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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第12章 佳客
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第268話 お姫様たちの怪気炎(5)

「あのファンクラブ馬鹿女に恋人や好きな人が夢中になってるとかって、泣いて訴えてる友人知人が最近じゃ後を絶たない状況なのよ。みんなシエラに男を取られてるってわけ。直接じゃないにしろ、結婚を約束したような男がある日シエラによろめいて、それが高じて彼女をほっぽってファンクラブ会員になんかなってご覧なさいよ。女としたら、情けないなんてものじゃないわよ。蔑ろにされた女たちの怒りや憎しみが次第次第にアイドルづらの馬鹿女に向いていくのは当然のことでしょう!」

「まあ、そんな極端なうんこ話がひとつふたつあると、便乗して女どものシエラたんを盛大に嫌うための口実にはもってこいだわなー。

実際は誰かの恋人の薄情な移り気よりかは、結局のところ自分より美人が存在していることが気に食わんだけだと思うけど」

「そしてわたくしはそういう自分の仲間のことを、これ以上捨てておけないなって思ったのよ。わたくしは由緒正しきウェブスター家の人間ですから。アディンセル家に女主人や娘がいるならシエラみたいなでしゃばり女は彼女たちが対処するべき問題かもしれないけど、今は一人もいないし。

そもそもシエラがいるアイドルポジションは、本来アディンセル家の血筋の姫君があるべき立場なのよ。それだからこそ地元社交界の女たちも憧れるし、素敵ねと素直に言いあうこともできるんだわ。幼い頃から彼女を知っていて、彼女の成長も見守って来たから、領主様の実の娘だからこそなのよ。

なのにぽっと出の他所者がいきなり姫君でございとそこに現れたってよ、いったい誰がそれを許容すると思って?

女にとって、あいつに好意を持ったり憧れる要素があるとでも思うのかしら?

体裁上、褒めるようなことを言うことがあっても、あんな没落女なんか、本心を言えば反吐が出るほど憎たらしいだけよ!

伯爵様がもし人気絶頂のいま結婚なんかしたら、相手の女はきっと国中の女に呪われるレベルだと思うけど。図々しくアディンセル家の姫君みたいな顔をしてやってるあの馬鹿女だって、これだって地域限定としてもむかつき具合はそれに近いものはあるのよ。

地元の女たちの我慢の限界点は、もう超えてしまっているのよ。こうなったら、社交界に顔を出す名門出の者として、ここはわたくしが動かなくちゃならないわ。

ええ、そうよ、このわたくしがシエラみたいな不届き者を倒さなくて、いったい誰がそうできると言うのよっ!」

「倒すって……」


僕は呟いた。


「なんでそこまでシエラを嫌ってるんだ……」

「いい気になってるあの女の一連の行動を見ていれば、シエラ何とかなんかどう考えても根性悪いほうから数えたほうが早い奴なのは分かるでしょう!」


ヴァレリアは強引な理論展開でまた僕を叱りつけた。


「だからこのわたくしが直接出向いて、あの女をやっつけてやろうと思っただけ!

それなのにここにいる男どもですらそろいもそろってみんなしてシエラを庇うなんて、あきれて物も言えないわ。身内のハリエットがここまで怒っているには、怒るだけの理由があるからに決まっているって言うのに、なんで話すら聞いてやらないのよ!」


ヴァレリアの言葉に、側にいたハリエットが僕を睨んで大きく頷いた。


「主人に信用して貰えない魔術師ほど悲しいものはないわ。シエラがどんなに嫌な奴か、何度も何度もアレックス様には訴えているのにわたしのことなんて物の数にも入れてくれない。こっちは呪術契約までしているんだから、貴方に不利益なことを言うわけないのに!

嘘つきシエラなんかに騙くらかされて、痛い目に遭ってからでは遅いから言っているのよ。それなのに、どんな方法であの女に誘惑されたのか知らないけど、意地でもあいつの肩を持って、鼻の下を伸ばしてるなんて最低!」

「ゆ、誘惑なんて一度もされてないよ、本当だって……」

「まったく、聞いたハリエット? これだけ言ってまだぶりっ子女を庇ってる! この愚かな考えひとつで、アレックス様がどれだけ異性を知らない男かがよく分かるわね。情けないったら!

