第271話 光のお姫様vs爆裂お嬢様(1)
「それでカイト君、どうすんの?」
オニールがいかにも面白くてたまらないといった表情で、今にもカイトに問いかけている。
「ヴァレリア、もうガチでシエラたん泣かす気だと思うけど」
一方のカイトは、何やら落ちつかない様子だ。まごついているとまではいかないが、これからヴァレリアがやらかすであろう大騒ぎを、予見しているのかもしれない。
「どうするったって……、だからおたくが何とかしてくださいよ。身体張って止めるとか。本気になりゃできるでしょ……」
「いや、最初はちとシエラたん締め上げるとか、彼女のバックを考えるとまずいかなって思って僕なりに話にちょいちょい妨害入れてたんだけどさ。何か面白そうな気がしてきたから、取り敢えず僕は楽しんで観戦することにするわ。でっ、おまえどうすんの?」
「どうするって……」
「たとえばそうだな、ヴァレリアに好きだと言ってやるとか。そうすれば騒ぎは止められるぜ。あいつ単純だから、それで絶対舞い上がっちゃう」
「俺はおたくほど言動に無責任ではないんですよ。誰彼構わずそんなことは言わない」
「婚約者じゃん!」
「……」
オニールがカイトににじり寄る。
「気持ちがない相手には言わないって? ボク、好きなコにしか好きって言わないのって?」
「普通そうでしょう」
「それ誰彼構わず適当に言いまくってる閣下を暗に叩いてるん?」
「断じてそうじゃないでしょう……。罠にかけるのはお断りですよ」
カイトが幾らか不機嫌そうに言った。
オニールもむっとする。
「頑なな奴だな。そんなこだわるほどの言葉でもないのに頭の堅い奴。
まあよ、それができないんだったらヴァレリアの暴走は、おまえが物理的に押さえることだな。あいつのやったことはおまえの責任になるだろうし。僕ちんはノーサンキュー」
「おたくが止めれば角が立たないでしょう」
「やだよ。おまえのそういう態度がむかつくから助けてやんない。心にもないことでも言ってやれば女は喜ぶし、それで丸く収まるのに、馬鹿やってるのはおまえ。
女の一人くらい押さえ込むのなんか簡単だろ。その筋肉は何のために鍛えてんだ」
「剣を使うため、食うためですよ」
「また言うに事欠いて食うためとか。まったくおまえの湿気た話聞いてると、こっちまでみすぼらしい気分になるぜ。しょぼい人生だよ。頑張って身体鍛えてて、未だに男爵様の折檻が恐いってか?」
「……」
「アレックス様っ」
一方、それと同時進行で、シエラもはじける笑顔で僕のところに近づいて来ていた。彼女は相変わらず可愛らしい。見た目だけなら、そこらの有象無象の女たちでは比較にもならないだろう。本日は長い髪を高く結って、赤と白を基調にしたドレスを着ている。真珠のイヤリングが耳もとで揺れ、赤い花のコサージュに、金のリボンがたくさんついている。
何だか一度として同じ衣装を着ていることがない気がするが、その辺は兄さんがそろえているらしい。彼は女の服を脱がすのが専門のように思えるが――、意外と飾るのも好きなのか。王子のお気に入りに、今のうちから恩を売っているということなのかもしれない。取り敢えず僕は男でよかったと思った。兄さんの着せ替え人形にされてはたまらないから。
「私を愛してる?」
近寄ったシエラが、さっそく僕を見上げて囁く。まるで二人だけの甘い秘密を確認し合うとでもいうように。周りには人がいるので、小声で言ってくれて助かった。特にすぐそこにいるタティにこれが聞こえなかったことを、僕は彼女を振り向いて何度か確認した。
「えっ、あ、ああ、うん」
「よかったっ、私も愛してるっ。貴方がタティさんより私を愛してるって、はっきり彼女に言ってくれて嬉しいの。
ねえアレックス様、タティさんとはいつ別れてくださるの?」
「えっ? それは……」
僕が何とか言い訳を捻り出そうとする前に、シエラは下を向き、もじもじして言った。
「……いいの。だって私はそういうところも含めて、アレックス様の全部が好きなんだもの。
私はアレックス様の、そういう優柔不断なところも好きよ。私は貴方を私の理想通りの恋人に変えようとして、無理を言ったり、我侭を言って貴方を責めたりはしないわ。だって、そんなことをしたら、貴方はもう、貴方でなくなってしまうもの。
そんなことをしなくても、私はアレックス様のいいところを、いっぱいいっぱい知っているし、そのままの貴方が全部愛しいの。私は貴方の全部が大好きよ。いいところも、駄目なところも……、駄目なところは私にもあるから、お互い様だものね?
