第277話 慟哭と嘆きに巻かれて(3)
「はあッ!? だから何なのよ、クソみたいな女のくせにそのど厚かましい善良アピールはっ!
私は何も悪くありませんって、憎たらしい! いちいち虫唾が走る女ねッ!
クソうざい悲劇のヒロインぶるのはいい加減にしなさいよ、悪役はおまえだってまだ分からないわけッ!?
内気でけなげで人畜無害な愛され天然美少女ってのがおまえの理想的自分像で、おまえは日々そのつもりで演じていらっしゃるんでしょうけどねえ、生憎と実際のおまえは隙あらば他人を蹴落としてでも男を掠め取るど厚かましい性格をしたプライドの高い傲慢なスケベ女なのよッ!
ったくこのわたくしがこんなに親切に教えてやったんだから、自分は嘘つきでいやらしい欲しがり女だってそろそろ自覚しなさいよブスッ!
育ちの悪い下品なあばずれのくせに、カイトにこれ以上ちょっかい出したら許さないからッ!!
命令よ、おまえみたいなクソビッチは、今すぐこの城から出て行きなさいッ!!」
ヴァレリアが再びビシッとシエラを指差した。
確かに普通の気弱な女なら、怒涛のような暴言の挙句ここまで啖呵を切られては、泣くか黙るかしかないと思うのだが……、シエラは即座に言い返した。
「タティさんと同じくらい美人じゃないくせにどうしてそんなに自信満々なの!?
貴方はちっとも美人じゃないのに、何故美人じゃない貴方が、私と同じように美人であるかのような態度を取るのっ!? 恥知らず! そんなのおかしいわ! 貴方は私に勝てないのっ! 貴方は私に勝てないのっ!!」
「ほら、それが本心なんじゃない」
ハリエットが横からシエラを挑発する。
「だいたい貴方だったら、貴方みたいな女と友だちになりたいと思うの? 客観的に自分を見てご覧なさいよ。貴方がみんなに嫌われる理由はつまるところそれよ!
お給金が出るなら仕えてくれる人はいるだろうけど、友だちになるのは無理だわ。どうして貴方みたいなくだらない人をヒロイン扱いしなくちゃならないのよ。きっと貴方だって、面倒くさすぎてごめんだと思うはずよ」
するとシエラは顔を真っ赤にして叫んだ。
「こんなことはもうやめてっ! 私は私を悪い子だとも、嫌な子だとも思わないわ! なのにどうして私を虐めるの、もうこんな意地悪はやめてっ!
貴方たちはあまりに酷すぎるわ、私に対する思いやりはないの!? 私はウィスラーナ侯爵家の娘よっ!!
貴方たちは早く自らの罪を認めて、私にきちんと謝って! きちんと私に謝ってっ!
そして貴方たちこそ三人とも今すぐこのお城から出て行ってくださいっ!
貴方たちは三人ともお顔も心も醜いのだから、それに相応しい場所にいなくなってっ!
さもなければ私は、もう貴方たちを絶対に許すことはありませんっ!!」
「……駄目だわコイツ、これだけ言ってまだ分からないとか、完全に頭が狂ってる。薬でもやってるとしか思えないわ。もう許しておけない、もう我慢の限界よっ!!」
ヴァレリアが腕を伸ばしてハリエットを制し、ゆらりと一歩前に踏み出す。
「股を開いて他人の男を奪い取ることを恥入りもしない丸太のような神経の、尻軽の根性悪の背信背徳上等のドスケベの恥知らずのど淫乱が、何がお姫様なのよ図々しい、せいぜい場末の娼館の泡姫がお似合いのスベタのくせにこの薬中のろくでなしのズベ公がッ!!
言ってお分かりにならないなら、いいわ、身体で分からせて差し上げるわッ!!」
「きゃあっ!」
そして言うが早いか、ヴァレリアが突如ものすごい勢いで突進してシエラに飛び蹴りを入れ、そのまま二人とも床に吹っ飛ぶ。ヴァレリアは間髪置かずにシエラに跨ると、その頬に何発もビンタを食らわせた。それから双方ともに床の上で縺れあって、罵り声と、髪の引っ張りあいが始まった。しかし、信じられないがシエラもやられているばっかりじゃない。シエラもヴァレリアの腕をつねったり、頬を叩き返したりしてきっちり反撃している。ハリエットが負けじと飛び出して行って、シエラの足を押さえつけたりして、ヴァレリアに加勢を始めた。
そして僕は、静かにたたずむ。
それはたとえばそう、永遠の時を刻む次元の果ての砂時計のように……。
ひとつ思うことは、ヴァレリアは女なのにあんな飛び蹴りができるなんて、これはとんでもない運動神経だ……。
「あっはっはっはっ! まどろっこしい罵り合いより、僕はこういう展開を待っていたんだよ!
