第283話 夕刻の執務室(3)
僕ら一同が執務室の扉に注目すると、敬礼と共にクライドが入って来た。オレンジ色の光線に包まれた僕の室内に、大した気負いもなく、ほんの少し足を伸ばしたといった素振りで。ちょっとした貴公子風の彼は、たぶん女の目を引くタイプだ。何を考えているのかまでは知らないが、オニールとかとは違って僕に対する礼儀も心得ている。
髪の色や様子は、血の繋がった弟だけあってジェシカに感じが似ているところもあるのだが、全体として彼のほうが格段に洒落っ気があった。彼が室内に現れたのと同時に、ほのかに香水の匂いが香って鼻孔をくすぐった。素敵とか何とか、小さな子供のなりのハリエットが、うっとり言ったりする。
それによって、カイトとオニールが、各々襟を正して自重する。ふざけた態度でいては、クライドに注意されるとでも思ったのかもしれない。
「特に面白くない訪問者。五点」
オニールがクライドに背を向けて、チッと舌打ちをする。
「あんた勝手に失望してるんじゃないよ」
「品がよくて、優しそうな感じがいいのよね。ちょっと年はおじさんだけど、わたしの好みかも」
ハリエットが、オニールとは極めて対照的な感想を述べる。
「やっぱり男の人も見た目は大事ね。お洒落だし、素敵な人。彼は密かに人気があるのよ」
するとオニールが言った。
「女は男の上っ面しか見ないからそう思うんだよ。だけどあの野郎、三十近いおっさんのくせにぶりっ子しやがって。愛人の子だから愛嬌だけはあるんだ」
「彼がいつぶりっ子したの」
「絶対自分でイケメンだと思ってんだよ。あいつ、いけ好かない」
「貴方より格好いいから?」
「要するに競合相手ってのは、気に食わないもんなんですよ。特に自分より優れた競合相手はね。イラつくもんです」
すると先刻の話に対するオニールへの仕返しのつもりなのか、カイトがめずらしく批判的な言葉を被せた。
「つまりオニールは、彼のような感じが理想の自分像そのものなんでしょう。お洒落で人当たりがよく愛嬌があって、しかもイケメンで品がよくそつがない。
しかし残念ながら家でも殴り合いを敢行するようなガサツな男兄弟の中でもまれた奴が、ああいう素養を獲得するのは難易度が高いでしょうな。俺が知る限り、女性に好かれる優しい立ち振る舞いが自然にできる男は本人が女性的か、大抵姉妹がいる。特に姉がいるもんです」
「は? てめー何言ってんだ? ぶっ殺すぞ」
「立場を弁えず、調子に乗ってあまり無礼な言動はやめたほうがいい。彼は伯爵家に仕える筆頭家系の男子で、間違いなく将来家督を継ぐ方ですよ。ジェシカ様は、どんなに優秀でも、女である以上現在の地位はやはり繋ぎの公算が高い。敵は無闇に作らないほうがいい。自分が容赦して貰えると思うとしたらあんたもまだ甘い。何処の世界に男に容赦してくれる男がいるのか」
「うるせーな。立場を弁えてないのはどっちだよ」
「あの方の本性は見かけほど優しくないと教えているんですよ。一応は仲間であるおたくのためにね」
「僕にまで説教かよ……。ああっ、このチームには気の合う奴がいねー!
