第298話 蒼月の亡侯爵(6)
「それは……、事実なんですか。本当の事実なんですか。つまりトバイアの子供を孕まされたのって、それって、一人だけじゃなかったんですか……」
僕にとってはこれは大きな問題であり、これまで僕の中でどうしても解決がつかなかったある問題に対する、明確な回答となる言葉だったのだ。
確かに、途中からおかしいとは思っていたのだ……、偶然にしては話が出来すぎていると。
するとロベルト侯はイライラした口調で、あきれたように高い声を出した。
「まさか、一人なもんか! おまえはトバイア公がそんな遠慮深い奴だと思うのかい?
だとしたら君はまだ若いね、悲劇に夢を見過ぎだよ。彼は男たるものの欲望の赴くままに、やりたい放題をやっていた」
「ええ……」
「となれば結果がどうなるかは、語るまでもないことさ。浮気性の男が一度だけの浮気で収まりがきかないのと同じことさ。一度やったら何度でも際限なくやりたいのさ。
そしてそんな乱れた性交の結果、公爵の女たちは次々妊娠し……、僕は彼らを直接見ていないけど、生まれた子供の数も当然母親たちの数に比例する。少なく見積もって数百名はいたらしいよ。となれば子供の数も」
「は、母親の数に比例するって……」
「そうだ。こんなの、常識で考えればすぐに分かることだろう。トバイア公に何を求めているんだ? 倫理を期待するつもりか?」
「それは、例の飼育場で……?」
「あそこは客人を招くための施設でもあったから、他に比べれば地獄絵図ではなかったはずだよ。とにかくゲストと人質の女をいたぶるための施設らしいから。でも、他にも色々とあったみたいだよね。快楽優先の施設。とにかく女がたくさんいて、妊婦と乳幼児だらけの場所とか。そこで暮らしている子供らが、全部自分の子供だって言うんだから、男としてはさぞや壮観だったろう。女はすべて自分の女、子供はそれらに産ませた子供。男の妄想を実現するにもほどがある。いろいろゲスな呼び名がついていたみたいだ。この国の無能な公安がそれらを掘り出す前に、ゲイリー伯という男が指揮を取って爆破している。あいつは忠義者だよ。主人が死後に汚辱をさらさないために、迅速にこの世から証拠を抹消した。哀れな女たちも、勿論妊婦も。既に誕生していた公爵の血を引く子供たちは、そのときの殺処分を逃れたようだけどね」
「そんな……」
僕は唇を噛んだ。これはつまり監禁されて孕まされていたのは、アレクシスだけではなかったという話なのだ。閉じ込められていた女性たちのうちのかなりが、妊娠出産を強制されていたという衝撃的な話だった。しかも常識的に考えれば、それが一度だけでは済まなかった女もいたかもしれない。
だが落ちついて考えてみれば、ロベルト侯の話は至極まっとうな内容でもあった。おかしな話ではあるが彼の話は非常に「常識的」だった。
そんな行為を日常的にされていたのなら、女はいずれ妊娠するのが自然な流れなわけだ。トバイアならばとにかく己の快楽だけを最優先するであろうし、ましてや女たちが妊娠しないように配慮したとも思えない以上、ロベルト侯の話が作り話とは思えない。
とても信じられない話だし、正気とは思えない所業だが、それでもあの男ならやりかねないという気もして、妙に納得してしまう自分がいた。逆にアレクシスだけがトバイアの子を産んだという話のほうがおかしいくらいだ。考えてみれば、そっちのほうが話があわない。トバイアは大勢女を閉じ込めて、楽しんでいたのだから。
これは誰か特別な想い人を囲っていたというロマンチックな恋愛話じゃない。こうして全体像が理解できるとその事件性と異質さが見えて来るが、これは純然たる男の性欲目的で、見た目の気に入った、よさそうな女を大勢さらって来ては、次々檻の中に閉じ込めて家畜のように番号をつけ、順番に性交を楽しんでいたというのがこの事件の真相なのだ。女の名前などどうでもいい。この国に古くからある、有閑貴族が女をさらっては檻に閉じ込め、地下で弄ぶ紳士ゲームが……、トバイアの半端でない権力と財力と欲望のために、醜悪に肥大化したものなのだ。
そして……、そうなれば生まれた子供は当然、マリーシアだけではないことになる。この証言を信じるとすれば、トバイアには、それ以外にも少なくとも「母親の数と比例するほどの」子供がいたということになるのであれば……。
僕はまだすべてを飲み込むことができなかったが、つまりこういうことだろうか。正式の妻である公爵妃の生んだ嫡出のオーウェル公子と、フェリア王女に産ませたフレデリック王子、そしてフェリア王女に見間違うほど顔が似ていたマリーシアの三名は、実は父親を共通する血を分けた兄妹であり、彼らだけは――、その特殊性ゆえに、例外的に陽の当たる場所に立たせて貰えただけの話だったのだ。
