第57話 スタープレイヤー
兄さんはそれからも相変わらずたくさんの女性に囲まれ、一方で国内の様々の人物たちと出くわす度に社交的振る舞った。兄さんは普段の傲慢で横柄な振る舞いをおくびにも見せなかったし、他の人々も極めて善良で素行のいい態度が、その人間のすべてであるような顔をして談笑を楽しんでいた。
勿論、笑顔なのに辛辣な皮肉が飛び交っている場面があることを容易に想像することはできた。でも兄さんのことだからたぶん相手をやり込めているだろうし、長年の応酬の末に獲得した友人というものも、もしかするといるものなのかもしれないと思った。
他方、特に旧交を温めるべき友人も、誘惑したい意中の女性が密やかに群集に紛れているわけでもない僕は、ときどきそんな兄さんを視界に置きながら、もう誰かと係わりあいを持つこともなく、果実水を飲んだり、カイトと他愛ないおしゃべりをして、時間を潰すということだけを目的に夜会会場を彷徨っていた。
僕は兄さんのように会場の花となれる存在ではなかったが、何をしていても人の注目を集め、女性を引き寄せるような人生が僕のものではなかったことを、こうして気ままに歩いていられる我が身を思うにつけ、僕は心密かに感謝したい気分でもあった。
何故なら、もし僕が誰しも放っておかないそれこそ兄さんのような魅力的な人物であったとしたなら、きっと到底考えられないほどの社交性を、養っておかなければ切り抜けられないような状況に、立たされることも多かっただろう。何せ世の中には人気者を陥れるために、人前でわざと意地悪な質問をして、恥をかかせようと待ち構えているような人間は後を絶たないものだ。
そして実際にそうした悪意をやり返せるような強さと機知を持ち合わせていないために、能無しの烙印を押され、女性たちの失笑と失望を買い、酷いときには父親や主君の面目まで失うはめになった美青年を、僕はこの目で何人も見たことがあった。
男の嫉妬というものは、ある意味では女性たちのそれが可愛いと思えるほどに、凄まじいものなのだ。だからそういった同性からの嫉妬心と闘えるだけのものを持っていないならば、こんな場所ででしゃばって、得をするということはないのである。
しかし現実として、僕という男は自分の外見を女のように気にかけている気持ちの悪い自己愛主義者たちに常に目の仇にされるような存在ではないにしても、たまにその種の難癖をつけられるような目にあうということが、ないわけでもなかった。そしてそんなときは、やりあうよりは無視をするという選択は、今のところ上手くいっていた。
「あの気取りきったアディンセル伯の弟が逃げるつもりか、この野郎」
到底馬鹿としか思えない価値観を持つ、何処かの地方伯爵の息子が、自分のほうが金髪が綺麗だなんて話を女性たちにふって、彼女たちがその通りだと認めたからと言って、何だというのか僕には分からなかった。
「えっ、この方、あの伯爵様の弟なの!?」
「ああ、道理でね。わたしは最初から何かが違うと思っていたところだったのよ。
ねえ、こちらの若い方の金髪のトーンが暗いのは、あの素敵なお兄様に似たからなんだわ。ギルバート卿は黒髪だから。素敵な黒髪よ。わたし、黒髪っていちばん好きだわ。勿論、あの方がブロンドなら、ブロンドがいちばん好きになったと思うけど」
「君たち、たったいま僕のほうが綺麗なブロンドだって言ったじゃないか。それを何だい」
「それは事実を言っただけで、お顔は最初からこちらの若い方のほうがよかったと思ってたわ。背も高いし」
「ああ、そうね。背が高いって、いいことよ。一緒に歩いたり、抱きしめられるときには特にね!」
それで彼は悔しそうに僕を睨んだようだったが、僕はぞろぞろ後ろをついてくる女たちの目的が、たぶん僕が兄さんに合流することなのだろうと思ったので、何だか嬉しくもない気持ちでそのまま夜会会場を取りとめもなく歩き続けた。
