第287話 哀愁都市(3)
「まあ……、アレックス様に総括して頂く前に、俺からひとつダグラス様に質問を。疑問点ですが」
そのまま僕が黙っていると、すかさずカイトがフォローを始めた。やはりと言うべきだが、どうやら僕の友人は彼だけだったようだ。
勿論、僕はハリエットの言い草に傷ついたわけじゃない。こんな四つも年下の女に説教されるようなやわな男じゃないので、ハリエットの注意は聞こえないふりをしただけだが。僕には男のプライドというものがあるので。
「そのシエラ様が地面に引きずり込まれて行ったって言うのは、やはり誰かに連れて行かれたという解釈でよろしいんでしょうか?」
ダグラスはカイトの質疑に応じた。
「いえ、引きずり込まれたと言うと語弊があるかもしれません。目撃報告によれば、水面の中にすっと降りるように消えて行ったそうで、悲鳴を上げながらとか、誰かに身体をかっさらわれてということではなかったようです。どういうわけか地面が水のように変化したという証言もあり、とにかくその中に消えて行ったという意味です。
ですからシエラ姫がご自分の意思で、何等かの魔術を用いて追跡から逃れるために逃げたとも考えられます。しかし、だからと言って誰かの作為でないと断定はできない。彼女は王子殿下の関心の対象にあるという話を知る一部の者にとっては、いかに本人が既に身分とそれに付随するほとんどの資産を失っている身とは言え、誘拐をする価値もあるのでしょう。もっとも国王陛下が身代金を支払うとは思えませんが……」
「地面が水のように変化? わたし、そんな魔法は知らないわよ。存在するとしてもシエラごときに扱えるレベルの魔法ではないはず。
何せ、あいつは侯爵令嬢って強力な補正がなければ、人間性も何もかもすべて人並み以下の奴だもの。優れているのは上っ面と、男の人に媚びを売ることと、自分に都合よく体裁を取り繕うずるさだけ。でも見る目がある人たちはみんな彼女の本性を分かってる。顔だけの性悪ノータリン、それがシエラって女」
「だから嫌いな奴のことは考えるなっての。もー」
「考えざるを得ない状況でしょう!?」
「おまえさ、本当はあのお姫様が好きなんじゃねーのか? 嫌い嫌いと言いながら。ほらヴァレリアだって、カイトが嫌い嫌いと言ってるくせしてあんなど醜態さらしてとうとう好きってカミングアウトしちゃってんじゃん。まあ、前から周りにはばれまくってたけどさ。あいつ今頃、顔真っ赤にして昼間のこと死ぬほど後悔してそう。それとおんなじ」
「あのねえ、この問題を恋愛問題と一緒にしないでくれるかしら。冷静に考えて、わたしがシエラの奴を好きになる要素があるの?」
「ああ、確かにおまえがシエラたんには嫉妬材料しか要素はねーか。何せ、シエラたんは可愛いし、いかにもヒロインな女だし、男からの扱いも概ねそうだしな。そりゃあおまえら有象無象からしたら、羨ましくて妬ましくていびりたくなっちゃうよな」
「はあっ!? 何それっ!? 貴方だってシエラの本性を見たでしょう。内面はほとんど自己顕示欲の権化みたいな奴なのに!」
「そんなことないぜ。シエラたんはおとなしいけど、超可愛いから目立っちゃうんだよ。あの天然お姫様キャラで自己顕示欲なんてあるわけない。
シエラたんを嫌ってるのは、僕ちんが見たところブスとホモだけじゃん。要するに、おまえらは自分こそがああなりたいから僻みまくって発狂してんだ」
「ほら、ほら! これだから男は駄目なのよ。男はいつだって最悪の地雷女を掴むのは、こういうことなの。見る目がないからなのよ。
でもあんな自己中で、自分のことしか考えていない奴になんて、なりたい人はいないから。強いて言うなら分不相応な女が、分不相応に上等の扱いを受けていることに義憤が湧くと言ったほうが正解だわ」
「だからそれを嫉妬って言うんだろ」
「だからどうしてそういう解釈するのよ! 貴方って、ほんっとむかつく!!」
「ちなみにダグラス様、たった今オニールが言っていた、ウィスラーナ家の上の姫君が消息不明という件ですが、それは今回のシエラ様の件と関係すると思われますか?」
カイトが更にダグラスにたずね、ダグラスが首を横に振る。
