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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第12章 佳客
303/304

第303話 蒼月の亡侯爵(11)

「酷い奴だ、だから目の前で拒否とはどういう了見だ!」

「暗黒神と縁がある反逆者のおまえなんかと、僕が縁を持ちたいと思うわけないだろ!

可哀想なのはシエラだ。貴方みたいな兄のせいで、ろくでもない人生を送らされるはめになってしまった。

貴方は侯爵家に生まれた幸運を理解し、おとなしく役割をまっとうしていればよかったのに、何が世界平和だよ! そんな器量もない奴が、馬鹿みたいな夢を語るな! 結果どうなったんだ!?

シエラが身分を失くしてみじめな思いをすることになったのも、シエラから帰る家や故郷を奪ったのも、とどのつまりは全部貴方自身だって気づけよ!」

「クソガキがこの僕を批判するな!」

「批判されるようなことをやっておきながら、陛下が悪いとか、国が悪いとか、政治が悪いとか、馬鹿じゃないのか!

挙句王家を根絶やしにすればいいって……、僕がシエラと結婚したくないと心底感じる最大の理由は、貴方みたいな頭のおかしい犯罪者が身内にいることだ!

僕は貴方の仲間にはならないし、ましてや貴方と縁続きになるつもりもない。シエラが結婚を拒否されるのは他の誰のせいでもない、貴方のせいだ。死んだはずの侯爵が生きていて、反社会的な地下活動をしていること、後で陛下に言上するからな……」


すると気分を害した顔でロベルト侯は言った。


「シエラを喉から手が出るほど抱きたいと思っている男にしてみれば、おまえの軽率な発言は万死に値するな……。

おまえは愚かな子供だよアレクサンダー。まだ世の中のことを何も理解していない」

「それはお互い様でしょう。正直言って、貴方に王宮で主流になれる能力があるとは思えない。自分の領地ですらこれだけの失策と無能をさらして、そっちこそ世間知らずもいいところだ。

要するに、貴方はいきがるだけの少年みたいなものなんだ。話して五分で分かったよ」

「おまえも分からない奴だな……。馬鹿なのか?

おまえはおまえに選択権があるとでも思っているようだが、そんなものはおまえにはないんだよッ!」


僕がつい余計なことを言ったせいか、ロベルト侯は遂に激昂した。気まぐれに抱いていたシエラを突き離し、射るような目線でこちらを品定めをする。突き飛ばされたシエラはそれに文句を言うでもなく、すぐにお兄様に近寄り彼の顔を覗き込んだ。オニールが先刻指摘していたが、確かに彼女は兄の顔色を過剰に窺っているようだ。別に声を張り上げたからって恐れるにたりない痩せた男だと思うが、女からするとあんな奴でも機嫌を損ねさせれば手に負えないものなのかもしれない。


「……君は随分、手下を連れているんだね。お友だちなのかな?

クソ薄汚い連中が、さっきからまったく目障りだよ! 汚らわしいガキどもが徒党を組んで僕を脅しやがってッ!

何人か――、僕が大嫌いなタイプも混じっているようだ。

そもそも僕は、男って生き物が好きではなくてね……。強いて言うと嫌いなんだよ。男の浅はかで狡猾で残忍で卑怯なところがものすごく嫌いなんだ。男の暴力性がものすごく嫌いなんだよ。男って奴は攻撃に容赦がないからね。何かと言うと暴力的制裁を背景に威嚇して来る。男は弱者に容赦がない。弱っている者に……。

明らかに味方がおらず困窮している人間を更に追い詰めいたぶるのが男だ。強い者、人気者、乱暴者相手にはこれでもかと媚び諂うくせに……、虐めても反撃の可能性がない弱者を嗅ぎつけ面白おかしく血祭りに上げるのはいつも男だよッ!

