第269話 お姫様たちの怪気炎(6)
「とにかくそういうわけだからいいこと、わたくしたちにとっては、邪魔臭いシエラをアディンセル家から追い出すことがすべてなのよ。そのためなら、わたくし、協力は惜しまないわ。今はとにかく王子様のところに行くのよ!」
ヴァレリアは鼻息も荒く言った。
「馬鹿言わないでくれ。行ってどうするの」
「シエラを奪ってくれるように説得するのよ」
「勘弁してくれ。王子相手に何言ってるんだ。只の貴族が相手じゃないんだよ。直系王族なんだよ。常識で考えてよ、そんなことをしたら不敬罪で斬首だよ」
「貴方はねえ、問題を解決しようって気概がないのよ! 実際のところ、シエラに言い寄られて、結構悪い気はしていないんじゃないの? 男っていっつもそう! だからそういうのらりくらりとしたことをやっていられるのよね!
でもタティの気持ちを考えてみたことはあって? 毎日毎日うざい女が貴方の周りをうろついているわけでしょう? タティにしてみたら発狂ものよ、正直言って」
「それは、そうかもしれないけど。でも君の考えは幾ら何でも飛躍させすぎ。殿下は君の友だちじゃないんだよ。それにタティには、ちゃんと話をしてあるし……」
「聞き分けのいい返事をしたからって、本心までがそうだとは思わないことね。貴方に忌憚のない意見を言えるのなんか、ここでは伯爵様くらいのものでしょう」
「君もそうだと思うよ」
「御託はいいから。貴方にはね、行動力っていうものがたりないのよ。頭の中でいろいろ考えて自己完結するのが基本でしょう。でもたまには行動しないと。こういう面倒な問題をいつまでもタティにおっ被せていたら彼女が可哀想よ」
「君はいつからタティの味方になったんだ……」
「最初からよ!」
ヴァレリアは僕を見上げて、少々大袈裟とも取れる甲高い声を発した。
「彼女は最初からわたくしの大事な親友だわ! だから友だちが苦しめられている問題を、わたくしも一緒になって助けてあげたいのよ!」
「本当に? 単純にシエラがより気に入らないだけで、都合のいいときだけ、友情とか言ってない? 君この間はタティのこと思いっきり苛めてなかった?」
「いいえ、あのださい芋娘は最初からわたくしの親友よ。確かにお互い人間だから、行き違いもあるわ。それにあいつ見た目も服装もすごく見苦しくて、正直言うと一緒にいるところを誰かに見られたくないレベルだけど、不思議なことにわたくしと芋娘はお互いを分かりあっているのよ。だから大親友」
「……でもやっぱり無理だよ、殿下にそんな……、いきなりそんなコメディみたいな展開は……」
「偶然を装って会うだけよ!」
ヴァレリアは力説した。
「君は気楽だけど、こっちは常にアディンセル家の将来のことを考えていかなくちゃならないんだよ。お気楽な君とは立場が違うんだ」
「そうやって意気地のないことを言って、何もかもを台無しにするのね。平気よ、今ならまだぎりぎり若気の至りで許して貰えるから!」
「許して貰えることと許して貰えないことがあるんだよ。ヴァレリアはさ、恋愛で傷ついたことがないからそう言えるのかもしれないけど、女に否定されるってさ、それがほんの些細なことだって、もう……、なんて言うか、自分の何もかもを拒絶されたみたいなさ、もうそういう死にたくなるほどのダメージなんだよ。
なのにシエラはそれを一回フレデリック様にやっちゃってるんだよ、全否定を食らわせているんだ、しかも大勢が見てる前で。
だからこの問題にはもう誰も触れるべきじゃないんだ。絶対に触れるべきじゃない。女には分からないかもしれないけど、ここは絶対に譲れない。男には、絶対に他人に触れられたくない部分ってあるんだよ。大事に守っている部分が」
「貴方はなんてひ弱なのかしらね」
ヴァレリアは文句を言った。
「言っとくけど、そんなの女にだって同じくらいあるのよ。だけどここは男社会だから、そういう人間の繊細さは男特有のものと定義されていて、女には認められていないだけ。そして何かと言うと「女は強い」とこうよ。冗談じゃないってのよ。古今東西、女が男より強かったことなんてあるわけ!? 男をぶん殴って権利を奪い取り、死ぬまでみじめな奴隷奉仕をさせた社会があって!? いいえないわ! そういうのは単純に男にとって都合がいいだけの事実に反した詭弁言葉!
まるで女が男より強いみたいな言い方はほんっと頭に来るわ! 女がいかに馬鹿にされているかって、こういう些細なことからも推し量れることなのよ。女は誇りを汚されても傷つくことすら許されていない!
