第297話 蒼月の亡侯爵(5)
「それに貴方はウィシャート公をボロクソ言ってるけど、彼は少なくとも軍才はあったはずだよ。公爵の指揮で、旧バルフォア王国騎士団の反乱蜂起を壊滅せしめた話は有名じゃん。捕まえた敵兵への容赦のなさも有名で、ある層からは絶大な支持を集めてる。まあ王女の件について庇う訳じゃないけど。
そもそもマスター・シリウスが建国王っていうのがまず怪しい。七百年間生きた話なんて誰も確認検証できないんだから、幾らだってふかせる話だし。
まあでもそっちのほうが面白いから仮にシリウス師が建国王本人だと仮定して――、貴方は確か、建国王は秘術を用いて若返ったと言ったが、それがあるならそれこそ何故イシュタルは天界に帰った? 帰らせる必要なんてない、イシュタルの目の前で若返ってみせればよかったじゃん。それができなかったのは、つまりイシュタルに申し開きできない入手経路で入手した魔法の可能性があるわけだ。
となると答えはひとつ、建国王は死ぬ間際に、魔界と取引した可能性が高いって話になる。大国の英雄クラスの人間の前には、地獄の悪魔も現れる。ましてや女神を妻としていたなら、かねてより魔界から重要人物として目もつけられただろう。
おおかた永遠の生命を与えてやるとでも囁かれたんじゃないか。そのてのことは、権力者の前に現れる悪魔がよく持ちかける定番の誘惑話だ。しかも年老いた権力者で、それを持ちかけられて飛びつかないだけの潔癖さを持つ奴が果たしてどれだけいるか。晩年の支配者が何をしてでも求めたがるのは、不老不死が定番だろ。
更に陰謀論的に言わせて貰うと、仮にマスター・シリウスが建国王っていうところまでは真実としてだ、彼の望みはそれ本当に理想郷を築くためかな? 悪魔に魂を売って七百年間も生に執着する動機が無私による理想郷の構築。うーん? ちょっと納得できない。
本来の寿命を魔法で延ばして七世紀も生き長らえるなんてこと、そもそも夢と理想に輝く人間のすることとは思えない気がするんだが? 古今東西善なる英雄がそんな往生際の悪いことしないだろ。
てことで現時点の材料で、軽く結論。死を遠ざけ地上に君臨し続けるために、彼は晩年、王道を棄てたんじゃないか?」
オニールは言い切った。
「聖イシュタルが嘆いて建国王から離れた理由は実はそのため。
確かに建国王とその妃の世紀の大恋愛が、さもまことしやかに今でも大劇場で上演とかされてるけどさ、あれなんて何かもう恋愛だけを強調しすぎて身体が痒くなりそうな感じなんだよね。でも一国の王ともあろう男が、女とそんなアホみたいにイチャイチャするかよと思うし。あり得ねーよ。しかも女のほうも只のアホ女じゃないからな。
有史以前から存在している神ともあろう存在がだよ、人間の老いを理解できずにおろおろするなんてそんな小娘みたいな態度取るかね? その言い訳はどう考えてもおかしいんじゃないの?
真相は晩年の建国王が生と権力に執着するあまり、道を踏み外したことに嘆いて、妃は離れていったんだよ。かつて女神が心惹かれた理想に燃えていた若い革命家も、老いては凡王と変わらず自己保身に走ってしまった。サンセリウス王国の過去の歴史家どもは、この残念な事実を、美しい王妃との恋愛物語とすり替えて上手に隠蔽したんだろうけどな。普通に考えて、夫が死んだからって何もイシュタルがこの地を去る必要はないわけでさ。だって自分が生んだ王子と王女がいるんだから。母親が暮らし続けたって構わないだろ。何か立ち去るためによくよくの事情があったはずだ。
真実は、夫の醜態に愛想尽かして逃げたのが真相だろう。旦那の醜態に女房が愛想尽かして家をおん出て行くなんて、何処の家庭にも存在するような話と同じでさ。
シリウス師が言うことより、僕の言うことのほうが、遥かに辻褄も合うし、極めて真実を突いていると思うんだけどね。
どうよロベルト・ウィスラーナ侯、あんたの嘘八百より、この僕の推理こそ、ぴたりと事実に符合してるんじゃないか?」
これは、あまりの礼儀知らずな展開だった。
ロベルト侯が眉間を押さえてオニールを睨んでいたが、しかしオニールはまだ勝手に発言を続けた。返答を貰えなくてもお構いなしでしゃべり続ける度胸だけは認めてやるが、ひとつ分かることは、こいつはもう完全に、ロベルト候のこともなめているということだろう。こいつの悪いところは兄さんとかジャスティンとかの、怖い人が相手だと、ちゃんと礼を払うのに、相手が地位や性格的に脅威でないとなると途端にこうなるところだ。
しまいにはこんな悪態もつき出した。
「はぐれ侯爵は返事なしかよ。さっきから目も合わせねーところを見ると、侯爵は僕みたいなチャラいタイプは苦手らしいな。
これは女相手にびびらして威張ってるだっせータイプじゃないの? シエラたんお兄様の顔色見っぱなしなんだけど」
そして勝手にカイトに話し出す。
「それと実はひとつ、前から疑問だったことがあるんだが、それについては今の話で少しは納得がいった気がするが」