貴方が誰にでも優しいのは、婚約者としてはちょっと妬けるけれど……」
「あっ、うん、分かるよ。僕は格好いいからね……」
「でもアレックス様、心配なさらないでね。私ね、毎晩神様にお祈りをしているの。すべての問題が早く解決して、アレックス様と私が早く結婚できますように、二人がずっと一緒にいられますようにって。
さっきね、タティさんが朝からお出かけの準備をしていたから、アレックス様と勝手にデートでもするつもりなのかと思って心配していたの。でも、違うみたい。こんなに大勢で、どちらにお出かけなさるのですか?」
「えっ、いや……、ちょっとね」
「アレックス様、今日は私も連れて行ってくださいね」
シエラは少女らしく可愛らしい仕草で、ぴょこんと跳ね、僕に微笑んだ。
「えっ、いや、それはあの」
「私、着替えをして来てもいいですか? お出かけするなら、もっとお洒落をしたいの」
「待ちなさい、妖怪かまとと女っ!」
と、そこでタティとの会話に一区切りつけたヴァレリアが、シエラを振り返って突っかかったのだった。
しかしそれが凄い剣幕だったこともあって、シエラはたぶんどうしていいか分からずに、ヴァレリアのことは見なかったことにでもしたかったのだろう。引き続き笑顔で僕の服の裾を引っ張る。
そこにつかつかと歩み寄って来たヴァレリアが、すかさず手刀を振り下ろし、僕とシエラを強引に切り離した。
「きゃあっ」
ばしっと手の甲を叩かれたシエラが、可愛く悲鳴を上げる。
「うはっ、バトルが始まったぜ」
「ちょっと! このわたくしを無視するなんて、何なのよおまえは!」
「何をするのですかっ?」
「煩い馬鹿女!」
ヴァレリアは言うなりシエラの肩を、かなり乱暴に押し退けた。シエラがまた可愛らしい悲鳴を上げる。
「おほほほ、嫌だわわたくしったら。つい手がすべっちゃって。でも別に大したことないでしょう。おまえのそのごつい身体に、わたくしの繊細な手がちょっとかすったところで。
あら嫌だわシエラ何とかさんったらなんて太い腕なのかしら。まるで丸太のような腕ねえ。こんなごつい腕をしているのは、やっぱりそのお名前由来かしら?
ねえオニール、ハンカチか何か持ってて? わたくしついここにいる汚物を触っちゃったものだから、手を拭かないと。べっとり不潔な油脂が手について、わたくしの美しい柔肌がかぶれてしまうわ」
そしてヴァレリアは手を口許に添え、仁王立ちになって愉快そうに嘲笑った。ヴァレリアは既に戦闘態勢に入っていたのだ。
女が手刀を、それも女に入れるとは……。とんでもない奇襲に足許を縺れさせ、あわや転びそうになったシエラが、ヴァレリアに対してさすがに抗議の声を上げる。
「何故こんなことをするのっ」
だが無論と言うか、シエラみたいな女の子は、このヴァレリアお嬢様の相手ではない。シエラが挑んでしまったのは、僕が知る限り、最強に負けず嫌いで、意地悪で、高慢ちきなお嬢様だったのだ!
