第301話 蒼月の亡侯爵(9)
「冗談じゃない」
だが馬鹿げた話をこれ以上聞いていられずに、僕は叫んだ。
「何が暗黒神だ、異教徒め。この上そんな変な呪いみたいなのを押しつけられてたまるか!」
「心配するなよ」
ロベルト侯は挑発的に微笑んだ。
「この指輪を身につければ暗黒神の加護が得られる。この指輪さえしていれば、おまえにかかっているその呪いの効果を打ち消すことができるよ。シエラは指輪に守られ、おまえは心置きなくシエラと愛しあえる。暗黒神の加護の許に」
「なんで、貴方が僕にかかってる呪いについて知ってるんですか……!?
僕に呪いがかかってるって、分かるんですか!?」
「そんなの、見たら分かる。呪われてるなって」
ロベルト侯は思いの外、平然と応じた。
「それは、それは昔からアディンセル家にかかっている……、代々妻が早死にするという呪いのことですよね……?」
「そう」
ロベルト候は頷く。
「いったい誰に!? 誰に呪いがかけられているんですか!?」
予期せずして話の内容がアディンセル家の呪いに関するものに移り、僕はかつてなく動揺した。しかし何故ロベルト・ウィスラーナがそれについて言及したのかも分からず当惑する僕とは裏腹に、彼にとってはそれを理解できることが当たり前のことであるかのような態度だった。
僕は咄嗟にこの話を途切れさせたくはないと感じて、かつてなく彼に真剣に向き合った。
それを見たロベルト候は、皮肉そうに唇を歪めて肩を竦める。
「さあね。それをおまえに教えてやる義理が僕にあるとでも思うかい? ……ま、今夜はシエラの結婚を祝して、出血大サービスだ。視て分かることは、教えてやろう。
僕のリーディングしたところでは、おまえのそれは年季の入った、質の悪そうな呪いだね。呪いに特徴があるので何が大もとなのかすぐ分かった。おまえ個人をピンポイントではなくて、家系全体に係る業みたいなもののようだ。聞いたことがあるだろう、各々の家系が背負う運命みたいな話。家系のカルマみたいな感じになっているようだね。
これにはまず、おまえの先祖の行状が遠因となっているみたいだ。王女の降嫁が何度かあったことが。おまえの家系はプレイボーイが多い。プレイボーイの伯爵が、王女と勝手に恋愛関係になって起こった混乱や結婚――」
「王女の降嫁が原因なのか……?」
ロベルト侯は頷く。
「端的に言えばね。つまりこういう話さ。話は少しばかり大きくなるが、お気づきの通り、ローズウッド王家はこれほどの大国に君臨する唯一無二の王家でありながら直系はあの通り惨憺たる状況だ。老王は七十余年生きてとうとう男子に恵まれず、唯一生まれた一人娘は早死に。保険であった弟王子も青年期に夭折。
だが実はローズウッド王家には、代々そんな夭折が多いんだ。おまえは知らないかもしれないが、ハーキュリーズ五世の親の世代もその親の世代も、王家の状況は現在と大差なかった。何故かほとんどの王家の人間がみんな若くして死んでしまう。直系に近いほど巻き込まれる。長生きするのはいつも当代に一人だけ。後はだいたい夭折だ」
「そのくらいは、僕だって知っているさ……」
僕は神妙に言った。
「そう? さて、ローズウッド王家は過去に極端な近親交配の時代があったことは周知の事実だが、それにしても、それを正してはや二百年。それなのに、未だ王家の夭折率が異常に高いとは思わないか。数代に及ぶ近親婚の後遺症として虚弱な奴が生まれやすい土台ではあるにしても早世率が高すぎる。まるで呪われているみたいだとは思わないか。その通り。それは勿論呪われているからこそ起こっていることなんだよ。ローズウッド王家には、滅びの呪いがかけられているからあの通り子孫が繁栄しない」
「滅びの呪い……?」
僕は訝り、警戒して繰り返す。
「そう。そしてアディンセル家はその呪いの血統を何人かの王女を介して受け継ぎ、幾つかの偶然が重なって、呪詛の効果が今も家系に滞留してしまっているのさ。「王家にかかった呪い」が、おまえの家系では妻の早死にという形で顕在している。本来、この呪いはおまえら一族を標的とした呪いではない。ただ先祖の女ったらしのせいで、君の家系は初期の王女との結婚が目立ち、その初期の王家の血と共に呪いも輸入してしまったというわけさ」
「何だその……」
「ライフイーター。今は老王がそうだ」
ロベルト侯はしたり顔で言った。
「だから老王だけが頑丈で、他の家族のメンバー皆早死にしているんだよ。妻も娘も弟も。家族でいちばん生命力が強かったハーキュリーズが、他の家族の生命力を吸い取ったんだ。それによって家族は病弱になり、ちょっとした怪我や病気で生命を落とす。言うまでもなく、彼は若かりし頃、両親からも生命を吸い取ったことだろう。
自分の愛する家族を生贄にして、一人だけ孤独に生き長らえるという呪いなんだよ、ローズウッド王家の男子にかかっているのは。本流は、サンセリウス王を呪う世にも強力な呪詛なのさ。妻との死別や子供たちの夭折を引き起こす呪詛。或いは強い子供が出現すれば、王自身がそいつに食い殺される。親兄弟で王位と生存権を賭けたまさしく殺し合いをさせるわけだ。恐らく王家を繁栄させないために」
「何故貴方がそんなことを知っているんだ。それに、いったい誰が……」
ロベルト候は首を横に振った。
