第267話 お姫様たちの怪気炎(4)
「じゃあアレックス様、手っ取り早くいきましょう。今すぐあの女の部屋にわたくしを案内しなさい!」
ヴァレリアは腰に片手を当て、もう片方の手で僕を指差し命令した。
「こっちはあちこちでファンクラブがどうとか、ブス専の能無し男どもの言う戯言だとしてもあいつの賛美を聞くのはうんざりしてたところだし、とにかく存在自体気持ち悪いから、できれば今すぐあの女を、少なくとも州からは追放して頂きたいんだけど。できないならわたくしがこれから行って追い出して差し上げるわ」
好ましくない話の成り行きになって来たと感じている僕は、できれば今の話に気がつかなかったふりをしたかったのだが、ヴァレリアは僕を逃がすつもりはないようだ。
シエラを立てればハリエットとヴァレリアに罵倒され袋叩きにされるだろう、かと言ってハリエットとヴァレリアを立てればシエラのご機嫌を損ねさせてしまうことは確実。あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たない。進退極まったということで、僕はちょっと部屋で休もうかと思うのだが、それもヴァレリアが許してくれそうにない。
「えっ」
「えっ、じゃないわよ」
ヴァレリアは顔を険しくして僕に詰め寄った。
「ちょっと何ぼんやりと他人事みたいな顔してるのよ。今のハリエットの切実な訴えを聞いていなかったわけ?」
「いや、聞いていなかったわけじゃないよ……。でも僕のほうが身分が上なんだ」
「だったら何なのよ!? いいこと、あんなぽっと出の女が最後に旨みをかっさらって行くなんて、そんなアホらしい与太話が通ってたまるもんですか!
それじゃタティが報われなさすぎましてよ。幾らヒロイン役に相応しからぬイモだからって、それはさすがに不憫ってものよ!
芋娘が貴方と結婚してアディンセル家に入る云々の話はこの際横に置いておくとして。どっちも大した女じゃないけど、ここはどっちがマシかと言えばタティなんだから!」
「タティはイモじゃないよ」
僕は言った。
「いいから案内しなさい!」
僕は、ふるふると何度か首を横に振った。
それをやったら、ヴァレリアがシエラを虐めに行くのは明らかすぎるほどに明らかだからだ。まさかお友だちになりましょうなどとは間違ってもならない。即、日頃カイトに向けているような罵声のオンパレードが展開されるはずで、心臓の強いカイトならともかく、果たしてシエラにそれが耐えられるだろうかと考えると、それは耐えられないだろうから、断固案内するわけにはいかない。ヴァレリアが高飛車に笑い、ハリエットが勝ち誇った顔をして、シエラが跪いて泣かされている有様が僕の目には見えるのだ。
「それは、また今度にしようよ。今日は突然すぎるから」
そこで僕は気を遣って、ヴァレリアを執り成した。
「いいえ、今よ! 今すぐ!」
だが勝ち気なヴァレリアは引き下がらない。
「でも僕、今日は予定があるんだ。もう行かないと……」
「タティとハリエットが二人して馬鹿女に超困ってるわけでしょう、だったらそれは貴方の問題じゃないの。なんでそうやって問題から逃げようとするわけ!?
