第270話 アレックス連行さる
僕は捕獲されたカブト虫のように、ヴァレリアに捕えられていた。手首を掴まれ、先を行くヴァレリアに、連行されているような形だ。彼女は意気揚々と歩いている。どんな育ち方をしたらこんな気の強い女になるのか分からないが、僕は一見するとあえなく言いなりにされていた。
だが勿論、真実はそうじゃない。僕はヴァレリアに脅され、これからタティとデートするから急ぎたいという話をしたのだ――、するとヴァレリアはそれじゃあ是非復活したタティを祝わなくちゃとか何とか言って、今はあれよあれよの間にこういうことになっていた。
無論、ヴァレリアの魂胆は分かっている。僕がシエラの居所を吐かないものだから、か弱いタティを脅かすなりしてシエラのところに案内させようというのだろう。確かに、タティのような気弱な女の子では、ヴァレリアお嬢様の剣幕や凄みに敵おうはずもない。
だから僕は、タティと待ち合わせをしている場所を厨房前の廊下ではなく、自分の部屋だと言った。
そう、僕はヴァレリアに嘘の待ち合わせ場所を伝えたのだ。
タティのことは少し待たせてしまうことになるが、僕の部屋にヴァレリアを連れて行って、タティは今日は用事ができて出かけたという話をでっちあげることで、話を終わらせようという作戦なのだ。我ながら実に頭がいい。咄嗟の苦肉の思いつきだが、要は現場にタティさえいなければ、話はこれで終わるしかないから大丈夫だ。
それにしても、仮にもアディンセル家の男子である僕に対して、こんな真似をする女は未だかつてない。
シエラがよく腕にくっついて来るが、甘えてくる彼女と違ってヴァレリアは僕を連行している。
前からときどき思っていることなのだが、どうして僕はこう甘く見られるのだろう。ヴァレリアは、どうしたって僕のほうが男らしいってことが分からないのだろうか?
カイトが何となく何か言いたそうな顔をして横を歩いている。それはそうだ、気持ちは分かる。幾ら不本意な政略結婚の相手としたって、自分の婚約者が、他の男の手を引っ張って歩いているっていうのは、あんまり面白いことではないだろう。
結局僕らは五人して廊下を歩いていた。ヴァレリアとオニールが並んで先行し、ヴァレリアに捕獲された僕が続く。僕の横に面白くなさそうなカイトと、ハリエットがついて歩いている。
「なんでヴァレリアと手を繋いでるのよ。……好きなの?」
横を歩くハリエットが、僕に文句を言った。肩からかけたポシェットが、彼女の歩きにあわせて規則的なリズムを刻んでいる。このポシェットと魔法の杖は、ハリエットの必須アイテムだ。杖は僕らが剣を差すところに、ハリエットの場合は杖をくくりつけている。
彼女はもうじき十七歳になるのに、それにしては随分身体も小さいし、確かに見た目が十三、四歳の子供に見える。子供という言葉がしっくりくる体型。小柄な女と言うよりは、まだ子供が育ってない感じ。それならおとなしい子ならよかったのに、この見た目で口だけは僕よりも達者なのだから扱いづらいったらない。それに胸がまな板のようだ。男と変わりないなんてため息が漏れる。別に僕はいつもそんなところを見てばかりいるわけじゃないのだが。
「君、これが手を繋いでいるように見えるとしたら、君は勉強しすぎて睡眠不足か、軽くノイローゼだよ。これは捕獲とか、拘束と言うんだ」
僕は言った。彼女は年よりずっと幼く見えるから、僕は基本的にどう対応していいか分からないのが本音だった。一応、もうじき十七歳として扱っているが、明らかに……、化粧品よりおやつに興味があるように見える。キャンディやチョコレートを買いなさいとお小遣いをあげたら、もうちょっと手懐けられないだろうか?
