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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第12章 佳客
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第296話 蒼月の亡侯爵(4)

「いかにも。そうだよ」


ロベルト侯は首を振る。


「つまり、今回の貴方の問題には奴が絡んでいる?」

「いいや、トバイア公は関係ない。おまえは何だか彼を毛嫌いしているようだけど、僕とトバイア公は関係ないさ。僕が崇敬しているのはシリウス様本人だ」

「トバイアの魔術師程度を、侯爵だった貴方が崇敬?」


話が理解できずに僕が訝ると、ロベルト侯は殊更自慢げに口許を綻ばせた。


「ああ、可哀想に、君は真実を何も知らない哀れで無知な凡人なんだったね……。

まあ近い将来明らかになることだから、この機会に先だって教えてあげよう。何故ならシリウス様とは、誰あろうセリウス王本人だからさ。建国王相手には、これは誰だって跪かずにはいられないだろう」

「何だって?」

「建国王の死によって幕を閉じる涙の建国譚には実は続きがある。彼は……本当は死んでない。あの頃から現在まで七百年間途切れることなくこの世に生き続けている」

「何を寝言を言っているんだ……、人間が七百年も生き続けられるわけないだろう。でたらめ言うな」

「アレックス、まあ話を聞けよ。もっとも信じたくないなら、それでも全然構わないけどね。でも事実としてはそうなんだ。

では、何故イシュタルは去ったか? その真相にも僕は明確に答えよう。

それは、星の女神は老いが理解できなかったそうだよ。シリウス様の話によれば、当時急速に老いさらばえて衰弱していく愛する夫を見て、可憐な彼女はただただ混乱し嘆いていた。建国譚で語られている通り、聖イシュタルはやがて夫が老齢となっても、彼女自身は出会った当初のうら若い娘の姿のままであった。ほんの数十年で老人になってしまう人間という種族の変質ぶりに、頭では分かっていても、心は到底ついていけなかったらしい。そして愛しい妃があまりに嘆き悲しむ姿を見ていられなくなった老いた英雄は、その寛大な精神から、己が死んだことにして、女神を苦しみから解放してやったそうだ。

愛しあう夫婦とて寄り添える時間は永遠ではない。結んだ心は永遠でも、神と人間とでは生きる時間がまるで違うという意味での、悲劇の別れだったんだよ。シリウス様は深い愛情から死んだ振りをして妻を故郷へと帰してやった。立ち去り際、横たわる夫の亡骸に、憔悴した女神は囁いた。おいそれと叶わない願いでも、建国七百年のときに、再び再会が叶うように、天空の星々に儚い願いをかけると……。

つまり彼女はこれからも夫を愛し続けると誓ったんだ。そして――、それが夫婦の別離の真相だ。建国王の思いやりによって、女神を手放したというわけさ。

だが彼はその当時から現在まで、一度も死を受け入れることなく現在もこの世界に生き続けている。女の涙には弱いが、志を貫徹するまでは死ねないという思いから、彼は地上に立ち続けたんだ。約束の七百年後、もし再び女神と出会うことがあるなら、男として彼女を失望させたくないという気持ちも勿論あった。

彼の志とは即ち若き日に思い描いた原初の夢、この地上に理想郷を、永遠のエデンを出現させることであり――」


ロベルト侯は引き続き力説した。


「そしてその夢の実現のために、女神と別れて以降、七百年の長い時をシリウス様は一度も死ぬことなく流浪した。秘術を用いて若返ると、あるときは商隊の一員となって各地をまわり、民草の習俗や倹しい生活を学ぶ放浪の人生を経験し、またあるときには学者の若者となって勉学を突き詰めることに生涯を費やした。敬虔な神父。荒くれた傭兵。貧乏人。金持ち。ありとあらゆる立場の人生を経験し、この世の理想とは何かを追求されたのだ。まさに執念だよ。執念で七百年間この世にとどまって様々の経験や知識を集め、探求された。すべては若き日の理想の実現のために……。

そして……とうとう来たる四年後に、約束の建国七百年は迫った。七百年や千年という数字は、古くより星神イシュタルが重視する節目のひとつでもあることは諸兄も知っての通りだ。その時イシュタルは恐らくこの国を御照覧あるだろう。

つまり、分かるね――、今こそ時は満ち、不心得にも王位を牛耳る不遜ハーキュリーズ、フレデリック親子を打倒し、シリウス様が再びこの国の王となる時が来たんだ!