貴方まさかとは思うけど、自然に何となく収まりがついてくれるのを待っているなんて言わないでしょうね? そんな都合よくいくわけないでしょう!」
ヴァレリアは僕を叱りつけた。
「僕のほうが身分が上なんだ……」
「貴方はあまりにこの問題を過小評価しているみたいだけど、これはとんでもなく重大な病巣よ。警告してあげるけど、このまま放置しておくと、あいつタティを抹殺にかかるわよ。ハリエットの話を聞く限り間違いない。あれは枕を濡らして引き下がるようなけなげなタイプじゃないわ、半端じゃなく図太い! それに、欲しい物のためなら平気で相手を潰すわ。話を聞く限り、わたくしもそういう性質の女だと思ったのよ。
この城に親族でもないのに居座っているなんて、それだけ聞いたってシエラって奴はそりゃあ相当のタマですよ。そういうのはね、何処かの下品なたかり屋と一緒よ」
ヴァレリアは、抜け目なく壁際に立っているカイトを見て、続けた。
「厳しく躾けて立場を分からせてやらないと、そういう輩っていうのはどんどん増長して、そのうち母屋を取られることにだってなりかねないんだから。わたくしの受けた被害を見ていれば分かるはずよ!」
ヴァレリアは僕に凄んだ。
「なのに貴方は甘いわ、とにかく甘い! すっかりあいつの演技に騙されて。彼女はきっと表向き善良な態度かもしれないけど、それがまず怪しすぎてよ。
そもそも侯爵令嬢が下級貴族の娘と男を取り合うって状況自体、プライドが許さないはずなんだから。さっきオニールもそれっぽいこと言ってたけど、普通に考えたって、彼女の内心は怒りに震えるほどでしょうよ。たかが召使いみたいな階級の女と同列に扱われて男を奪いあって、しかも自分の分が悪いなんて。
ましてやあの芋みたいなのが相手じゃ、シエラじゃなくたって、自分はこの不細工以下の女なのかって、その意味でももう芋娘の顔を見る度に憤死しそうなくらいでしょう。
もう財産もないような身の上で、貴方を得るかどうかで今後の人生がかかっているような状態なら、シエラは死ぬ気で貴方を奪い取ろうとしているに決まっているじゃありませんか。
いい夫を得るかどうかはいつの時代も女にとって死活問題だけど、貧乏人のシエラには後がないわけだからそりゃあ内心がっつくに決まってるわよ。何せ、そういう生き方がすごくみじめだと感じるわたくしのような高尚な感性は、あの馬鹿女にはないでしょうからねえ。
シエラはおっとりしてるから気にしないとかって、そんな馬鹿なことがあるわけはなくてよ! 貴方はご自分がカモにされていることに気づくべき!」
ヴァレリアは続けた。
「アレックス様、彼女は今の食い扶持を失わないために、内心ではそれはもう必死よ? 貴方、女って、そんなに美化した生き物じゃないのよ。
それにあいつはもともとがちやほやされ慣れてる階級ってことを忘れないで。物心ついたときから大勢に傅かれ、持ち上げられて生活をしてきた女ってことをね。確実に自尊心は雲を突き抜けるほど高いから。
そんなプライドの高い女が貴方、召使いの芋娘に負けることを認めるとでも思って? 名門出の娘って最後のブランドイメージも何もかも失墜することになるのに? タティごときに負けたりしたら、あのシエラって女には、落ちぶれたブスってことしか残らない!
一時は州を預かる侯爵家の令嬢だった者が、今じゃ召使いのタティのあばら家みたいな実家よりも貧しいなんて……、恋人まで競り負けるなんて……、もう、どんなに控え目に見積もったって、タティをこの世から抹殺したいと考えるに決まっているじゃないのっ!」
「君、よくもそこまですらすらと罵倒言葉が出て来るものだね……」
僕は素直にヴァレリアに感心した。
「でも、君たちが言いたいことは分かるんだけど、それはちょっと違うと思うんだ。どうやらタティのことが気に入らないらしいっていうのは、当たってると思うんだけど。なんて言うか、シエラは君たちほど過激じゃないんだよ。男と平気で議論できる好戦的な君たちははっきり言って特殊な人種だ、でもシエラはそうじゃない。僕を好きだから、タティのことが今は気に入らないだけ。でもそれは今だけのことだよ」