ドロップキック食らって泣かないとか、シエラたん強ええー! さっすが侯爵令嬢っ、下等な女どもには絶対負けないって闘志がいいねっ!
ヴァレリアも負けんなっ、ここで負けたらカイト君を分捕られちゃうぞっ!
おっ、ついでだからお嬢ちゃんはそいつらのそのパンツを毟ってくれ。ってかおまえら、もうレズっちゃえよっ」
オニールが、ピーピー言う指笛と野次で取っ組み合いを盛り立てる。
アホは何処にでもいるものなのだ……。
「ああっ、もうっ、やめてください、お二人ともやめてくださいっ!」
僕が引き続きたたずんでいる中、やがてそのまま放置するのはまずいと判断したらしいカイトが慌ててその中に割って入って行った。
するとそれまでは結構善戦をしていたはずのシエラが、そこにきて突然大袈裟とも思えるほどの声で泣き出した。まるで親の庇護を求める迷子の仔猫のように、涙ながらにカイトに自分の窮状を訴え、彼の背中にぴたっと可愛くしがみつく。
それでカイトはかなりぎょっとし、彼らしからぬそれは慌てた様子で何度も自分の背中を振り返った。彼は慌てふためいていて、頬がうっすら染まっている。それで、それまではシエラとヴァレリア双方ともに制止をかけていたのが、それ以降、どういうわけかあっさりヴァレリアの攻撃からシエラを庇うという露骨な立場を取り始めた。
彼は以前、幼い妹たちを例に挙げ、女の喧嘩はどっちの味方もしないほうがいいとか何とか言っていたような気がする。それは、女は信頼している人間に突き放されることを極端に恐れるから、わざわざ可愛い妹たちを悲しませるようなことはするべきではないという、ある意味子供ながらに賢いお兄ちゃんの、愛情に満ちた経験則だったのだが……、話が美人となると、そういう配慮は吹っ飛ぶらしい。ああ無情。
「ちょっとカイトさん、何それっ!?」
ハリエットが愕然としてカイトを非難する。
「貴方ねえっ、庇う相手が逆でしょうっ!?」
そして当然、これではヴァレリアは面白くないだろう。婚約者が自分以外の女を背中に隠し、あからさまに庇ったのでは。
「どうしておまえがシエラを庇うのよッ!!」
ヴァレリアが当然のごとく激昂する。
するとシエラを自分の後ろに庇いながら、カイトが言った。ちなみにカイトも僕とあまり変わらないくらいは身長があるので、シエラとはそれなりに身長差があり、あんなふうにぴったりくっついていると、二人はまるで恋人同士に見えないこともない。
「落ちついてくださいお嬢様。シエラ様が怯えていらっしゃるじゃないですか……、何なんですこの大騒ぎは。女が乱闘って、何なんですかみっともない。とにかく、もっと声を落として。乱暴はやめてください。シエラ様が可哀想でしょう。高貴な方に怪我でもさせたらどうするおつもりですか?
シエラ様は貴方のようなその他大勢の女とは違って、上品で傷つきやすいんですよ。彼女の気持ちをもっと考えてあげてください。何を自分と同じだと思っているんですか。とにかく貴方は今すぐシエラ様に謝って」
「はあッ!?」
そして事態はここに来て、新たに別の対決に発展しそうな様相を見せ始めた。
一方、オニールは手を叩いて冷静にシエラを皮肉った。
「エクセレント。あいつ上手いなー、男への取り入り方が。カイト君をあっさり味方につけちゃったよ。
もっとも泣きつくなら、別に僕でもお坊ちゃま君でもよかったはずだからな。わざわざここでカイト君をチョイスするとは、これはヴァレリアへの毒針攻撃だろうけど。あいつ絶対にヴァレリアを負かしたいとみえる。とんでもない負けず嫌いだぞあれは」
「お兄様がいたからね……」
僕が呟く。
「お兄様どころの話じゃねーよ。しかもカイト君、何かあいつのこと目で追ってたからなー。いかにも好きそうなタイプだとは思ってたんだけどさ。馬鹿がヴァレリアを裏切りやがって。あの甘え方、たまらんだろー。
ああいう場合はヴァレリアも、あいつと同じように競って被害者のふりをするべきなんだが……。
そうすればカイト君はどっちを庇っていいか困るまんま、これでお開きになるのに。いきり立って立ち向かうとかアホすぎ。
おいヴァレリア、ここはおまえも同じように泣けって。せめてバタッと倒れろって。ああ、もう見てらんない。なんで自分から悪者になるのよー」
そして僕は引き続きまごまごした。




