第67話 魅力(3)
ルイーズの無礼のおかげで僕は完全に苛々していた。
あんなに分かりやすい拒否の仕方もないだろうと、僕はルイーズと、それから僕よりルイーズに優先されたカイトにも腹が立っていた。
さっきの高飛車なお嬢様に比べたら、外見も、たぶん内面もルイーズのほうがずっと上等の女だということは明白だった。だから年が十歳も上だということをカイトがもし気にしない性格だったとしたら、彼は今夜にでも童貞卒業というわけだ。
「ほら、案の定むくれてますよ、何なんですか、俺まで睨まれたじゃないですか。
何だか懐かれてるの、分かってるんでしょ? アレックス様は閣下の弟なんだから、もうちょっと煽ててやってくださいっての。ちょっと取り持ってくださいよ、こちとら生活かかってんですから」
「困ったわねえ。坊やなんだから……」
一方、またしても兄さんに置いて行かれたジェシカは、僕らのこうしたやり取りなどお構いなしで、一人で完全にふて腐れていて、しかも荒れていた。
珍しくドレスを着ているジェシカは美しく、それなのに火を吹くような強い酒を喉に流し込んで咳き込む彼女の後姿は、痛々しいものがあって見ていられなかった。
ジェシカは以前、僕にタティに対して自分の愛情を伝えたことがあったのかとアドバイスをくれたことがあったが、自分はそれを兄さんにしてみたことはあるんだろうか?
それとも、遊びまわる兄さんにそんなことをしても到底報われそうにないことを、彼女もそろそろ気づいているんだろうか……。
「あらアレックス様、世界から取り残された私たちにご同情くださっているの?」
やがてルイーズが再び、ジェシカの背中を見つめる僕の顔を覗き込んで色っぽく囁いた。
彼女が僕に興味があるわけではなく、飽くまでもつい今しがたの険悪さの穴埋めにやって来たことは分かっていたので、僕はその質問に答えなかった。カイトにちやほやして来いなんて言われて、仕方なく近寄って来たことを、分からない僕ではないからだ。
それなのに間近で彼女を見ていると、僕はどうにも胸の中が落ち着かなかった。
「ねえ、まだ、怒っていらっしゃるの?」
ルイーズは僕を見上げて言った。
「……」
「ご機嫌を直して頂けないかしら。さっきのことは、決して悪気はなかったんですのよ、本当よ。
ただ、アレックス様に触るのが嫌ということではないのですけれど、貴方は私よりも偉い方なんですもの。だからそんなことをしては、失礼に当たってしまいますでしょう?
貴方だって、先ほど公爵様とお話されていらしたとき、もしバランスを崩しても……まさか公爵様に向かってお倒れにはなられないはずだわ。
だから私はアレックス様に触るのが嫌ということではないのよ。ほら、ね?」
そしてルイーズは僕の二の腕にそっと手を添えた。僕がどきっとして触られたところに目をやると、彼女は微笑んで僕にウィンクした。
「別に怒ってないよ……」
僕は本当のことを言っていた。
「ならよかったわ。そうよね、アレックス様は、もう立派な大人なんですものね。私、アレックス様みたいにお優しくて、それに理解のある男性って憧れてしまうわ」
確かに僕は優しいし理解があるので、ルイーズのその言葉には賛成だった。
「……本当にそう思う?」
僕が言うと、ルイーズはそれまでよりももっと微笑んだ。
「ええ。それに貴方って、とっても格好いいわ。近頃では、ギルバート様より格好いいかもしれないって、思っていたのよ」
「えっ、兄さんより?」
「ええ、ギルバート様より素敵」
「本当かな……、兄さんより格好いいなんて。お世辞じゃなくて?」
「お世辞じゃないわ。本当によ」
「……、……カイトより?」
「ええ。カイト様より素敵よ。私は貴方のほうが好みなの」
「そう……、そうか、何だよ、別に怒ってないってば。
僕はただその……でももういいよ。僕は理解があるからね……」
「まあ。男らしいのね」
「まあね。君も、その辺をもっと分かるようにするといいよ。僕は君よりちょっとは若いかもしれないけど、大人の男だってことをね。
そうだ、あんなに飲んだくれて、ジェシカは大丈夫なの?」
「ええ、ご心配には及びませんわ」
ルイーズは僕が言わんとするところをやっと分かったのだろう、にこやかな態度で僕に応じた。
