第274話 光のお姫様vs爆裂お嬢様(4)
シエラは続けた。
「ええ、そうよ……、カイトさんは私が好きよ。貴方がそうやってみっともなく嫉妬して、腹を立てている通りよ。彼が言えない想いを私に向けてくれていることを随分前から知っているわ。
でも、彼が私に夢中だからって、そんな身勝手で横暴な八つ当たりはやめてっ! 貴方が彼に相手にされないのは私のせいじゃないわっ!
カイトさんのことが本当に好きなら、私に嫉妬してそうやって私を責め立てるより、もっと彼に好かれるように努力したらいいじゃないっ!
なのに何故そうやってファンクラブとか、タティさんのことで怒っているみたいにして私を責めるの? 貴方はそんなにいい人じゃないでしょう? どうせ自分のことしか考えていない人のくせにそんな正当化はおかしいもの!
貴方が怒りたいのはそこじゃないくせに、貴方が最初からカイトさんのことで私に文句を言いたいって分かっていたわ。でも貴方はまるで違うことが問題みたいな言い方をして、とても卑怯よ!
だって、仕方がないじゃない、私は彼を誘惑なんてしていないけど、そういうことって、私の人生にはよくあることなの。でも私は彼を選ばないとちゃんと言っているじゃない! これ以上、私にどうしろとおっしゃるのっ!?」
「ちょっと……、言うに事欠いて……、人を怒らせるのも大概にしときなさいよ……」
どうやらこれは形成が一気に逆転してしまったのか――。
気がつくとあのヴァレリアが、ヴァレリアお嬢様ともあろう者が、これまでに見たこともないくらい、真っ青な顔をして声を震わせている。
だが一度怒りに火がついたシエラは、まだ容赦なく続けた。
「彼は貴方といるとすごく苦痛そうで可哀想なほどだけど、私といるときはたくさん笑顔になってくれるのよ。これが何を意味しているか分かるでしょう?」
「……」
「そうよ、ヴァレリアさん。カイトさんは私といるほうが楽しいのよ。遠慮深い方だから、いつもアレックス様に気兼ねしていらしたけれど私はちゃんと気がついていたわ。彼はいつも私を見ていた。彼は私を愛しているのよ。だから貴方は私に勝てないの。美しさでも、血筋でも、男の人に愛される女かという意味でもよ!
ヴァレリアさん。私、できればこんなことを言いたくなかったのよ。こんな意地悪に聞こえてしまうことを説明しなければ分かって貰えないなんて、私、とても悲しいわ……。
だけど貴方が悪いのよ。全部貴方がいけないの。貴方が私を責めるからいけないのよ。私は何も悪いことをしていないのに、貴方はまるで私を泥棒扱いするから。タティさんのことにかこつけて、本当はカイトさんを奪ったと怒っていたのよね。
だけどそれを言えば、貴方は彼に愛されていないことを自分で認めてしまうことになるわ。でもそれはとんでもなく自分がみじめだから、だからタティさんのせいにして私を悪者だって責めていらしたんだわ! そうなんでしょう!?
