第302話 蒼月の亡侯爵(10)
「まあそうだろうね」
ロベルト侯はあの指輪をちらつかせて言った。
「だからこそ、そんな残酷な王家の奴らに殺されないためにも、おまえは対策を打つべきだ。今こそ王家に見切りをつけると誓い、この指輪を嵌めるべきだよ。よく考えてみろアレックス。あいつは自分が死にたくないからって、臣下であるおまえを身代わりに生贄にしようなんて考えるような奴だよ。もう分かるだろう。何度でも言うが、あいつは嫌な奴だよ。未成年者の時点でこれだ。末恐ろしい根性の悪さだよ。
きっとフレデリックは、身内から犠牲者を出すのが嫌だから、おまえに白羽の矢を立てたんじゃないかな。つまりよく知らない奴なら死んでもいいっていう寸法だ。容易に想像ができる酷い話じゃないか。そんな輩に忠義を尽くす必要があるのかな?
権力者はおまえの気持ちや家族の心情など考慮しないよ。僕やおまえが往々にしてそうであるようにね」
「……」
「悪いことは言わないから、こちら側に来いアレックス。ローズウッド王家はおまえが考えているほど誠実ではないし、潔白でもない。現在の国体を考えてみれば分かるじゃないか。多くの国民からなけなしの富を搾取して、少数の貴族が贅沢をし享楽的な生活を送る国家体制。国王を頂点とした肥え太った支配階級の地位が揺らがないのと同様に、貧民の努力が報われることもない。逃げ込んだ貧しい隣国の人々に救いの手を差し伸べるでもなく、サンセリウス王は軍隊を置き始めたよ。彼らを駆逐するためにね。こんな無慈悲なやり方があるだろうか!? パンと住処を分け与え、暖かく遇してやるのが人道というものではないか!?
これで少しは僕の話を、信じる気になってくれると嬉しいんだけど。僕の話は、そして僕が志すものは、決しておまえたちが鼻で笑うような浅い内容ではないはずだ」
「……」
「僕は、嘘は言っていないよ。「このことで」嘘を言っても僕には利も損もない。
それどころか僕はおまえに真実や、リスクを含む真実をきちんと教えた。おまえの一族が長年苦しんでいた呪いの正体もこうして懇切丁寧に教えてやったんだよ。
でも、王子たちはおまえに何ひとつ真実を教えず、打ち明けず、それどころか栄転を餌におまえを騙して生命を差し出させようとたくらんでさえいた。こうして僕が視えた内容を話してやらなければ、おまえは危うく警戒さえできないところだった。
考えてみなよ。誰が本当の敵なのか。ローズウッド王家は本当に信用に足る正しい存在か? 僕は本当に悪い奴か? おまえの利益になる話を惜しみなく教えてやった恩人は誰だ?
おまえが正しいと思って下しているすべての判断の根拠は、所詮幼少期から誰かに叩き込まれた、誰かにとってのみ都合がいいストーリーでしかないことを知るといい」
「……、待ってください、その前にまず、呪いの話を聞かせてください。……、つまりアディンセル家の呪いは、その王家にかかった滅びの呪いの系譜を受け継いだものだって言うのか……?」
僕は混乱し、どんどん話を捲し立て誘導しようとするロベルト侯の話を一端遮った。
「そうみたいだね。源流はそうだ」
ロベルト侯は服の襟を直し、それを認めた。
「ただ、おまえらの場合は、性交相手の生命力を奪う形質に呪いが変異しているよ。老王のように愛する家族を皆殺しにする威力はないが、性交した女から生命力を奪い取る言わば吸血鬼状態だな。
それでも弱い女が相手だと、一度でかなり生命を抜き取るみたいだね。ある意味では、王家のそれより悪質かもね。王家のそれは「否応なしに愛する家族から奪ってしまう悲劇」の呪詛なわけだ。サンセリウス王から家族を奪い、追い込むための呪い。それによって何かを楽しめる余地はない。但し他人を害することもない。だが変質型のおまえらは「ある程度自分の意思で愛がない他人からでも吸血可能」だ。
だから性交後、おまえらはやたらと元気になるはずだ。性交の快楽の挙句に身体が元気になるとあれば、男にとってこんなに楽しいことはない。いいことづくめだ。ギル君が節操知らずになっているのも無理はないね。一人の女にだけ情をかけないで、たくさんの女と遊んでいるのも実に合理的だと思うよ」
「じゃあ、つまり、それがアディンセル家の呪いの正体っていうこと……?
