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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第7章 誘惑の夜
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第29話 いじけ虫と梟

呼ばれたほうを見ると、城前階段を下りたすぐ横の切り立った高い石壁に寄りかかって、腕組みをしながらこちらを見ているカイトがいた。偉そうにしているというよりは、寒そうにしていると言ったほうが適切だっただろう。


「カイト……、おまえ何してるんだ?」


僕が不審感からそうたずねると、カイトは相変わらずの気楽な調子で肩を聳やかした。


「アレックス様がここで待ってろっておっしゃったんじゃないですか」

「僕が?」


僕にはそんな覚えがなかったのでつい訝ると、カイトは僕に敵意がないことを示すかのように大袈裟に両手を広げてみせた。


「そうですよ。昼間、霊園で、アレックス様を遊びに誘うのにつき纏っていたら、分かったから夕方になったらこの階段のところで待ってろとかって。

あれはまさか俺を追い払うために適当なことを言って、そのまま忘れていたってんじゃないんでしょうね」

「ああ…、そう言われれば、そういうこともあったかな」


カイトが恨めしそうに僕を見るので、僕が何となくそう答えると、彼は全身で脱力感を表現するかのように、その場にしゃがみ込んだ。いちいち感情表現が大仰なことを今更責めるつもりはないが、虫の居所がよくないとき、カイトの明朗さにはうんざりだった。


「でも、そんなことを本気にすることはないだろう。外套もなしに、いったい何時間ここに突っ立っていたんだか知らないけど、君も少し言葉の内容を考えて行動したほうがいいね。でないと、大事な局面で判断を誤ることになるよ」

「またそんな可愛げのないことを言って。

閣下があんなんだから、アレックス様っていうのは余程世間の人には温和でおとなしいように見られていますけど、貴方も意外とあれなところがありますからね。本当、貴方はそういうとこ閣下にそっくりですよ」

「そんな馬鹿な。僕ほど善良な男もそうはいないだろう」

「その、自己評価の高めなところとかね。

もっとも、何だかんだ言って貴方は根っからの支配階層ですからねえ。使われる側の立場ってものが、いまいち分からないんでしょうけども。こっちはどんな内容であれ、下された命令に従わないわけにはいかないものなんですよ」


兄さんが自分に自信を持っていることは今更疑うべくもないが、自分が偉いだの寛大だのということを堂々と恥ずかしげもなく口にできる彼の精神構造は僕にとって奇異なものであり、一緒くたにされることはどうにも納得がいかなかった。だから僕はカイトに文句を言い返したかったが、しかし僕の命令でもなければカイトがこんなところに何時間も立っている道理はなく、もし僕が今ここを通りかからなかったら彼は一晩中でもこの場所で僕が来るのを待っていたのだろう。それを考えると、さすがに不用意なことを言ったかもしれないと思い直した。