僕はね、どん底の地獄で這いまわっているところを、あの御方に拾って頂いたんだよ。そして今は彼に師事し、その二度目の戴冠の手助けをするために働き、毎日が充実しているというわけさ。

シリウス様はあの見た目に反してとても親切な方で、何処でもつまはじきだった僕を肯定し、重用までしてくれる恩師だ……。

シリウス様がサンセリウス王に返り咲いた日には、さて、この国が、ひいては世界がどんな理想郷になるだろうかと思うとわくわくするんだよ! 僕はシリウス様の理想のために戦う烈士にして重臣だ!

恐らくかつて前王国が打倒されたときと同じように、私欲を貪る現在の王侯貴族は軒並み処刑され、新たにシリウス様の理想に殉じる志高き者たちが、新しい国家の柱となるべき貴族階級としてその名を列することになるだろう。そして僕は間違いなくそのうちの一人となる約束だ」

「過去の王の亡霊に感化されて移民政策をやったのか……? でもシリウスっていうのは所詮、トバイアの手下にすぎない奴だぞ」


僕は慎重に言った。

するとロベルト侯はそれをせせら笑った。


「馬鹿だなアレックス。だから土台からしてトバイアなんて問題じゃないんだよ。おまえは未だに彼の影響力にこだわっているようだが、あんな奴は何の意味もない。あの御方に比較すれば、トバイア公なんていうものは最初から傍系のゴミみたいなものなんだ。

それが証拠にトバイア公は王女を犯して、子を孕ませた外道だよ……」


ロベルト侯は幾らかの同情を込めて語った。


「皆が見ている前で逃げ惑う王女を捕まえ、伸しかかることもしばしばだったそうだ。そして嫌がる王女を無理やり寝室に引きずって行く……。女というのは本当に可哀想だよ。せっかく美しく生まれても、妙な男に目をつけられただけで人生終了。望まない妊娠の挙句生命まで落としてる。王女様のホワイトナイトが現れる前に処女も散らされ、さぞかし無念だっただろう。しかしその様子について、何人も証人がいるんだからこれは確かさ。容姿のいい男の性格がクソだった場合の典型的な暴挙だ。世界中の女が自分に惚れるという自惚れから、相手が本当に自分を嫌う可能性があるなんて想像できないんだろう。強引にでも抱いてしまえば、女は自分に惚れると思っている男はそれでなくても存在する。

トバイアとは言わば、種牡馬のようなものさ。知能も魔力も精神も、彼自体には帝王たるキャパシティはないが、帝王の血統であるという意味において優秀な」

「待って、何ですって、つまり王女様がトバイアの子を産んだって……?

つまり貴方、殿下はフェリア王女とトバイアの子供だって言うんですか?」

「そうだよ。と言うかアレックス君、こんなの誰だって薄々分かっていたことだろう、ちょっと頭のはたらく奴なら誰だって想像していた話さ。王女の病臥と同時期に王子の誕生って。おまえだって冗談抜きで、もしかしてって思っていたはずだ」

「そ、それは……」

「王女様ともあろうお方が結婚せずに遊び人公爵の子供を孕んだなんて酷い醜聞を、何としてでも隠し通し、意地でも王女の純潔の名誉を守りたかった老王が、大嘘をついて自分が愛人に産ませたなんて無茶を言ったんだよ。自分が愛人を持ったという泥を被ってでもそうした」

「そんな、それじゃあ、それじゃあ……」

「でも何か引っかかるな」


そのとき、僕の後ろにいるオニールが突然言った。

彼は常日頃からして図々しいを通り越した悪態ぶりなのだが、まさか主人の真面目な話に従者が無許可で割り込むつもりなのかと思って、僕は驚いて彼を振り向いた。だがオニールはそんなことは物ともしない。爛々と好奇心に駆られた表情で持論を語り始める。


「なんて言うか、一言で言えば話が全般的に綺麗すぎませんか。特にマスター・シリウスに関して、まるでナルシストが語る自慢話みたいな印象と言うか」


オニールは鬱陶しい髪を掻き上げながら、臆する様子もない。


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