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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第6章 君が望むなら
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第27話 君が望むなら

狂気のように花の咲く伯爵家の霊園から小道を辿り、城内の薔薇園を散策した。

薔薇の花を女性に贈ることには興味があっても、植物を育てたり愛でたりすることにはまるで関心を持たない現在の城主は、いま自分の薔薇園にどのような薔薇が咲いているかさえ知らないんだろう。冬に咲く、酷く尖っていて残酷な色をした薔薇にふと手を伸ばすと、その棘の鋭さに僕の指先は赤く染まった。タティに花を贈ったら、僕のことを好きになってくれるだろうかという微かな考えが、それによって思索の彼方に吹き飛んで行った。

母上もタティも、結局誰も僕を好きになってはくれないのだろう。

城内の中庭に辿り着く頃、夜の天空にはいつの間にか星々が輝き、晩秋の満月が昇っていた。

いつも大抵の週末がそうであるように、今夜は兄さんが誰かしら女性を連れ込む予定だと聞いているので、夕食は僕は一人で取ることになっていた。

カイトが暇そうにしているなら、彼を誘ってサウスメープル市の何処か、食事ができて時間も潰せるような場所に出かけてみてもいいと思っていたが、彼の姿は午後からずっと見ていない。そう言えば先刻自分の仲間とパーティーがどうのと言っていたことを思い出し、僕はため息を吐いた。

カイトは近頃の落ち込んでいる僕を励まそうとして、夜遊びに誘ってはみたものの、やっぱり後から僕のような陰気な性格の男がいては、せっかくの楽しい夜がつまらなくなるとでも思ったんだろう。万が一そうじゃないとしたって、彼だって僕と一緒にいれば相当気を遣っているものなんだろうから、いずれにしても週末の夜くらいは解放されたいと思っているはずだった。

考えてみれば、幾ら身分が上であるとは言っても、年下の人間に常に頭を低くしていなければいけない環境というのも、なかなか想像するだにしんどい状況ではあった。

僕は兄さんの庇護のもとにいるのでそんな必要はなかったけれども、もしもっと位が上の人間のもとに仕えていたとしたら、相手が子供だろうと理不尽だろうと何だろうと、黙って跪いていなければならないものなんだろう。

僕は私室に戻り、外出のための着替えをすることにした。僕の部屋付きの召使いたちが集まって来て、手慣れた様子で言われたままに僕の衣装を調えてから、また所定の壁際に戻って行った。


「こんな時間からお出かけなさるのですか?」


タティが、僕の藍色の外套を手に僕に近寄って来た。


「うん、ちょっと」

「どちらに?」

「何処だろうと、それを君に報告しなくちゃいけないのか?」

「いえ……夜は冷えます、どうかお風邪など召されませんように。それに夜道は危ないですからあまり」

「カイトは?」


僕はタティの言葉をわざと遮って、冷たく彼女を見下ろした。


「いえ、存じません……」

「そう。じゃあ行って来る。君は先に寝ていていいよ。

お妾のふりをしているのも、難儀だろうけどね」

「アレックス様っ……」


タティは信じられないという口調で僕を非難したが、僕はすぐに目をそらしたので彼女の表情はよく分からなかった。

タティは僕に外套を着せようとしたが、僕は彼女の手からそれをもぎ取るとそのまま部屋の外に出た。

定期的に装飾的な意味合いの兼ねられた金の燭台の設置された廊下を渡り、階段を下り、甲冑の居並ぶ正面玄関からそのまま扉を抜けて城前広場に踏み出す。冷たい夜風が頬をなぶり、明るい月光が広大で芸術的な白い広場に降り注いでいた。空は晴れているようだ。

頼みもしないのにいつの間にか三名ほど護衛の騎士が僕の後ろを歩いていたが、子供の頃、居城裏の森で遊ぶのに二十名以上の護衛を僕につけて、遊び自体を台無しにしていた兄さんの暴挙を思い出せば、随分数が減ったものだと大人になった自分を実感し、こんなことで自分の成長を実感するということに対して妙な笑いが起こってくる。

本当は、行くあてなんかないんだ。

僕は秋の夜の肌寒さと孤独を感じ、恐らくとぼとぼと広場の石畳を歩いていた。

何しろ僕には友人がいないんだ。子供の頃に教わっていた教師連中が、強いて言えば僕の友人になってくれているし、兄さんの周辺の人間の誰もが、僕のことを自分たちの仲間のように歓迎して、大切に扱ってくれることは分かっているけど、そこには当然異なる嗜好の人間の間に生じる違和感というものが存在する。

カイトにしたって、彼のどちらかと言うとひょうきんな性格からして、本来ならば僕とは違ったタイプの人間なんだろう。今は必死で僕に打ち解けようとして、私的な悩み事まで話してくれてはいるが、もし僕が彼にとって仕えなければならない人間でなかったとしたら、対等の立場で、単なる騎士仲間だったとしたなら、きっと彼は僕のことをわざわざ友人に選んでくれはしなかったに違いない。

僕はこれまで自分で友人を作ったことはなかったんだ。寂しい夜に、一緒に気持ちを紛らわせてくれるような、苦悩や悲しみを共有してくれるような、そういう仲間っていうものが、僕には一人もいなかったんだ。

もし敢えて僕に友人がいると言えるとしたら、それはタティだったんだ。

でも今は、僕にはどうすればいいか分からなくなってしまった。

タティは僕を見ると怯えた顔をする。

襲われるんじゃないかと身を固くする。

誤解だとどうして言うことができるだろう?

だって僕は、彼女が嫌がっていたとしたって、タティを抱きたいと思うんだ……。

でももしこの気持ちを押し隠して、君が嫌がることを絶対しないって約束したら、神様の前でそう誓ったなら、タティはこれまで通り、僕の友だちに戻ってくれるだろうか。

僕がタティのことをとても大切に思っていることを、彼女は分かってくれるだろうか。

……せめて僕のことを、嫌いにならないでくれるだろうか。

僕は胸の中の悲しみを吐き出すために夜気に冷えた空気を吸い、ふと見上げた星空が美しいことに感動し、その場に蹲った。

僕はとても寂しくて、今にも泣いてしまいそうだった。

だけど僕は男だから、それを誰かに言うことはできないんだ。

男っていうのは、いつも兄さんみたいに毅然と、強くしていなければならないんだ。


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