第68話 深夜に恋する
眠り込んだジェシカのことを介抱するために、僕らは取り敢えず広間の壁際に移動した。
ルイーズは態度こそ柔和だったが、そのまま眠ったほうがいいなんて言って意地でも魔法を解こうとしないので、僕はこれを口実にそろそろ夜会から引き上げて、ジェシカを伯爵邸まで運んでそのまま休もうと思っていた。
ところがそこへ、王城の衛兵が気を利かせて呼び寄せた救護班の連中に紛れて近寄って来た男が、いきなりジェシカを抱き上げて行ってしまった。
彼は自分をフィーロービッシャー家に仕える騎士だと言っていたし、それに彼の並々ならない勢いのようなものに気圧されたこともあって、僕はついそれを許してしまったのだ。
けれどもそのすぐ後からジェシカの弟が慌ててやって来て、彼は僕をみつけると姉の醜態がどうとか何やら言い訳をしていたが、僕はジェシカがルイーズの魔法によって寝てしまったことをこの目で見て知っているので、彼の謝罪を笑って許した。
「ジェシカなら、さっき君の家の騎士が連れて行ったよ。彼は例の結婚相手かい?」
けれども僕がそう言うと、二十代後半のジェシカの弟は慌てた顔をして、ジェシカの結婚相手は今夜は参加していないと言った。
実姉のことなのに、まるで自分の恋人を盗られたかのような反応であることを奇妙に思ったが、僕がそれに干渉することはできなかった。何しろ彼は顔を青ざめさせ、恐らくジェシカを連れ去った男の名前を呪わしく口にすると、勢いよく夜会会場を出て行ってしまったからだ。
その背中を見送ってから、僕はカイトを見た。
「ジェシカを持って行ったのって、ほら、前に君が見かけたっていうつき纏っている男?」
僕の質問に、カイトは頷いた。
「ええ、確かにあいつでしたよ。どうやって入り込んだのやら、以前も居城の柱にしがみついて、ジェシカ様を凝視していたんです。頭のおかしい奴だと思ったので、一応追い払ったんですけどね」
「と言うことは、つまり婚約者じゃないのがつき纏っていたのか」
僕が言うと、面白半分にカイトが答えた。
「そいじゃ、奴は第三の男ってことですね」
「ジェシカ様はもてるのよ」
そこにルイーズが口を挿んだ。
「彼女とても真面目だし、一見するときつそうなのだけど、性格は逆なところがいいのよね。お嬢様が、そのまま大人になったような人。不器用で可愛い人だわ」
「世の中には、外見通りにきつい性格のお嬢様もいらっしゃいますが」
カイトは私情を漏らしつつ、僕とルイーズを見た。
「弟のクライド様は、ジェシカ様がさらわれちまったのを取り返しに行ったみたいですけど、応援に行かなくてもいいんでしょうか? 寝込んでいる女をさらって行って、やることって言ったらまあ、ひとつでしょうし」
カイトの言葉に、僕も我に返って賛同を示したが、ルイーズはかぶりを振った。
「いいわよ」
「でもさ」
「クライド様が助けにいらしたから、たぶん何事も起こらないわ。それにあの人たちは、もうずっと長いことああなのよ。
さっきのあの従者は、確かにジェシカ様のことがお好きみたいなのですけれど、ジェシカ様に輪をかけて不器用で、好きとも言えずにもう十年、いえ二十年あんなことばっかりやっているの。でも、結局は病的にシスコンの弟がその度に邪魔するから成功したためしがないのよ。
クライド様がお家の実権を握るようになり始めて、長いこと遠ざけられていた時期もあったのだけど、まだ諦めていなかったのね」
「二十年って、そりゃまた不毛な」
カイトが率直に感想を言った。
「じきに貴方にも分かるわよ。人生って、意外とそういうものだってことが」
ルイーズの言葉に、カイトは頷いた。
「いえ、もう分かりますよ」
「あら、そうなの?」
それからルイーズは自分の周囲にも、会場にてずっとルイーズに目をつけていたらしい男たちが、集まり始めていることを示しながら僕たちに言った。
「でも人生には、ときには熱い夜がないとね」
ルイーズが彼らに向かって微笑み始めると、まるで街灯に群がる汚らしい蛾や羽虫のような男たちが、ようやく接触のきっかけを得たとばかりにわらわらと集まってきて、ルイーズを口説き始めた。確かにルイーズは、ウィシャート公爵に名指しで褒められるほどの目立つ美人ではあったのだ。
「伯爵様がいらっしゃると、殿方が恐れをなして誰も声をかけてくださらないんですもの。やっと夜を楽しめそうだわ」
そしてルイーズはそう言って、群がる男たち全員に八方美人に応対しながら、僕とカイトには手を振って見せた。
それが僕らに立ち去れと合図を送っていることは分かっていたのだが、僕は少し居残りたかったのでもじもじしていると、カイトが僕の服の袖を引いた。
「ルイーズ様が、あっちへ行けって言ってますよ」
「何言ってるんだ。変なのが大勢湧いて来たのに、女性を置いて行けるわけないじゃないか。あいつらが、下心を持っていることは分かっているんだ。と言うよりは、男が女に声をかける理由なんて、それがすべてだろう。
それにだいたい僕はルイーズに追い払われる立場じゃないぞ」
「でも追い払われているんですよ」
「違う。僕は心配しているんだ」
「まあまあ、いいからいいから。野暮なこと言うもんじゃないんですって。
大丈夫、ルイーズ様は大人で、しかも手練の魔法使いだ。いざとなりゃ、あの細腕で男をなぎ倒すことだってできるんですから」
それでカイトは僕の背中に腕をまわして、僕は半強制的にその場から退場させられることになったのだった。