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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第8章 運命の少女
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第52話 貴方を慕って(1)

気分の切り替えというのは、大変なのだ。僕はタティと過ごしているときと、それ以外のときの気持ちの切り替えをするのに、今のところ四苦八苦していた。

特にタティと夢のような気分を味わった後、正気に返るときっていうのが……、僕は何しろ伯爵の弟として権威的でいなくてはいけない。

翌朝、気を引き締めてサンメープル城の城前広場に行くと、年末の陛下の夜会へ赴く兄さんの周辺の人々や、護衛たちがもう集まっていた。まだ当主である兄さんがお出ましになっていないこともあって、彼らは年の瀬の浮き足立った笑顔であれこれと雑談を交し合っていた。たとえ王のパーティーそのものに参加することはできないとしても、多くの金が惜しげもなく消費されるこの時期、何かといい目に与れるものなのかもしれないと思った。

彼らは僕の姿をみつけると、一人残らず挨拶や敬礼を欠かさなかったが、やはり兄さんを間近にしているときとしていないときの彼らの反応の違いは、苦笑いが起こってくるほどあからさまに違っていた。勿論彼らは僕にも納得がいくだけの敬意を払っているのだが、兄さんを目前にすると、誰もが命懸けになったからだ。

城前広場の足元の石畳には、ルイーズが作成したものと思われる大規模の魔法陣が描かれていて、その文字盤は魔力を帯びていることを証明するように青白く明滅を繰り返していた。これはそれなりの階級にある魔術師たちには身につけることが要請されて然るべき魔法で、遠距離移動をするのに用いられるものだった。

マジックスペルとも呼ばれている古代魔法語が、古えの時代の特別な方程式と芸術性を持って羅列しているその様はとても美しかった。

魔法というものは、同じ魔法でも術者の力量や知性によっていかようにも可能性を左右されるものだが、才能の高いと評判のルイーズの場合、魔法陣を用意することで一度に数百名もの人間を遠方へ運ぶことも可能なようだった。これをもし軍事転用されれば、考えひとつで一国を揺るがしかねない危険性が生じてくることは誰しも分かることだろう。

しかしこれらの反則的な能力を反乱等に利用されないために、我が国では魔法の知識の流出に関しては非常に厳格な統制がなされていた。簡単に言うと、財産や権力が一部の裕福な人間によって独占されているのと同じ状態ということだ。

そして例えばアディンセル家に所有を許されている魔法の知識を供与されるとき、彼に仕える魔術師は高い懲罰性を持つ呪術契約で自らを縛ることを前提とする。これによって、危険な魔法を識る代わりに、主人に不利益のある行動を取ることが絶対にできないように、予め身の破滅を担保させられるわけだ。

そもそも魔術師というのは、高い位にある人間を呪術や災厄から護るための機関なので、才能が高ければ高いほど、裏切ることが絶対にできないための方策が幼少の頃より何重にも施されることが普通だった。

彼らが主人と共に育てられることが習慣化していることも、幼い頃から主人に対して肉親の情に近いものを植えつけることによって、感情面でも離反できないようにするためなのだ。タティは僕のことが子供の頃から好きだったと言ってくれているけど、もし、こうした感情の発生すら誰かによって予め計算されているのだとしたら、これはとても恐ろしいことだった。

ルイーズはいつでも気楽な顔をしているが、魔術師として優秀な彼女はその人生の手綱を生涯兄さんに握られ続ける立場にあるわけで、となれば兄さん以外に優先するべき人間を見つける行為である結婚さえも難しいということになる。

それを思えば、派手な服装や挑発的に色気を振り撒くくらいのことは、兄さんとしても許してやらざるを得ないものなのかもしれないと思った。


「顔が上気してますよ」


外套を着て澄まし込んでいる僕を見つけると、さっそくカイトが近寄って来て僕をからかった。


「実家に帰らなかったのか」


僕が言うと、カイトは曖昧に首を振った。


「あそこには、居場所がないんでね。

それに、俺はアレックス様にお仕えしている身ですしね」


僕は頷いた。


「まあ、何だかんだ言い訳してジェシカもいつもこの城に居るからね。ここには年寄りがいないせいか、兄さんの側近の中でも独身者なんかは結構居ることが多い。広間のひとつには、年末年始用にカードゲームの得点表ができてたし。避難所になってるのかも、だから君も好きにするといいよ。騎士団の宿舎はいかにも冷えそうだし、適当な部屋で寝泊りもするといい」

「有難いです」

「でも僕はタティと遊ぶから、いつも君の相手はしてられないけどね」

「分かってますとも。

今だって朝からタティとイチャイチャしてたんでしょ? 何日か会えないもんだから」


いつもの通りの軽い調子で、カイトは言った。


「いや、朝からじゃないな。アレックス様、なんか寝不足っぽくないですか?

