第35話 古き善き保守主義(1)
僕らの眼前に広がる室内はオレンジ色で薄暗く、いつしか部屋の中央にある巨大な暖炉の前には多くの人々が集まっていた。家族でもない男女が夜遅くまで時間を共有し、お互いの気持ちを探りあうような場面がときどき見られていたが、気安く話している彼らを見ていると苛々してくるのは、何も下っ端の騎士のくせに女性と仲よくしていることを、妬ましいと思っているからじゃないんだ。
連中は手に手にカードを持って、何かのゲームに興じているらしく、一応僕も声をかけられはしたが、ルールもよく分からないゲームに参加するのはごめんだったので断った。この場でもし僕が負けることがあれば、兄さんの面子に係わるなんてカイトには言い訳をしたが、本当は女の人の前で恥をかいたり、よく知りもしない人たちと、否が応にも口を聞かなければならない状況というのが嫌だったからだ。
カイトは笑って同意し、閣下の名誉は守らなければなんて頷いていたが、あの様子ではたぶん本当のところは分かってしまっていただろう。
次々と話しかけてくる女の人たちを、愛想笑いを浮かべるだけで徹底的に無視したのは単に恥ずかしいからで、彼女たちが使用人であることを差別したわけじゃなかった。本当はものすごく話してみたいんだということを言い出せないだけだったが、彼女たちは辛抱強く僕のことを待ってはくれず、僕は何度もその後姿を目で追うことになってしまった。
女の人っていうのは、みんなタティみたいにおっとりしているものとばかり思っていたのに、彼女たちはせっかちすぎると僕は思った。きっと後になって、仕事の合間にでも、僕がたいそういけ好かない気取り屋だなんて話を、得意の早口で噂しあうつもりなんだろう。
「いやいや、ありゃアレックス様が迷惑がっていると思ったんですよ。そうやって黙り込んでうつむいているんじゃ、取りつく島が……、んー、何でもいいから髪型を褒めるとか、口紅の色を褒めるとかどうです。でなきゃいっそ相手を女だなんて思わないで話すとか」
カイトが横で何か言っていたが、まともな男なら、名前も知らないような女性相手にそんなその場凌ぎの軽薄なことを言えるはずもない。
ほんの少しの間に、僕は完全にカイト以外の人間から孤立することになったが、こんなことはいつものことだった。余程気心が知れているか、気の利いた大人でもなければ、僕の相手をするなんてことはできることではないんだ。
すぐそこのテーブルではこの建物の厨房で拵えたらしい山盛りの料理や、市街で買ってきたのであろう食事が次々と振る舞われていた。湯気を上げているトマトリゾットについては美味しそうだと思わないではなかったが、先刻無作法な輩が自分のスプーンを大鍋に突っ込んで味見したのを見たので、食べたいという気持ちは既に消え失せていた。
無秩序であるとまでは言わないにしても、この場は兄さんの開く上品なパーティーとはかけ離れていて、パーティーとも呼べないような代物だと思っていた。音楽と言えば誰かの下手糞な演奏だったし、上質の招待客の機知に富んだ振る舞いや感心の気遣いが見られることもなければ、給仕係もいない。もっとも居城で給仕係をやっている娘たちなどが参加しているパーティーなのだから、他に給仕係がいるわけもないのだが。
あちこちで、大声で話してははしゃいでいる喧騒が鬱陶しく、彼らの若さと教養のなさが時間を追うごとに露呈していくのが分かった。
半刻だけここにいて、それでなじめなければ帰ろうと僕は考えていたが、恐らくそういうことになりそうな気がしていた。
それにこの場にいる娘たちの中には、全員ではないにしても何とも慎み深さのない服装をしているのがいて、僕は戸惑っていた。もうじき冬であるにも係わらず肌を露わにし、似合いもしない化粧をし、振る舞いもあけすけでまるで町の女みたいに下品だった。