「貴方、なんでそんなに分かったようなこと言ってらっしゃるのよ。って言うか、僕を好きだからって。いつも伯爵様のおまけのくせに、よくもそんな調子に乗った発言ができるわね」
「だって僕はシエラのこと別に……、まあ可愛いとは思うけど、結婚したいとかそういうふうには思ってないから。僕にその気持ちがないんだから、これ以上どうにかなることはないだろう? 男が女に力ずくで押し倒されるってことはないんだし。可能性はゼロだよ。だからそんな角を出してシエラをこき下ろさなくても大丈夫。僕はタティと結婚するんだから。
シエラが殿下にお願いした件も、あれたぶん深く考えてはいないと思うんだよ。確かに取り方によっては悪く取ることもできる行動だったとは思うけど、彼女はときどきやることが幼い女の子そのままって言うかさ。侯爵家の末っ子のお姫様だから、本当に世間知らずなんだ。
だから、タティに対する配慮が欠けているっていうハリエットの言い分とか、殿下にいろいろ申し上げたことも、そんなに悪気があったとかじゃないと思うんだ。物を知らない故の恐れ知らずと言うかさ。そんなに声を荒立てないで、ここは優しく許してあげてよ。ヴァレリアのほうがお姉さんなんだからさ」
「馬鹿な人ねっ、貴方女を過小評価しすぎよっ!」
僕がきちんと話してあげているのに、ヴァレリアが間髪置かずに僕に怒鳴った。
「何を言っているのよ貴方! これだけ説明してあげてるのにまだ分からないわけ!?
だからシエラは男のそういう甘い解釈を逆手に取って都合よくそれを利用してるって言ってるのよ! そして目敏く隙を見て貴方を奪い取ることも厭わない女だって!
貴方、女は男が思っているほど愚かじゃなくてよ!
これだからボンクラは嫌いだって言うのよ、どうして男って奴はこうも易々と馬鹿女のぶりっ子演技に騙されるのかしらね!
ハリエットの証言が確かなら、貴方にだってこれまでそれと感じられる出来事は幾つもあったはずでしょう?
それなのにまだそうやってシエラの本性が分からない奴は、頭がよっぽど悪いか、それとも女をまったく知らないのか、それか感受性さえよっぽど鈍いかの全部よ!」
「女なら知ってるよ」
僕は女を知らないうぶな男ではないので、その言い草には少々釈然としないものを感じた。
「君は男を知らないだろうけどね。そうだ、君、今日はせっかく来たんだから、カイトとゆっくりお茶でもしたらどう?
考えてみれば、君たちはまだ二人きりで時間を過ごしたことってないんじゃない? だから行き違いとかも生まれるんだ。婚約までしたのに、まだお互い、気持ちを通わせるっていう作業をしていないから。よければこの城をデートの場に提供するよ。うん、そうしなよ」
「いいから」
だがヴァレリアは不当なほどあっさりと男の僕を鼻であしらう。
「僕はアディンセル家の男子なんだ……」
まるで僕の相手をするのが面倒なときの兄さん並みの勝手なあしらい方なので、僕は文句を言った。
「だから何なのよ! つまらない話題そらしは結構でしてよ。わたくしはその手には乗らないし。カイトとなんか別に話したくもない。あいつの近くに寄ると臭うから、強い香水でもつけて来ないと」
「じゃあ……、そうだ、それよりなんでハリエットと結託してまで、君がそんなにシエラにいちゃもんつけて嫌ってるの?
ハリエットがシエラをやたらと嫌う理由は、それは、さっきの話で何となく分かった気がするけど、でもヴァレリアにとってはそれこそ他人事だろう? シエラと直接話したことってあったっけ? シエラをこき下ろすより、そっちについて話そうよ」
「いいから!」
「いや、だって、幾ら君が無茶苦茶な性格だからって、さすがに何かおかしいじゃないか」
「煩いわねっ、ああ、鬱陶しい。貴方ね、男だと思ってそうやって何でも自分の思い通りになると思ってるんじゃなくてよ!」
「なんで僕が怒られるんだ」
「だって仕方がないでしょうっ! ハリエットだけじゃないのよ、こういう事例は!」
「ハリエットだけじゃないって?」
「そうよ!」
ヴァレリアは言って、ヒールの靴を踏み鳴らした。