「前から思っていたんだけど、シエラといい、貴方って押しの強い女に弱すぎじゃないかしら。見るからにそんな感じだけど」
「そうじゃないよ。そうじゃないんだけど」
「いいえ、そうよ。貴方って、タティみたいに優しい子より、図々しくて押しの強い、我侭な女に弱いの。押しかけ女房的な厚かましいタイプの女に」
「そうかな……、そうでもないと思うけど」
「いいえ、まったくそうよ。だって貴方って、どっちかって言ったら受動的な人間でしょう。だから、ああいうふうに、ぐいぐい来られたほうが居心地はいいのよ」
「誤解だよ。僕は男なんだし」
そこら辺の十三、四歳の子はまさかこんなませたことは言わないだろうと思うので、僕は内心たじたじだった。
「じゃあなんで振り払わないのよ。確かにヴァレリアは、貴方の結婚相手としてはいいと思うわよ。ウェブスター家は序列も高いし、お金持ちだし。地元の人間は彼女との結婚なら、タティやシエラよりもよっぽど祝福もするでしょうね。だってヴァレリアは何だかんだ言って地元社交界の有名人ではあるし、誰だって他所者がアディンセル家の女主人に納まって、自分たちを仕切るのは嫌なことだもの。身分がちょっと引っかかるタティや、まさしく他所の出身のシエラより、ヴァレリアはずっと皆が喜ぶ、納得する条件の結婚だわ。条件だけなら」
「いや、でも僕はあそこまで気の強い女はちょっと」
「それは分かるけど」
ハリエットは頷いた。
「でも何かしら、貴方にはああいう強引な性格があってる気もするのよね……。ヴァレリアも貴方にだけは、一応敬意を払うところもあるし。オニールさんのことすらおまえ呼ばわりなのに、貴方にはそうじゃないし」
「それは、僕を尊敬する気持ちがあるんだろうね」
「敢えて否定はしない。まったくそんなことだと、貴方本当に押しかけ女房みたいな面倒な女に捕まっちゃうから。優柔不断男のパターンじゃない、そういうのって。それともまさか、ヴァレリアが好きなんて言わないでしょうね」
「いや、なんか逆らっても無駄な気がして……」
前を歩くヴァレリアが、僕を引きずったままオニールときゃっきゃとはしゃいでいる。ヴァレリアとオニールは、実際随分仲がいいようだ。二人とも意地悪な性格だから、うまも合うのだろう。
陛下の夜会のエスコートなんかするくらいなんだから、僕としては、もしかしてあの二人は出来ているんじゃないかと疑う気持ちが無きにしも非ずだった。そうやって二人して、陰でカイトを笑い者にしていたりするのかなと、勘ぐっていたりしたわけだ。
でもこうして目の前にしていても、意外とそういう怪しげな素振りは見られずに、彼らはひたすらに純粋に友人関係であるという感じだった。
「それで新作の剣の切れ味が見たいって閣下が言って、ジャスティン様がじゃあ次に部屋に来た奴で、気に入らないのを殺ってしまおうって言ったんだって。鍛冶屋の言った冗談が、大きくなってしまったわけだよ。
そこにたまたま何か文句言いに来た料理人が、閣下にぶった斬られたって話。それで、剣の試作品を持って来てた組合の代表が冗談通りびびって泡吹いたんだって」
「傑作ね! 生意気な使用人には制裁が必要ですもの」
「ああ、ヴァレリアはこの話、絶対同情しないと思ってた」
「じゃあ、おまえはしたわけ? その料理人に」
「するわけない。どうせ平民だろ」
「ジャスティン様は素敵よね。なんて言うか、遊び心があるのよ。それに、強くて有無を言わせないって感じ。わたくし強い男って好きだわ。伯爵様は女たらしなのがなければ、強い男って評価できるんだけど、その点がどうしてもね。ちゃんと妻を持たないで、遊んでばかりいるなんて軟派すぎ。そのくせあの方、女性を軽視しているのよ。女を道具としか思ってない。そんな方だからわたくしの有能さを認めたくないのよね」
「閣下はどっちかって言ったらおまえを面白がってるよ」
「物は言い様よ」
「上の兄貴は最近ヴァレリアは美人になったって言ってたよ」
「あらそう、カイトも、そのくらい気の利いたことが言えたらいいのに」
「ジャスティン様がさ、ヴァレリアは今どんなことに興味があるかって言ってたな」
「わたくし今ね、指輪を集めようかと思っているのよ」
「指輪? へえ」
「そう。ほらこの指輪を見て頂戴。婚約指輪よ。相手がカイトっていうのが最低だけど、指輪そのものに罪はないし……、べっ、別にカイトに指輪貰ったことが嬉しいってわけじゃないのよっ! そこを間違わないでよねオニール!