「それは分かりませんね。ただ行方知れずと言っても、両者は消息を絶った時期が違う。シエラ姫は数時間前ですが、上の姫君はまだ前侯統治時代のことでしょう。証言などを整合して、彼女の姿が消えた時期的には、少なくとも二年ほど前ということになるでしょうか」
「そして結婚はされていないと」
「ええ、少なくとも証言や物証の上ではね。でも年頃の娘のことです。好きな男について行くなんていう可能性もゼロではない。ですからアレックス様のお話も、必ず間違いであると断言することはできません。もっとも彼女の人物評的には、まず軽率なことをする方ではないそうですし、騎士称号を持ち、蒼葵騎士団に係わっていた経歴のある姫君だそうですので地下潜伏の可能性を排除はできないものの、今もって目撃証言すらゼロという現況からやはり死亡説が有力なのですが――、普通はこのような場合、やはり金や寝返りの持参手柄を目当ての裏切り者が、一定数発生しますのでね。ともかく、それもあわせて今回、ルイーズに視させるのがいいでしょう。
いずれにせよ、誘拐であるにしても、本人の意思による自発的な逃亡であったとしても、シエラ姫の件に関してはこのまま見過ごすわけにも参りません。ですから当時の状況をルイーズ・ディアスに視させたく……」
「そうか」
僕は頷いた。
「確かにこの件はもう、ルイーズの魔力に頼るしかなさそうだ。でもダグラス、ルイーズはまだ戻らないんだ。兄さんが王都から戻らないから。だから僕が来たんだ」
「こんな遅くに、アレックス様に直々にご足労をおかけ致しまして申し訳ありません」
ダグラスがまた礼儀正しく頭を下げるので、軽く右手を上げた。
「いいよ」
「遠路をお疲れではありませんか」
「それは僕じゃなくて、ハリエットに言ってあげてくれ」
「じゃあ、とにもかくにもすべてはルイーズたん待ちってことか」
オニールが両手を頭の後ろに当てて、伸びをする。
「もう日も暮れているし、これは今夜は残業になりそうだな。カイト君、今のうち飯食いに行かない? ここって交易都市でもあるから、繁華街とか結構でかいみたいじゃん」
「観光じゃなくて仕事で来たんですよ。アレックス様の側を離れるわけにいかないから、この城内で済ませます」
「おまえ絶対、性格真面目で暗いよな。陽気なふりしてんじゃねーぞ」
「他に何か報告はあるかい。変わったこととか」
僕が言い、ダグラスは応じた。
「外食に出るのはいずれにせよあまりお勧めしません。ホリーホック市は西方交易路が接続されていることにより様々な人間が流れ込む下地のできあがっておりますから、商業面が賑わいのある反面、やはり市内の治安は良好であるとは言えますまい。
また、ここでは殺人や暴行、強盗、誘拐等重大犯罪事件の発生件数は高いのです。今現在においてもです。主たる原因は難民です。フォインとの国交はありませんが、やはり地続きという地形性質上、西側からの難民流入を完全に封鎖することはできません。現在は赤薔薇騎士団の防衛戦線が機能しており、一時期ほどの荒廃ではありませんが、既に入り込んだ者が多数市内に潜伏しており――、隣国の連中はサンセリウス人に対して殺人や暴行を加えることに罪の意識を持ちませんので、悪行を重ね、善良な市民への略奪行為を繰り返しているのです。女子供、老人はよりターゲットにされています」
「確かにね、話には聞いているよ。前侯統治時代は、もっと酷かったそうだね」
僕が言い、ダグラスは続けた。温厚なはずの彼の表情が、それまでよりも格段に険しいものになっていることには、誰しも気がついているだろう。
「その通りです。難民の流入で最も分かりやすい災禍は、犯罪発生率の爆発的増加です。国内交易路があるだけでも、都市の犯罪発生率が高くなると言うのに、不逞外国人が流れ込んでいるのではホリーホック市の大半の地域は一時期半ば無法地帯だった。ホリーホック市から近隣市町村へと犯罪者を輸出するような形にさえなっていたのです。
難民は幾らかの滞在の後に金を落として立ち去ってくれる旅行者ではありません。彼らはこの土地に根づこうとしますが、果たして自分たちがサンセリウス人よりも優先されるべきでない民族であると自認して、我らが国内で規律的に生活し続けてくれる保証があるのでしょうか?