ヴァレリアはきつい目つきをますますきつくして、シエラを見据えた。
怒りというものを感じたら、即座に暴力に訴えてしまうほどの果敢な攻撃性を、一見他愛もない若い女が持ち合わせていることには、世の不条理を感じざるを得ない。ヴァレリアが持っているそれの、ほんの十分の一でも僕にあったなら、今頃はもう少し兄さんの期待に応えられるような男になれていただろうかと思うからだ。
「何故こんなことをするって、はあ? それ意味が分からない。って言うかそれこっちの台詞ですから。おまえこそいったい何をしているのよ。
アレックス様はそこにいるタティの男でしょう。それを、人の男に触るなという極めて正当なことを言っているわたくしが、どうしておまえみたいなバカに責められなくてはいけないのよ。ブスの上にバカだなんておまえもつくづく救いがない女ね。バカにはモラルなんて難しい言葉、理解ができないんですものねえ。心からご同情申し上げるわ」
「いいえ」
するとシエラはきょとんと不思議そうな顔をし、それから可愛くヴァレリアに応じた。
「いいえ、それは貴方の勘違いよ。私はブスではないし……。
それにアレックス様は、私の夫になる方です。私の恋人なんです。タティさんのものではありません。貴方はまだ、勘違いをされているみたい。
私ね、そのことでとても苦しめられているんです。すごく困っているの」
「おまえがタティに苦しめられている?」
「ええ」
一転して、ヴァレリアが同情的にシエラを覗き込む。
「まあ、それは困ったわね……。大変じゃない」
それでシエラはヴァレリアに理解が得られたと思ったらしく、ぱっと顔を輝かせた。
「ええ、だから私ね、貴方に……」
だがヴァレリアは、そんなシエラの期待を小馬鹿にする笑みを浮かべてこう続けた。
「それは苦しいでしょうよ、それだけみっともなくブクブク太っていたら!
苦しいくらいパンツの紐がきついなら、緩めたら? おまえはデブなのに無理して痩せてる女仕様のを穿くことないのよ。腹の肉が苦しがっているなら、見栄を張らずにサイズを上げなさいよ。
おほほほほっ、おまえ、ろくに運動していないからブヨブヨ弛んだ身体しているわ。どんなに誤魔化していたって、屈めば腹の贅肉をがっつり掴めるのを、隠していてもわたくしにはお見通しよ。十八歳で三段腹ってどういうだらしないお肉なのよ。ほら、気を抜かないで。お腹に常に力を入れていないと、ベルトの上にたぷんたぷんのお肉が乗ってしまってよ」
シエラはそれで目を泳がせた。正面切って暴言をぶん投げられたために、たぶん、どうしていいか分からないのだろう。
だがヴァレリアは容赦なく続けた。
「ブスでバカでデブって、おまえも可哀想ねえ。三重苦じゃないの。
うふふふふ、おまえの肩幅、アレックス様よりあるんじゃなくて? まったく、なんてごつくてたくましい身体つきかしら!
アレックス様はあの通り痩せ型でいらっしゃるから、ともするとおまえのほうがウエストサイズがでかいのは間違いないわね。それにその立派な太鼓腹! タティがハムなら、おまえはまるでビール樽みたいよ。ブスだしヒゲははえてるし腋毛はボーボーだし腹は出てるし息は臭いし鼻毛は出てるしでまったくださくてどうしようもない女ねえ」
「あははははっ」
後ろでオニールが腹を抱えて笑い声を上げる。
「そ、そんなことありませんっ」
それでシエラは戸惑った様子で言った。
「私、ちゃんとお手入れをしているし、それに太ってなんて……」
「あら、それじゃ超太ってるのね? まさか、まさかのドスコイ親方四段腹? そんなだと、コルセットがお肉で弾け飛ぶんじゃありません?
おまえが一歩歩くたびに、ブルブル全身の弛んだお肉がだらしなく震えて……。ブルブルブルブルブルブルブルブル……、バチーンッ! ドカーンッ!