「私とジェシカ様は、いつだってこういう役まわりなんですもの。ギルバート様の身勝手に振りまわされて、結婚もできずに年を取っていくさだめなの。
あら惨めだなんて目でご覧にならないで。悲しくて、うっかり河川に身を投げてしまいたくなりますわ。ねえ?」
そしてルイーズはジェシカにも微笑みかけた。
しかしやっと咳の収まったジェシカのほうでは、それをあまり好意的に受け取らなかったようだった。彼女は不快そうにルイーズを見やった。
「ルイーズ。まさか私を、色ボケの貴公と一緒にするつもりではないのだろうね。
その説明ではまるで私までが物欲しげな女に取られかねない。勝手に仲間にするな」
「あら、お気に障りまして? ふふふ、いやだわ、この方本格的に酔っていらっしゃるみたい。
彼女酒に弱いくせに、毎年こうなんですもの。困ってしまうわね」
そしてルイーズは僕に同意を求めたが、すぐその後ろにいるジェシカのほうは僕に向かって否定を示した。ジェシカの機嫌は悪く、しかも頭と身体は酔いのためにふらふらしていた。
「いえ、私は酔ってなどおりませんよアレックス様。何しろ私は、男勝りの武官にございますからね。いかな年末の宴席とは申せ……」
「うふふ、ご自分で男勝りだなんて」
「貴公、さっきから、目上の人間を笑うものではない。
それに、いつも狸のように素知らぬ顔をしているが、本当はルイーズ、貴公だって他の女どもに劣らぬほどあの方を慕っているくせに……。
いったいいつまでそうやってみすぼらしい奴隷女のように髪を切り、自慢の金髪を黒く染めているのだね。だがそんなことをしても、私はすべてを知っているのだよ。私はすべてを……、すべてをね……」
いつの間にか、話が深刻な方向へ向かい始めていた。
ジェシカは酒に酔って据わった目を向け、ルイーズに何かとても言いたいことがあるような顔をしていた。
「いいえ、貴方は何もご存知ないわジェシカ様。貴方はお嬢様ですもの」
「お嬢様? 共に苦境を乗り越えてきた私を、貴様はお嬢様と言うのか?
ああ、そうとも……だがそれがどうした、それとこれとは何も関係のないことだ。問題なのは私があの方に貴公ほどには信認すら頂いていないことが――、二人の親しげな内緒話を私がいつもどんなふうに感じているか、それでも私はギルバート様を支持しなくてはいけない、何事も、どうしても、貴公のように気安くして貰えなくてもだ」
「ギルバート様は貴方を大切に想っているわ。
取り返しのつかない過ちを犯した私なんかよりずっと……、ずっとね。
だからなのよ、だからなの……それが分かっていらっしゃるから、貴方だって彼のお傍にいらっしゃるんでしょう?」
「……」
「ね、今はもうこのお話はやめにしません? それはこのような場所で話題にする性質のお話ではないわ。
それに、アレックス様たちが不思議なお顔をしていらっしゃいましてよ」
そしてルイーズは、思わぬ内容に発展してしまったこの話を、急いで終わらせたいというようにジェシカをなだめたが、ジェシカはそれには乗らなかった。
彼女はいっそう苛立たしげにルイーズを見やり、普段冷静な彼女としては珍しいくらい大きな手振りをした。
「上から物を言うなと言っているのが聞こえないのか、だいたいからしてあの方の嫌悪する不埒で恥知らずの女のふりをして、貴公はいったい何を企んで……、そう、私は知っていると言ったはずだ、つまり真実はこうなのですアレックス様。私が……」
けれどもそこでこの話は突如終了することになった。ルイーズは妖しげな女の足取りでジェシカに近寄り、呂律のまわらない口で何かを言いかけていたジェシカの唇を手で押さえると、ジェシカは瞬時に彼女の腕の中にぐったりと倒れ込んだ。僕にはそれが、ルイーズが魔法を使ったからだということがはっきり分かった。
僕やカイト、他にも周囲に大勢の人々がいるこのような公式の場所で、彼女は公然と魔法を使って立場が上の人間を黙らせたのだった。
「酔ってお休みになったのよ」
それからルイーズはあまりにも華やかに微笑んで、まるでジェシカが自発的に眠ったことを、信じているようなことを主張した。
「そうでしたわね?」
僕とカイトは顔を見合わせて、それから揃って首を縦に振った。ルイーズはそれまで通りの優しい笑顔だったが、しかしそこには有無を言わせない気迫があったからだ。