おまえたちは僕に何をしたんだと思うよ。おまえたちはこの僕に何をしたんだとッ」


ロベルト侯は全身を震わせ、興奮し、肩で呼吸をし始めた。ピリピリした様子で眉間に指を置くが、その手が震えている。まるで追い詰められた虐められっ子かのようだ。いかにも上から目線で語っていたのに、どういうわけか彼自身が追い詰められていたのか――、その様子から、確かに彼の精神が細いのが分かった。繊細と言えば聞こえはいいが、メンタルが弱いことが。

だがメンタルが弱い人間が必ずしも穏やかで優しいとは限らない……。見るとその表情は憎悪に歪み切っていた。目を大きく見開き、あらん限りの憎しみを僕らに向けている。正気じゃない、とさえ思われるほどの表情だった。


「おまえたちみたいな連中を見ているとさ、昔の嫌なことを思い出すよ。その昔、僕の周りにも、僕を小突きまわした無礼な連中がいっぱいいたっけ……。

名門男子に望みもしない遊び相手を無理やりあてがうあの習慣も、いい加減考えものだよね。人には向き不向きってものがあるのに――、クソみたいな分際で、よってたかって侯爵家の人間であるこの僕に虐待を加えて来て、毎日地獄みたいだったよ。馬鹿にされて落とし穴に落とされるわ、殴る蹴るをされるわ、散々だった……。

僕があれからというものいったいどれほど長い間、暗闇の中で苦しみ続けていたか、おまえらに分かるか……?

十年、十数年……、僕の心があのときの悔しさと屈辱でのたうちまわらない日はなかったよ。どうせおまえらはもう終わったことにしているんだろう。すべてが過ぎ去ったことだと。一年もすれば、すべてはなかったことになる。加害者はいつだってそうだ。

今ではまるで自らの罪さえなかったかのような顔で、明るい充足の日々を過ごしている。

だが! ……傷を負わされた者の心の痛みや苦しみは、永遠にその当時のままなのだ。僕の時間は止まり、僕の苦しみは永遠に癒えることがないッ……!」


ロベルト候は歯を鳴らすほどにギリギリと噛み締め、彼の抱える屈辱を吐露し続けた。


「おまえらを呪うことで、僕は何とか生き長らえて来たよ。おまえらの人生にも僕が負った以上の災いが起こることを願いながら鬱屈した日々を――、でも現実にはおまえらが僕が受けたような酷い目に遭うためしなどないのは何故なんだ?

どうして邪悪でこざかしい人間の人生ばかりが、明るく楽しい充実した思い通りに運んで行く?

おかしいじゃないか……。おまえらに掠奪され、虐め殺された僕は、今でも地獄の中にいるのに……。

アレクサンダー、そうは思わないか? おまえだって、僕と同類の人間だろう? 過去を読まずとも、目を見れば分かるよ。おまえだって、悔しかったんだろう……?

こんな不公平は、必ず是正されなくてはならないんだ……!

罪人どもは必ず裁かれなくてはならない――、特に己の罪を隠して善人の顔をしている卑劣な連中のことは!

こっちが弱いと思って、一人だと思ってさ、人を侮蔑し悦に入る……、そういう奴らって、存在自体が、虫唾が走るんだよねッ……。見せしめには、丁度いいかなッ……!」


そしてロベルト侯は口許を動かしながら右腕を上げた。間もなく彼のてのひらの上には、氷の刃のようなものが発生し、それは回転を続けながらみるみる鋭利に巨大に成長していく。まるで戦斧の金属部分のような見事な刃となるまでに、まばたき一回分の速さだっただろう。そして彼は華麗な手つきでそれを投げ下ろした。刃が僕の頭上をすれすれに飛び、同時に後ろで声にならないような悲鳴が複数上がる。

