第284話 夕刻の執務室(4)
僕は手紙を開いた。
そこにはダグラスの恐らく直筆で、「夕刻前、シエラ姫が単独でホリーホック城に入り込もうとしているのを発見、部下を動かし確保しようとしたものの失敗。できるだけ早急にルイーズの応援を要請したい」という内容が書かれていた。
「ルイーズ様の応援要請とは、何なんでしょうか? 詳細が飛んでいるような」
僕が手紙を渡すと、カイトがそれを読んで首を傾げて言った。
「シエラ様に魔法で抵抗されているんですかね? 何にせよ、居場所が分かってよかったですが……」
カイトはクライドに詳細を求めたが、クライドは首を横に振った。
「私は詳しいことは何も。これは魔法文書で、使者が持って来たものではありませんでしたから。伯爵様ご不在時の内務的ご判断はアレックス様にお願いします。勿論、アレックス様で対処が取れない重要度が高い内容ならば、その限りではありませんが」
「重要度で言えば、これは僕で対処は取れる内容だよ」
僕は言った。
「寧ろ、兄さんが戻る前に片づけたい感じ……」
カイトがそれに続く。
「確かに。ダグラス様はいいタイミングで知らせてくれました。こんな要請が来るということは、シエラ様はたぶんまだホリーホック市にいるってことなんでしょう。
シエラ様の居場所がみつかったなら、問題が大きくならないうちに、これはすぐ回収に行くのがいいでしょう」
僕は同意した。
「うん、そうだね。殿下のところじゃなくて、なんでホリーホックにいるのかは分からないけど、とにかく大事にならないで済みそうでよかった。
もう三日後に王都だ。これ以上のトラブルはご免だよ。すぐ打ち合わせがあるからそのときにファン・サウスオール卿に細かい相談をしてみるよ。つまりシエラの今後の処遇について。殿下に仕えてる彼なら、いろいろなことを考え合わせた上で何かいいアイデアをくれるかも……。つまり殿下にシエラを引き渡すための方法をね。
だってシエラはもう存在が危なすぎる。悪い娘じゃないけど、タティとも仲よくしてくれないし、これからも何をしでかすかと思うと、ゆっくり寝られないよ」
とは言いながらも、僕はいきなり胸の閊えが取れたことで、ハイになり、両手を椅子の後ろにまわして笑顔で言ったのだった。何しろ、これでシエラが殿下のところへ言いつけには行っていない可能性が高くなった。仮に言いつけに行ったとしても、その後夕方近くに一人でホリーホック城に来たなら、殿下には取り合って貰えず、僕が想像するにたぶんバンナード公子辺りにこっ酷く追い返された可能性が極めて高い。もし受け入れられたなら、シエラは今頃安心して、王城で休んでいればいいことだからだ。だけどそうはならなかった。ということは、上手くやれば、これは殿下に呼びつけられるどころか、兄さんにさえ問題がばれないで済む。
となれば、僕はこれからすぐにここを発ち、シエラを掴まえに行く以外の選択肢を思いつかなかった。
ともかく問題は突然深刻さを失くして僕の手許に戻って来た。そして、シエラを掴まえたら最後、もう二度とこんなことをしないように言い含める必要があるだろう。
もしシエラが言うことを聞いてくれなかったら、勝手に家出しないように、今後はシエラの部屋の窓には鉄格子を、ドアには専用の鍵をつけよう。そして、シエラが僕を嫌いになることをしよう。
「引き渡しますか」
クライドが僕に言うでもなく、独り言のように言った。
「となれば少し残念な気もします」
「残念?」
僕が聞くと、クライドはその理由を話し始めた。
「ええ。あの姫君はお歴々になかなか好評だったのですよ。アレックス様とシエラ姫、お二人が並ぶと釣り合いが取れると言いますか何と言いますか、実にお可愛らしいとね。当初、アレックス様との婚礼という前提があった頃の話ですが。
実はファンクラブもそれありきで発足された裏事情があります。彼女がアディンセル家に入るということでなければ、赤楓騎士団内にそんなものの存在は許されませんから。
しかし、今だから申し上げますが、不思議な話ですが伯爵様は彼女の墓地についての用意もされていたようです。まだ結婚にも至らない段階においてです。既にこの結婚話は潰れているという前提で、ここからは私の独断による憶測として聞いて頂きたいですが――、伯爵様はシエラ姫を早々に始末する予定だったのではないかとしか思えない準備が事前になされていました。彼がすぐにでも欲しかったのは、今回の領主交代によってある程度の反発が予想されるランベリー州領民の支持で、それを手に入れる手段がウィスラーナ家の末姫を家系に取り込むことだったように思います。しかしながらウィスラーナ家の血筋自体は、今となってはそれほど魅力のあるものではない。大事なのは数年間程度の結婚の事実と、そしてシエラ姫の早期の死亡による退場だったのではないかと考えると、すべての物事の合点がいくのです」
「つまり、閣下はシエラ様を体のいいところでお払い箱にするつもりだったってことですか。アレックス様と添い遂げさせる気は最初から毛頭なかったと」
カイトが言った。
それはもしかして、アディンセル家に代々起こっている妻の死亡という事態を、予め想定して兄さんはシエラの墓を用意していたのかなと僕は思った。それであっても残酷であることに違いはないのだが。
クライドは頷いた。