「おかしいな。どうして誰も俺の存在に気づかないんだろ。髪の色が問題なんでしょうかね?」
カイトが僕の横で自分の髪を撫でつけながら、更に焦点からずれたことを言っていたので、僕は現実を教えてあげた。
「ゲームにはスタープレイヤーっているだろう。それで、大抵の女性はスタープレイヤーが好きなんだ。カッコイイし、目立つしね。でも僕も君も、そうじゃないってこと」
「さっきのナルシスト野郎もですか」
「あいつは試合にも出られない補欠だ」
「あはは、そりゃ俺もだな。笑えない」
楽団の奏でる切なく甘い音楽が、ひととき僕を感傷的な気分にした。
人間である以上、セリウスは年老いて死んでいく定めにある一方で、太陽神の娘はいつまでも若く美しい娘のままであること、その嘆きを謳ったものだ。神の王国で暮らしてさえいたならば、永遠に悲しみのない人生が約束されていたはずの彼女が、人間の王に恋をし、やがて恋人が死に逝くという悲劇に気がつく。それでも愛しい男の傍を離れる決意もできずに悲嘆に暮れる場面である。
僕は先刻の女性たちの群れを撒くために少し早足で歩いていたが、結局いつの間にかシェアを探している自分に気がついて、少し寂しい気持ちで苦笑いをした。
シェアは貴族だったのか、それとも平民だったのか、考えてみれば僕は知らなかった。シェアは僕が子供の頃、既に兄さんの恋人だったから年上であることは分かるけれども、僕は彼女のはっきりした年齢も知らなかった。ファーストネームしか知らなかったし、子供だったので、そこまで頭がまわらなかったということなのだが、今からしてみると、もう少し彼女のことについて何か手がかりを得ていればよかったのにと思う。
今ではぼんやりした輪郭でしかないよく知りもしない女性のことを、未だに心の隅に置いていることを、とても馬鹿らしいことだと思うことも今ではよくあることだ。事実タティと過ごしているとき、僕はシェアのことをあまり考えなかったし、今ではもう、彼女のことなんてすっかり忘れてしまったんじゃないかと思う瞬間もある。
だけどこうして、何でもないときにふとシェアのことを思い出してしまうのは、どうしてなのだろうと思って僕はときどきとても悲しくなった。
この恐ろしい考えについて、僕はずっと長いこと蓋をして生きてきたのだが、神学の教師が言っていた僕の真実の愛というのが、本当は、シェアだったのではないかということが、僕の脳裏をよぎらなくなることはなかった。
僕が生まれて来るのがもう少し早かったなら、シェアと出会ったとき、僕は少なくとも子供ではなかっただろう。そうだったら、少しくらい年下だったとしたって、兄さんの恋人だった彼女を僕のものにすることもできたかもしれない。
でも現実には、僕は子供だったのだ。兄さんに夢中だったシェアが、油断して微笑みかけてくれるような、男として、到底認知もされないような他愛無い存在に過ぎなかった。
僕は彼女にこの気持ちを言わなかったが、もし好意を伝えたとしても、シェアは子供に慕われているとしか思わなかっただろう。
たぶん、歯車が最初からおかしかったのだと思う。
こんなに長い間忘れられずにいるということは、僕たちはきっと何か重要な結びつきを持っているに違いないが、何かの理由で絶望的にすべてが食い違ってしまったんだ。
そしてそれができなかった無意識の後悔が、さもなければ前世から繋いできた大切な約束のようなものが、本来であれば何某かの係わりを結ぶべきだった彼女のことを手放さずに残っていて、それがずっと僕につき纏っているのではないかと……。
でも、そんな自己中心的な感傷を、いつまでも引きずっていてはいけないということも分かっていた。そんなことを考えること自体がタティへの裏切りのように思って、僕はこの考えを急いで頭から追い出した。