若い女の人っていうのは多少容姿がどうであれ無条件に可愛いものなのに、どうしてああいう余計な色仕掛けをしたがるのか僕には分からなかった。あんなことをしても、わざわざ自分の価値を下げるだけで、いいことなんか何もない。もし自分を娼婦と勘違いされたくないのなら、女の人はお淑やかにしているほうがずっと有益で、しかも安全なのだ。
そのことを僕が言うと、僕の隣で可笑しそうにカイトは言った。
「まったく貴方は頭が堅いんだから、困ったものですね。
まだお若いうちからそんなに真面目にしていたら、年を取ったら貴方っていうのはどれほどの頑固者になってしまうんでしょう」
二杯目の酒を飲み終えてしまってから、僕はむっとしてカイトに目を向けた。
その酒は琥珀色をしていて、先ほどの酒よりアルコールがずっと強かったが、甘かったのでかえって飲みやすかった。
「真面目だって? 何言ってるんだ、僕はまっとうな人間なら、当たり前に感じることを言ったまでだよ」
「当たり前ねえ」
「そうさ。結婚した女の人が、夫と一緒に出かけるっていうならまだ話は分かるけど、女の人が夜に一人で出歩くものじゃない」
「ま、確かに正論ですが」
カイトは僕を横目で見ながら小さく笑った。彼は僕のことを頑固者だなんて言うが、カイトのほうこそ真面目ぶった髪型をしているせいか、それとも顔立ちのせいなのか、僕なんかよりよっぽど気難しそうな風貌をしていると思った。
「貴方も最近は、微妙に言うことが閣下に似てきましたよね。まあ、これは前から感じていたことではあるんですが、近頃はつとに」
「まさか。どうして僕が兄さんみたいな差別主義者と似ているって言うんだ。これは兄さんが言っていることとは全然違うよ。兄さんは、女は自動的に男に傅くべきだという乱暴な考え方だ。でも僕は、単に常識を言っているんだ」
「まあ、俺もどっちかって言えば保守的な考え方の人間かもしれないから、おっしゃることに異論はないですけど。でもアレックス様が言っていると、何やら可笑しくて」
「何だよ。僕が言うと、何か可笑しいのか?」
僕が聞くと、カイトは笑って頷いた。
「ええ、だってほんのこの間まではタティと一緒になって真剣に押し花やらクッキー作りやらしていた人がですよ。ここへきて女は慎ましくしろだなんて、貴方はなかなかジョークのセンスがおありになる」
そしてカイトは拳を口許に持っていき、笑いを堪えているような仕草をした。ときどき兄さんが僕に呆れているときなどにやっているような、そういう笑い方だった。
「何だよおまえ、なんか上から物を言ってないか?
でも僕だっていろいろ言うさ。女について、考えていることだってあるんだ。
それにこういう考え方を、何もつい最近身につけたわけじゃない。僕は物心ついた頃からこうだったよ。君は気がつかなかったかもしれないけど、だって僕は男なんだからね」
「確かに、傾向としてはありましたけどもね」
そしてカイトは慣れた様子でグラスを口に運んだ。
おちゃらけていないときのカイトが、どうも僕より精神的に成熟しているということを、今夜はいやに思い知らされていて僕は焦りを感じていた。彼はもしかしたら、僕と打ち解けるために三枚目のふりをしているだけで、実はとんでもなくしっかりした大人なんじゃないだろうか?
それで僕は何とか精神的優位に立ちたいために、以前兄さんが踏ん反り返って言っていたことをそのまま言いなぞってみた。
「いいかいカイト、女っていうのは、処女がいちばんなんだ」
それにカイトは同意した。
「それはまあ、男なら誰しも思うでしょう。できることなら、妻にするのは処女がいいってね。
だからタティみたいな貴族の娘は、結婚するまで純潔であることが義務なんですよ。将来、それなりの地位のある夫を得る見込みのある娘はみんなそうですね。さもないと、夫の顔に泥を塗ることになる。ですから、アレックス様のその願いは叶うと思いますよ。
しかしここにいるような平民の娘の間には、それほど堅苦しいルールなんかないんだそうです。特に昨今のあまり信心深くない娘たちなんかはね。だからこういう場では、みんな楽しくやっているんですよ」