スレンダー美女なわたくしから脂身であるおまえへのアドバイスはひとつよ。食べなきゃ痩せるわ」
「ぶははははっ。確かに」
僕は自分のウエストに手を当て、さすがに女より細いことはないと思った。五年前ならもしかすると細かったかもしれないが、今は違う。
「ふざけるのはやめてください!」
シエラは言った。
「私、真面目に話をしているのよ。きちんと話を聞いて」
「ええ、いいわよ」
ヴァレリアは腕を組み、偉そうに頷く。
「聞いてあげるから、おっしゃいな」
「タティさんのことです。彼女はね、毎日私を苦しめ続けています。まるでアレックス様の恋人みたいな顔をして、いつも私をつらい気持ちにさせるのを楽しんでいるのよ。だってその証拠に、貴方だってそういうふうに間違った理解をしているわ。
アレックス様は私の恋人なのに! それなのに……、彼女がアレックス様の正しい相手かのようなお話が、いつまでも打ち消されないでいるの。
それはね、タティさんはそういうふうに、嘘でみんなを味方につけて、私を虐めるからなんです。だから私、とても困っているの……」
「ちょっと……、それ言いすぎなんじゃないの? それはタティは見た目は芋だし顔も悪いけど、嘘つきではないと思うわよ。腹の贅肉はおまえに劣らず物凄いけど」
「それは貴方が彼女を知らないからよ。でも、タティさんは、本当はそうじゃないの。
ねえヴァレリアさん、貴方はヴァレリアさんでいいのよね?」
そしてシエラは、ぴょこんっと可愛くヴァレリアに近寄った。そしてあのいたいけな瞳で、ヴァレリアをじっと見る。
「え、ええ……、そうだけど。何なのよおまえ。レズなの?」
「お願い、恥を忍んでヴァレリアさんにお願いするわ。貴方、私の味方になってくださらないかしら……。貴方の評判は聞いているわ。貴方はこちらの社交界ではいちばん大きな女の子のグループのリーダーなのでしょう。みんな貴方には一目置いているって、私についている侍女たちが言っていたの。逆らうと恐ろしいけど、味方についてくれたら頼もしいって」
「ええ」
ヴァレリアは多少得意気にそれを認めた。
「それはまあね、その通りよ」
「それならお願い、貴方の力で私を守って頂けないかしら。だって、タティさんにはハリエットさんが味方についているの。ハリエットさんはとても恐くて……。
タティさんは周りの人たちを全部味方にして、毎日のように私に意地悪をするの。私はまるで悪夢の中にいるみたい。
ヴァレリアさん、この悪夢は彼女がこのお城に戻った日から、ずっと醒めることなく続いているわ……。それ以来、私はずっと悲劇の嵐の中にいます。
私、このままでは頭がおかしくなってしまいそうよ。このままでは私の愛する人を彼女に奪われて、永遠に泣き暮らさなければいけないことになりそうなの……」
シエラはヴァレリアに切実な様子で訴える。
「貴方だって、ご自分の大切な人を誰かに横取りされたらどんなに悔しいか……、想像してみればお分かりになるはずだわ。私、あれ以来、心と頭がそのことでいっぱいになって、他のことが手につかなくなるくらい苦しいの。一生懸命元気になろうと頑張っても、苦しい気持ちを拭えなくて、毎日のように泣いているのよ。
アレックス様は私の大切な人なの。私の夫になる方なの。それなのに……。
ねえ、貴方なら、こんな酷いやり方が耐えられますか……!?」
「……何だかよく知らないけど、それってまさにおまえのことなんじゃないの?」
ヴァレリアは腕を組んだまま、首を傾げた。
「悪いけどわたくしもおまえの味方をする気ってないから。だったらタティの味方をしたほうがましね。しらじらしい泣きの演技なんかうんざりよ。悪者に限ってちゃっかり自分をよく見せるための嘘が上手いことくらい、世間じゃ常識よ。表面的な態度で分からないときは、そいつの行動を見ればすぐ分かる。
アレックス様の前でしおらしくして、タティにボディブローを入れているのは、誰がどう見てもおまえでしょう。だって後から出て来て横取りしようとしてるのはタティじゃない、おまえなんだから。
ねえ、逆におまえって自分のやってることに、基本的に疑問とか感じない人間なわけ? 良心は痛まないの? それとも自分が同じことをされても傷つかないほど無神経なのかしら?
もしそうでないなら、とっととすべてを放棄して、この城から出て行ったほうがいいと思うんだけど。この国にはおまえみたいな横取り不倫女を許す土壌はないのよ。それでなくてもおまえって、もう恨みを買いすぎているし。ここにはおまえの居場所なんてないのよ」
「貴方が何をおっしゃっているのか分からないわ……」
ヴァレリアから色よい協賛が得られなかったことに失望したらしい。シエラは神妙に、小さく首を振った。
「貴方もタティさんのほうが好きだから、私の話なんて聞かないのね……」
そして今度は一転して、毅然とした瞳をヴァレリアに向けた。
「それならいいです。貴方という人の程度が、よく分かりましたから」
「はあっ!?」
「お話になりません。貴方とお話することはもうないわ。どうぞお引き取りになってください」
「ちょっと、おまえ何勝手に話を切り上げてるのよ。って言うかその無駄にプライドの高いのは何なわけ? 神経に障るんですけど!」
「もうやめて。私には、闇の魔女の手先である貴方とお話することはもうありません」
シエラはきっぱりとヴァレリアに拒絶を言い渡した。




