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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第12章 佳客
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第281話 夕刻の執務室(1)

夕暮れ時の橙色を帯び始めた光線が差し込んでいる。

サンメープル城内、僕の執務室。

まず、「わたしは磔にされてもいいからわたしのせいにして欲しい」と勇敢なことを言いつつも、すっかり泣き顔になってそれどころじゃないタティをなだめて部屋に帰した。タティは恐らくこのメンバーの中でもっとも普通の、いい意味で有り触れた人間だったから、こう問題に度々巻き込んでしまうようではいっそ僕なんかに係わらないほうが幸せな日々を送れるんじゃないかという気もしたのだが、妾なんて立場にしてしまった以上、僕は責任を取らなくちゃならない。

責任を取るというのは、生活の面倒を見るという責任を取っているようで取っていない無責任な男の解釈ではなく、まさしく結婚するという意味だ。

僕は伯爵家の次男だから、これの達成は可能だった。何故なら次男は傍系となり、そのうちアディンセル家の本流から遠ざかる一方の血統だから。二十年後には、タティが何だったかなんて誰も気にしなくなるだろう。その頃僕は何処か食べるに困らない程度の領地と屋敷を貰って、タティと犬でも飼って暮らすのだ。権力は要らない。煩わしい問題と切り離せないから。だから僕は毎日、本に埋もれて論文を書き、タティは料理や手芸や庭の手入れをして過ごせばいい。子供が持てれば彼らの世話をしていてもいい……、今のところ見通しは立たないが。とにかく僕はそういう穏やかな生活をタティに与えてあげたいと思っているのに、また混乱させてしまって申し訳ないと思いながら、タティを執務室の外に出したのだ。これから僕の王都赴任は短くて数年かかり、穏やかな隠遁暮らしはそれ以降になりそうだよと、心の中で思いつつ。

続いて、どうにかして普段の高飛車さを取り戻しつつも、しかしながらすべてを自分のせいにされてはたまらないと、ヴァレリアが騒々しく、そして自発的に部屋を出て行った。


「いいことアレックス様、ほんの少しでもわたくしのせいにしたら承知しないわよッ!

貴方の不手際の責任を、まさかこのわたくしに押しつけないでよねッ!」


あの喧嘩は双方に問題があったとか言い訳するくらいなら可愛いものだが、立ち去り際にそう言って、僕に人差し指を突きつけ脅して行ったのは、実に彼女らしいと言えるだろう。

しかし僕は混乱して、それに対して何を言い返したかよく覚えていない。

そして今は執務机について、頭を抱え、ひたすらに今後のことを憂慮していた。

シエラが何処に行ったかなんて、そんなの考えるまでもなくひとつしかない。フレデリック様に言いつけに行ったに違いないのだ。僕がもっとも恐れていたことだ。僕が恐れ続けていたこと。

シエラが泣きながらまたしてもひどい仕打ちを受けたと訴えたら、殿下は僕のことをいったいどう御考えになられるだろうか。

世継ぎの王子の心証を害する――、我々臣下にとって、それは将来的な破滅を意味する。

現在十七歳という年齢を考えれば、半世紀にも及ぶ長期政権になることさえ予想されるフレデリック王子の御代の間、アディンセル家はまたしても忍従の日々を送ることにだってなりかねない……、それもたかが女ひとりくらいのことで。それも僕が惚れた女でもないのに!

ともあれ分かることは、さすがの僕もこれには弱り果てているっていうことだった。そして僕はシエラのためにどんなリスクも取りたいとは思わないこと。

それなのにこんなことになって、僕は兄さんになんて言い訳したらいいんだろう。

僕が悩み抜いている間に、カイトが兄さんが執務室にいるかどうかを見に行った。いるなら兄さんにできるだけ怒られないための言い訳を、現在兄さんの機嫌がいいか悪いかを十分に見極めた上で慎重な協議した後、シエラが家出したことを恐る恐る言うつもりで。

いきなり飛び込んで報告して、怒られるのは怖いのだ。これはきっと間違いなく怒られる内容だから。兄さんは僕を殴ったことはないが、機嫌が悪いときに雷を落とされると、僕は気持ちを脅かされ、仔ねずみのようにそこらじゅうを逃げまわりたくなる。

で、カイトを待つ間、僕はずっと机に伏している。額を押しつけ、平らな執務机の感触を頭で味わう。執務机から少し離れたところでは、ハリエットとオニールが、二人でごそごそ話している。聞いていると、だいたい無駄話だ。シエラの家出を聞いて驚いたのがひと段落したせいか、彼らの態度ときたら気楽なものだ。特にオニールは適当に本棚に肘をかけ、時折髪をいじりながら、軽薄な笑顔さえ浮かべている。所詮責任者は僕だから、自分たちは矢面に立たないと踏んでいるのだ。


「言うまでもないが、我がチームのパシリはカイト君で決定だな。あいつ奴隷根性って言うかなんて言うか、閣下に怒られるかもしれないのに、さっさと自分から行きやがったぜ」

「彼がいちばん年上なのに、それでいいの?」


ハリエットがオニールを見上げる。別にそれはいま気がついたことではないが、このときは急速に、何故子供がここにいるんだと疑問を持たれかねないのが気になった。だって彼女はせいぜい十三歳だ。つまりハリエットの見た目が子供すぎて、執務室みたいな場所に部下としているにはどうしたって違和感があるし、連れて歩く僕がロリコン趣味だと思われるんじゃないか心配ということ。まだ幼さのある少女、という形容より、幼い女の子供という露骨な形容がハリエットには相応しいから。僕はロリコンじゃないのに。でもあの見た目では、殿下に人格を疑われる可能性だってある。

もし殿下の前で誰かにハリエットについて質問を受けたら、なんて言い訳したらいいんだ? 僕が虐待したからハリエットが委縮して育たないとか言いがかりを言われたら?

