第289話 疑惑の話(2)
「嘘言えよ。面白くないのが顔に出てる」
「それで?」
「それでだ? うるせーな。おまえはごちゃごちゃと。つうかマジで何なのおまえ」
「何が」
「だからシエラ様なんて諦めろって言ってんの。彼女はおまえが思うような、そんな理想的な女じゃないんだからさ。
彼女が行く先々であそこまで女どもに反感買いまくるのは、さすがに本人の性格に問題があるってことだし。世の中には美人で人気者って女だっているんだから、あの嫌われ方は単なる美人への嫉妬だけじゃないんだよ。さっきの暴れっぷり見ただろ」
「またその話ですか……」
カイトがうんざりした様子でオニールを見る。
「あんた、ついさっきハリエット殿には真逆のこと言ってたくせして」
「うるせー、おまえが自分から話を振ったんだろうが。とにかくヴァレリアにあげつらうべき欠点があるように、シエラ様にも看過できない欠点はあるんだって言ってんの。
だいたいヴァレリア泣かした時点で只者じゃねーよ。逆ギレっぷりすごかったじゃん」
「だから……、あれはお嬢様たちが追い詰めてしまったせいもあるんですよ」
僕を抜きにした会話は続いた。
「かと言って最終的にズタズタにされてたのは、ヴァレリアだったけどな。
考えてみな、シエラ様はあれでいろいろとやり方が上手い。可愛い子はやっぱ自分の見せ方を知ってんだよ。どうすれば自分が可愛く見えるか、男に味方して貰えるかを心得てる。その点、ヴァレリアは馬鹿だよ。どうすれば自分が可愛くか弱く見えるかなんて一切考えて行動してねーんだもん。それにあいつは男の心理を分かってない。僕がもしヴァレリアだったら、カイト君みたいなしょぼい三枚目なんか五秒で落とせるんだが」
「想像するのすらやめてくださいよ」
「でも言っとくが、あの二人のどっちが純粋で弱いかと言うと、完璧ヴァレリアだよ。意外だろうけどヴァレリアみたいな強がるタイプの女のほうが繊細で脆い。
ハートが弱いから、気を張って強く装う。ハートが強いから、か弱く見せる余裕もある。逆説的だけどこれ女の本性見るときの定説よ。その証拠に、だいたい勝つのは後者の女だろ?
本質はシエラ様のほうがしたたか。絶対ヴァレリアのほうが弱いよ」
「そんなふうにせっせと気をまわしてくれなくても、お嬢様との結婚はもう閣下の承認が下りている公的な決定事項なんだから。今更結婚をやめる気はないですよ。現実問題としてやめられる話でもない。もういいでしょうにその話は。終わった話ですよもう」
「だったらそろそろプロポーズを言ってやれよ馬鹿。待ってるんだよあいつはよ。そのくらい分かっているくせに性格の悪い奴だな。
とんでもねー規模の持参金を貰えるんだから、そのくらいサービスしてやれって。ヴァレリア転がすのなんて簡単じゃねーか。ウェブスター家のほとんど全部の資産と領地と処女嫁を貰えるのに何が気に食わんのかね」
「……」
「しかしウェブスター家も大変だよ。男爵家ともなれば、息子が何人かいさえすれば持参金だけでかなりの富を成せるのに。息子がいないばっかりに、お婿様のご機嫌窺いしなくちゃならんとは。まさか下男にとことん持ってかれるとは、ヴァレリアの父上もこれは憤懣やるかたないだろう。自分が何十年とかかって築いて来たものと大事な一人娘を、全部おまえに取られるわけだからな。そう考えるとおまえの態度は絶対間違ってる」
ともあれ途中までは、あのまま僕らもホリーホック城でおとなしくルイーズが来るのを待つ方向で話が進んでいたのだが、やはりダグラスに聞かされた治安面での懸念を思うと、シエラを殿下より預かる身としては、このまま手をこまねいているわけにもいかない気がしていた。
それで僕の意を酌んでくれたハリエットが、それはほとんど仕方なしにという嫌々の態度ではあったが、話の流れでホリーホック市内にシエラがいるかどうかを、改めて風の精霊を飛ばして捜索してくれることになった。すると、ヒットした。
「いるわ、……市内に」
先ほどの執務室にて、ハリエットは言って、ダグラスを含む僕らを見まわした。
「えっ、本当?」
それは意外な結果だっただけに、勿論僕らは全員が、ハリエットに注目する。
するとハリエットはその中でも僕を見ながら、慎重に頷いた。
「ええ、そう」
「確かか?」
オニールが確認を入れ、ハリエットはそれを強い口調で更に請け負った。
「疑うつもりなの? 間違いないわよ」
「それなら、よかったですが……」
それで、ダグラスが眉間をつまんで呻いた。彼はアディンセル一門の魔術師たちを束ねる最高責任者なのに、十八歳やそこらの少女に逃げられ、しかもそれをたった十六歳の自分の娘にフォローされたとあっては、完全に面目を潰した格好なのだろう。
