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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第12章 佳客
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第300話 蒼月の亡侯爵(8)

「酷い女だねえ」


すると案の定、すかさずロベルト侯がシエラに同調する。


「まったくふしだらな女だよ。可哀想なシエラ。男の性欲につけ込んで近づき、まんまと妻の座に納まろうとしている業突く張りの淫乱のほうが、清らかなシエラよりみんなに信じて貰えるなんてどんなに絶望したことだろう。

知り合いすらいない完全アウェーの城で、シエラは本当によく頑張ったよ。どんなにつらかったか。どんなに心細かったか。

なのにそのお妾さんはまるで自分が可哀想みたいな顔しているんだって? ぬくぬく暮らしていてそれはないものだ。シエラのほうがよっぽど可哀想だ」

「そうなのよ」


全面的な支持者を得たシエラは、それに強く頷く。


「私のほうがタティさんよりずっとずっと可哀想なの! ずっとずっと、ずっとよ!

でもタティさんは周りの同情を引きたいだけよ。アレックス様のお部屋には侍女仲間の友だちがいるし、ハリエットさんだってしょっちゅう来るのに。アレックス様に守られて、いつでも帰れる実家があって、お友だちもいて、好きな人のお城に我が物顔で暮らしていて、彼女のいったい何が可哀想なの? あんな人、ちっとも可哀想なんかじゃない!」

「またそんな……」


これ以上この話を続けても、もうどうにもなりそうにもないので、僕はそろそろ部屋に帰って休みたかった。確かに多少、その場凌ぎのリップサービスのつもりで、シエラに好きだとか言った覚えはあるが、別に手形の残ることじゃないし、シエラのことだからすぐ忘れるだろうと思っていたのにまさか兄妹で責め立てられるこんな話になろうとは……。

僕が何を言っても話を取りあって貰えないのが問題だった。


「そうだねシエラ、おまえがいちばん可哀想だよ。いつも可哀想な思いをしていたのは、シエラなんだよね」

「そうなのよ」


シエラは幼い子供のようにこくん、と頷く。


「だけど安心しなさい。昼間に随分なことを言われたみたいだが、おまえのようにしょっちゅう周りに嫌われる女というものは、実は概して性悪ではないものだよ。不器用で上手く立ちまわれずに、そんな立場に追い込まれるだけ。誰かの都合によってね。

分かる人には分かってるよ。本当はどっちが悪いかなんて。その証拠に、いつの時代も虐めっ子に限って、何故か周りに大勢味方がいるものだろう?

そして虐められる側は大概、ほとんど味方がいないか、独りぼっちだ」

「お兄様……」

「タティが悪いみたいに話を持って行くなよ。妹に何を吹き込んでいるんだ」

「いいえ、貴方はあの人に騙されているの!」


だが僕の困惑した気持ちとは裏腹に、シエラは一生懸命、事の重大さを何とか僕に分からせようと訴える。


「お願いよアレックス様、邪魔する者など誰もいなかった、貴方と私、二人だけだったあの幸せな時間を思い出して!

二人で過ごした時間は、貴方だって、とても楽しかったはず……!

私には、どうしてこんなことになってしまったのかが分からないの。どうして私がお城から追い出されなくてはいけないのかが……。どんなに考えても理解できないの。どうして私がこんなみじめな思いをさせられるの!?

幸せな日々が……、結婚する日を待ちわびて貴方と暮らしていた幸せな日々が、タティさんが現れたせいで滅茶苦茶になってしまってっ……。

お城の召使いたちさえ、あの日を境に私に白い目を向けるようになってしまった……。

みんなが彼女に同情しているのよ。だから、まるで私が悪い子みたいな立場になって……」


シエラは例の、あの潤んだ眼差しで僕をみつめる。


「だけど彼女は魔女なの。悪くて醜い魔女なのよ……。

だから私、決めたの。そんなこと絶対にさせないって。私、負けないって決めたのよ。

名門ウィスラーナ侯爵家の名にかけてっ……、アレックス様のお嫁さんになるのはタティさんじゃありません。私ですっ……!

だから私、貴方が私を選ぶと約束してくれるまで、絶対にここを動かないわ!