「悪かったよカイト。無責任なことを言って、何時間も待たせてさ」

「本当ですよ。俺もう、風邪ひきそう」

「だったら早いところ家に帰ったほうがいい」


気遣いから僕がそう言うと、カイトは少々困惑したように視線を僕に向けた。


「お言葉は有り難いんですが、俺はすぐそこの、赤楓騎士団の宿舎暮らしですよ。部屋に帰ったって、寒くて暗くて埃っぽい部屋があるばかり。

いつでも部屋を暖めていてくれる召使いを実家から連れて来ている奴もいるにはいますが、生憎と俺は、実家からはとことん冷遇されてますからね」


そしてカイトは僕の前まで近づいて来るや、右手を額に添え、突然水夫か何かを模したような、ふざけた態度で高い壁の遥か向こう側に聳える居城を仰いだ。

それからまるで何時間も待たされていたことなど忘れてしまったみたいな好意的な笑顔で、僕を振り返った。


「おやっ、窓辺にタティを発見。彼女はアレックス様が戻って来るのをじいっと待っているようです。忠犬みたいに」

「何だよ、またつまんないことを……。

おまえは魔術師でもないのにそんなことが分かるわけないだろう。

あんな遠い窓に人間がいるかなんて、ここからじゃ昼間だって肉眼で分かるわけない。だいたい僕の部屋は正面からは見えないんだぞ。でたらめ言うなよ」

「いえいえ、分かりますとも。こうなってしまったからにはアレックス様だけには打ち明けますが、実は俺は梟なんです」

「梟?」

「ええ。昼間は人間で、夜は梟」

「じゃあ僕の目の前にいる男は何なんだ? 人間じゃないのか?」

「梟人間です」


真顔で打ち明けるにしても、突飛すぎる内容だった。


「カイト……どうしてだろう、おまえがもてない理由が、今はちょっと分かるよ」


不本意ながら思わず笑ってしまったことを悔しがりながら、僕は答えた。


「あ、受けましたね。ふふふ、そうですか、面白かったですか」

「まあね。夜目がきくって言いたいならそう言えばいいのに。君にはかなわないな」

「ふむ、ちょいとご気分が上向きになっていらしたようですな。

それではそこでご提案なんですが、ホットミルクをご馳走してくださるんでしたら、タティとの仲直りを手伝ってあげてもいいですよ」


カイトがまるで僕の願望をお見通しだと言わんばかりに言うので、僕は再び眉間に皺を寄せた。


「君はいつも自分のことをもてないって言ってるくせに、そんな器用なことができるのか? 梟のくせにさ」

「確かにね。でも梟なだけに、人のことはよく見えるんですよ」

「君にタティの何が分かるんだよ。前なんか、彼女をブスだなんて言っていたくらいだ、何も分かってなんかいないだろう」

「はて、そんなこと言いましたっけ?」

「言ったよ。ほら、料理人が死んで、タティが妾にされて泣き喚いていたときに。

君の話し方はもとからあまり上品じゃないけど、あれは完全にタティに対する侮辱だった。内心むかっときたからよく憶えてるんだ」

「ああ…、そう言われれば、思い出しました」


僕が指摘すると、カイトは苦笑した。


「そりゃまた貴方も随分細かいことを憶えていらっしゃるんですねえ。

でもそれはほら、俺としてもあの前後辺りから、もしかしたらアレックス様がタティに気がありそうかなと思っていたんで、従順なる配下と致しましては、一応明確な線引きを示したまでですよ。

別に本当にブスとは思っちゃいませんが、アレックス様は何気に嫉妬深そうなので」

「何だよ……」


カイトが、思っていたよりも細かいことで僕に神経を使っていたことを知って、僕は憮然とした。


「で、どうします、仲直り。手伝いますよ。夕食つきなら、もっと有り難いかな」

「金がないなら、夕飯は僕が奢ってあげるよ」

「意地を張っちゃってまあ」

「別に意地なんか張ってない。僕はもうタティに関心がないだけなんだ。

そんなことよりおまえ、友人はどうしたんだ。パーティーがあるって、言っていなかったか?」


兄さんが数ある貴族の子弟の中から彼を選び出して僕の側近に据えた以上、以前から分かっていたことではあったが、カイトというのは馬鹿のふりをしていても、やはり頭の切れることは疑う余地がなかった。下手に出ているようで、気を抜けばどうにもやり込められそうな感じが気に入らず、僕が強引に話を変えると、カイトは頷いた。


「そうです。なじみの貧乏人が集まるパーティーです。ほとんどが叩き上げの赤楓騎士団員です。遅れたって大丈夫。どうせ週末の夜に他にすることのない面々が、安酒を飲むだけなんですから。気のいい奴らですよ。

アレックス様もいらっしゃいますか? いらっしゃいますよね? 俺を寒い中ずっと立たせていて、しかも薄情なことに、それを忘れていらしたんですから」

「そんなの、梟なら平気だろう?」

「いやいや、梟だって寒いんですよ」


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