第6話 兄さんはなんて分からず屋なんだ
だけど兄さんは、僕たちの交際を知るや頭ごなしに反対した。
「アレックス、あんな娘が、おまえに相応しい道理がないだろう。
只の遊びだと言うならそれでも構わないが、深入りはするな。妊娠もさせるなよ」
そして兄さんのこのようなあまりにも身勝手な言い分には、当然ながら僕は憤りを隠すことができなかった。
キャロルの一件以来、兄さんに対する不信感というものが、もう払拭できないくらい僕の心を占めているということを、まるで気がついていないかのような兄さんの態度には余計に腹が立った。
近頃では、兄さんに対して以前ほど従順な態度を取らなくなった僕の変化に、気づかない兄さんではないだろうに。
「どうしてですか。彼女が、アディンセル家に釣り合わない家柄だからですか」
食卓を挟んだ向かい側、兄さんがご自分で仕留めたという大鹿の剥製の壁飾りを背景に、いつもの自信たっぷりな表情をしている兄さんを僕は睨みつけた。
すると兄さんは、僕の態度にいささか手を焼いているとでも言わんばかりに軽く唇を曲げ、相変わらずの美声と苛立たしいほどの余裕さでそれに応えた。
「それもある。だがそれだけじゃない」
「でも、兄さんの意見なんかどうせ関係ないですよ。
だって僕が、彼女を好きなんですから。
兄さんは、この国の名だたる諸侯の中でも、その存在を知られる洗練された紳士だ。
だから、貴方は他人の色恋沙汰になんか口を出すような方ではない。そうでしょう」
そう言って、僕は早々に夕食の席を立ち去ろうとした。食事が終わっているのに引き続き兄さんなんかと無駄な会話を続けるくらいなら、部屋に戻って乳姉のタティとでも話していたほうがましだと思ったからだ。
けれどもそんな僕を、兄さんは少々声を鋭くすることで強引に呼び止めた。
「待ちなさいアレックス。だからこそ、私は言っているのだ。
純情なおまえには、あのての女は似合わない」
兄さんが、僕を未だに叱られることの恐怖で支配しようとしていることには屈辱感さえ覚えるところだったけど、僕は兄さんと口論になっても、どうしても迫力で負けてしまうことが多いのは確かだった。
だから僕は、そのときは兄さんとは目をあわせず、僕は別に兄さんを恐れているわけではなく、これは仕方なしに応じているだけなんだということをはっきり兄さんに示すために、それまで腰かけていたダイニングチェアを手持ち無沙汰に整えながら無関心に返事をした。
「どうしてです。エステルは純粋ないい娘ですよ。
見た目だって、兄さんが連れて来るどの女性たちにも負けていないでしょう。それに性格だって、可愛くて、素直で、ちょっと子供っぽいところもあって」
「違うな。アレックス、一見純粋そうな女にも、二種類ある。
本当に心根の清純な女と、その皮を被っているだけの女と。
この両者の見分けは至難だが、私には経験がある分よく分かるのだ。
おまえの女はあれは後者だ。現在は伯爵の弟であり、順当に行けばいずれ私が所有するすべての領地と爵位を譲渡されることになるおまえの、地位と財産がその狙いだ。気弱なおまえを思い通りに操って、一族ごといい思いに与ろうと企んでいるのだ。
まだ年齢が若い分、確かに恋愛に夢見ている部分もあるように思うが、あれは年を取ると化ける女だぞ。馬脚を現すと言ってもいい。少なくとも、おまえの手に負える女ではない」
「何ですって?」
「ふっ、いきがって、それで私に反発でもしているつもりなのかアレックス。
遅い反抗期も結構。私はおまえのあまりに毒気がなさすぎる性格には、かねてより少々心配もしていたのでな。
そうやって私に歯向かうことで、他人と敵対する際の練習くらいにはなるんだろう。
だが、私がおまえの為にならないことをおまえに伝えるはずがないということだけは、肝に銘じておけ。
いいか私は親切にも、愚か者のおまえが人生を踏み外さぬよういつでもおまえを保護していて、今はおまえにあれはあばずれだということを教えてやっているんだよ。
だからおまえは私に感謝をしなくてはいけない。そうだろう? アレックス」
「……」
それからも呆れるほどのしたり顔で、僕の愛する人を侮辱し続ける兄さんを、僕は許せなかった。
だから僕は、この一方的で独り善がりの兄さんに、とうとうこう言ってやったんだ。
「兄さん、兄さんがどんなに反対しても、言いがかりをつけても、僕は彼女と結婚するよ!」
「何…、結婚だって?
待て待て、アレックス、アレックス。ああ、まったく……言うに事欠いて何という軽率なことを言い出すのだおまえは。
私を驚かせることが今のおまえの目的だったならば、それが大成功だったことを褒めてやる。おまえがジョークを思いつく才能を私に認めさせたいと言うのなら、少々悪趣味な嗜好ではあるようだが、それを認めてもやろう。
だがもしそれを本気で言っているとしたら、とても正気のものとは思えん。アレックス、おまえは初めて恋人ができた喜びに浮かれて、頭の中まで舞い上がっているだけなのだ。
しかし実際のおまえは自分一人の力ではいまだ何もできない子供であり、私の承認がなければ何ひとつ決めることさえできない半人前だ。
よっておまえが結婚を考えるなど、少なくともまだ十年は早い。ばかげた戯言を言うのはやめなさい」
「兄さん、お言葉ですが、僕はもう大人だよ。成人だってしているんだ。
自分一人の力で何もできないなんてことはないよ、だって、僕はちゃんと責任をもって兄さんの執務を手伝うことだってあるじゃないか。
兄さんには頼りなく見えるかもしれないけど、世間に出れば、僕だってちゃんと成人として扱われるんだ」
「ああ、そうか。分かったから私に向かってつまらん屁理屈を言うな」
「屁理屈じゃないよ、ちゃんとした理屈じゃないか」
「分かった。おまえの言い分は分かったが煩いぞアレックス、もう黙りなさい。そうやって生意気を言うな。相手がどんな女か知りもしないくせに、すぐに結婚を連想する単細胞の何処が大人だ、莫迦を言うものではない。
一途も純情も結構だが、そんな愚行がいつまでも許されるのは女のみだ。男のおまえが冷静で理性的な判断力を持たずしてどうするのか。
アレックス、物事を何もかも疑いもせずに受け入れるというのは、非常に危険な行いなのだぞ。それは対象が人間であればなおさらそうだ。
そんなものは、優しさでもなければ美徳でもない。只の馬鹿のすることだ」
「そうだね、その通りだよ兄さん。
確かに兄さんはそうやって、いつも僕の言うことを批判するものね。
兄さんにとって、目の前にあるものそれが正しいかどうかなんて問題じゃないんだ。兄さんはただ、いつでも議論に勝ちたいというだけなんだ。僕には分かってる。
だからこそ、僕はエステルが兄さんの言うような女だなんて絶対に信じない。
だから兄さんが何と言おうと、どんなに彼女を貶めようと、僕は絶対にエステルと結婚するよ。
だって僕は兄さんみたいに女の人を玩具みたいに扱う最低な差別主義者にはなりたくないし、それに兄さん、ご存知ですか?
僕は……僕は、そういう連中を心底軽蔑しているんだ!」