僕は振り返る。僕の後ろを固めていた何人かの護衛たちの腕が、血飛沫の尾を引きながらぶつ切りになって飛んでいる凄惨な瞬間を目の当たりにして心臓が凍った。回転する暴力的な刃が護衛たちの間を何度も飛びまわって、加速度的に犠牲者を増やしている。後方にいた反射神経のいい何人かが、攻撃を避けるために場所を離れようとして、かえって標的になり全員が両脚を切断され地面に落下した。つまり斬られた脚が立ったままで、脚から上の胴体が地面に落ちたということだ。例にもれずオニールが左腕を斬り落とされ、血を噴き出しながら倒れるところが目に入る。身体を吹っ飛ばされ、気取った髪が宙を舞った。容赦などない。容赦などないのだ。ハリエットが小さい身体を余計に縮め、悲鳴を上げて足許に蹲る。カイトが僕に飛びかかり、次の瞬間には僕を地面に押し倒した。背中と肘が痛い。迅速だがこの乱暴なやり方に、僕の服が擦り剥いたかもしれない。何か分からず起き上がろうとする僕の顔面を、カイトが力任せに手で押さえつける。


「頭を上げないで、いいと言うまで地面に伏せて!」


彼らしからぬ取り乱した声。僕は咳き込んだ。後は地面に倒れたまま、何が起こったかもよく分からない。ただ、確かだったのは、赤い街灯に照らされた公園の真上に見える夜空がとても暗く感じたこと、そしてこの暴挙のために、辺りには吸い込めば咳が止まらなくなるような細かい土埃が舞っていたことだ。

胸に去来するのはロベルト侯が、兄さんに恨みを持っていることを宣言したことへの恐怖だった。こいつはやりかねない。兄さんを標的にしかねない。そうと思うと、今の自分や周囲の状況それよりも胸が心配で押し潰されそうだった。


「あははははははははッ!!」


ロベルト侯が狂気じみた顔で高笑いをしている。


「いま僕の術に当たった奴は、全員身に覚えがあるんだろう!? お見通しなんだよ! どんなにそらとぼけようと、言い逃れをしようと、自らの非道な行いを忘れようとだ、過去の罪状がおまえらの魂に、永遠に罪として刻まれているからね!

魂は自らが犯した罪を忘れない。どんなに巧妙に偽装工作をし、嘘をつき、世界中の人間を欺くことに成功しようとだ、絶対に自分自身だけは欺くことはできないんだ。自分の良心にだけは嘘はつけない。不当に傷つけられた傷とは違い、傷つけた罪の穢れは――、絶対に消えない!!

おまえらみたいな虫けらが、のうのうと暮らしていられるなんて世の中狂ってるよ。苦しい、やめて、助けてって、いたいけな者たちの悲鳴が聞こえないかい?

僕はね、虐めっ子ほど憎い存在もないってくらいおまえらが大嫌いだよッ! このこ汚いクソ虫どもがッ! 害虫だおまえらはッ! この蛆虫どもめッ!

あはは、痛いかい? でもやられた側はもっと痛かったんだよ! 苦しめ! 死ねッ!」


これによって瞬時に状況が一変したことは僕も気づいていた。多少の個人的な騒乱はあれどそれまでの穏やかな夜の公園が、たちまち死の恐怖に支配されたのが肌で分かる。

ロベルト侯の放った刃が消えた後、恐怖におののき縮み上がりながらやっと起き上がって確認する地面に倒れている騎士たちの姿は惨憺たるものだった。腕か脚、何人かはその両方がない。ロベルト侯は首ではなく、主に手足を狙ってやったようだ。それは、サンセリウスでは手足を斬り落とすことは拷問刑のひとつとして主流だからそれを倣ったのかもしれない。それとも苦痛を与えるためにわざと即死を避けたのかもしれない。

美しい顔が崩れることも気にとめず、唾を吐き散らしながら怒声を上げ、突然狂ったように暴れ出したロベルト・ウィスラーナ。負傷者の誰かに近づき頭部に蹴りを入れ、顔を踏み潰して大声で笑う姿はまさに正気じゃない。

噴き出す鮮血と地面に落ちたたくさんの手や足、そして立ち込める叫びと血の臭いに、僕はまた気絶しそうになった。が、これまで三回ほど流血場面に遭遇したおかげと言うべきなのか、どうにか気を失わずに持ちこたえた。


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