって頂きたいだけなのです」
「でも、あんまり喜んでいるようには見えないけど」
僕はクライドの言うことが分からなかったので、頭を振った。
「独身でもいいじゃないか。結婚しない女の人だって世の中にはいるものだよ。確かに変な目で見られることはあるかもしれないけど、死ぬほど嫌がってるのを結婚させるのは好きじゃないな。身売りみたいで」
「それを分かって貰いたかったのです」
クライドは大袈裟な口調で僕に言った。
「年上の汚らわしい男と結婚するくらいなら、何が次善かということをです。
私は何も、姉上を無理やりに結婚させようなんて思っているわけではないんですよ。只いい加減、ギルバート様だの何だのと少女のようなことを言って、贅沢を言うなということを、分からせたかっただけのこと。
そして誰がフィーロービッシャー家の次の当主となるかということを。今後誰に頼るべきかということをです。
ねえアレックス様だって、そうお思いになるでしょう」
そしてクライドは僕に同意を求めたが、僕にはやっぱり彼が言っていることがよく分からなかった。確かに当主には頼るべきだと思うが、それが父親や兄ならともかく、妾腹の弟となれば心情的にどうなのだろうと思ったのだ。
でもそうなると僕としてもジェシカより年が若いが、でもやっぱり女性には頼られたいと思ったので、彼の言うことに頷いた。
「でしょう?」
するとクライドは勝ち誇ったように微笑み、視線をまたちらりとジェシカに向けた。
「アレックス様もそう仰せですよ、姉上。だからそろそろ、真剣に考えて頂かないと。
その昔、いえつい最近まで、サンセリウスの王侯貴族では近親婚が当たり前に行われていたのです。無論、親子や実の姉弟と言うならともかく――、これは、そう毛嫌いするほどのものでもないんですから」
ジェシカは顔を背けて腕組みをし、弟の言うことを拒絶していた。
「もっとも姉上がどうしてもと言うなら、この結婚を取りやめにしても……、私としてはまったく構わないんですよ、アレックス様」
「そうか、そうならいいんだ」
僕は頷いた。
「それならよかったよ」