こんな頼りなくてすぐ馬鹿女に丸め込まれるようなのが、単に男に生まれたってだけでいい地位まで行けるんだから頭に来る! これでは世の中よくならなくて当然ね!」


ヴァレリアは長い髪を背中に流し、それから僕に向き直った。


「でも、わたくしの目は誤魔化せないわ。わたくしはこれでも女の汚い部分をたくさん見て来たから分かるのよ。女の集団の中に長くいて、女の本性を身にしみて知る者に、バカぶりっ子の誤魔化しなんて通用しない。男には見分けがつかないでしょうけど、本当のいい子はね、あんなじゃないのよ!

その証拠に断言できるけど、もし今あのあばずれにそうできる権力があるなら、タティはとっくに消されててよ。ねえ、よく思い出してみなさいよ。貴方に少しでも利口さがあるなら、思い当たる節とかあるんじゃないの?」

「それは……」


僕は口ごもった。

そもそも最初に兄候の件で行き場がなくなったシエラをアディンセル家で引き受けたのは、ランベリー州を貰い受ける際に地元民の統治にとって幾らか役に立つだろうという見通しからだ。


「そのときに、ウィスラーナ家は家柄が古く、血統もいいから、アディンセル家に入れてもいいだろうという話で、最初は僕と結婚する予定だった」


僕はヴァレリアに、これまでのシエラに纏わる経緯を掻い摘んで話した。


「でもその話の少し後に、実はシエラっていうのが、フレデリック王子が好意を寄せる相手だったらしいことが分かって、それで兄さんが――、これは何かと都合がよくないから、シエラを殿下の妾に献上することに決めたんだ。そのときに僕との結婚話は白紙になった。

でも、いざその話をフレデリック様のところに上げると、フレデリック様はシエラにそんな可哀想な真似はさせられないからと、その話自体を断られた。王子の愛妾なんて、世間のいい晒し者になるっていう御配慮だと思う。

聖典では結婚契約を破る者や姦淫者は毒蛇と称されているし、一族から愛人を輩出したなんて、かなりの醜聞でもある。果たして性交渉だけが目的なのか、それとも男子を産ませることが目的か、そのいずれにしろ娘を結婚契約なしで男に差し出すっていうことは、瑕疵に係わらずその父親の人間性や能力、それに家系自体の品位も問われることになるからね。今度の話は別に暴君によって人質に取られた家族の生命と引き換えに泣く泣くとかって話でもない。

それに問題なのが、いかに国王であろうともサンセリウス王国は一夫一婦制であるという前提があること。制度的に側室が容認される国家ではないから、それによって傷つけられる妻って女が必ず存在する以上、その行いが道徳的に正しい行為じゃないことは最初から明らかでもある。

シエラはもう身寄りがないからという理由で殿下の愛人になったとしても、じゃあ自分が食うためには、殿下の家庭に入り込み、妻子を悲しませ、踏みつけにすることを問題視しない神経の女となるだろう?

殿下は御自分の幼少体験から、愛人側の事情がまったく同情されないことを骨身にしみて御存知なんだ。御自分の母君様のような目にシエラを遭わせたくはなかったんだよ。

それでなくても処刑された侯爵の妹なんて、何をするにも世間から関心を寄せられてしまうだろうから、それで……とにかくいろんなことが保留したまま、現在に至る」


ヴァレリアは僕の話を、めずらしく静かに聞いていた。

それから彼女はしばらく沈黙をしていたが、やがてひとつふたつ僕に質問をした。


「なるほどね。つまり……、王子様はシエラの評判にさえそこまで気をまわすほどにシエラが好きと。じゃあ王子様とシエラは、本当は両想いなわけ? だったら」

「それがヴァレリア、違うのよ」


ハリエットが横から注釈を入れた。


「厄介なことに、好きなのは薔薇君様だけ。シエラのほうは、関心なしよ。だからあいつはアレックス様を好きになっちゃってるの。それが、現在のまずい状況を作り出しているっていうことなんだけど」

「まずい状況って、いったい何がどうまずいわけ?」

「先日謁見したとき、シエラの奴は事もあろうに薔薇君様の御前で、アレックス様を愛していると宣言したのよ。すごい無礼。王子様に赤っ恥を掻かせて、さながら公開処刑よ。周りの人たちは騒然としていたし、勿論、彼は卒倒しそうになってたけど、でも結局あっさり二人を祝福するっておっしゃった。