それを、男ばっかり傷つきやすいみたいなそういう発想自体が傲慢でイラつく。男ってなんでそう独善丸出しの浅い考えを臆面もなく口にできるのかしら。自分だけ、男だけが傷つきやすい、繊細みたいな薄っぺらナルシシズムって言うの? そういうの聞かされて女が引いてることにも気づかないんでしょう。引いてる上に、じゃあ女は傷つかないとでも思ってるのかと憤りを感じるわ」
「じゃ、じゃあ、言い直すよ。男にもあるんだ、そういう傷つきやすい部分が……」
「ちょっと、なんでわたくしを見てそんなびくびくするのよっ! たった今こんな美女の胸を堂々と触ったくせに!」
「さ、触ってないよ。ちょっと当たっただけ」
「嘘を言いなさいよ! さてはわたくしが美しすぎるから!? あまりに美麗すぎて高嶺の花すぎて恐縮するってこと!? だからってほんと何から何まで失礼な方ね!」
「いや、そうじゃないよ」
「ちょっとっ、それ、そうじゃないってどういう意味よっっ!」
「じゃあどうしたらいいんだ……」
「もう煩い貴方! じゃあ、いいわよ! それなら貴方、もう案内はいいから、わたくしにシエラの部屋が何処にあるかだけ教えて頂戴。わたくしはここに貴方がたのような馬鹿男たちとコントをやりに来たんじゃないのよ。わたくしは界隈を代表する貴族の一人として、ちょっと彼女に会って文句を言ってやるから」
ヴァレリアは興奮して言った。
「これは、純然たる社会正義の実現のためにね。不埒な姦通をこれ以上見逃しておけるわけがないでしょう! 何がファンクラブよ! みんなあの淫らな女によって大事な男を分捕られて、私生活を掻き乱されて、泣いたり苦しんだりしているのよっ!?
この事態をもっとはっきり言えば、取るにたらない女がどういうわけか目立って大勢の男どもに崇拝されて特別扱いされているのを横から眺めている気分はどう!? ってこと! 普通にぶん殴りたくなるはずだから!
百歩譲ってずっと年上の女が特別な幸福を掴むんであればまだ納得できる部分もあるけど十八歳って! はあっ!? 普通に殺してやりたくなるレベル。
あいつよりも幸せになるのはこのわたくしが先であるべきだし、わたくしの待遇のほうが上でなきゃそんなの許せるわけないでしょうっ! だってわたくしのほうがこんなに超絶美人なんだからっ!!
いえ、貴方の意見は要らなくてよ、どうせろくな見識なんかないんでしょうからボンクラは黙って。無茶苦茶に感じるかもしれないけどこれは太古の時代から延々続いている女ってものの性だからどうしようもないわけ! でも女なら全員、わたくしの言い分に心の底から共感できるはずなのよ。そんな自分だけ美味しいとこ取りのでしゃばり女は絶対に絶対に許せないって!
カイトだって鼻の下伸ばしてたし……。わたくしの場合は、別にカイトが好きな人ってわけじゃないけど。
でも嬉しそうに話してた……、……、わたくしといるときには、あんな顔なんかしないのによ? それって、やっぱり、シエラに誘惑されたからなのよ」
「それは、まあ、美人をぼけっと見てるっていうのは……、普通なら判定が難しいところだけど、でもカイトはシエラに興味ないんだってさ。ただ見てるだけだよ」
「だから見てることすら許せないって言ってるんじゃないのよ! だいたい男なんか、それも平民の男なんか信用できるわけないでしょうっ!
だからとにかく貴方はご自分で適切な行動を取る勇気すらもないって言うなら、せめてシエラって馬鹿女を、これからわたくしに紹介しなさいっ!
そうすれば、わたくしがキッチリ彼女と話をつけて差し上げてよっ!
それで貴方とタティの問題もすっかり解決してあげるし、わたくしの仲間だって、これでうざいアイドルもどきを人生から完全排除できて、元通りの生活を取り戻せるわ。いつまでも図々しくアディンセル家に居座ってるあの馬鹿女を、今日こそわたくしが叩き出してやるんだからっ!!」
「それはできないよ」
僕は慌てて断った。
「どうしてよっ!」
「だって……、つまりシエラはか弱いんだ。君に怒鳴られたりしたら、死んじゃうかも」
「おほほ、それは結構じゃない。手間も省けて」
ヴァレリアは口許に手を当てて勝ち気に笑う。
「人様の男をのべつ幕無しに誘惑した女の末路としては順当でしょうよ」
「いや、いいよ」
僕は困って、取り敢えず早足で廊下に出るなり執務室の扉を閉める。
だがすぐに扉が開き、ヴァレリアが飛び出して来る。
「もうっ、君は単に暇だから暴れたいだけじゃないの? もっと女らしくしてよ」
「じゃあ貴方は男らしくしてるわけ? 王子様に会うことにすらびびったくせに、寝言言ってるんじゃないのよこの弱虫!」
「僕は弱虫じゃないんだ」
「だったら何なのよっ! カブト虫なわけっ!?
カイトや伯爵様や周りの人間にはそんな甘ったれた言い分で通ってるみたいだけど、わたくし相手には通らないからっ!
とにかく行かせないわよ。このカブト虫。どうせ伯爵様に言いつける気なんでしょう」
「い、言いつけないよ……」
「それで。じゃあ、何処行くのよ」




