第58話 夜会の片隅にて(1)
そして僕らは相変わらず女性をエスコートするわけでもなく無意味に時間を過ごし、やがて真鍮の器に輝くような様々の料理が盛られている立食場の中でも隅のほうの一角で、たむろしている人々に紛れるに至っていた。
長方形のテーブルの上にあるのは、古くからサンセリウスに伝わる伝統的な定番料理を、ずっと豪勢にしたものが多かった。牛肉の煮込みや仔羊のオリーブオイル焼きには最上級の肉が使われているようだったし、見栄えもよかった。七面鳥の中に何種類もの豆や木の実を詰めて焼く料理、それにハーブで飾られた金の林檎も用意してあった。香辛料のきいたソーセージ、それにパスタやパンも多種揃えられていたが、僕としてはパスタの中に肉を包んだものを、トマトで煮たのが特に美味しそうだと思った。
周囲にはいかにもいいところの出であることが分かる正装した男女がいて、場所によっては混み合っていたが、会場の他の場所にあるようなおしゃべりの輪ができあがっているわけではない。それで、彼らが立場上仕方なくこの夜会に参加をした、言わば僕と同じような人種であることはすぐに分かった。
有閑貴族だからと言って、パーティー好きの人間ばかりではないということを、世の中の人々は分からないのだろうが、僕はこういう場所よりも本がぎっしり詰まった部屋だとか、植物の植えられた庭園にいるほうがよっぽど好きだった。この辺に追いやられている恐らくはそうした似通った嗜好の人々が、結託して友人になったりする動きが少ないのは、彼らがもう人間関係なんてものにはうんざりしている、生まれついてのそういう人々である所以ということを証明してもいた。
「もて過ぎでしょうよ」
そんな中、たぶん幾らかは僕らのような人間とは毛色の違うカイトが、僕の横でもう何度目になるか分からない何か文句を言っていた。
僕は我に返って、彼にそのことを聞き返した。
「だから、閣下ですよ。いったい何だってあんなにもてるんですかね」
カイトはどうも僕らの視界の先、もう少し賑やかな人々が集まっている辺りで、相変わらず女性に囲まれている兄さんのことを、また言っているようだった。
「そりゃあ美男で、金持ちで、ルックス抜群……、ああ、そりゃもてますか。
でも顔ならもう少し、王子のほうがよさそうなもんなのにな」
そう言いながら、カイトは皿に取った仔羊を頬張った。もし女性にもてたいなんて本気で思っているなら、食べ方をもう少し上品にしたほうがいいと僕は思ったが、それ以前に、今夜は舞踏がメインのパーティーだというのに、こんな場所でたっぷり食事をしてしまう神経の据わり具合がかえって女性に受けるんじゃないかと思い直して口を噤んだ。
一方の僕と言えば、エステルとの一件以降こうした場所でさえ酒を飲むことにすっかり躊躇するようになってしまった我ながら見事な小心ぶりだった。
万が一口の周りに食べ物の欠片が残っていてはいけないし、人と話をするときに食べ物の臭いがしたら嫌だと思って、その夜僕は食べ物は一切口にしていなかった。伯爵邸を出る前に軽めの食事は済ませて来たものの、懐中時計の針は午後十時を示していて、さすがにお腹は空いてきていたが、何杯目かの果実水のグラスを手に取って誤魔化していた。
「君もいい加減、僻みすぎなんだよ」
空腹の不機嫌さも手伝って、僕は言った。
「そうですかね。たぶんこの会場にいる独身男は、誰も似たような心境でいると思うんですけど」
「それは……否定はしないけど。でもそんなこと、考えたって虚しくなるだけだ。僕は自分は兄さんとは違う人生だってことを、もう何年も前に自分に言い聞かせたよ。さっきも言ったけど、僕は現実を知っているんだ」
「でも王子も思ったほど女性に見向きされてない感じですね。さっき会場に降りられたときも、王子に熱中しているのは、ティーンエイジャーの娘くらいのもんだった」
「フレデリック殿下にはいろいろ事情があるから」
僕は答えた。
「それに殿下は天使って言うか、色が白くてほっそりしていて、彼自身がお姫様みたいな感じだし。だから女性としては、もう少し頼れる男がいいんだろう。
白馬の王子が自分より細くて可愛かったらきついってことじゃないか?」
「上手いこと言いますね。女心の核心ついてるかも」
「でもこういう状況は、実は誰よりも僕のほうがきついんだよ。それに比べたら、君なんて問題になりもしない。だって僕は現在女性たちにとってもっとも魅力あるかの伯爵の弟なんだからね。
だからきっと僕は、この会場にいる多くの人たちに今まさに嘲られている存在なんだ。兄さんと比べて、さぞ出来の悪い弟だと思われているんだろう」
「そんなことはないでしょ。貴方だって、美少年……おっと、美青年なんですから」
「真に美少年と言うのは、あの方のようなのを言うんだ」
僕は、今はまた壇上におわす王子を示してカイトに言った。
カイトは同意した。