でも貴方が私を侮辱していいはずがないわ。私は貴方程度の方に馬鹿にされる筋合いなんてない、だから貴方も同じように屈辱を与えられるべきだと思ったの。
お願いよ、貴方の問題をこれ以上私のせいにするのはやめて。この問題は私には無関係のはずだわ。貴方がカイトさんに愛されないことも、みじめなのも私のせいじゃない」
「よく言うわ、この根性の薄汚いズベ公が……」
ヴァレリアは静かにうなだれた。しかしぎりぎりと、両手の拳を握りしめてもいる。
「おまえってどうせこれも、意図的に言っているのよね……。いかにもわたくしが勝手な言いがかりをつけていて、自分は飽くまで誠実な被害者かのように周到に演技をしてみせながら……、その実こうしてわたくしを人前でこき下ろすのが第一目的なのよね。
わたくしをわざと人前で、ここまで徹底的に侮辱するのが薄汚いおまえの真の目的……。
でもね、わたくしがタティのためを思って言っていないなんて、それはおまえが自分の物差しを基準にしているからよ。おまえこそが常に自分だけ得するように動く女だから、そういう勘繰りができるのよ。自分がそうだから他人もそうだと、おまえは自分自身の思考パターンをわたくしにそのまま投影したんでしょうね。
でも、わたくしは常に友人のために動いているわ。わたくしがもし、おまえのようにいつも自分さえいい思いをすればいいという考えなら、どうして友だちなんて持てて? 女なんてすぐ裏を読む生き物なんだから、本気でやらなかったら友情なんて維持できない」
その通りねと、ハリエットが後方からヴァレリアを強く支持した。
「それがおまえときたらどうなのよ。おまえこそ、どうせいつもいつも自分のことばかりなんじゃなくて? いつも自分だけが愛されたい。いつも自分だけが可哀想……。
ウィスラーナ侯爵の失態のせいで、おまえの家の領地は幾つもに解体されてバラバラになったのよ。大迷惑を被った領民がいったいどれほど大勢いると思って? 中には住む家や、食い扶持を失くした者だって大勢いるでしょう。この重大さがおまえは分かって……?
それを、名門侯爵家の娘でありながら、おまえは彼らのことを気にかけることさえしていない。信じられないことだわ! 何も感じないの!? 領主の娘でありながら!?
馬鹿のひとつ覚えみたいに、自分の色恋にうつつを抜かして! 他人の城にぬくぬく暮らしながらアレックス様を追いかけまわして! なかなか報われない自分の恋に酔い痴れて、しまいにはけなげな悲劇のヒロイン気取り!
わたくしがもしおまえの立場にあるのなら、もはや自分の結婚の機会をなげうってでも、生涯をかけてでも彼らの救済のために働くところなのに……、それが領主の家に生まれた者の責任というものなのにっ!
なのにおまえこそ常に自分のことばかり! おまえが王子にお願いすべきはタティを見殺しにしてなんて馬鹿なことじゃなかったはずなのに、おまえはおまえのウィスラーナ侯爵家に係わっていたすべての者たちの生活やその行く末のことをまず第一に考え心を砕くべきなのに! その安寧をこそ王子に願い出るべきだったのに! 何にも考えていない! おまえはいつも自分のことだけ! いつも自分の幸福だけ! せいぜいで家族の幸せどまりで、これまで代々縁の下で支えてくれていた者たちのことなど世界に存在していないかのように完全に度外視! 彼らのことなんて、思い出しもしない!
おまえのその考え方は、搾取しかしない悪徳領主の思考そのものよ!