そしてそれは、シエラにとっては世にも強力な言質を取ったっていうこと。王子様に保証して貰ったんだから。だからそれ以降、シエラは何かというと、フレデリック様がアレックス様と自分を祝福したとか言って、アレックス様やタティを脅かすの。無邪気を装っているけど、あれは絶対確信犯。王子の名前を出せば伯爵様すら黙らせられることを当然分かっていてやっているのよ。彼女は馬鹿だけどずるがしこい人間だから、薔薇君様を振ったくせに、彼の権力や威光を利用するのは殊の外お好きみたい。するとアレックス様は当然、これ以上薔薇君様に御迷惑をかけるわけにはいかないから、シエラの言動を肯定するしかないでしょう。で、可哀想にタティがものすごい割を食ってる。

ねえ、とにかくヴァレリア、今の状況はね、何もかもがタティにとって悪い状況なの! シエラのせいで、タティがどれだけひどい思いを味わわされているかってことなの!」

「なるほど、それはシエラって女はとんだトラブルメーカーね。まさに世界は自分の思い通りってわけか。アレックス様も、これはとんでもなく厄介な女に目をつけられたものだわ。確かに面倒臭い状況ね……」


ヴァレリアは唸った。


「でも、そんなに難しい状況でもないんじゃないかしら? だって、肝心の薔薇君様が、シエラがお好きなんでしょう。だったら、王子様を焚きつけちゃえばいいだけじゃないの」

「えっ、焚きつけるって……」


僕はヴァレリアの雑すぎる理解が分かったような気がして、眩暈がした。


「薔薇の王子様にシエラを奪うように仕向ければいいだけじゃない」

「いや、でもそんな簡単に言うけど君ね……」

「簡単よ。相手は思春期真っ只中の十七歳でしょう。どんなに身分があったって、十七歳の男なんてわたくしたちとは違ってガキなんだから、適当に言いくるめて、煽てて乗せてやって、シエラを奪い取らせてやればいいのよ。それで王子様は達成感もあるだろうし、貴方は恩を売れるし。

なんだ、話は簡単なんじゃないの。じゃあ、さっそく行きましょう!」


そしてヴァレリアは突然明るすぎるほどの笑顔になって、僕の腕をがっちり組んだ。

いきなり腕を組まれたので、僕はびくっとした。言うまでもないが、ヴァレリアの胸が腕に当たったからだ。


「い、行きましょうって、何処へ!?」


それで僕は取り敢えず組まれた腕を視覚でもってしっかり確認しつつ、ガラス瓶を落とさないようにしながら慌てた。恋人でも何でもない以上、腕はすぐにほどくべきだろうが、何しろがっちり押さえられているので、下手に動くともっと胸に当たるかもしれないから……。


「薔薇の王子様のところに行って、四の五の言わせず言って差し上げるのよ。まだ午前中なんだからこれから王都に行ったって時間は十分あるでしょう。

王子様がシエラをしっかり掴まないから多方面で面倒臭いことになっているんだから、これ以上まどろっこしいことしていないで、好きならとっととシエラを引き取れって! 男なら男気を見せてみろってね!」

「だ、だから、掴んだところで殿下はシエラとは結婚してあげられないから、申し訳ないからっていう想いがあるんだ。

仮に両想いだったとしても、二人が結ばれるには、周囲の状況が最初から絶望的に許さないんだ。殿下は妾腹だから花嫁はどうしても血統のいいのが求められる。それに仮に殿下が妾腹じゃなくたって、没落侯の家からお妃なんて諸侯の誰がそれを容認する? 現実的に考えてよ、こんな大国の王妃利権がどれほどのものか君は理解してるの?

