第33話 引っ込み思案(2)
連れて行かれた奥にはテーブル席の他にもたくさんの長椅子があって、カイトはそのうちのひとつに僕を座らせた。僕はすぐに立ち上がろうとしたが、カイトは僕の両肩を抑えて再び僕を椅子に押し戻した。
それで無礼だと僕が文句を言うと、カイトは生意気にも僕を見下ろしてこう言った。
「いいから。難癖つける元気があるんなら、急いで帰る必要もないでしょう。ここまで来ておきながら、酒の一杯も飲まないで帰ってご覧なさい。それこそ貴方の沽券に係わりますよ。逃げ帰ったと思われかねない」
「おまえが連れて来たんじゃないか。僕はおまえが身内だって言うから、せいぜい数人だろうと思っていたのにこんな馬鹿みたいに人がいるなんて思っていなかったんだ」
「かえって人が多いほうが気安いでしょうに。
ここにいる奴らだって、何も一枚岩なわけじゃない。別の館から迷い込んだふりをして、晩酌つきの夕飯に与ろうなんて輩さえ幾らでもいますよ。何しろ赤楓騎士団は人が多すぎて、俺だってよく知らないののほうが多いくらいです。学校か、大衆食堂だとでも思えばいいんですよ。
とにかく影で坊やなんて笑われたくないんなら」
カイトは少々不敵に僕を見やった。
「観念なさい」
手前の小ぢんまりしたテーブルには赤や桃色の飾り蝋燭が輝き、せめてものパーティー気分の演出の意図を感じたが、僕はこういうことが意外と好きなので微笑ましく思った。タティなら、きっと蝋燭の周りにもう少し可愛い小物を置いただろう。光に映える金の天使の置物とか、色とりどりのキャンディーを詰めた箱なんかを。彼女は部屋を飾りつけるのが、とても好きだから。
僕はこんな場所にいるよりもタティと過ごしているほうがずっと楽しいと思うのに、いったい何をやっているんだろうかとしばらく考えていた。僕は学校に通ったことはないし、大衆食堂なんかに立ち入るわけもない。こんなことになったのは、そもそもタティが聞き分けなく泣いたりして、僕を嫌がるから悪いのだが。
それにしたってどうせ時間を潰すなら、やっぱり書庫か、自分の執務室にでも引きこもって、本でも読んでいたほうが余程有益な時間を過ごすことができるだろう。
それで僕はカイトが他所に注意を向けている隙を見て、再びここを立ち去ろうとしたのだが、そう思ったときにはもう僕の前には僕へ挨拶をしに来る騎士たちの列ができていて、それどころではなくなっていた。
それで僕は仕方なしに自分から椅子に座り直し、譬え様のない居心地悪さを感じながらそれに応じるはめになった。
「アレックス様がこんな場所におみえになるなんて、感激です」
「アレックス様はたいそう頭がよろしくて、勉強家でいらっしゃると評判ですよ」
口々に分かり易い世辞なんか言っているが、彼らの本質が子供の頃、僕を苛めて追いかけまわしたあの悪質な性悪であることは分かっていた。
今は上辺だけ取り繕い、自分の名前を僕に告げるなどという図々しい売名行為を僕が軽蔑しているとも知らないで、彼らは延々とくだらない、無教養なおべんちゃらを僕に言い続けていた。
うんざりした気分を隠して、僕がいい対応をすれば目に見えて喜んでみせ、気まぐれに無愛想にしてやれば生命を取られるんじゃないかというほどの怯えが浮かんでくるのが面白かった。
厨房の料理人たちほどじゃないが、彼らは明らかに僕の機嫌を窺っていて、僕は自分が彼らよりも上等の人間であり、考えひとつで彼らの生存権を取り上げることもできるのだと思うことでこの無意味な時間を何とかやり過ごしていた。
しかしそのうちそんなことを考えている自分が、何やら矮小でみっともない男のような気がしてきて、子供の頃に僕を苛めたくらいのことをいつまでも恨みに思っている自分のほうが、連中よりもずっと情けないんじゃないかという気分になってきた。
一方で、生活のためか名誉のためか知らないが、僕と年頃の変わらない若者でありながら、主君を得て精進をする彼らのほうがまっとうな人間であるように思えてきて面白くなかった。
僕だって、何も騎士としての鍛錬から逃避しているわけではないが、少年の頃、剣術の練習中に間違って自分の脚を傷つけて流血騒ぎを起こし、傷自体は大したことなかったのだが僕は自分の血を見てひっくり返ってしまった。駆けつけた兄さんは何だか複雑そうな表情で僕を見ていて、彼は結局僕を叱らなかったが、それ以後無理やり武芸の訓練をさせられるということがなくなった。
そしてその分野においては未だに兄さんが甘いのをいいことに、手を抜いていることには違いなく、今もって実戦を経験したこともないことが恥ずかしく思われた。
僕は騎士の叙勲を成人すると共に受けているが、我ながら主君が兄さんでなければとても騎士とは名乗れないような内容であることを自覚しているんだ。
けれども、と言ってここで僕に会えて嬉しいなんて、本心じゃ思ってもみないことを言っている奴らに少しでも弱みなんか見せようものなら、また棒切れを持って追いかけられるなんてことが起こりかねないので、ここは伯爵家の人間らしく偉そうにしているのが無難だろうと思って、僕は殊更に澄まして、そういうふうに振る舞っていた。
横でそれを見ているカイトが時折苦笑していたが、僕は気にしなかった。