侯爵の娘たりえないほど民衆のことを想わない唾棄すべき典型的な馬鹿女……!」
ハリエットが、ヴァレリアに強く賛同と拍手を捧げる。
「おまえは王子を公開処刑したって、さっきアレックス様やハリエットが言っていたけど……、今度はこうしてわたくしを同じように人前で罰したっていうわけよね。きっとこれがおまえのやり方なんでしょうね。うざい相手に人前でわざと恥を掻かせるって罰し方が。
そうすれば相手を二重に叩けるんですものね。しかも自分は弱々しい犠牲者のふりをしていられるし、他人の目があるからどうしても自分への返礼は半減される。
まったくいい性格よ……。おまえって女が恐ろしいわ。十八歳でそれなら、十年後にはいったいどんな化け物になっていることか」
「言いがかりです」
シエラが言った。
「でも、どちらにしても、貴方は私に勝てないわ。私を見る大抵の女の子は、みんなそういう妬みと憎しみに満ちた目でわたしを睨むの。何故かも知っているのよ。それは私のほうが他の子たちよりずっと綺麗だからなの。だから私、こんなことは子供の頃から慣れているの」
「挙句、人の話を聞いていないわけ!?」
シエラは割ときっぱりヴァレリア自体を否定した。
シエラの容姿や話し口調が可愛いものだから、あんまり大したことを言っていないように僕なんかは錯覚してしまうのだが、要するにヴァレリアより自分が上等の美人だと言い切ったようだ。
こういうことは、あまりはっきり言うと申し訳ないが、それは確かにシエラの言う通りで、シエラとヴァレリアを直接比較するとすれば、どうしてもやっぱりシエラが美人であるというのは議論の余地がないほどだった。ヴァレリアも美人じゃないとは言わないが、シエラはやっぱりちょっとレベルが違う。
これは断固口に出したりすべきことではないが、ヴァレリアが可哀想な思い違いをしているとシエラに指摘されても、仕方がないくらいに二人の差はあるのだった。ヴァレリアは勿論、一般的には美人なんだけれども。ただ、自分で思っているほどじゃない。これは、言ったところで意味のないことだから、言わないけれども。
またヴァレリアは唖然としているが、シエラに領主の家に生まれた者の責任について責めても、大したダメージにはならないようだった。簡単に言うと、ふわふわしているシエラにはあまりに思慮の及ばない話だからだろう。悪気はないと思うが。社会に対して意識の向かないタイプの女にそれを求めたところで、何の意味もない。政治に無関心の女に政治の話をしても、煙たがられて、かえって僕の評価が下がって終わるのと同じように。
シエラは続けた。
「でも貴方が私に謝るのなら、カイトさんに話をしてあげてもいいわ。ヴァレリアさんを好きになるように努力してって。彼は私のことが好きだから、きっと私の言うことなら聞いてくれるわ。だけどそうするためには、貴方が謝ってくれなくては嫌です」
「この上、このわたくしに謝れですって……!」
愕然としてヴァレリアが言う。
「ええ、そうよ」
消沈していてなお激しさを秘めるヴァレリアの気迫に押されたか、シエラは目をしばたたかせた。
「睨まないでっ。睨んでも無駄よ、貴方の脅しなんて私、恐くない。私は貴方みたいな悪者に負けたりしないわ。
ヴァレリアさん、貴方は私に対してとても礼儀を欠いたわ。だから謝罪が必要です。常識でしょう? 悪いことをしたら、相手にごめんなさいを言うのは。それとも貴方はその程度の躾けもなされなかった恥ずかしい育ちの方なのですか?
私を馬鹿にするための貴方のつまらない話なんて聞いていないわ。
ここで大事なのは、貴方はカイトさんに好かれていない八つ当たりで、私を虐めに来たこと。彼に愛されている私を気に入らなかったからそうしたのよ。そうなんでしょう?
だから、それを謝罪するのは当然のことだと思います。だって私からカイトさんを誘ったことはないのよ。彼が勝手に私を愛してしまっただけ。なのに貴方は私に嫉妬して、一方的に失礼なことをしたのよ。
それに世が世なら、私は本気で貴方を罰することだってできるの。どちらが立場が上かをきちんと弁えてください。今だってそうよ。貴方があんまりひどいって、ギルバート様に言ってあげてもいいのよ。ギルバート様も貴方より、私のほうがずっと好きだって、自信があるもの。貴方のこと、後で彼に怒って貰うわ。私を馬鹿にしないで。貴方の私へのそういう態度は少しも許されないのよ。だから、謝ってください」
「……」
ヴァレリアの長い黒髪が、微かに震えた。
「ちょっと待ちなさいよシエラさんっ、それって随分じゃないっ!」
そこでハリエットが我慢の限界だとばかりに、勇ましく前に飛び出した。
「だったら貴方がまずタティに謝りなさいよっ! 馬鹿じゃないのっ!?
ヴァレリアに今の無礼の謝罪を要求するなら、それならまず貴方がこれまでのタティに対する再三の無礼を謝りなさいよ、それが道理ってものでしょうっ!
