第53話 貴方を慕って(2)
「そんなこと言われても、駄目なものは駄目なんですって」
「あらどうして?」
「それはだから、俺には結婚相手がいるんですって……」
「随分、忠節を尽くしていらっしゃるのね。そんなに愛されているなんて、彼女が羨ましいわ。ねえその方、貴方にとってそんなに魅力があるの? 私よりも?」
冗談めかしてそんなことを言うルイーズのほうが、カイトよりもよっぽど未練のありそうな顔でカイトを見ているので、僕はとうとうこの不届きなやり取りに苦言を呈さなくてはならなくなった。
僕は別に、ルイーズが僕には一向に興味を示さず、抱きついても来ないなんてつまらないことで嫉妬をしているわけじゃないのだが、伯爵家の居城の玄関前で、朝からこんな、風紀を乱すようなことを認めるわけにはいかなかったからだ。
僕はカイトとルイーズの間に割って入って、ルイーズに文句を言った。
「ルイーズ、君は朝から何なんだ? 兄さんがおみえになっていたら、きっと雷が落ちているところだろう。
だいたい、女性から男にあ、相手をしていいなんて誘うなんて、恥を知ったほうがいいんだ。
君ももういい年なんだから、冗談も大概にしたほうがいい。確かに君が綺麗な顔をしていることは認めるけど、それにちょっとは若く見えるにしても――」
「あら、嬉しいわね。それは褒めてくださっていると受け取ってもよろしいの?」
「ナイス、プラス思考」
ルイーズが言うと、カイトがすかさずそう言って茶々を入れて、それまでの危ういやり取りが何だったのかというくらい、二人は楽しげに笑いあった。まるで僕だけが大人の会話から取り残されているようで、それで僕はまた怒り出さなければならなかった。
「褒めているんじゃないよ! ふしだらだと言っているんだ」
「アレックス様、そんなに大きな声を出さなくても聞こえていてよ。
まったくどなたに似たのやら、頭の堅いところは困ったものね」
ルイーズは自分が僕に怒られていることが分かっていないのか、右手を頬に添えて、考え深げにそう言った。
「先代伯爵様じゃないですかね? 俺は直接には存じませんが、相当に真面目な方だったのでしょう?
特に女性関係なんかは、若い頃からいつも奥様を大切にしていらしたって。その辺閣下とは正反対だったって評判、耳にしますよ」
「そうね。そう言われればそうかもしれないわね」
カイトの言葉に、ルイーズは曖昧に頷いた。
「カイト様がそう言うなら、そういうことに、しておいてもいいわ」
ルイーズはそうつけ加えてから、カイトの腕に素早く腕を絡ませた。
「ねえ、だからこのことについて、今夜あたり二人っきりでお話しませんこと? ベッドで。ああ、バスタブでもいいわね。王都の夜は冷え込むから、温かいお湯の中で」
「勘弁してくださいって、ほんとにもう……」
「私ね、貴方の身体ってすごくセクシーだと思うの。それにすごく」
「それじゃ何ですか、貴方は俺の身体めあてなんですかい」
「あら、うふふ。それじゃあご不満? 勿論、性格だって気に入っていてよ……」
そしてルイーズが、僕を完全に無視したままカイトの胸の辺りに白い手を這わせ始めたので、僕は爆発してしまった。
僕は再びカイトとルイーズの間に割って入って二人を強引に引き剥がし、それからルイーズの二の腕を取って彼女を思い切り睨みつけた。
「もういい加減にするんだ。ルイーズ、僕はこれまでにもいつも思っていたけど、服装といい、とにかく君は爛れ過ぎだ。これ以上酷い言葉で君のことを表現されたくないんだったら、少しは自重してくれ。朝から男を誘うなんて、幾ら何でもあんまり酷い」
するとルイーズは、ようやく少し反省したような顔で僕を見上げた。
「そんなにお怒りにならないで。何も、ここで服を脱いだわけでもないのですもの」
「ふ、服? そんなことをしてご覧よ、僕は……」
僕は何か罰を加えたいという意図のことを言いたかったのだが、服を脱ぐなんて酷いことをあっさり口にするルイーズの破廉恥さのせいで、言葉が出てこなくて口を虚しく開けたまま彼女を見つめてしまった。
それを見てルイーズが可笑しそうに笑った。信じられないことに、彼女は主君の弟である僕のことを、からかって遊んでいたのだ。
「あらん、可愛い。思わずエッチなこと考えちゃったのね。もしかして、私の裸かしら?」
「かっ、考えるわけないじゃないか、なんでそうなるんだ、君ほんとおかしいよ!」
「あら、怒られちゃった。うふふ、急にそんなに機嫌を悪くなさるなんて、アレックス様ったら気分屋さんね。赤ちゃんみたい」
「あっ…? 赤ちゃんって何だよ、僕のいったい何処が赤ちゃんだって言うんだ!
機嫌を悪くしてるのは、君の素行があんまり酷いからだろうっ。
それに僕はタティに赤ちゃんが出来るのを待ってはいても、自分が赤ちゃんであるわけが……、君よりでかい男を相手になんて失礼なことを言うんだ……、ああルイーズ、僕は君には本当に心底――」
ルイーズのせいで、僕はとうとう本気でイライラしていたが、僕が本当に腹を立てているということが、ここへきてようやくルイーズにも伝わったんだろう。彼女は今度こそやっと少し悪びれたと思われる顔をしてこう言った。
「アレックス様、そんなにお怒りにならないで。だって、カイト様は何処となく似ているんですもの。だからつい構いたくなってしまうのよ」
「似ているって、誰にさ」
僕はたぶん、ものすごく冷たく言ったと思うが、腹立たしいことにルイーズはそれを恐がるどころか、気にした様子すら見受けられなかった。
「初恋の人。彼、とっても明るくて元気で、それに可愛い人だったの。一緒にいると、私まで元気になれたわ」
ルイーズが別にカイト自身に関心があるわけではないと知って、僕は少し態度を和らげた。
「そ、そう。その人とは、駄目だったの?」
僕がたずねると、ルイーズは頷いた。
「いなくなってしまったわ。今でも忘れていないけれど」
「死んだの?」
「ええ」
「ふうん……」
僕はそう答えてから、ちょっとだけ気になってルイーズに言った。
「……僕はカイトほど明るくはないかもしれないけど、結構元気だと思うんだけど」
するとルイーズは明るく笑って、僕の言葉をまたしても下品にとって煙に巻いた。
「いやだわ、アレックス様のエッチ。タティだけじゃ、満足おできにならないの?」
決してそんな意味で言ったんじゃないと、僕は僕の名誉のためにこれを訂正しようと思ったが、そんなことをしたほうが余程男の了見が狭く、しかもエッチであることを強調するような気がして僕はジレンマに陥った。
そこへ、兄さんが城内からジェシカや数名の部下を引き連れてご登場されたことで、その場の空気は急激に引き締まり、この馬鹿馬鹿しいやり取りはお開きとなった。ルイーズは急いで兄さんの傍らに行き、小鳥のような仕草でいつものように彼を見上げた。
ルイーズは女性としては身長のあるほうなのだが、何しろ兄さんが大きいので、彼の側にいるとそれまでよりもずっと小柄で華奢に見えた。