第263話 招いてない煩客(6)
僕はたぶんいいことを言ったのだが、ヴァレリアは僕の意見に賛同できないかのようだった。
毎度のことではあるが、両手の拳を握りしめて、ヴァレリアは怒り出した。僕がデリカシーがないとか言って、でもそんなに言うほど嫌でもないんじゃないかと思うのは、左手の薬指にはカイトとおそろいのルビーの指輪が光っているということだ。死ぬほど嫌なら婚約指輪なんかしないだろう。
結婚指輪と違って、婚約指輪はそれほど身につけることに強制力ははたらかないし、下男扱いのカイトはともかく、ヴァレリアには当主の娘という権力がある。婚約指輪なんて、嫌なら幾らだって放っておいたって誰にも怒られないのだ。それなのにちゃんとつけている。
でもそれを言ったら怒られそうだし、怒られたら嫌なので、僕は黙っておいた。
「君はね、なんて言うか極端なんだ……。要はエネルギーが有り余っているんだよね。だから騒ぎたいために、自分で怒りに油を注いでいるんだよ」
「ちょっと、人を猛獣みたいに言わないで頂戴! 虫みたいなんて言われたら、誰だって怒るのは当り前でしょうっ!
あんなっ、何だか分からない、足がいっぱいあって卵を産む、気持ちの悪い」
「そのロマンが分からないかな。想像してご覧よ。彼らの生態をさ。恋に生き、愛に生き。やがて交尾して卵を産む。産卵したら大抵死ぬ。まさに花火のような人生じゃないか。あっ、蟷螂はね、飼ってたら、交尾中にメスがオスを食べてたんだよ」
「だったら何だって言うのよっ! わたくしが蟷螂だとでも言いたいわけっ!?」
「そうじゃないけど」
「そんな何の役にも立たない虫の話を偉そうに語って、ほんっと貴方って、鬱陶しい男ですことっ!
アレックス様、貴方、そうやって虫の話を嬉々として語っている貴方が他人にどう思われているか教えて差し上げましょうか。根暗! 気持ち悪い! これだけよ!」
「何だよ、言い過ぎだぞ」
「煩いわねっ、こっちは虫なんか大嫌いなのよっ! 虫なんて、想像するだけでざわざわするって言うのに。あいつらの存在は、馬鹿で不潔なカイトと同じくらいおぞましいっ!
いいこと、昆虫なんて、ほとんどの女は大嫌いなんだからそれを忘れないで頂戴!
まったくわたくしの周りには、そろいもそろってろくでもない男ばかり!
ああっ、腹立たしい。どうしてわたくしはこんなに不遇なのかしら! こんなに美人でこんなに心が清らかでこんなに心の優しい純粋な娘は他にいないのに、どうしてこのわたくしに相応しいまともな相手が現れないのよ!
どうせ結婚しなければならないのなら、汚らわしいカイトなんかぶっ飛ばして、わたくしをさらってくれる最高の男がいいのに!」
「それはヴァレリアの本質が平民男と釣り合っちゃう程度のちゃちな女ってことじゃねーか」
オニールが、また面白がってからかい気味に言った。
どうでもいいが、こいつはヴァレリアの子分かと思いきや、話を聞いていると必ずしもヴァレリアの味方をするわけでもなければ、かえってヴァレリアのことすらおちょくることがある。またさっきの男尊女卑の話でも、突然女擁護にまわることにも特に躊躇がなかった。要するに、面白ければ何でもいい奴なのだろう。撹乱するのが目的でやってるとしか思えない。
僕はこれまでカイトこそ軽薄なお調子者だと思っていたのに、オニールのでたらめさはそんなものじゃないので、最近ではすっかりカイトがまともに思える有様なのだ。とにかくあの鬱陶しい女みたいな髪がイライラする。なんで見るからに大したことない男なのに、時折髪の艶を気にしている仕草をするのかも意味が分からない。
「さっきも言ったけど、男女ってのは鏡だからさ。この辺りの恋愛的引力に、表面的な取り繕いとかは通用しないって言うよ。平民と釣り合うってことは、おまえもつくづく安上がりな女なんだな」
するとヴァレリアがオニールの頭をばしっと叩いた。いきなり頭を叩いたことで、オニールの伸ばし過ぎの髪が宙に舞う。
「冗談じゃないわよっ! おまえときたらいつも余計なことばっかり言って!