タティが貴方に何かしたの!? したなら具体的に挙げてみなさい、何にもしていないでしょう! その通りよ、タティは貴方に何もしていないわ。ただアレックス様との再会を喜んでいただけ!
なのに貴方はタティが勝手に自分を傷つけたとか言って、勝手な被害妄想で、毎日毎日タティを姑息に罰していたんだからっ!」
「私は何もしていないわ」
するとシエラはハリエットの言い分に驚いた顔をした。
「アレックス様の前で、あまり変なことを言わないでください。困るわ」
「いいえ、何もしていないなんて嘘言わないでよ。貴方、タティの私物を全部箱に入れて、タティの部屋の前に突っ返していたでしょう! 知っているんだからね!
ああいうやり方が嫌がらせじゃなくて、何が嫌がらせなのよ!」
「いいえ、違います。あれはタティさんにもちゃんと理由をお話したはずよ」
「模様替えが言い訳になるとでも思うの? 本当に模様替えなら、じゃあタティの物も置き場所を変えてあげたらどうなの? アレックス様の部屋は広いのに、タティの物だけ選び出して放り出した意図は何なのよ。貴方の魂胆はみえみえよ!」
するとシエラは睫毛を伏せた。
「……だって。仕方がないわ」
「何が仕方がないのよ」
「前の女性の物が好きな人のお部屋にあったら、誰だって嫌な気持ちがするでしょう? 私もそうなの。たぶん、女の子は誰でもそうだと思うわ。ハリエットさんだって、きっとそうでしょう。恋人のお部屋に自分以外の女性の物があったら……、誰だって急いで片づけたくなるものだわ。
でも私、それをご本人には言えなかったの。私、彼女を傷つけたくなかったのよ。だから部屋の模様替えをしたと言ったのよ。気を悪くさせないために。それの何がいけなかったのですか? 私は彼女にきちんと気遣いをしたのよ」
「貴方のそれは気遣いになんてなってない、単なる自己正当化じゃないのよ!」
ハリエットが大声を張り上げた。
「いけしゃあしゃあと貴方ねえっ……、だいたいタティは前の女性じゃないでしょうっ!? 今の女性じゃないのっ!
貴方はいったい、どれだけタティを傷つければ気が済むのよっ!」
「いいえ違うわっ、タティさんが先に私を傷つけたの!」
シエラもまたハリエットに負けずに大きな声で訴えた。
「そんなことを言うなら、私、貴方に聞きたいわ。タティさんが幸せになるためなら、私が泣いても構わないと言うの!? 傷ついても構わないと言うの!?
貴方の言い分はとても友情に満ちていてご立派だけど、私のことを少しも考えてくれていないわ。
何故私が、タティさんなんかの幸せを受け入れなければならないの!? 何故私が彼女の犠牲になるの!?」
「だからっ……」
「アレックス様は私を愛してると言ってくださったの!
アレックス様はタティさんの前で、シエラを愛しているって……、はっきりそう言ってくださったのよ!」
「嘘つき! アレックス様はそんなこと言わないわ、でたらめ言わないで!」
「本当だものっ!」
「嘘つき!」
ハリエットはシエラを警戒して指差しながら、立ち尽くすヴァレリアの側に寄り、その背中に気遣わしくそっと手を添えた。
「ヴァレリア、泣かないで。泣いては駄目よ……」
いったい何事かと思って僕が見ると、あのヴァレリアお嬢様の頬に涙の筋が伝っている。
急にヴァレリアが静かになったと思っていたら、なんとヴァレリアがまるでか弱い女の子かのように、身体を震わせぽろぽろと泣いていたのだ。後から後から涙の滴が床の絨毯に落ちている。
これはかなり信じられないが……、どうやらシエラがヴァレリアの何かにとどめを刺し、ヴァレリアを泣かしたようだ。




