第295話 蒼月の亡侯爵(3)
「新たなサンセリウス王って、それは何ですか?」
僕は言った。
「言葉通りの意味だよ」
ロベルト侯は静かに応える。
「そのままの意味。もうじきハーキュリーズ五世の時代は終わるということさ。そして新たな若くそして老練な王の時代が来る――、真実正当にして唯一王の時代がね……」
「それはいったいどういう意味なんだ……?」
「老いぼれのハーキュリーズ、フレデリック親子を打倒し、過去に存在した真実の王が、再び現在に王位を取り戻すということ」
「真実の王……?」
「そうだよ。特にあんな生意気な奴が王子づらしてのうのうと暮らしているなんて、そんなことは本来ならまかり通らないことだからね」
「それはどういう意味ですか? 殿下が妾腹だからと言いたいのか」
「まあそれもあると言っておこう」
ロベルト侯は澄まして頷く。
「確かに愛人風情が産んだ王子と言えば――、世が世なら赤ん坊のうちに間引かれていても当然の存在であることは事実だね。正嫡がいれば用無しの存在。……」
「つまり貴方は反王子派というわけですか」
僕は警戒して言った。
ロベルト侯が反王子派ということは、つまり複合的な意味で僕とは相容れない、敵であるということだからだ。
するとロベルト侯は今度は何故か大袈裟に噴き出した。
それで分かったのだが、彼は造作自体は誰もが納得する美男だが、純粋に様子の観賞を楽しめるシエラと違って、見る者に不愉快さを与えるところがあった。彼が僕に対して攻撃心を持っていることは勿論あるだろうが、たぶん、彼が実際に動いたりしゃべったりすると、感性が鋭すぎる人物特有の刺々しい印象があるのだ。しかも強すぎる感情が表情に出てしまう。
「ははっ、くだらない! 反王子派だって? おまえはそんなちんけで矮小な世界に固執しているうだつの上がらない男か。まったく僕のようにもっと大きな、人類愛の視点を持てないものかね」
「人類愛?」
「重要なことじゃないか。世界の平和を考えるのは。
隣の国の困っている人々を我が領内に避難させたことの何がいけない? 難民を入れてなんで僕が非難される必要があるんだ!?
考えてみてくれ、僕がしたことは、人道的におかしいことか? そんなことないだろう? 困っている人たちを助けたんだからこれは褒められて然るべき行為だ。それなのに僕のやり方に老王の奴が激怒の挙句蟄居、制裁だって言うんだからお笑いだよ。アレックス君は、ハーキュリーズ五世とはなんて残酷で狭量な王だと思わないかい!?」
僕はおおよそ厳粛に首を横に振った。
「お言葉ですが理想論だけで国家の運営は成り立たない。貴方はまるで世情を分からない箱入りのお姫様みたいな理想を言っているが、現実はそれでは立ち行かないでしょう。
困窮してパンを買うのが精一杯の人々が移民政策を受け入れると思いますか? たちまち仕事の椅子の取りあいになり、食い詰めるはめになるのは彼らなのに。それに真っ先に暴力と犯罪の犠牲になるのだって彼らですよ。
貴方は夢のような理想の名の許に、そこまで自分の領民に負担を押しつけ苦しめて何が楽しかったのか僕には理解できない……。理想主義を完全に否定するつもりはないですが、そうしたことは生半可な知性では整合し得ないんです。だからこれまで人類が作った地上のどの場所にも、万人が幸福を享受するほどの完全な社会システムは構築されていない。綺麗事を並べる富める者の裏側には、必ず搾取される側の悲劇があるものなんだ。理想郷が存在しているのは聖書の中で語られる神のお膝元の天空王国だけだ。
だから、陛下のなさりようはおおよそ妥当と思う……。陛下の御判断は、サンセリウス人の利益を守る行為だからです。それに引き換え自覚がないようですが、どんな綺麗事を言おうと貴方がやったのは単なる売国政策と言うんだ。ご自分が何処の国に属しているかを考えてみれば、容易に分かる事だとは思いますが」
「煩い、ガキのくせに偉そうなことを言うな!」
僕におおよそを論破されたことが悔しかったか、ロベルト侯が声を張り上げる。それと同時に表情もめまぐるしく動く、やはり彼は感情の起伏が激しい印象があった。男で、しかも初対面の相手にこれほどになる者はめずらしい。せっかくの美男なのだが、この情緒の不安定さが彼の美貌を五割は引き下げているとも言えた。容姿的には物静かそうなのに、彼は内面が激しすぎる。もしかして、シエラはこれを繊細と評していたのかもしれないが、それは欲目と言わざるを得ない。
「偉そうに、それは本当におまえの意見か!? そんな夢のない灰色の現実論は、どうせ兄貴の伯爵の意見でもなぞっているだけじゃないのか!?
二十歳そこそこのおまえはまだまだ、自分の思想など固まっていないだろう!
その見解は、本当に自分の頭で考えたか? 他人の名言の聞きかじりを言いたい年頃なのは分かっているぞ。偉そうに語ったところで、どうせ誰かの思想に影響され、その人物に心酔して、或いはそいつの手柄の横領のために、同じようなことを唱える自分に酔っているだけのくせに!」
「違う、僕は自分で勉強したんだ。僕を全方位能無しだと思うなよ」
幸いだったのは、彼が僕より喧嘩が弱そうだということだった。そして僕の後ろにはカイトたちを含む護衛が複数いることだった。これによって、僕はこの情緒の不安定な男を相手に、冷静に対応することができていた。
「貴方のやったことは間違いなく売国奴の誹りを免れ得ない売国政策です。もしまともな側近が一人でもいれば、身体を張ってでも止めるレベルの大失策だ。
貴方、侯爵ともあろう男がサンセリウス人以外の人間の利益を優先して頭は確かか? そもそも侯爵とは何のための存在なんだ? 陛下は貴方が狂ったと思われたに違いないよ」
「煩い! おまえはそうやって無理して汚い大人の論理に迎合しているようでは、所詮国家を動かすような大人物にはなれないだろうねえ。所詮は小者だよ。外からやいのやいのと言うだけで。まったく、偉大なるシリウス様の足許にも及ばない」
「……何? どういうことだ?」
「ま、こんな話を延々と馬鹿なおまえに説明しても仕方がない。僕の素晴らしい理想は凡人には解釈不能。世界平和を望み、愛にあふれる理想郷の構築を夢見る僕の思想は極めて高尚なので、現実に毒された平凡で愚か者の老王やおまえには理解ができないわけだ。
おまえたちときたらあまりに次元が低くて話にならないよ。
侵略されるかもしれないとか、そんなことより大切なのは人道に尽くすことだろう。たとえ相手がサンセリウス人でなくても、同じ人間同士、飢えた人々に愛と救いの手を差し伸べることだ。
これから創る新世界に、おまえのような冷酷な考えの人間は必要がないことを、シリウス様に進言しなくてはならないよ。
まあ、とにかく今夜僕が言いたいのは、おまえは責任取っておとなしくシエラと結婚しろっていうことさ」
「――待って、シリウスというのは、トバイアの魔術師の名前ですよね」
聞き捨てならない名前が出て来たこともあって、僕は食い下がった。