カイトちょっと、おまえはアレックス様をもっと速く歩かせなさいよ。わたくしがこの図体を引きずっているじゃないの。
ほんと、おまえはいちいち使えない男だわ。もっと気を利かせたらどうなのよ、この役立たずの乞食! また泥靴をその汚い口に突っ込むわよ!」
「ケッ、尻にも突っ込んでやれよ。可愛げのない。カイト君って、おまえのところにいたときとこことでは、全然態度が違うから驚いたよ。こっちじゃ何か偉そうなんだよ。ヴァレリアのところでは、よく這いつくばっていたのにな。背中に毛虫を入れられて、転げまわって泣きじゃくっていたのが。こっちじゃすげー生意気。いっぱしに参謀気取り。お坊ちゃま君が甘いからなんだよな」
「アレックス様は貴族と平民の区別がついていないのよ。人間と家畜の区分というものがね。妙にカイトと仲がいいみたいだけど、それの本質っていうのが、泥まみれの家畜とじゃれあっていることだってことを分かっていらっしゃらない。要するにアホなのよ」
「んでも、ヴァレリアの父上は超おっかないからな。カイト君いっつも超ぶん殴られてボコボコにされてたじゃん、だから何もそこまで殴んなくてもって言うか……、薄汚れた格好してさ、後ろついて来たりとかされるとさ……、まあ主に僕ちんの母上の後ろついて来てたんだと思うんだけど。物欲しそうに見てるから、お菓子欲しいのかなって思ったりとか。これでも僕は同情してたクチなんだけどね。
でもこっちで態度でかいのを見ていると、妙にむかつくときがあるのはなんでかな。おまえその性格じゃ殴られて当然だろみたいな。平民はちっちゃくなってればいいのに、あいつが楽しそうにしてたりすると、何か図々しい気がするんだよね」
「おほほほほ、またそんなくだらない昔話なんかして。オニール、それは当り前よ。カイトごときが偉そうにしていたら、誰だって腹が立つわよ。あいつは下男なんだから。
なのに最近では自己主張って言うか、権利みたいなものに目覚めて、ほんとアレックス様には迷惑しているのよ。いい暮らしを覚えさせたから、馬鹿で単純なカイトの中ではまるでお父様やわたくしが酷い奴みたいになっているんでしょうよ。こっちは単に家畜を家畜として扱っただけなのに、逆恨みされて。まったく、冗談じゃないわ!」
そしてヴァレリアに捕まったまま、ごちゃごちゃと大勢で僕の部屋の前の廊下に行くと、何故かその廊下にタティがいた。
僕は目を疑ったが、それと言うのはそこにはタティだけでなく、シエラも一緒にいるからだ。
タティが申し訳なさそうに僕を見る。捕まってしまいましたと、その瑠璃色の瞳が遠慮がちに言っていた。
勿論、まずいことになったと僕は内心慌てた。ヴァレリアだけでも面倒臭いのに、シエラまでがこの場に居合わせるとは。
「あらあ、タティじゃないの!」
それを発見するや、ヴァレリアが真っ先に景気よくタティに声をかけた。
しかしいつになく好意的なヴァレリアの笑顔を、とても信用できなかったのだろう。タティが笑っちゃうほどぎょっとする。だがヴァレリアは構わず続けた。
「おまえのことを心配していてやったわたくしのこと、憶えていて?」
「ヴァレリア様、はい」
ヴァレリアは掴んでいた僕の手首を適当に放ると、身勝手にもタティに近づいて行った。
そしていつも通りの偉そうな態度でタティに話しかけた。
「ふん、顔色もいいじゃない。ま、肺病っていうのが間違いでよかったわね。もっとも見るからに太ってて、図太そうなおまえのことだから、どうせそんなことになるだろうとは思っていたのよ。
だって使用人なんていうのは、薔薇のように気高くて繊細なわたくしと違って、基本が雑草のようなものでしょう。ごみ溜めの中でも平気で生きているぼうふらのようなカイトほどとは言わないけど、おまえもかなり雑草根性がありそうだと、あらこれは褒めているつもりなのよタティ。がっしりして、かた太りの安産型。おまえってハムみたいよ」
「かた太り……、ハム……」
「とにかく、おまえの近況ならよおく知っているわ。せっかく病気がよくなったのに、アレックス様の部屋に戻ったら他の女がいるなんて、まったく酷いお話よ……。これだから男っていうのは信用できないって言うのよね!
でも、安心してもよくってよタティ。だってわたくしはおまえの心の友だちだし、この件では完全に、全面的におまえの味方だから!
わたくしがついているんだから、おまえはシエラみたいな胸糞の悪い泥棒猫に、負けるんじゃないのよっ! いいわねっ!?」




