第273話 光のお姫様vs爆裂お嬢様(3)
と、ヴァレリアは何を思ったか突然僕を振り返った。僕は凶暴な肉食獣に睨まれた小動物のごとく、思わず反射的に逃げの姿勢を取ったが、ヴァレリアはお構いなしで僕の腕を掴むと、また無理やり強引に僕を引き寄せた。
シエラがはっとして、それまでの優しげな表情から、一転して妬ましいような表情を浮かべる。
それを見て、ヴァレリアはいよいよ勝ち気に唇をほころばせる。
「でもシエラ、それって、実は表向きのことなのよ。だってカイトみたいな下男と、このわたくしとがどうにかなんてなるわけない。当り前よ。当然でしょう? わたくしにあんな卑しい下男は釣り合わない。あんな男と結婚する女なんて、とんだ恥晒しですもの。さもなかったら完全にマゾヒストよ。
本当はね、わたくしの結婚相手はこのアレックス様なの。カイトじゃなくてアレックス様」
「そんなっ。そんなお話は、私、聞いていませんっ」
「そんなの当然じゃない! だってまだ言っていないんだからっ!」
ヴァレリアはいきなり周囲をたじろがせるほどの大声を出して言い切った。
「でもわたくしたち、実はずっと前から深く愛し合ってる」
「ええっ」
僕はのけぞった。
ヴァレリアはそんな僕の腕を厳しく引いて、僕の姿勢を強引に正させた。
「ほほほ、見なさいシエラ。わたくしの夫のアレックス様ったら本当のことを言われて照れているみたい。まったくしようがない人。素直になれないのよね、でも彼ってちょっと気は弱いけど、かなりいけてるでしょう。伯爵家の血筋だし、身長もあるし、顔もまあまあだから、絶世の美女であるわたくしのエスコート役としてはまあそう及第点。
ほら見てシエラ、見なさい、わたくしたちの愛はいつだって完璧ですのよ。二人は最高にお似合い。だから、おまえの入る余地なんてないわけ! お生憎様っ!」
「そんなの嘘です!」
「嘘じゃないわよ。それっていうのもこういうことなのよ。ウェブスター家ではしばらく男子が生まれなくて、このままだと家の継承者がいないわけ。女子には家督継承権がないなんてふざけたお話だからなんだけど。
それで仕方がないから表向きカイトみたいな、平民と交雑した下品な超傍系を無理やり引っ張って来た……、でも、そういうときって、やり方はそれだけじゃないのよ。
アディンセル家にこのわたくしが嫁いで、男子を二人ばかり生むでしょう。それで、次男が成長したらウェブスター家の土地だったところを任せる。そうすれば先祖のお墓も血族によって守られるし、我が家の領地に古くから住んでいる者たちだってそれなら納得もするわ。ウェブスター家の血はアディンセル家の血となって、名門大領主の仲間入りよ。このままいけば、わたくしの息子が次の次の領主なんだから。どう?」
そしてヴァレリアは僕に問いかけた。
「えっ、どうって……、君は確か、前も何かそんなようなこと言ってたけどそれって」
「ちょっと! いい考えでしょうって、世界最強の美女であるわたくしが言っているのよ! ぐだぐだ言っていないで、さっさといいって言いなさいよ。嫌とは言わせないわ!」
「えっ、嫌だよ……うっ」
僕は黙らされた。何故ならヴァレリアがまた僕の足をがつんと踏んづけたからだ。僕は足の小指を踏まれた痛さに、言葉を飲み込む。
「おおっ、冴えてるな」
更に余計なことに、オニールがヴァレリアを称賛した。
「それでいいんじゃん、考えてみたら。そうすればヴァレリア、僕ともいつでも遊べるし。この城に住むわけだから」
「何か自分でもいい考えな気がしてきたわね」
ヴァレリアは高飛車に笑って自画自賛した。
「そんなの嫌ですっ! アレックス様は私のものですっ!」
それでシエラが怒って、また僕の腕にしがみつこうとするのを、ヴァレリアがまた突き飛ばして阻んだ。ヴァレリアの気の強さの前には、シエラの可愛い甘え癖すら形無しだった。
「きゃあっ」
「ちょっとクソ虫が気安く近寄らないでよ、しつこい女ね。おまえはさっきから隙あらば人の夫に飛びつこうとして、どういう淫乱よ。それ白痴を装ってるのが丸見えでうざいんですけど。
おまえはあれなの、ムササビか何かのつもりなのかしら? だとしたらすごくダサい。くどいし。バカは森へ帰りなさいよ、こっちはおまえの意見なんか知らないのよ!