だがそれ以外にも大勢の女が、当然ながら子供を出産しているのが現実で、それらは何もアレクシスだけに起こった悲劇ではないという話のようだ。同じ目に遭った女が少なくとも数百名規模で存在し、それに近い数だけ子供も存在する。
暴力によって誕生した、誰からも祝福されない子供たち。子供と言っても既に上は二十代、トバイアの年齢を逆算すると三十近い者もいるかもしれないが、とにかく何百人もが……、何百人も子供がいるのなら、もしかすると管理者が、母子の名前を取り違えることだってあるかもしれない。アレクシスの家族名が大して調べられもせず、書類に記載されないままになっていたように。それだけの数の女性や子供がいて、管理者が愛情をもって接しておらず、或いは杜撰であればあり得る話だ。
母親と子供の母子関係を……、欄を間違って記入する程度の間違いは……。
あれが神官姫だと、間違いないと、ルイーズを示して囁き合っていた二人の男の会話が脳裏をよぎる。
「……」
確かに――、僕は悲劇に夢を見過ぎていた。
事実は想像を遥かに超えて生臭くしかも陰惨であり――。
お伽の世界の悪者が、何故かそれほど暴虐を尽くさず、適当なところで都合よく悪事を切り上げたりセーブするような辻褄のあわない話は、現実にはないのだと思い知った。
現実の世界では、悪い奴は、とことんやるのだ。
現実の世界では、悪い奴は思いつける悪逆の限りをとことんやる。
「その……、大勢の子供たちは今はどうしているんですか……?」
僕は慎重に訊ねた。
ロベルト侯は小首を傾げる。
「さあ? 彼らのことはシリウス様が、管理していたようだけどね。もれなく王統の血を引く上等な子供たち……。でも僕は知らない。関知してない」
「でも母親と引き離して別の場所に置き、殺処分をしなかったということは、利用価値があるということではないですか? 女子はともかく、男子は……。彼らは紛れもなく、王統に繋がる男系男子の集団ではありませんか!」
僕の弟がその中にいるかもしれないんだと、僕は確信していた。
アレクシスが産んだのはやはり男子だったのだ。
もし女子であった場合には、死産だったかそれとも小さいうちに死んでいるということになるだろう。そうでなければ辻褄が合わない。
思った通りだが、やはり僕には現在十五歳になる弟がいる可能性はあっても、妹がいる可能性はゼロだ……。
「言われてみれば、そうなるね。すごい話だ。もし彼ら全員に領地をあてがっていたら、広大なるサンセリウスといえどもさすがに土地がたりなくなるね。
トバイア公は強いなあ。精力旺盛。まさに種馬だ。男として、僕も見習いたいよ」
ロベルト侯はクスクス笑った。
「公はご立派だ」
僕の弟が存在するなら……、彼は恐らくマリーシアと生まれた日付が近いのだろう。ふた親の容姿を考えれば、かなり見栄えのいい美少年である可能性は高い。名前は皆目見当もつかないが……、こんなことってあるだろうか?
これまで誰ひとりとして、彼の存在を想定すらしていなかったなんて……。
彼はこれまでどんなことを考えて生きて来たのだろうか?
「トバイアはいったい何を考えていたんですか!?」
「繁殖のことじゃないのかな? なんてね。……恋しい王女の面影を追う、悲しき男ってところなのかな……。感傷的に言えばね」
「そもそもトバイアが死んだのになんで奴の魔術師が生きていられるんですか!?」
「それはシリウス様が、全知全能の女神に最も近い御方だからさ。あの方ほどの男が、トバイアごときの死の干渉など受けはしない」
「彼は……、建国王って、貴方はおっしゃいましたがそれは本当に事実なんですか……? 本当に……?」
「これ以上を知りたければ、まずは僕におまえを信用させて欲しいね」
言って、ロベルト侯はシエラの肩に手を置いた。
「まずはシエラと結婚だ。それからおまえを僕の義弟としてシリウス様に紹介しようじゃないか。
それに僕からもひとつ、おまえに大切な話があるんだよ。いま話したことなんて、所詮僕らにとっては他人事だ。そんなの全部どうでもいいと思えるほどに、僕と君にとって重要な話があるんだ」
「今のとんでもない話よりもっと重要な、話……?」
「そうだよアレックス君。だけどそれは今からシエラと結婚して、その後のことだ」
「待ってください、でも、そんなことを急に言われても……、僕には結婚すると約束した相手がいるんです」




