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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第12章 佳客
285/304

第285話 哀愁都市(1)

宵闇のホリーホック。

サンセリウス王国北西部に位置する国境州ランベリー、その最重要拠点であるホリーホック城が同名都市である。

本日伯爵執務室の留守を預かるクライドとはひとまず別れ、僕らは地平線に沈んで行く落日の光を横目にしながらひたすらに北西を目指した。張り出した雲のおかげでさほど眩しくはなかったが、五月といえども北へ向かう上空の大気は肌寒いなんていうものではなかっただろう。勿論、魔法の中にいればその影響はあまりないが、太陽が沈んでしまうとやはり寒さは感じた。

そして僕はハリエットの魔法で空を飛ぶ間中、彼女の頭の中にきちんと、少なくともサンセリウス国内の正確な地図があるのだろうかと心配をしたのを憶えている。

やがて陽が完全に落ちた頃、僕らはつつがなく魔法による移動を遂げ、速やかにホリーホック城内に入城した。

夜の暗闇のせいで外観の全貌を把握しきれないところはあったが、この堅固なる国境要塞は文字通りその内側にひとつの市街を丸ごと囲い込んでいた。装飾的要素の高いサンメープル城よりも、特化して防衛機能が重視された城で、都市を覆うように張り巡らされた厚い城壁、鈍重な軍事砦と言っていい城構えだ。

既に実行支配下に置いているとは言っても、ここは正式にはまだ兄さんの所有とはなっておらず、現在は市内、そして国境線を含むランベリー領の幾つかの地点に、陛下直属の騎士団のひとつである赤薔薇騎士団が相当数駐留している。今月下旬の叙爵式までは、まだ兄さんは陛下の御許可の上で整備と調整のために出入りしているという形になっているためだ。正式移譲となれば、配置人員は段階的に引き上げていくことにはなっている。

赤薔薇騎士団はアディンセル伯爵の騎士団より先、前候の統治末期には、機能しない蒼葵騎士団の補強のために当地の国境警備に派遣されていたらしく、また陛下直属であるという高いプライドもあり、赤楓騎士団とは必ずしも融和的とは言えないようだ。

僕はホリーホックにおける一連の活動にはほぼ触れていないが、それは僕がこの期に及んで軍事を拒んでいるということではないことは確認しておきたい。もうすぐ僕は内務卿閣下のところに何年か預けられるということもあるし、単純にアディンセル家の当主である兄さんと、次点家督継承権保持者である僕が、安全であるかどうか保証されない場所に同時に存在するということは、危機管理の観点から避けることだからだ。

上位継承権者の同時喪失を避けるためのこういった配慮は、王家においては通常のことだが、アディンセル家としても家族が少ないので、常に実行されている。兄さんと僕に同時に万が一のことがあると、すぐに家の存続問題となってしまうためだ。

それはともかく、ホリーホック城に入った僕らはその足でさっそく城内の執務室に行き――、そこに詰めているダグラス・カティスと合流した。兄さんはしょっちゅうホリーホックに来ているが、それ以外にも今はアディンセル家の臣下が持ちまわりでランベリーの重要拠点を預かっている状態で、そのときはダグラスと数名の配下が執務室にいた。僕は彼らと一通りの言葉を交わし、さっそくダグラスに市内を逃げているらしいシエラの居所を聞いた。

ダグラスの話では、確かにシエラは一度このホリーホック城内に入り込もうとしたらしい。ヴァレリアにいびられて、出て行きなさいと怒鳴りつけられたことで、ショックのあまりに生まれ育った故郷に帰ろうとしたんじゃないかとカイトなんかはだいぶ同情的に言うのだが、当然の話、今はもうこの城はウィスラーナ家のものではないから、彼女は正門前で衛兵に止められた。すると彼女は制止を振り切り、踵を返して市内へ遁走を図り、たまたまシエラの顔を知るファンクラブ会員により報告がダグラスに上がったそうなのだが、その内容が問題だった。


「地中に引きずり込まれたと言うんです」


ダグラス・カティスは、彼本人もまだ状況が把握できないといった様子で、僕にそのあやふやな報告の説明をした。

ホリーホック城の豪奢なメイン執務室に詰めていたダグラス・カティスは、伯爵家に従う魔術系の家柄としては最高の序列であるカティス男爵家の当主で、兄さんより十歳ほど年上の四十代前半。そして一見して誰しも思うのが、彼はかなりいい男だということだ。もう中年なのに、何となく母性本能をくすぐる容姿、それに茶色の髪と青い眼をしている。