ああ……、こりゃまた。俺なんて薄汚い騎士団員どもとビール代を賭けてポーカーしてたってのに、貴方ときたら。夜通し励んだんですね?」

「な、何だよ出し抜けにっ。

いいかい、お、憶測で物を言って貰っては困るね。僕は別にそんなことは……」

「何を今更。貴方はね、分かりやすいったらないんですよ。朝っぱらから緩んだ顔しちゃってるんだから、どうしようもないですね。

ああ、この間までは俺の仲間だったのに……」


緩んだ顔をしているなんて侮辱されてまさか腹が立たないはずもなく、僕はカイトにすげなくした。


「ふん、仲間? 僕と君が? 友だちかどうかさえ怪しいのに」

「童貞仲間ですよ」


そしてカイトが白けた顔で頭を振ると、更に何処からかルイーズが湧いて出て来た。


「あらん、そういうことなら」


彼女はそう言ったかと思うと軽い足取りでカイトに近づき、彼の首に手をかけカイトにキスをしようとした。

公衆の面前で唇に接吻しようなんて、それは傍で見ている僕でさえうろたえるような、破廉恥極まりない行為だった。


「なっ、何なさるんですっ!?」


カイトが驚いた声を出して彼女の肩を掴み、丁寧に離すと、ルイーズは両腕を後ろに組み、何やら楽しそうに彼を見上げた。


「あら、突き飛ばさないなんて、貴方って見かけによらず紳士なのね」

「そ、そりゃ、女相手ですから……。こほん。俺はこう見えてなかなか紳士なんです」

「うふふ。可愛いのね」

「か、可愛い?」


ルイーズのお世辞を真に受けたカイトは動揺して自分を指差し、それから近くにいる僕のほうを見て相手を間違えたんじゃないかとルイーズに言った。まあ確かに、カイトは可愛くないと僕は思うので、そうなると僕のほうが可愛いことになるかもしれなかった。

しかしルイーズは、断然カイトのことを見てこう言った。


「いいえ。貴方のことよ。貴方、とってもキュートだわ。

アレックス様がお仲間じゃなくなって寂しいって言うから、私でよかったら、お相手をして差し上げようと思ったのよ」

「お、お相手!?」


一瞬カイトが涎を垂らしかねないような、ものすごく嬉しそうな顔をしたのが、僕はどうも気に入らなかったが、黙っていた。

カイトはいい奴だと思うけど、僕はこの場を立ち去るよりは見張ったほうがいいと思った。


「い、いや、いいです。なんか、悪いですし」


カイトはすぐに我に返って、恥ずかしそうに両手を振ってルイーズの申し出を断った。


「あら、でも。恋人はいらっしゃらないんでしょ?」

「そら、恋人はいませんけども……」

「じゃあ、いいじゃない? 年の瀬なんだもの。独り者同士、楽しくしましょうよ」

「いやっ、だ、駄目です。それに第一、貴方は伯爵様の魔術師なのに。そんなの閣下に叱られてしまいますって言うか、たぶん殺されますから」

「伯爵様は、そんなことでお怒りにならないわ。だって他でもないご自身が、自由恋愛を日々謳歌なさっているんですもの。この問題に関して、彼は寛大よ」

「いや、しかし」

「試してみれば分かるわ」


そしてルイーズは甘い調子でカイトの耳元に囁いた。彼女の赤い唇の動きは艶かしく、異性という異性の関心を惹きつけるために存在している媚薬であり、僕はそれに吸い寄せられるように魅了されて視線を動かすことを躊躇った。

勿論僕にはタティがいるし、別にルイーズとどうにかなりたいなんてことを考えているわけではないのだが、やっぱりこれほどの美人に好意を寄せられるというのは、男としては純粋に羨ましいことだった。

ルイーズがカイトに何か囁いているその言葉が、僕にはまるで世界の重大な秘密であるかのように思えた。それなのにこの魅力からの誘惑に対して、敢然と拒否を提示できるカイトの意志の強さもまた、僕は妬ましかった。

彼が立場上、ウェブスター男爵の娘に操を立てなければならないという事情は僕にだって分かっていた。それでも一度きりのこととはいえ、簡単にエステルに傾いてしまった僕よりも、カイトのほうがずっと男としての価値が高いことを、いかにも男慣れしていそうなルイーズが一瞬で見抜き、暗に僕にあてつけているかのようでその意味でも気に入らなかった。


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