「そうです。我らが伯爵様は善くも悪くも合理主義者ですから。彼の冷酷な合理性が適用されない相手は弟のアレックス様だけ……、このようなことは姉には慣れていることのようでしたが、私は正直驚いたものです。そして私は女の人生の悲しさを垣間見た気になりました。ウィスラーナ侯爵家はもとは国内でも名門の家柄、貴族階級の男が娶る相手としては血筋の上で言うことはない。しかしながら、やはり直系男子が絶え、しかも失脚した家の娘の扱いというものは無惨なことになります。王子殿下の愛人となるにしても、アレックス様と結婚したとしても、シエラ姫はどちらに転んでも、あまり大切には扱われない運命があった。他人事ながら、誰か彼女を心から慕う男でもいて、そうした悲運のサイクルから彼女を連れ出してくれないかとも思います。しかしながら自分の人生をかなぐり捨てて女のために捧げるほど惚れ込んでくれる男というものも、実際には滅多にいるものではないでしょう。王子から女を奪い取って、果たしてこの国で生活していくことはできるのか? 次期国王から女を奪い取れば、一族郎党が地獄に落ちます。美貌で誰かに引き立てて貰うにも、実際のところ女に人並み以上の才覚が必要になるのが現実……。
随分、取りとめのない話になりました。私個人の印象では、シエラ姫は未だ幼い、無邪気で可愛らしいばかりの姫君でしかなく、待ち受ける過酷な運命を思うと同情心が湧いてしまったのです。どの道が幸いかと言えば、アレックス様との結婚のほうがまだ……、墓場送りにされるまでは、裕福で安全な妻としての生活を送れたでしょうから」
「でもシエラのことあまり好きじゃないんだ。なんて言うか、上手く言えないけど一緒にいても落ちつかないって言うか。
勿論、見ている分には可愛いと思うし、嫌いってわけではないし、可哀想とも思うけど……」
僕は戸惑ってクライドに言った。
「タティよりシエラを優先にはできない。タティを捨てられない」
「すみません。少ししゃべり過ぎました」
クライドは微笑した。
と、そこでまた頼みもしないのにオニールがでしゃばって、場を仕切るようなことを言い出した。
「ま、何にしても彼女がいるとアディンセル家にトラブルしかないんだから、お坊ちゃま君はここは情けをかけず、とっとと追っ払ったほうが得策だぞ。おまえがきっちりノーと言わないと、お姫様はそれが理解できない。まだ望みがあるかもって思ってんだよ。自分がタティより、ってか、他のどの女より女として上だと思ってるっぽいから余計にそうなる。毎朝鏡を見る度に、鏡にそれを肯定して貰えるんだろうからある程度そうなるのはしょうがないけど、ちゃんと振ってやれ。
それで、今度はぐだぐだしないでさっさと王子に引き渡せよ。わざわざお坊ちゃま君が天下のシエラ様の人生を請け負う筋合いはないんだからよ。でないと何処かの馬鹿がいつまでもズルズルするし」
「ええ、彼に同意です」
クライドがオニールを支持した。
「王子殿下に見初められている以上、彼女にはもうそれ以外に道がない。栄誉と思って受け入れるしかないことを話して聞かせるのもいいかもしれません。私の言ったことは、忘れてください。とにかく今は、シエラ姫を無事連れ戻すことを最優先に」
「シエラの捕縛なら、わたしに任せて!」
そこにハリエットが勢いよく手を挙げて名乗り出た。
「確かにシエラは幾つか魔法を使えるみたいだけど、シエラの魔力はわたしより下よ。ルイーズ様にお願いするまでもない、わたしで封じ込められる。やれるわ」
「できるのか?」
オニールが聞く。
「勿論だわ! 彼女の魔法は、所詮お姫様の道楽。深く理論を勉強したりしないで、当たり障りない便利魔法を幾つか習得して魔法使いになった気でいるだけでしょう。
でもわたしは勝負師である本業魔術師。だからシエラが抵抗して来たところで、負けることはないわ」
「でもよ、現在逃げられてるってことは、シエラたんはカティス家の当主様よりは実力がかなり上ってことなんじゃないか? 大丈夫なん?」
ハリエットは肩を竦めた。
「わたしのほうがお父様より魔力がずっと強いのよ。と言うかお父様の魔力が弱いの。それでもさすがにシエラごときに逃げられるほどだらしないとは思わないけど……、何をやっているのかしら。
まあね、お父様の魔力の弱さは半端じゃないから。カティス家直系だからって全員優秀とは限らないのよ。カティス家出じゃなければ別に問題になるほどでもないんだけど。
お父様の年齢がもう十歳若かったら、お父様は何をやってもルイーズ様と比較され、しかも完敗して、そりゃあ大恥を掻いていたでしょうね。実際は世代が違うから、家名と年齢で立てて貰えるみたいだけど」
「いや寧ろ、十歳も若い女に何をやっても負けまくって、生きていられるってダグラス様はスゲー奴だと思うが。同年代だったほうがまだましなんじゃねーか」
オニールは腕組みをした。
「それじゃあ、おまえら、本日はこのまま夜勤に突入ってことかな……。いざ往かん、ランベリー州ホリーホック!
こんな夕暮れから、王都以来の遠出だ。お嬢ちゃんはミスのないように魔法の準備頼むな。飛行中に寝るなよ」
「分かっているわよ。そういうことはアレックス様が指示をするの」
「あーあ、こんなことなら、ヴァレリア帰らなかったらよかったのに。あいつびびって逃げやがって。いれば引き続きホリーホック市で夜遊びできたのにー」




