第47話 何を貰ったかって?
「俺の存在っていうのはもうね、生物として間違ってるんですよ。二十二ともなりゃ、もう親になってるのだっているのに」
人肌の恋しくなる寒い時期であるか否かに係わらず、カイトは相変わらずの泣き言を言っていたが、僕としては彼の悩みが人生に圧迫を加えるほどのものとは思えないことを話していた。
「そういうのは、大事な人にとっておくんだ」
カイトを連れて室内を歩きながら、僕は手短に言った。
「そのほうが、絶対正しいって僕は信じてるよ。安易に捨てるなんてもったいない」
「そら、女ならそれでいいでしょうけどね」
カイトは憮然として言った。
「でも娼婦相手は嫌なんだろう?」
「嫌って言うか、何つうか……、金で人間を買うって時点で人として終わってる上に、作業のように相手して貰ってもねえ。愛がないじゃないですか」
「じゃあ、どうしたいんだい」
「そりゃあ、閣下みたいに何人もの女に愛を捧げられて、望まれてですね。お願い抱いてえ、なんて女たちにせがまれて、俺はよしよし仕方ないな、それじゃあ順番だよってな具合に……」
「……、それは愛なのか? どっちかと言うと、ハーレム? 乱交っぽくないか?」
「いや…、まあその、儚い妄想です」
「楽しそうだ」
僕が言うと、さすがにカイトも多少恥ずかしそうにしていた。
「こういうの、閣下なら実現できるんじゃないかと思いますけど、彼はハーレムはやらないんですね。男の夢なのに」
「そりゃあ、兄さんなら黙っていても君の妄想のように女が寄っては来るだろうけど……、実際にはそういうのって、いろいろ大変な部分もあるんじゃないか? 少なくとも、僕はそれで心まで満たされるとは思わない。
兄さんだってそう思うから、そういうのを設けないんだろうし、それどころか半年やそこらで女を次から次から替えるんだろう。
まあそれもどうかと思うけど、もてる男っていうのも傍から見ているほどには、幸せじゃないのかもしれないよ」
「そりゃ、幸せかどうかなんて、他人からは分からないもんですけどね」
「それに兄さんっていうのは、弟の僕が言うのもなんだけど、やっぱり何処か破綻してるよ。例えば初夜権とかね。あれはひどい。ほとんど狩りだからね。ジェシカによると、どうも中央で嫌なことがあると、鬱憤晴らしにやってるみたいなんだ。
あんなことしなくても女に困らないのに、僕には意味が分からない」
「んー、まあそれは、やっちゃいかんですよな。閣下も宮廷なんかじゃいろいろとストレスの溜まることがあるとは推測されますが……」
「こんにちは、カイト様」
リビングを通りがかるとき、そう言ってフリルの可愛いドレス姿でタティが出て来たのが、僕は気が気じゃなかった。豊かな黒い巻き毛をおろし、白地のドレスなんか着ていると、お淑やかな彼女はひたすらに清らかで甘く、なかなか聖女然としているように思えるのは僕だけだろうか。
それにきちんとした服を着ると当然ながら、身体の細いわりに胸が大きいってことが強調されていて、そのいかにも危なっかしい様子は大いなる魅力でもあるのだが、それだけに僕の心配はいまや倍増していた。
男という生き物が、この若くて自分の魅力の半分も理解していないような娘のことを、どういう考えで見るかということを、勿論僕は完全に理解できるだけにタティを人前に出すことが嫌でたまらなかったのだ。
このときは、カイトが彼の脳内のハーレムにタティを加えるんじゃないかと思って、僕はにわかにカイトを警戒していた。
「やあ、タティ」
カイトは手を振って、さっそくタティに軽々しく微笑みかけていた。その態度は陽気で、かつて彼の人生が陰惨だったことを窺わせる余地もない。カイトは日頃から身なりを真面目そうにしているし、またそういう雰囲気でもあるのだが、ひとたび口を開けば過剰におちゃらけだすから、その印象は百八十度変わるわけだった。
「おっ、今日は何やらお洒落してるんですね。お洒落しているせいかな、何だかいつもより色っぽい感じがするな。最近、調子はどうですか?」
「えっ、調子ですか? えっと……はい、調子、いいですよ」
カイトの問いかけに、タティはぱあっと頬を赤くした。あんまり分かりやすい態度だったので、僕は知らないふりをしていたが内心でひやひやした。
「それはよかった。それにしても、見違えちゃったな。何か心境の変化でも?」
「あっ、ええ、あの……」
タティがうつむいてもじもじすると、カイトはご機嫌に笑って親指を彼女に突き出した。
「可愛いですよ」
女を口説けないなんてことが、疑わしいほどこなれた様子が油断ならなかった。僕はむかっとしてカイトの腕を引き、急いで彼を僕の書斎に引きずり込んでから、タティに対する今のなれなれしい反応についてさっそく釘を刺すべく向き直った。
「可愛くなってる!」
「いいか、あれは僕の物だ!」
お互いがほとんど同時にそう言い、それから僕がこう続けた。
「そりゃね、僕好みの服装をさせているんだ。タティは残念ながらお洒落のセンスがないことが分かったからね。センスがないって言うか、あの地味な身なりは、どうやら母親の躾のせいというだけじゃなくて、タティ自身があんまり着飾ることに興味がないみたいだった。
だからこの際僕の好きなようにすることにしたんだ。髪型も今どきの姫君方の間に流行のプリンセス仕様だ。地味過ぎず、派手過ぎない。可愛いだろう。童顔だからもともと可愛い格好が似合うんだ。それなのに胸が大きいから、僕はそのギャップが結構」
「んんっ、今なんておっしゃいました? 胸が大きい?!」
「う、うん」
「アレックス様、むっつりやめたんですか?