有力権力者たちは嫉妬に狂って策謀を巡らせるだろうし、原理主義者たちの格好の餌食になるのだって目に見えてる。王家の神族の血を薄める花嫁なんて下手すると結婚前に消されちゃうよ。聖王家の純血を守りたい狂信者は大勢いるんだ。そしてシエラにはそういう動きと政略的に渡りあえる有能な身内もいない。侯爵の娘なんて選んだら諸侯の内心穏やかじゃ済まないのは目に見えているんだから、陛下が承認されるわけないだろう。兄さんがときどき言っているけど、君主ともなれば国家全体のパワーバランスだって考慮しなくちゃいけない。陛下の御年と殿下の若さを考えれば、どう考えても次の御代は長期政権だし。王族筋の姫君方の顔に泥を塗ることにもなるんだよ。王位継承者の結婚は、好きだとか何とかの恋愛感情で突っ走れるものじゃないんだよ。国家の将来がかかってるんだから。女が思うほど物事はそんな単純じゃないんだ。君みたいな身分ですら結婚相手を自由に選べないのは先刻承知だろう。

だから殿下は先日も御自身は身を引くっていう御発言をなされたんだよ。シエラの幸せを願うから、僕とシエラを祝福するって……」


僕は返事をした。

それから、ふとヴァレリアの胸をまたちらっと見た。別に変な意味はないが、今日の衣装は胸元が比較的開いている衣装だったので、それがちょっと気になったのだ。


「煩いわね、偉そうに。誰がお妃にしろって言ったのよ。あんなあばずれなら妾で一向に構わないじゃありませんか。何も王子様が気を遣う必要のある女じゃないわよ。要するにね、王子様は馬鹿女に遠慮しすぎ。それがすべての問題に繋がってるのよ」

「おっ、その意見は僕ちんも的を射ている気がするな」


オニールが指を鳴らす。


「あのての馬鹿女はね、大事に扱ってやったって駄目なのよ。男が優しくすればするほどつけ上がって、挙句の果てに鼻が伸びすぎて自称世界のお姫様になっちゃってるじゃないの! あの女の何処がいいのかわたくしには理解できないところだけど、王子様はシエラに優しくするから好かれないって気づくべきね。

シエラ何とかなんてああいう根性の腐った女は、お妾待遇で十分なのよ。随分と善人ぶったいやらしい女みたいだから、薔薇の王子様はいっそシエラを奴隷にでもして、必死で自分にしがみつかせるくらいの関係のほうが上手くいくと思うのよね」

「ま、まあ、それは言えるかもね。シエラはどっちかって言うと……、殿下はシエラには優しすぎたかもっていうのはあると思うけど……」

「でしょう!? だいたいが、一度でもお妾候補に上がるってこと自体が、世間からそういう種類の女だとみなされる俗悪な傾向の女ってことなんだから。

わたくしたちみたいな純粋な容姿の娘はそんなお声だってかかりやしないものなんですよ。見るからに清楚な娘に、妾になれなんて言う男はそうそういやしなくてよ。男ってやつは、女を見た目で判断しますものねえ。シエラにはスケベ女っぽい淫乱情婦の素質が見えたからこそ、伯爵様だっておっしゃったのよ。

きっと蛭のように男に吸いついて、精気もお金も幸運も吸い尽くす女なんじゃないのかしら。おほほほほっ、いやらしい女だわ!」


僕はヴァレリアの胸を、ヴァレリアに気づかれないように注意しながら、上からまたちらっと見た。えんじ色のドレスの白いレースの隙間に、ふたつふくらみがある。彼女のことは、これまであまり女とは意識していなかったが……。これは、なかなかの胸だ。武芸をやるくらいだから、やっぱり身体は引き締まっていてスタイルがいいし、喉から鎖骨にかけてのなめらかなライン、そして胸元はさすがに若い女のそれだ。

と、ヴァレリアは僕の腕を振りほどくと、ギッと睨んでいきなり僕を乱暴に突き飛ばした。


「ちょっとこのスケベ男っ、何を人様の胸を見ているのよっ!

まったくこれだから男は、油断も隙もないんだからっ!」

「えっ? み、見てないよ」

「見たわよ!」

「見てないよ」


僕は言い張った。


「お坊ちゃま君は、相当飢えてるな……。そんなんだったらよ、シエラたんと眼鏡と、三人ですればいいじゃん。どうせ二人ともおまえの言うこと聞くだろ。そうすれば? それでもめ事も収まるかもよ。それか仲直りさせるために二人にさせるとか。女同士をいちゃつかせるって燃えない? 僕はレズは好きだな」


僕はびくっとした。


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