第48話 孤独を嗜む者(1)
カイトは一通りの悪ふざけが済むと、兄さんから贈られた僕の刀剣のコレクションの中から剣を一振りだけ選んで、そのまま機嫌よく帰って行った。
彼の性格は単純なようでどうも掴みどころがなく、冗談を言っているのか本気なのか、僕はいまいち見極められないことがあるのだが、僕らの性交渉の内容を聞きたいなんていうのは、いつものおちゃらけの延長だったようだった。もっとも本気でそんな話を聞かれても困るのだが、あれだけ大袈裟にしておいてあっさり引き下がられると、僕としてもどう反応をしていいものか分からなくなる。
僕は年齢の近い人間との距離の取り方が未だに分からなくて、戸惑ってしまうことも多かった。つまり、折り合いのつけ方が分からないんだ。何処までが冗談で何処までが本気なのか、何処まで心を許すべきなのか、上手いバランスが分からない。
カイトはああ見えて人間が出来ているようなので、いかなる場合でも結局は僕に合わせてくれるのだが、僕は兄さんが遊び相手に用意した貴族の子弟たちにことごとく馴染むことができず、連中に苛められた過去があるわけだから、この辺りのことにはどうにも神経質になってしまう。
それに毎年の年末に王都で開かれる陛下の夜会への出席を控え、毎年のことながらその時期僕はとてもナーバスになっていた。
国王陛下が主催し、国中から裕福な貴族が集まり、ローズウッド王家と王国の繁栄を祝うあの晴れやかなパーティーに、重篤な理由もないのに欠席するわけにもいかない。しかも夜会はその一件に限らず、王都に城や邸を所有することが許されている貴族主催のパーティー巡りは、その後数日の間続くのだ。
僕は一人で静かにしているか、そうでなければタティと二人きりで時間を過ごすのが好きなのに、知らない人間と毎晩毎晩顔を合わせなければならないこういう社交的なイベントは、僕にとってはまるで拷問のようだった。
しかもタティの身分はこうした場所に出席できるほど高くなく、彼女はまだ僕の正式な妻ではないから、現時点では同伴することもできない。
使用人の内容も、勝手も違う王都の伯爵邸にタティを置いて出かけるのはいかにも心配なので、今回のところはタティは居城に留守番をさせることにしているのだが、そうなると僕は本当に話し相手にも事欠いてしまうのだから、やり切れなかった。
だからたぶん深夜にはカイトと二人で管を巻くか、去年のように兄さんに雲隠れされ、かといって見知らぬ男の誘いになんか乗れる性分でないジェシカあたりと行動を共にすることになりそうな気がしているが、そうなるまでの、姿勢を正していなければならない時間というのが、僕は思うだけで本当にしんどくてならなかった。
「アレックス、繊細で美しいおまえならば幾らでも女を手に入れられるのに。何故にそうも内気なのか」
ある寒い夜、珍しく晩酌につきあったとき、兄さんはブランデーを楽しみながら僕のことをあれこれ詮索していた。
天上が高いためにいつまでも底冷えする居間の暖炉のすぐ側で、兄さんはソファで足を組み、テーブル越しの席にいる僕のことを眺めていた。
肩に届く黒髪に、文句のつけようのない綺麗な顔。そのときは兄さんの白い横顔に暖炉の火が映っていて、彼の容姿をいっそう情熱的で美しいもののように際立たせていた。アディンセル家が美しい容姿を誇る家系であることは知っているが、代々の当主の青年期、もしくは壮年前期頃の肖像画を眺める限りにおいて、やはり兄さんの美貌は飛び抜けていると思われた。少なくとも、もしこの直後に鏡を覗き込んだとしたら、僕はそこに映り込んだ自分の容姿が彼のそれには及ばないことに一晩ほど落ち込んだだろう。
その夜の兄さんのご機嫌はあまりよくなく、僕はその場にいることを少し後悔し始めていた。幼い頃の経験の中には成人してもなお条件反射のようにつき纏うものがあり、兄さんの神経がぴりぴりしていることについて、僕は今でもとても敏感だった。
僕はそのとき酒ではなく、暖めたミルクを飲んでいたが、居心地が悪かったのは、そのことについて一通り兄さんに笑われた後だったから余計にそうだったのかもしれない。
「女遊びのひとつぐらいしなくては、一人前の男と言えぬものなのだぞ」
弟に訓示するにはいささか問題のある発言を、兄さんがするようになったのはいつ頃からだったろうと僕は考えていた。
「僕は兄さんのように美しくはないですよ。母上の面影があるとは言われますが。でも美しさについて、わざわざそれを取り立てて賛美されるほどじゃない。
美しいと言うなら、それは兄さんです。誰がどう見ても、貴方には他の人間にはない華があります。弟の僕の目から見ても、兄さんは美貌です。だから女性がひっきりなしなんだ。
兄さんのことを、確かに怒らせれば恐ろしいかもしれないが、従順にしていれば……女性にとっても貴方と関係を持つことは悪い話ではない。だから幾らでも寄って来るのでしょう。僕はそう思います」
「なるほど、それは結構な分析だなアレックス。私の容姿について、おまえが関心を持ってくれているとは光栄だね」
「関心と言うか……、それくらい美男なら、きっと世界が違って見えるだろうと思うことはあります」
「世界など変わらんよ。私は美しさを売って生きている世界の住人ではないからな」
「そうでしょうか? 集まって来る女性の数がまるで違ってくると思うけど」
「それで、アレックス。小娘とはどうなっているのだね」
兄さんはそんな話には興味がないといったような顔をして、不意に話を変えた。
「……上手くいっていますよ」
「まだ妊娠したという話が、聞こえて来ないが」
「今は冬だから、キャベツの時期じゃないんでしょう」
「ふっ、キャベツか。なるほど」
兄さんの眼に鋭さが増していることは分かっていた。彼がその夜僕に言いたかったことは、まさにそれだったのだろうと僕は感じていた。状況報告、それに跡継ぎの催促。それでも何とか平静を装う僕の言い草に、兄さんは意地悪く笑った。
「いいともアレックス、では待つことにしよう。可愛いおまえの言葉を信じて、春先までは……、私は黙っていてやるよ」
「春先まで?」
兄さんの言葉にある不穏な含みを僕が訝ると、兄さんはいよいよその大柄な身体ごと迫ってくるような不機嫌さを僕に向けた。
顔を歪めて兄さんは言った。
「アレックス……、この私をみくびるなよ。私がいつまでもおまえの甘ったれた考えにつきあうことはないということだ。ルイーズごとき女の調停に伏される私だとでも思うのか?
アレックス。言っておくが、この私が女子供の戯言に左右されることはない。だからあの娘を妊娠させることに、期限を切るとこう言っているのだ」
「期限……?」
僕は勿論、兄さんのお言葉の意味をすぐに理解できていたが、理解することを躊躇われるほどの恐ろしい条件の提示だったので、反射的に知らないふりをした。期限内に妊娠をさせなければ、この結婚をなかったことにするおつもりなのか、それともタティを役立たずとみなして排斥するという意味なのかまでは僕には分からなかったが、どちらにしても考えられない暴挙だったからだ。
しかし兄さんが、僕のとぼけた態度に余計に顔つきを厳しくしたので、僕は子供のふりをしてこれを切り抜けようとすることを諦めた。
「期限って、そんな無茶を言わないでください。兄さん、女の身体がそんな思い通りにいくわけがないでしょう……」
「アレックス、何を言っている。この私に分からないとでも思っているのか? おまえはどうせ、まだ手をつけてもいないんだろう? アレックス、おまえのことだからな」