「わたし、案内できると思う。なんだ、意外になんてことなくみつかった」
ハリエットはそんなダグラスのことを得意気な顔で見た。
娘に実力の差を見せつけられ、ダグラスは居心地悪そうに笑った。
「それではどうします、今すぐ我々で行きますか?」
カイトが素早く僕に聞いた。
「治安が悪いというのはアレックス様を外にお出しするのに気がかりな要素なんですが、でもアレックス様が出向いたほうがシエラ様の説得にはよろしいかとも思いますが」
「うん。あまり遅くなる前に、急いでシエラを迎えに行こう。治安のことは君がいれば何とかなるだろう」
僕は言った。
「そら、全力で当たらせて頂きますよ。俺にお任せを」
「それに治安のことを心配するなら、それこそ僕よりシエラだし。武器も持ってない、世間知らず、しかも女って三重苦だよ。抵抗も無理だ」
「確かにそうね。幾ら嫌な奴でも、女を治安の悪いところに放置しておくわけにはいかないものね。すぐ行きましょう」
ハリエットが、ごねずにシエラを迎えに行くことに賛成してくれたのはよかったことだった。
「待て待ておまえら、それはちょっと性急じゃないの」
ただオニールだけが、懐疑論を唱えていた。
「城門前でシエラ様を見たなんて言ってる連中の証言が、本当に正しいかどうかの検証から始めるべきだろ。それは本当に彼女だったのか? 消えたお姉様という可能性は? 目撃者が複数人だったからって、地面に引きずり込まれたなんて鵜呑みにしていい情報なのか? そもそも奴らはらりっていなかったと断言できるのか? ここは国中から交易商や物流が流れ込む土地柄だ。白い粉だって、簡単に手に入れることができるんだぜ」
「おたくはまたそんな。またくだらない陰謀論ですか?」
「小麦粉のことだよ馬鹿。とにかく、なんかこう引っかかる感じがするんだよ。これまで数時間、ダグラス様が部下を使って探させたのに手がかりもなかった。なのにお嬢ちゃんが精霊飛ばしたらすんなりヒットって」
「そうは言っても、じゃあシエラ様の存在を確かめもせずに放置できるんですか?
我々にできることは、いずれにしてもシエラ様を迎えに行くしかないですよ」
「うるせー、なんでおまえがでしゃばるんだよ」
とにかくそんな経緯で、どうやらホリーホック市内にいるらしいシエラを迎えに行くために、僕たちは今ホリーホック城の不案内な長い廊下を歩いていたのだ。
後方のカイトたちの会話は何やら荒れ始めていたが、僕は仲間はずれにされたことを気にせず、教養ある紳士として姿勢よく歩く。
薄闇の回廊に一定間隔に備えつけられている燭台には、灯がともっている。壁にかけられていたであろうウィスラーナ家に関する装飾品はあらかた取り除かれているようだったが、鉄製の燭台にはまだウィスラーナ家の葵の紋章が刻み込まれたままだった。
僕はまだホリーホック城の構造を把握しておらず、現在どの辺りを歩いているのかすら分からないので、迷子にならないために案内の者が一名、僕らに同行をしていた。カティス家から出向して来ているダグラス直属の人間らしい。
礼儀正しく、年齢も僕より少し上で、至って話しやすい男だったので、僕はそのうちその案内の人間と少し言葉を交わしながら、廊下を歩いた。前方を歩くハリエットの背中が見える。ハリエットはシエラの居場所を風の精霊に案内させるため、今は暗い先頭を黙ったまま一人で歩いている。その後ろ姿は子供のように細いばかりか、くびれがない。脚も女の脚ではなく、まだ子供の脚だった。彼女があまりに幼いので、僕は少々心配になった。それでなくても今日は朝から僕らと一日中行動を共にしていたから、あの小さな身体では、そろそろ疲れているのではないだろうか。と言って僕がそれを聞いたところで、弱音を吐くような性格ではないのだが。
「ハリエットは小さいね」
僕は匂わす程度にそれについて何か話を引き出せるかどうか、カティス家から来ている案内の人間に言った。十七歳ともなれば、身体の大きさはもう成人女性と変わらない娘がほとんどだし、中には顔立ちや所作さえも大人の女性と遜色ないほど大人びた娘だっている。推測で滅多なことは言えないが、ハリエットの属する階級で栄養状態の悪い娘はほとんどいないため、ハリエットの小柄さ、あれはやはり目立つのだ。
それも単なる小柄なのではなく、子供のような幼さというのが気になる。家で食事を貰えないというタティの話が確かなら、ハリエットはかなり深刻な栄養失調ではないかと僕は思っていたのだった。