それが僕の家系で、妻が死にまくるって事態が代々起こる理由……?」
ロベルト侯は頷く。
「そのようだね。だから悪いことは言わない。その意味でも、おまえはシエラ以外の女とは早めに手を切ってしまうことだよ。大事な女ほど手放してしまうことだよ。
そしておとなしく指輪をしろ。そして暗黒神に助力を乞うんだ。おまえは女を自分の性欲の犠牲にすることに罪悪を感じる性格だろう。女を破壊することを楽しめるサディスティックではない」
「待って、呪いを解く方法は? アディンセル家の呪いは、どう対処をすれば……。解呪法はないんですか……?」
「そこまで知るか」
「だって貴方、僕から何かを読み取って言っているわけでしょう!? そこまで話をしてくれたなら……!」
「だから何? だからってどうすればいいかなんて僕は知らないさ。逆に考えてみればその質問が無意味であることくらい分かるはずだ。
どうにもならないから放置されているんだよ。大国の王家にもかかわらず繁栄とは言い難い悲惨な家系の様相。大陸の雄、泣く子も黙るローズウッド王家がその叡智と財力をかけてこれまで手を尽くさなかったとでも思うかい。手を尽くしても、どうにもならないからなんだよ。呪いをかけた奴が誰かさえ特定できない古い呪いを、解呪なんて夢のまた夢。まあ、この国の建国絡みなんだとは僕なりに想像するけどね。だけど大もとの王家がどうにもならない以上、当然連なるおまえらの呪いもどうにもならない。どうにもならないからこその現状がある以上、もはや只の現象だと思え」
と、ロベルト候はしらじらしい顔と声色で、ふと僕に提案した。
「それとも、呪いを解く可能性としてひとつ試す価値があるとすれば……、おまえがその手で王家を根絶やしにすることだな」
「何だって……!?」
「そもそもがローズウッド王家を呪う呪詛ならば、ローズウッド王家に連なる男系男子を綺麗さっぱり全員皆殺しにすれば或いは、その古い呪いも役割を終えて解けるかもしれないってことさ。
何故なら理論上、現在の「王家」となり得る人間が全員この世から消失したなら、王家を潰したい呪いが存在する意味がなくなるだろう。よって、呪いが消滅する可能性はあると言える」
「確かに、理論上それはあるかも……、でも待って」
僕は鋭く指摘した。
「トバイアが無駄に増やした子供たちのうち、男子はいったい何百人いるんだ!? 何処で何してるか知らないけど、彼らをも全員殺害しない限り、「王家」は再興できることにはならないのか!?」
「なるね」
ロベルト候は頷いた。
「現実にはあの無教養なクリーチャーどもの誰かが王位に就くなんてまず不可能だろうが、理論上は確かに王家の男系男子ではあるね。血統という意味では……。まあでも連中はそういう性質の者ではないし。それであるからこそ高値で売れもする。数に入れなくていいよ」
「それは、どういう意味だ……?」
「さあね……。それは表の世界を生きるおまえが知る必要のないことさ。
とにかくおまえたちは二人でこの指輪をすればいいんだよ。そうすれば、シエラだけは暗黒神の護りを得て、生命力を吸い取られずにいられる。この指輪を手に入れるのには、僕としても苦労したんだよ。これのために、いったいどれほどの対価を支払うことになったやら。とにかくシエラを妻にしろ。僕は年長者だぞ。おまえは素直に言うことを聞くべきだ!」
「そんなっ、そんなどうにもならないことを教えて貰って僕が喜ぶとでも思うのか!? 王家を根絶やしになんてできるわけがない!
アディンセル家の呪いを解く可能性のある唯一のことが、反逆者になることだなんてあんまりだ!
ていうことは、兄さんも僕も一生本当に望む相手と結婚なんてできないって確定したってことじゃないか!」
「別に無理でもないだろう。どうしても何とかしたければ、自分で王家の男系男子を皆殺しにしたらいい。本当に愛する女と結ばれたいのなら、そのくらいの気概を見せてみろ。
前述の通り、そんなに人数は多くないよ。老王と王子、それに親戚筋の連中くらいだ。しかもウィシャート公爵家を除けば、次点のアークランド家ですら二代だか三代だか前の分家だろう。そういう雑魚は、おまえ単独でさえ殺害してまわることは十分可能だ。おまえの気持ちひとつだよ。
僕に従うなら、おまえの本懐を遂げるために僕が助けてやってもいい。どのみちローズウッド王朝の殺害根絶はシリウス様や僕のひとつの目的だ。ああ、アレックス、素晴らしいことに、僕らの目指す目的はまったく同じじゃないか!?
アディンセル家の呪いとやらを解放し、おまえ自身の幸福と、おまえの兄貴の幸福を実現するためには、家系のカルマと呪縛から逃れ、偽物の女でなく、真に愛するただひとりの女と誓いを交わし生涯添い遂げるそのためには――、その手でローズウッド王家を滅ぼす側にまわるしかない! そうとも、それがおまえの運命だったんだ!
ああ、きっとそうだ。シエラがおまえを見い出したのも、きっとそれがおまえの運命だからだ。
それなら今すぐこちら側へ来い、シエラの手を取り、おまえはこちら側に来るべき人間だ。僕らの志は同じだよ!」
だが僕はその手に乗らず、興奮して言った。
「勝手に一緒にするな! 嫌だ、僕は貴方の仲間になんかならない。何が暗黒神だ、暗黒神なんかに係わってたまるか! 望まない結婚なんかしない!
フォインどころか暗黒神にまで魂を売り渡して……、貴方は恥を知れっ!
シエラのことは可愛いと思うけど、愛してるかと言われればノーだ! 指輪もしない!」
「そんなっ、どうして」
シエラが握った両手を胸に寄せ、悲鳴を上げる。
「どうして、どうしてなのっ。どうしてそんなにタティさんのことばかり大事にするのっ……」
するとそんなシエラを抱き寄せ、ロベルト侯がまたけたたましく騒ぎ出す。