「何です?」
するとまた馬鹿の一つ覚えにカイトが聞く。
「マスター・カタリーナのことだが」
「ふむ」
「若すぎるって、いつも思うんだ。若すぎる。だって陛下の幼少期からの専属なんだから本当なら相応に七十歳代の老婆のはずが。誰もカタリーナを老婆だとは認識していない。実際に、彼女は老婆には見えない。十代の娘がいておかしくない年代の女に見える。でも額面上の計算では、カタリーナは陛下より年上なんだ。この矛盾は何だ? と、僕は思うんだよ。でも、少しすると忘れる。で、また思って、また忘れる。
で、僕はあるとき日記を確認したら、カタリーナ師が若すぎるという記述を何年も前から延々書き続けてた。僕は何十回もこのことに注意を払っていたのに、その度にすっかり忘れてんだよ。なっ、おかしいだろ? 本物の陰謀のニオイがぷんぷんするだろ?」
「つまりおたくの記憶に誰かが干渉しているってことですか?」
「たぶんね。もしかして、僕は国家に監視されるほどの重要人物なのか……。陰謀を嗅ぎつける僕の類稀な才能から言って、そうじゃないかとは思っていたわけだが。それともこれは誰も気づいてはいけないことなのかもしれない。それとももしかすると、僕は過去や未来を垣間見られる特別な存在なのか――。いずれにせよ、この会話をしたことも、すぐまた消えるだろう」
「確かにそれは気がつかなかった。考えすらも及ばなかったと言うか。そんな生活に関係ない余計な陰謀まで考えて生きるほど暇じゃないと言うか」
「でも絶対若返ってる」
「つまり、彼女もまた秘術を用いて若返ってると?」
「そう。で、今あっと思った」
それで僕は思わず自分の頭を押さえた。オニールに場を引っ掻きまわされたことに急に心細くなったわけじゃない。先だってのロベルト侯の返答によって、僕の中に急激に広がったある重大な疑惑を、どうしてもどうしても考え、遂には口にせずにはいられなくなってしまったのだ。
「それじゃ、悪魔と取引した人間が今まさに中枢にいるって話になりませんか」
「そうよ。王家に仕える天才カタリーナも実は悪魔の使いかもしれん。だからこその天才カタリーナなのかもしれないぜ。先のコルヴァール大隊数千騎を丸焼きにした火力も、魔界絡みなら納得いく感じするじゃん。外国兵とは言え数千人を、一撃で生きながら焼き殺しておいて平然としてたってカタリーナ様の噂のアイアンハートも然り。
こうなると、実は事実はすべて逆ということもある。たとえば王子の母親とされている女だが。彼女は実は王を寝取った淫売なんかじゃなくて、悪魔に目をつけられた聖王家を守る聖なる使命を帯びた女だったかもしれん。でも悪魔は正しい存在をこそ貶めるから、大いなる危機に挑んだ勇敢な侍女を毒婦に仕立てて歴史にその汚名を刻みつけた。
でもかねてより僕が主張し、かつロベルト侯も証言するように、王女が王子を生んだならだよ、女ひとりに対する罰としては、彼女が受けた懲罰はどうにも重すぎる。ただ国王の愛人してたくらいであそこまで吊るし上げられないよ。まあそれでも国民から侮蔑対象にはなるだろうが、外も歩けないほどにはならないさ。彼女は悪魔にとって敵だったからこそ、あそこまで問題を盛り上げられ、凄絶に貶められたとは考えられないか。
王女の婚前妊娠も、何故かそいつが被らされたわけだろ? 年齢的に厳しくても当時は王妃様が健在だったんだから、王妃の子としてもよかったのに。王妃様も娘のためならそのくらい受け入れただろ。なのに、わざわざ存在しない犯人をでっちあげてる。それは、その侍女が、悪魔をおびやかす聖なる存在だったからとは考えられないだろうか?
そして王子も妾腹呼ばわりで、ガキの頃は随分軽んじられた。でも真相は侍女でなく、フェリア王女自身が生んだなら、わざわざ国全体にそうやって幼い王子をよってたかって貶めさせる理由は何だ? そう、王子もまた悪魔の敵対者だからなんだよ。
今しがた、シリウス師に傾倒する侯爵が王子の正体は悪魔だと言わんばかりのことを言っていたが、これこそ劇的なパラドックスであって。
さすがに王家の男系男子をぶっ叩きすぎると国民にこれはおかしいとばれるから、母親の血筋が悪いという父系主義者のサンセリウス人がいかにも喜んで食いつくような罪科を、王子になすりつけたんだろうな。
その線で行くと、王子は実は半神という可能性くらいはあるな。悪魔どもがむきになって王子を下げていたとすれば。イシュタルは女性神とされているが、神なんだから女を妊娠させることくらいできるかもしれないし。何せ時代は世紀末だからな。何でもありだよ」
「そこまで行くと、何が本当かさっぱり分からんですが」
「常識を疑うことから陰謀論は始まるんだよ」
「あんたそれ自分で言ってて纏まらんでしょうに」
僕はショックを受けていた。
「……、……トバイアが王女様を孕ませたっていうのは、これは僕の聞き間違いではないんですか」
やがて僕は冷や汗を流しながら言った。




