第288話 疑惑の話(1)
僕らはダグラスと別れ、今はホリーホック城の回廊を歩いていた。
そして例によってカイトとオニールの内容の浅い、そして意味のない会話は尽きない。こいつらは男なのにおしゃべりというどうしようもない性質を持っているので、浅慮軽薄な口先男という印象がついてまわってもてないのだろう。
同性として、連中の外見のぱっとしなさだけでも哀れに思えるというのに、男のくせにぺちゃくちゃおしゃべりとは、なんて救いようのない引き立て役として申し分のない特質だろうか。彼らには引き立て役としての才能がある。所謂、美青年主人公がいかに優れていて格好いいかを解説するために登場する、脇役レベルと言わざるを得ない。
しかし腹立たしいのは、あいつらが度々僕を度外視して会話に熱中することだ。
従者なのに、僕をおだてろとまでは言わないが、こういう常にご主人様のご機嫌を取ろうとしない姿勢は頭に来る。オニールが来てからはカイトもそうだ。あいつらは何だかんだ言って気があうのか、それともヴァレリア込みで幼少期からの関係性のためか、今もどうでもいい話題を、後方で二人だけで話している。
そして僕は、ご主人様にも係わらず、ぽつんと歩くはめになるのだ。
僕はどういうわけか、よく孤独になる。
こういう状況を鑑みるに、結局カイトも僕が権力者だから媚びているだけで、本心ではつきあいづらい奴と思っているんじゃないかとか、そういう考えが浮かんで来る。となると結局僕は本当には友だちがいないのではないかと……、だが男がそんな泣き言を言う訳にもいかない。
とにかく僕にも意地があり、断じて僕のほうから連中に声をかけ、媚びを売って仲間に入れて貰うというわけにはいかないのだ。
何故なら兄さんならそんな真似はしないからだ。兄さんだけじゃない。世間で格好いいと評される人物は、まずそんな真似をしないのだ。
だから僕はじっと手を見た。ささくれがないか確認しなくちゃいけないし、それに爪の形を見ようと思って。
「しかしロベルト・ウィスラーナはうんこだな。売国奴が。腹立ってしょうがないぜ。国防が仕事なのにアホかと」
「まあでもここ四半世紀は戦争らしい戦争もないですからね、子供心にも戦争を知らない世代でしょうロベルト・ウィスラーナは。若くして侯爵になったところで、名門のお坊ちゃん育ちで、訳が分からなかったのではないかってダグラス様も言っていましたし。
しかもサンセリウスのように豊かな国は、そうないですからねえ。北部のサンセリウス人、それも恵まれた貴族階級に生まれたおたくのような人間には、分からない現実というものもある。腹が減っても食い物がないとか、想像もつかないでしょ?」
「だから何だよ。それはその国の国家元首が考えるべき政策課題で、サンセリウスが面倒見てやる必要はないんだよ。それも自国民を犠牲にしてまでやることじゃねー。サンセリウスだってエデンじゃねーんだよ。富が無尽蔵に湧いて出て来るわけじゃない。困ってる国民なんて山ほどいる。こういうことはな、感情で語ったらおしまいなんだよ。どんどんつけ込まれる。一度でも助ければ、噂を聞きつけた諸外国から我も我もと際限なく押しかけて来ることになるんだ。だけど国同士の関係ってのは、殺し合いだよおまえ。
おまえもウェブスター家を継ぐなら外交についてちゃんと勉強しとけ。ロベルト・ウィスラーナみたいに馬鹿を晒して、お坊ちゃま君って言うか、閣下に恥を掻かせるなよ」
「別に俺はロベルト・ウィスラーナを支持してませんよ。唾棄すべき売国奴だと思ってる。ただ南部の人間は、北部の人間ほど恵まれてはいないと言いたかっただけ」
「おまえは未だに南部の農村に帰属意識があるのか。僕はまたシエラ様に目が眩んで、おかしなことを言い出したんじゃないかと思ったよ」
「女で思想は変えない。いずれにしろ閣下の思想や方針を支持するだけです」
「ならいいけどさ」
おまえたちは兄さんを目標にするのもいいが、まず僕の思想を聞き、そして尊敬しろという話だった。概ね兄さんと同じではあるが……。別に真似したわけじゃないが、気がついたらそうだっただけのことで。子供の頃から夕食の席で何年も考えを吹き込まれていたら自ずとそれがスタンダードになる。それでそこから勉強をしたらやっぱりそうだったというだけだが。
「それにしても閣下はなんでロベルト・ウィスラーナみたいな奴の妹を、アディンセル家に入れようとしたんだろうな? 売国奴と縁続きになるってどうなん? 血筋のメリットはあるにしても」
「まさに手柄狙いだったのでは? もしシエラ様が男子でも産めば、その方が戦争屋としてのウィスラーナ家の歴代の手柄を一人占めできるっていう」
「けど伯父が売国奴って汚点もついてくるのはどうよ。それも後世になれば面白くていいってことなのか」
「まあ、でもどうせ生かしておく気もなかったようですし……。あとアレックス様がおっしゃるには、ランベリー州のスムーズな統治の意図もあったとか。地元民に七百年間当地を治めていたウィスラーナ家を、アディンセル家が駆逐したと思われかねないから、ウィスラーナ家の娘を娶ったほうが当面はいいと。
やはり、ウィスラーナ家はアディンセル家と同じく北部の名門でしょう。アディンセル家はどうしても、やっぱり次の世代は血筋のいいところから欲しいってのが閣下の偽らざる本心でしょうし。しかもシエラ様には煩い実家がないってことは、生殺与奪の何もかもを閣下の思い通りにできるという利点もある。弟夫婦のことを思い通りにしたいって、閣下らしい考え」
「でも血筋がよくてもそれだけじゃ弱いよ。はっきり言って、実家に力のない女を娶ってもアディンセル家の役には立たない。つうか彼女は味噌までついてるし。
もしこれからアディンセル家の勢力を増したいなら、今なら王子派の有力者の娘とかが今後にとってベストだろうね。前から言っているように」
オニールは偉そうに評論した。
「じゃあ、やっぱり、閣下のご意見としては結局、タティもシエラ様も却下なんですかね?」
「そりゃそーだろ。カイト君、貴族の結婚は政治だよ。アディンセル家に何の利得も齎さない女と結婚をするのは、大事な政治機会を潰すことだ。そういう観点で考えれば、タティもシエラも当然なしだろ、常識的に言えばさ。
寧ろその二人だったらヴァレリアだろうよ。なんでそいつらが主役みたいになってんの。つうかお坊ちゃま君とおまえでヴァレリアを取りあうっていうのが、本来あるべき青春群像恋愛の王道図式なんじゃないの?