青い目のイケメン中年めあての召使い女たちが、数名部屋に入り込んでいる程度のもて具合は現在も健在であることは、僕もこの目で確認することができた。兄さんという反則みたいにもてる伯爵が出てしまったのと、ダグラス自体は二十代半ばで結婚してしまったことで、それ以降はあまり表立って騒がれることはなくなったようだが。

このカティス家の当主が、人柄は温厚で知識面では頼りになるが、魔力は大したことないという評判は知っての通りだ。イケメンで頭もいいし家柄もいいけど才能がない、というのは、今ひとつ男の魅力という点で決定打に欠けるきらいもし、少々身につまされる僕ではあった。

ダグラスが続ける。


「私が直接視認したわけではありませんが、衛兵らの話によればです。シエラ姫を追尾して確保しようとした一部隊のほぼ全員がそれを見たと言っています。シエラ姫が町中の地中に突如沈み込んで行ったのを」

「何ですかそれ?」


するとハリエットが眉間を寄せて、腕組みをした姿勢でダグラスを睨んだ。


「もっとちゃんと説明してください。アレックス様が困っていらっしゃるじゃない」

「つまり地面にってこと?」


僕は聞いた。

ダグラスは頷く。


「はい、報告によれば。とにかく私が見たわけではないもので――、ですからルイーズに来させて頂きたかった。彼女は目撃者から視覚イメージを読み取れますもので」

「ああ、そういうことか……」

「それでお父様、シエラは地面に沈んだ後どうなったの?」


ハリエットが父親を見据える。

するとダグラスは困惑した様子で娘に注意した。


「何故、呼び捨てにするんだ、シエラ姫様だ。序列を考えなさい」


するとハリエットはそれを待ち構えていたかのようにむっとして、ますます不満そうに応じた。お父様もシエラの味方をする気かというわけだ。


「彼女はもう侯爵家の娘ではないわ。爵位は取り上げられ、身分は失われた。このお城だって取り上げられているじゃない。序列はわたしより遥かに下のはず」

「だが忘れてならないのが、彼女は王子殿下の愛妾になられる予定の方ということだよ。この話は、まだ完全には立ち消えになっていないんだ。王子殿下は何しろお若い。愛妾というのは分かるかい、要は妻以外の女性。情婦。或いは愛人のことだが」

「知ってるわよ、そのくらいっ。お父様も女は馬鹿だと思っているの!?」


ハリエットが文句を言った。


「……とにかく王子殿下の女ということは、それ相応の接し方をしなくてはいけない。どんな階級の出であれ、権力者の寵愛を受ける女というものは、扱いを間違うとこちらが火傷をすることになる。彼女らはまさに危険で特殊な存在なんだよ。たとえばパーティー会場に高級娼婦が紛れていてもだ、彼女が誰か地位のある方の女ならば、我々は素知らぬ顔で彼女をそのように扱う必要があるということだ。おまえも仕官する身となったならば、私情や感情論をはさむのはやめなさい。

確かにおまえの不満な気持ちは分かるよ。自分と年の近い娘を、傅いて褒めそやさなければならないのは女としては非常につらい立ち位置だ。だが仮に相手がどんなに腹立たしい女であろうと、彼女が己を特別な女であると勘違いするくらいに上手く接して煽てることができないでどうする。それが大人の世界の立ち振る舞いというものなんだよ。ルイーズは上手にやっているのを見ているだろう?

おまえたち女の魔術師は、その特別な才能ゆえに、それでなくとも地位あるご婦人方に不興を買いやすい。そんな競争心を表に出すようでは、アレックス様のご迷惑になるよ」

「別にシエラに競争心なんて出していないわ。あんな奴、わたしが嫉妬するほどの女じゃない。くだらない女よ。最低の!

お父様はきっとああいう女がお好みなんでしょうけど、わたしはあのての下劣な女は軽蔑する対象でしかないから。いけしゃあしゃあと愛嬌を振り撒いているその裏で、平気でお母様を犠牲にしてその肖像画すら燃やすような情のない馬鹿女を妻にしたご自分に反省点はないの? 初めから自分だけが妻だったということにしたいからなのよ。所詮自分は後釜だってことを人々の記憶から消すために、お母様がお父様の妻だった痕跡さえ燃やすような女よ!」

「あー、もしかしてまた火がついちゃった?」


オニールがぼそっと言った。


「お嬢ちゃんの根っこは、そこなのね」


ハリエットはそれに構わず興奮して続けた。


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