挙句田舎の明るい農村青年みたいな馬鹿に仲間呼ばわりされるとか、うぜーっ」
オニールが、頭を掻き毟って喚いた。
「だったらこっちも言わせて貰うがな、おまえはまずその頭を何とかしろよ。クソ下男が。一緒にいると何か目立って恥ずかしいんだよ、何十年前の若者だよ」
するとカイトがぎょっとしつつ、髪を撫でつけて受け答えする。
「別に……、おかしかないでしょう。これは今の時代でもフォーマルな場に相応しい髪型のひとつなんだから。閣下にも心がけがいいと褒められましたし。何処に行っても失礼にならない」
「確かに似合うよ。貴族の世界に入るのにださい芋兄ちゃんが必死で気張った感が出ていてよ。でもおまえの場合は血筋が悪いからなんっか芋臭いんだよ。閣下はどうせ笑いを堪えて褒めてたに違いないぜ。田舎者丸出しになるから、王都では僕らとは離れて歩けな。おまえなんか他人だ他人」
「俺はおたくと家族だったことなんざありませんが」
「言ってろ、バーカ、バーカ。存在がうんこみたいな奴のくせに、下男言われて全然めげないとかおまえの神経は鉄柱かよ」
「ちょっと、そんなこと言うものじゃないわよオニールさん。仲間を貶すなんて最低だわ」
クライドは手紙をひとつ手に持っていて、執務机までやって来ると僕にそれを手渡した。
僕はそれを受け取る。白い封筒に、赤い蝋で封がされた手紙だった。言うまでもないが、開封はされていない。
「これは?」
「伯爵様へ、ホリーホック城に詰めているダグラス・カティス殿よりお手紙です。魔法文書です。カイト殿が部屋を出てすぐ届きましたので、追う形になりましたが今度は私がこちらに。
最近はアレックス様とゆっくりお話をする機会がありませんでしたが、お変わりありませんか?」
クライドは穏やかな口調で、気遣わしく僕に言った。
「ああ、うん……。元気だよ」
僕は答える。
ちなみに魔法文書とは、簡単に言うと魔術師が打つ伝書鳩のようなものだ。魔法で届ける手紙だ。
「何故、これを僕のところに?」
「伯爵様は現在、王都です。封筒に至急の文字がある通り、急ぎの内容のようなので、貴方がご確認を」
「そうか」
「香水」
僕が手紙を開く横で、オニールがやや厳しい目でクライドを見て言った。
クライドは人懐っこく笑った。
「よろしければ、貸してあげましょう」
「いや、いいですけど……。格好つけて、閣下に対抗してる感じですか?」
「格好つけて? とんでもない。我らが伯爵様には私など到底足許にも及ばぬこと、自覚しております」
「ジェシカ女史の代理って割には、急遽クライド様が中核仕事教わってますよね」
「なにぶん……、長引いておりますのでね。代理でも仕事を知る必要はあります」
「もしかすると、ジェシカ女史の結婚が決まったとか?」
「そんな話は聞いていませんよ。単に寝込んでいるだけです。疲れがたまっていたのでしょう」
「でも今度ばかりは何かありそうだって、僕の嗅覚が言ってるんですよね。何かがあったか、それともこれから何かが起こるのかは、分かんないんですけど。
本当に風邪こじらせてるだけなのかな? 日頃から病弱ってわけじゃない、男並みに仕事して、女用に軽量化してあるやつだとしても結構重量のある鎧を着て、武器持って、そのいで立ちで馬まで乗りこなせる女傑ですよ。初夏のこの時期に風邪こじらせたってなんか嘘臭い。
実際はジェシカ女史、出て来たくても出て来れないような状態にあったりするんじゃないんですか? 監禁されてるとか。たとえば貴方が彼女を罠にかけたりとかね。いつまでも後進に道を開けない嫡出の優秀なお姉様は、何かと邪魔だろうし」
「ああ……、私を妾腹だと言っているのですね。なるほど。余計なご心配をありがとう、オニール殿。だが詮索をするのに相手に不快感を買うようでは、まだまだです」
「恋人はいらっしゃるんですか?」
気を利かせて空気を変えるためか単なる好奇心か、ハリエットがクライドを見上げて言った。
「どうでしょうね。いい人がいたら、是非紹介してください」
クライドがハリエットを見下ろし、愛想よく微笑む。
「あははは。だっせー、振られちゃったなお嬢ちゃん。いい人紹介してくれってことは、要するにお嬢ちゃんは対象外だってさ」
「ちょっとオニールさん! 貴方、性格悪いわよっ!?」
「いえいえ、振るなんてとんでもない。ご息女はまだとてもお若いので、ダグラス卿に睨まれるのもつらいという意味ですよ。ハリエット殿は将来とても美人になる。きっと私など、手が届かないほどにね」
「まあ」
「慣れてるな……」