知り合った男の半分にはこなかけてるような尻軽が、人様の男に近づかないで!」
「そんな、ひどいわ。私、そんなことしてませんっ」
「現にしてるじゃないの、カイトにアレックス様、それにバカシエラファンクラブのゾンビみたいなもてない会員ども」
ヴァレリアは指を折ってシエラを責めた。
「ほおら、ちゃんと誘惑してるじゃない。それとも美しい自分に魅了された男が勝手に自分を想ってるだけで自分は純真無垢だとでも言いたいわけ!?
でもそんな口上は同性には通用しないのよ。おまえの考えてることくらいこっちは全部分かってる。おまえ程度の女の安っぽい思考くらい、こっちはお見通しなのよっ!
とにかく男なしではいられないくせに、ともすると自分が運命に翻弄されている純情な被害者のように持って行きたい計算高いクソビッチ……、清純ぶって、本当はとんでもないぶっとい神経した、ど淫乱のくせにね。
だいたいがプリンセスシエラ・ファンクラブなんておまえはあれなの、新興宗教でも作ろうって腹づもりなの? バカシエラ・ムササビ教とか」
「私、そんなつもりではないのに……、ひどい」
「ひどかないわよ、おまえなんかぶりっ子しまくりじゃないの。ちょっと見ただけですぐに分かったけど、おまえって純情演出があざといのよ。自分は他の女より上等ですって無言の主張がうざすぎ。
それで自分だけは人より傷つきやすくて繊細なのって? 人より清らかで慈愛に満ちてる聖女様よって? そうじゃないから! おまえの態度自体がもうそうじゃないから!
これだけ周りの人間をイラつかせるろくでなしのおまえは清らかでも繊細でも何でもない。図太いし痛い! これだけ! おまえ痛すぎ! 痛すぎよおまえは! いかにも赤ちゃんはキャベツ畑になるとか、本気で思っているふりをして、男に清純アピールしちゃってる痛い女って感じっ!
もっと言うとおまえは女の敵よっ! おまえみたいなのがいるから女が全部馬鹿と思われるの! 女が全員おまえみたいに浅はかで男に媚びるのが好きな愚劣な利己主義と思われるの!
そうやって頭のたりないふりまでして、おまえはいったい、どれほど女の地位を貶めれば気が済むのよこの恥知らずっ!
わたくしたちまともにやってる女の評判や功績をことごとく潰して、足を引っ張ってよ、おまえはいったい、わたくしたちに何の恨みがあってっ!?
なのにほんっと男って馬鹿だから! 自演過剰の純情気取ったこのてあいは、何から何まで全部計算づくの腹黒狡猾クソビッチと相場が決まっているのに馬鹿な男は簡単に引っかかるんだからおまえも笑いがとまらないんじゃなくて! 挙句アレックス様を一本釣り! この嘘つきかまとと女が! いい加減にしないと殺すわよっ!」
「そんなっ、そんなっ……、私っ、貴方こそそうなのではないのっ?」
やはり物を言うのは気性の荒さと、喧嘩経験値の差であろうか。どうしたってシエラではヴァレリアに敵わない。迫力や間合いの取り方も、言葉数の多さ、口の達者さでも到底ヴァレリアのほうが上だった。
一方ヴァレリアにやり込められて、シエラはもはや目をうるうるさせている状態だったし、子供の頃からたくさんの同性の手下を従える、地元の乱暴チャンピオンシップの優勝者であるヴァレリア嬢の圧勝によって、このまま事態が収束すると、誰もが思っていたのだ。
しかし、そのときだった。
「貴方こそもういい加減にしてっ!」
コテンパンに負かされていたかに思えたシエラが、僕ら全員の予想に反して、何かを吹っ切ったように突然両手を握りしめて大声を出した。
「貴方は……、貴方はいったい何なの!? 何なのっ!?
地方男爵家の娘風情が、私にこんな侮辱は許しませんっ!!」
それでヴァレリアを含む全員が、はっとして彼女に注目する。
窮鼠猫を噛むとはこのことなのか――、シエラは既に半泣きだったが、これまでのヴァレリアに押し切られていたばかりの弱々しい態度ではないことに、僕は気がついた。彼女は怒っていたのだ。身体を震わせ、彼女は明らかに激怒していた。
シエラは続けた。
「貴方のためを思って、私、みんなの前では黙っていてあげたのに……、貴方はそんな私の思いやりも知らず、私を責めるばかりであまりに自分勝手すぎます!
ヴァレリアさん、はっきり言うわ。カイトさんが私を愛しているのは私のせいじゃないわっ!」
シエラはヴァレリアに向かって、叫んだ。
「ああ、なんてこった、やっぱりか」
オニールの呟きが漏れ聞こえる。