これまでは、幾ら俺が下ネタを振っても、断固として無関心なふりをしていたのに。貴方ともあろう方がおっぱい大好きを公言するなんて!?」
驚くカイトに、僕は恥らって目をそらしつつ頷いた。
「も、勿論さ。あれはいいよ……」
「それじゃ、彼女はいまや何でもかんでも貴方の言いなりってわけですかい」
カイトは唇を尖らせてふて腐れた。
「勿論だよ」
その様子に、僕はつい勝ち誇って、再度頷いた。
「僕の誕生日を契機にね……、ふふふっ」
「な、何です?」
「……、話の流れで察しろよ。そんなことを、人に教えるわけないだろう」
「結婚もしてないのにもう花嫁の処女を頂いちゃったんですか!?」
カイトが何のためらいもなくはっきり言うので、僕は慌てて両手で宙を掻きまわした。
「ば、ばば馬鹿っ、声が大きいよっ。
それにしょうがないじゃないか、こ、子供が出来なきゃ結婚させて貰えないんだからさ……。そうだろう? これは兄さんが言うので仕方なくのことなんだ」
僕が言うと、カイトは呆れた顔をして僕を見た。
「この期に及んで閣下のせいにするんですか? 自分がスケベなのを棚に上げて。単に彼女と、乳繰り合いたかっただけでしょ?」
「煩いよ」
「どうしてもタティと結婚したいってんなら、結婚させてくれないなら駆け落ちする、とかでもよかったような」
カイトに言われて、僕は思わず手を叩いた。
「なんでそういういいアイデアをもっと早くに出さないんだ」
「そんなの、駆け落ちしたところでたぶん騎士団を派遣されて終了でしょうからね。あの閣下が貴方を逃がすとは思えない。彼は何事も自分の思い通りにしなきゃ気が済まないところがありますからね。だから血眼になりますよ」
「だったらつまんないこと言うな。
ほら、どれでも好きなの選んだらさっさと帰れよ」
僕は書棚の端の収納扉を開いて、しまってある剣鞘の束を指差した。飾ってもいないし、あんまり有難がって扱ってもいないのは、僕は武器の収集なんか趣味じゃないのに何しろ数が多すぎるからだ。
それに中段の引き出しの中には、優れた殺傷能力があると嬉しそうに言って渡された拳銃まであったが、そんな物騒なものはとてもじゃないけどタティの目に触れるような場所に置いておけない。だからこういうものは手入れをして、後は片づけておくほうが部屋も気持ちも広々するわけだ。
兄さんは僕と趣味を共有した気になって、楽しい気持ちになっているようなので、こんなことは絶対言い出せないが。
「俺に詳しくお話を聞かせてくださいっ!」
カイトは急に両膝を床につき、大袈裟に両手を組み合わせてまるで巡礼者が礼拝の際にとるようなポーズをしたが、僕は手を振ってそれを軽くあしらった。
「駄目だね。タティをおかずにしようったってそうはいかないんだ」
「そうやってご自分だけ幸せになるんですね。俺は懐も心も真冬なのにっ」
「だから、君に剣をやるって言ってるだろう。宝石飾りがついてるやつを、幾つでも遠慮なく持って行けよ」
「わあんっ、ものすんごい余裕の表情してからに、まるで嫌味ったらしいこと言ってるそこらのすかしたイケメンそのものじゃないですか。純情でラブリーなアレックス様は、何処に行っちまったんです?
しまいにゃ俺だって泣いちまうからっ。ぐすんぐすんっ」
「煩いぞっ。大の男に対して何がラブリーだ、男が泣いたって駄目なんだ」