ハリエットが僕に仕えたのはまだほんの最近のことなんですと言ったとして、それを信じて貰えるだろうか?

僕は追い詰められ、もはや細かいことが気になって、再び頭を抱える。


「パシリになるならないは年齢じゃない、家の序列が物を言うんだよ」

「それならウェブスター家は、少なくともうちやサヴィル家より高いんじゃないの?」

「とにかくいいんだよ、あいつで。まー、偉い人相手のお使いで、叱責されるケースじゃない場合は僕が行くのもいいけど。パシリはあいつ。とにかく僕の序列が下男の下はお断りだね。お坊ちゃま君に使われる時点で何か納得いかないのに」

「貴方がアレックス様をお坊ちゃま君って言うのはどうかと思うわ」

「それはいいんだよ。昔なじみだから。世が世なら、僕ちんがカイト君の立場だったんだぜ。

でもま、何にしても王子に泣きつくのは、実に的確な報復方法だと思うね。僕があいつなら王子に股開いてでもそうするわ。むかつく連中を一網打尽にできるからな」

「まず思考が信じられないのよ。素直に謝れば、わたしだってタティだって、それを突っぱねるつもりなんてなかったのにね。もう邪魔も嫌がらせもしないと約束してくれるなら、許してあげないことはなかったのよ。

それなのに、意地でも自分は悪くないですって。最後には逆ギレして、挙句に被害者は自分になっちゃってるんだから。どういう神経しているのかしら」

「ある意味、極端で面白い奴なんだが」

「全然面白くないから。あんな女は不愉快なだけ」


ハリエットは言った。


「ねえ、そもそもシエラのパーソナリティって、なんであんなふうになっちゃったと思う?」

「そりゃあ、ちやほや持ち上げられる立場だったからだろ?

それより話は変わるけど、最近僕ちんに部下がついたんだよ。王都出向を契機に僕の仕事も本格始動。魔術師もいるんだ。男の魔術師だしお嬢ちゃんより能力的に格落ちするけど、近いうち紹介するから、情報交換とかしてやってくれな。

お坊ちゃま君と呪術契約をしたお嬢ちゃんだけは、絶対に裏切りができないって裏づけがある人間だから、何かと連携して行こうな」


その話は僕も聞いているが、なんとサヴィル家から来るのは全部あいつのお仲間らしいので、クズぞろいなのは間違いないだろう。どうせ次男の僕に仕えるのは、主力ではない一軍落ちの人間ばかりになるだろうからそれも仕方がないのだが。さしずめオニールと馬鹿の寄せ集めというわけだ。こうなったら全員に身の程を思い知らせ、僕にひれ伏させてやるのだ。


「それはいいけど、勝手に話を変えないでよ。貴方シエラの味方する気なの?」

「そうじゃないけどさ。でもその話をいつまでもしつこく言い続けるのもどうかなって。悪口大会はもういいだろ? おまえが男取られたわけでもない。当事者の二名は帰ったわけだし」

「だって、こんなのって怒りが収まらないわ。あいつ最後も被害者ぶって泣きながら逃げたのよ。わたしたちがあれほど訴えたことが、あいつにはまったく伝わっていないんだもの。シエラのこと、貴方は頭に来てないの?」

「まあ、僕がお嬢ちゃんと真面目にそれを言いあうって何かおかしいじゃん」

「病み上がりなのにあんまり心配させるといけないから、タティには大丈夫だなんて言ったけど。もし、シエラが薔薇君様に言いつけに行ったなら、それであんな涙で取り繕われたら……、薔薇君様や、あいつの本性を知らない大多数は、きっとシエラが正しいと思っちゃう!」

「確かに、上手い奴は上手いからなー」


オニールが既にあまり関心のなさそうな声を出す。


「でもまあ何にしても王子にチクられたとあっては、おまえが取れる方法はひとつだ。あいつが気に食わないのは分かるが、お嬢ちゃんはもう、これ以上余計なことは言わずに黙ってろな」


オニールは言った。


「でもそれじゃあ、あいつが薔薇君様に好き勝手言って、一方的にわたしたちを貶めるのを、反論することもできないじゃない」

「できないね」

「あいつが悪いのに、それじゃ正義は何処にあるのよ!?」

「そんなものは千年前にとっくに死に絶えたんだ」


しばしの沈黙の後、ハリエットのため息が聞こえた。


「審議場所が変わったら、もう王子か王子が許可した奴しかしゃべれないんだよ。僕らは意見陳述なんて認めて貰えないよ。

悔しいだろうけど、彼女はヒロインなんだよ。但し、王子様を間違わなければな。今は相手を間違っているから物事がいろいろと噛みあわなくなってる。いろんな奴を巻き込んで、被害者が続出してるんだ。これは言わば、彼女がそれに気づくまでの物語。

今のところは招かれざる客だが、今回、王子だの閣下だの巻き込んで、事ここに及んだなら、この騒動もそろそろ終わりに近いよ。愛妾になるのは時間の問題。僕らにできることは、もう相手にしないことだ」


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