義兄と、ある日出会った上流階級の男に、求愛されるアタシ。ああ。どっちを選んだらいいの!?」
「ないですね」
「そのとき謎の美少女シエラが突然現れ、アレックスとカイトを同時に誘惑し始める。立ち振る舞いに長けたシエラの手練手管の前に、可哀想なヴァレリアは物言えず実家に逃げ帰るのだったが、そのとき」
「人のことはいいから。茶化すよりあんたは自分が参加しなさいよ」
「カイトがヴァレリアを追って部屋に入り、ヴァレリアを押し倒す。そのままみつめあう二人」
「はあ」
「しかしベッドには既に全裸のアレックスがいて……!? 次回、衝撃のクライマックス」
「そうですか」
「とにかくお坊ちゃま君はどうせ日頃大して役に立っていないんだから、次男だからいいとか言ってないで、結婚くらい閣下に協力するべき」
「オチはないんですか」
だが僕は家督を継がない次男だから、結婚相手くらい好きにさせて貰うのだが。
実家の領地や財産を丸ごと貰える奴なら、家の発展のために政略結婚に応じる義務があると思うが、僕はそうじゃないからだ。兄さんはどうも僕に血を繋がせたいと思っているような感じなのだが、結局親子で年齢は十二歳しか違わないから、僕がいい年齢になってもアディンセル家の当主はずっと兄さんのままで、僕には一生当主になる時期がないか、あっても数年だろう。それなのに結婚相手まで強制されては割が合わない。断固として、僕は田舎の屋敷に引っ込んで、タティと犬を飼って暮らす。
「ちなみに閣下自身は結婚とかどうするのかな。これかなり関心事。まさか独身で逃げ切るわけにもいかないだろうに」
「まだしばらく結婚はないんじゃないかと思いますがね。最近は特に忙しくて、女の相手してる暇もないでしょう。おたくと話してるとときどき頭が痛くなる」
「別に今すぐの話をしてるわけじゃねーよ。ただ閣下には、結婚するなら同じゴージャス系の女を妃にして欲しいと思う。だってそのほうが僕ちんが楽しいから。強めのお姉様にいじられたりしたいぜー。受け身のつまんない女は勘弁。そう思わん?」
「やはり、庇護者を失くした女なんてものは、不安定で弱い存在としか言い様がないですな」
カイトは息を吐いた。
「タティは帰れる実家があるからまだ、しかし今後シエラ様はいったいどうなることやら」
「何だまた。しつけーな、どうでもいいじゃんシエラ様なんか。あいつはどう転ぼうとも、王子の慰み者になるの一択だろ」
「またあんたはそうやって……」
「うるせーな、そんなのおまえが心配することじゃないだろ。
つうか仮に身分的な障害とかが一切なかったとしたって、そもそも十八歳のぴちぴちの女が、なかなかおまえみたいなパッとしないおっさん相手にしないって」
「おっさん!?」
それでカイトは自分を指差す。
実にくだらない議題になったので、僕はあくびをしたが。
「いや、さすがに俺はまだおっさんじゃないでしょう……」
「いやもうおっさんだろ。十代の子からしたら。十代の女にすれば五歳も年上とか無理だから。しかもおまえキモいし。余程のイケメンでなければ、五歳年上も十歳年上も、彼女らにすれば同じおっさんカテゴリ。もれなく対象外。
ほんの二歳違いのお坊ちゃま君だって、シエラ様から見れば憧れちゃう大人に見えてたんじゃないの? 自分が十代のとき思い出してみろよ。実際は只の馬鹿たれだけど、十八の子には二十歳はいい感じに素敵に見えるんだよ。そしてそこが恋愛対象の上限。
たまに年上好きの子もいるけど、シエラ様はどう見てもおっさん好きじゃないしな」
「いや、でもさすがにおっさんはないでしょう。おたくは何かというとすぐ相手が痛がることを面白おかしく大袈裟に言いますからね。おたくには人をおちょくって、相手が顔色を変えるのを見て楽しむ悪癖があるから」
「確かにそれは認めるけど、おまえに関してはおちょくってない。おまえマジでおっさんだって。鏡見ろよキモいから。僕の言葉を疑うなら、お嬢ちゃんにでも聞けばいい。きっとおまえのことキモいおっさんだって言うよ」
「キモいおっさん……」
「ふーん。本気でがっかりするってことは、意外と自分はイケてるとか思ってたんだな。その顔で。何を根拠にそんな自信とか持ってたん? おめでてーな」
「……」
「カイト君、悔しいなあ?」
「別に……」