「それは僕にも分からない。僕のリーディングをもってしても、見透かせない程度の呪術レベルは持つ人物のようだ。
ちなみにハーキュリーズ五世は歴代王の中でも、もともと生命力が非常に強い奴だった。だから壮年期は勿論、老人となった今でも、生命力にあふれるはずの十代の王子にまで勝ってしまった経緯があるようだよ。おまえを生贄に欲しているのは」
「えっ…?」
ロベルト侯は、両手を腰に当て、得意気な顔をして僕をまじまじと見た。
「ついでだから、おまえのために最悪な秘密をもう一つ公開してやろう。只今王子の周辺は、王子を死なせないために、新しい身代わりを探しているみたいだよ。王子の身代わりに死んでくれる者をね。老王の寿命が尽きるまで、王子の身代わりに生命を吸わせる生贄を探しているようだ。そういうのは、年老いた王が後継ぎ息子よりも強かった場合に、緊急避難的に用いられる呪術的対応らしいが。
僕が思うに、その生贄はたぶん君だよ。だから恐らく君には――、某かの不自然な指名と招致が既になされているはずだ。フレデリックの身代わりに、伯爵家の次男程度なら、死んでもどうということはないからね。神族の子孫に無為に殺されないためには、魔界の指輪は是非ともしておいたほうがいいと思うけどね……。勿論、僕が君なら間違っても丸腰で王子の下へ参上するような真似はしない。みすみす殺されに行くようなものだからね」
「不自然な指名と招致って……、まさか……」
ロベルト候は、自分のこめかみに人差し指を当てて言った。
「そこらの子弟の家庭教師じゃあるまいし、王子の教師におまえみたいな素人を要請すると本気で思うか? 何の教員経験も功績もないのに。労働する必要がない身分とは言えダラダラ過ごしているよくいる貴族のボンボンじゃないか。でも伯爵家の次男のそんなおまえの教師ですら、それなりに熟練した教師が選抜されて集められていなかったか。
おまけに、おまえらはウィシャート公爵支持だったんだろう? 仮におまえが何かの学術分野において天才だったとしてもだよ、何の謹慎期間もなくいきなり王子の教育に係わらせるのには勇気を要することだ。あまつさえおまえは代わりの利かないような重要人物ではない。
どう考えても、それはおまえをおびき寄せるための大義名分だと思うよ。おまえを指名したことには別の理由があると考えるほうが自然だよ。内務卿経由でのもっともらしい説明づけと権威でアディンセル伯を黙らせ、おまえを召し出す名誉職まで用意したのは余程の話だよ。勿論教師云々は、おまえありきででっちあげられた話だと思うよ。おまえを引っ張った目的は頭脳でなくてその生命」
僕は思わず唸った。
「確かに、そこら辺は薄々おかしいとは思ってた……。殿下と個人的な親交もないのに、名指しで呼ばれて試験の点数だけで採用って、さすがに……」
「しかもそれだって僕が視るに、即日結果が出る簡易試験としか言いようがない内容だったみたいじゃないか。おかしな話だ。世継ぎの王子の勉強を見るのに、そんな楽ちんな選抜方法があるか? 一般教職を得るのだってそんなもんじゃない。町の学校の先生になるのだって大変なんだよ。
それを、王子の教師待遇で招聘したのにろくな学力検査も課題論文の提出も、おまえの人間性や対人能力を確かめるべく王子への賛辞とおべんちゃらを並べる機会もないなんて露骨におかしい話。だいたい王子の先生をやるんなら、当然権威ある学者先生を通して推薦があるべきところだが、そういう奴もいないんだろう。明らかにおまえに学力なんて期待してない雰囲気。きっとその試験はわざわざ解答なんて不必要で、おまえの名前を書くだけでよかったに違いないよ」
まさしく彼の言う通りだった。侯爵の話には正当性があり、僕は図らずも話に引き込まれざるを得なかった。そもそもが、何故僕なのかという疑問は残るものの……。
殿下に接見できる資格という意味においてそこそこ血筋がよくて、かつ勉強ができるなんて程度のよく分からない条件で、なんで僕が呼ばれたんだろうとは思っていたのだが、そもそも勉強が目的でないとしたら何故僕に白羽の矢が立ったのか――?
トワイニング家の血が入っているから……、実は僕には最古の公爵家の血が流れている、その辺のことなんだろうか。でもそれならバンナード公子でいいはず、いや、バンナード公子は殿下にとって重要人物だから潰すわけにはいかず、それで代替品としての僕か……?
それとも僕の身体の中には王家と同じ滅びの呪いが流れている、これに何かしらの意味があるというのだろうか?
考えたところで真相が分かるべくもないが、確かなことは、僕の生命は王家の方々にとって、すごく軽いってことだ。
「このままでいいのか? おまえは唯々諾々と王子の側になんか仕えたら、あっと言う間に生贄に仕立て上げられてしまうよ。フレデリックの身代わりに、老王に死ぬまで血を吸われ続けることになるよ」
僕の深刻な表情を読み取ったのか。ロベルト候は、声色で僕を脅かすことに余念がない。
「どんなに忠義を尽くしても、奴らはおまえをゴミクズくらいにしか思ってなどいないのだから。おまえが今おまえの周辺にいる連中に対して抱く感覚を思えば、同様に王子がおまえに対してどの程度薄情になれるか想像がつくはずだよ」
「だ、だからと言って、それが事実だったところで、僕が断れる性質の話じゃない……」
僕はうつむいた。