勿論、そんなはずはない。彼らは必ず当地にトラブルを起こし迷惑をかけるものです。そして最後には同等以上の権利を主張し出すものです。結婚や、或いはそれ以外の何等かの手段で支配階級への進出を目論む者も出て来るでしょう。反社会的な裏組織も形成するでしょう。
なのにウィスラーナ侯はこの重大さをあまりにも考えていなかった。国家どころか、己の領地の百年後さえ見据えて思考していなかった。移民難民を入れることで問題や負担が増えることはあっても、国民が幸福になることなどあり得ません。必ず甚大な犠牲者が出る。安易にその流入を認めることで、我が国家へのデメリットについて語れと言われれば、私は一昼夜しゃべり続けることができるでしょう。メリットの数十倍はデメリットが多い」
ダグラスはホリーホック市の犯罪発生率の高さや混乱状態を嘆き、余程憤りを感じているのかもしれない。
「ロベルト・ウィスラーナ侯について、彼の治世はこの数年だと思いますが、僕はあまり政策的なことは知らないのですが」
僕が言いかけると、ダグラスはぴしゃりと言った。
「彼には政策らしい政策などありませんよ。あったのは愚策と愚策を弄する才能だけです。
ウィスラーナ家とその領地にとっていちばんの悲劇だったのは、継承者がロベルト・ウィスラーナであったということです。
とにかく前侯は友愛主義者か何か存じませんが、信じ難いことに――、それも国家を防衛する立場にある者が、どういう思考回路をされていたのか分かりませんが……、率先して難民連中を受け入れていた。困った隣国の人々を助けるという実に美しい人類愛の実現のために、何より重視すべき自国民に犠牲を強い、彼らのささやかな生活を踏み躙り、不利益と、何重もの危険にさらしていたわけです。
まさか難民が自国民に対して謙虚で友好的であると信じていたとは思いたくありませんが――、仮にそれが友好国からの正式な移民であれ、そんなものをせっせと受け入れていれば国内にどんな問題が起こって来るかは自明です。ごく一部の共和制の移民国家を除けば、安易な移民政策で民族対立が起こり、自国民は疲弊し、秩序破綻しなかった歴史があるのでしょうか? ましてや困窮した外国人が、生きるために我が国民に対してどのような手段を講じるかということを想定することができなかったのはあまりに考えが甘く世間知らず。
前侯を庇うとすれば、礼節と高い教育を受けた貴族ばかりしか相手にしたことがない温室育ちの若輩者であるがために、それ以下の階級の人々、ましてや率先して隣の国に流れ込んで来るような連中がどのような民度であるかを、知らなかったのかもしれないという見方はできます。しかし、それであればこそ、彼は非常識で無知蒙昧、まるで指導者としての才覚がなかったと断言してよろしいでしょう。
彼は無責任という言葉では片づけられない浅薄な犯罪者であり、現実に州を預かる政治家としては最悪の人物です。
国際情勢を真面目に学んでいれば、下っ端の若い文官でさえこのくらいのことは理解しているものですからね。隣国を助ける国は滅びるという言葉もございます」
「確かに、国境領主が平和主義者の左では困りますよな……。理想と平和の名の許に、侯爵が率先して国を売ったということなんですね。売国奴はそら陛下に処刑されるわけですな」
カイトが言った。
「何より北西部にフォイン人との混血があふれ返るって長期的な災厄を招いたのは最悪だな。これは一度やってしまうと二度と取り返しがつかない」
オニールが続ける。
「連中は害虫並みのスピードで繁殖して、十数年後には再生産が可能になる。早く連中を駆除しないと、北方サンセリウス人の血が汚されて、将来的にはこの土地から純血のサンセリウス人がいなくなってしまうという事実上の侵略行為ってわけだ。侯爵ともあろう男がそのくらいのことを分からんとは思いたくないわけだが」
「まったくその通りなのです」
ダグラスはオニールの言い分をも肯定した。
「これはいかに侯爵が自領民、ひいてはサンセリウス国民とその国土を愛していない者であったかの証左なのです。州を治める大領主でありながら、百年後、二百年後のサンセリウスという国家、そして国民の未来を真剣に考えていない者の証左でもあるのです。自分がこの世を去った後の将来世代にさえ慮りを向け、今後どのような問題や苦難が発生し得るか、そして彼らの人生が少しでも幸いな実りあるものになるために、現在を与る領主として、何ができるか――、これまでも想定しなくてはならないのが本来の領主であり、政治家というものなのです。
なのにロベルト・ウィスラーナという男は、その場限りの、己の名声や偽善的自己満足だけを重視した。我らが国家に対する忠誠心がないどころの話ではない。
彼はいったい誰の利益を考え、そして誰の幸福を優先したのか?」