どんなにお腹がすいて、雨が降っても、びしょぬれになって、風邪を引いても……、貴方が私を選んでくれるまで、貴方がタティさんと別れて私と結婚すると言ってくれるまで、私、ずっとここにいますっ!」


そしてシエラは真珠の縫いとめられた靴で、足許の地面をたんと踏み締めた。どうやら自分の要求が通るまで、駄々を捏ねると言っているらしい。やはりお兄様が味方についたことは大きく、ここにきて彼女は俄然自己主張を強めていた。


「えっ、そんな我侭言うの!?」

「アホか。お姫様が外で暮らせるわけねーだろ。もおーっ。こんなしょーもない恋愛絡みの揉め事に終日振りまわされて、まだ晩飯を食えていない僕ちんがいちばん可哀想だよ。

お坊ちゃま君なんか、そんなむきになってしがみつくほどの男かって。もうタティをぶっ倒すのが目的になってんじゃねーか。ブスに競り負けたのが我慢ならないんだろうけど落ち着けって」

「いいからあんたは黙ってなさいよ。話がややこしくなるから」


ロベルト侯が、リズムを取るように首を傾げ、シエラと、次に僕を順々に見た。


「だってさ。僕としては、シエラを他所の男にくれてやるなんて本当は嫌なんだけど。でもどっちみち、シエラをこのままの立場にはしておけない。

何しろこのサンセリウスという国は、女は一人で暮らしていけない仕組みになっているからねえ。女が一人で生きて行こうとすれば、明日の食事にも困るような暮らしになってしまう。

セリウス王はこんな国家を作りたかったわけじゃなかったろう。すべての人々が富を享受でき、笑顔で安心して暮らせる夢の王国、天の王国を地上に映したような美しく幸福な理想郷を作ろうとされたというのに、不出来な子孫どもが建国王の意志を継がなかった。私利私欲に走り、結局は前王国を踏襲したような、従来通りの既得権が築かれた。

だけど明日のパンにも困るような暮らしをね、シエラにさせるわけにはいかないんだ。分かるだろう。特に男に身体を差し出して稼いだ金でパンを買うようなみじめな真似は……、させられないんだよ。

だけど今のシエラは貴族籍があるだけの、みじめな立場だよ。この子は弱い娘だ、到底一人では生きていけないだろう。何とか、ましな夫をみつけてやらなければ……、そこに出て来たのが君だ。

内気な可愛いシエラがこれほどに強く君を望んでいるんだから、僕は兄として、せめて全力を尽くしてあげなきゃいけないよね――」


ロベルト侯は言うと、懐から何かを引っ張り出した。それは指輪のようだ。街灯の赤い光に鈍く染まる、赤銅色をした二つの指輪を、指先に摘んで僕に見せる。


「だから、おまえにはシエラとの結婚を命ずる。これは君たちのための特別な結婚指輪だ。ご期待通り魔界製の強力な魔法の指輪さ。暗黒神の御名の許に……、二人は永遠に結ばれる」


それを聞いたシエラがぱっと顔を輝かせる。

確かに魔界製と言った物騒な言葉が聞こえていなかったのか、理解できなかったのかは分からない。


「まあっ、二人が永遠に結ばれる魔法の指輪!? 嬉しい!

私、ずっとそういうのが欲しかったの。タティさんが持っている物より、ずっと重要で、ずっと意味のある特別な指輪が欲しかったの!

お兄様がシエラたちのためにプレゼントしてくださるの!?」

「それだけじゃないよ。今夜アレックス君は、シエラと正式に結婚してくれることになる。彼はどうしたって自分から、今この場でおまえを妻にすると決断することになるだろう。今はふざけたことをぬかしているが、すぐに是非とも結婚させてくれと、おまえを懇願するはずだよ」

「タティさんではなくて、私を?」

「そうだよシエラ。まあ見ていればいい。僕の言った通り、アレックスは五分後には自分の意思でおまえを妻に選ぶよ。絶対にね。この僕が現れたからには、これまでのようにシエラにばかり不利な話にはならないんだよ。

でも、そうなっても、残念ながら言葉だけでは僕はまだ奴のことを信用することはできないんだ。僕があいつを好きなわけじゃないしね。

だから、一度嵌めると二度とはずすことができないこの特別な結婚指輪を、約束の証明に嵌めて貰おうと思う。これは強い恋の呪力のかかった指輪でね。暗黒神の御力により恋愛作用を引き起こす。

恋の媚薬が二人を結びつけるこの指輪を嵌めていれば、四の五の言っているあいつでさえ、だんだんとシエラが愛しく思えるようになっていくという魔法の品だよ。

この指輪を嵌めた男女は、たとえ本心が泣くほど嫌であろうと……、暗黒神の呪力によって相思相愛の熱烈な関係から逃れることができない……。

さあアレックス君、こちらに来て。シエラの横に。これから結婚の誓約をして貰う。僕が若い二人の結婚の証人になるよ。

こんなにも美しく純情な娘を妻に迎えられることを有難いと思え!

こんなすごい美人は、おまえごときじゃ普通は手に入らないよ」


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