よく見なさいよ、わたくしとカイトごときが釣り合ってるわけないじゃないのっ、わたくしは嫌々結婚させられるだけよっ! 冗談でもそんな無礼な発言は許さなくてよっ!」
「痛いよ、叩くことないじゃん、どの辺が無礼なんだよー。
じゃあ、釣り合ってないんだったらよかったじゃん、別にそれで。じゃあ結婚やめなよ」
「ええ、できるのなら是非ともそうしたいところだけど。でも仕方がないじゃないのよ、これはお父様と伯爵様が決めたことなんですもの!」
「でもまだ結婚はしてないんだから、執行猶予期間ではあるよ。そんなに嫌だって言うなら、いっそ駄目もとで、どっか別の騎士団でも飛び込んでみたらどうよ」
「別の騎士団ですって?」
「そうよ。そりゃあおまえが下男との結婚を嫌うあまりに、他に男見繕って駆け落ちなんて醜態をさらせばだよ、残されたおまえの哀れな従姉妹たちは何の罪もないのに全員淫乱女の巻き添え食って連帯責任、一生結婚できないって事態になっちゃうだろうけどさ。でもおまえが男連れじゃなく単独で家出を敢行してだ、たとえば中央の赤薔薇騎士団とかに入ったとかってことなら、また話は違って来るんじゃねーか?」
「赤薔薇騎士団って、あの!?」
「そうよ。陛下直属の」
「陛下直属……」
するとヴァレリアが、多少興味がないわけではない顔でオニールを見る。
「つまりおまえはこのわたくしに、栄光ある陛下直属の騎士になれって……?」
「うん。こんなやって不毛なことやってるよりかはいっそ現実的な逃亡方法だろ。まさかそんな根性見せられたら、閣下もヴァレリアの父上も驚くだろうし、もしかしたら、怒りながらもおまえを見直すかもな。地元の騎士団に所属するのが慣例だし、それが忠誠ってものだけど、もしおまえがそこまで最悪な結婚から逃げたいなら越境でも何でもしてみればいい。たとえ閣下に反逆とみなされようと。ヴァレリアがこの結婚にぎゃんぎゃん言ってるのは閣下だって知ってんだし、どうせそんな大事にはならねーよ。
そこら辺のお淑やかな女にはたぶん無理だろうけど、そのくらいおまえは動ける奴だよな。一応、騎士として下地はあるわけだし、入団試験受けてみたらいいじゃん。
叫んじゃうほど「大っ嫌いっ!」な下男との結婚が死ぬほど嫌ならそのくらいの無茶はやってのけられるはず」
「ええ、そうよっ! 当然じゃないの!」
ヴァレリアが鼻息も荒く叫ぶ。
「わたくしならそんなの簡単にパスできるわ!」
「じゃあ、そうやれば?」
「た、確かにね、それは悪くないアイデアとは思うわ……」
「あ、白薔薇は装備も格好いいよな。そっちでもいいかもね」
「待って頂戴、でもそうしたら」
「僕は応援するよっ。こうなったら、どかーんと行って来い!」
「え、ええ……」
オニールはたたみかけた。
「だって、おまえのガキの頃からの夢だもんな、女でありながら騎士として大活躍するってやつ!
だからおまえは頑張って騎士としての修練も積んで来たわけだ。他の女が裁縫とか習う時間を武芸に当てたのは騎士になって活躍する将来の夢のため。女だから無理だって決めつけられたり頭ごなしに可能性の芽を摘まれるその屈辱を、いずれ行動で覆してやろうってそういうことだった、そうだろ!?
そして幸いと、少数だけど先人はいるわけだからこれはやってやれない道じゃない。これは、行動を起こすにはいい契機かもしれないぜ。平民と結婚させられるおまえには同情論もないわけじゃない。おまえほどの女ならきっとできるさ!」
「そ、そうよ、わたくしは騎士になって、たくさん部下を率いて、それで州のため、国家のために剣をふるう。それがわたくしの小さい頃からの夢だった……」
ヴァレリアがふと、悲愴とも取れる切ない表情をした。
「だから頑張って来たわ。すぐに夫だの恋人だのを引き合いに出して、そういう連中に頼りきって生きている愚かな女にはならないために……。男に囲われて喜んでる女たちの生き方を否定まではしないけど、そんな立場は人間としてあまりに悲しすぎると思うから、わたくしは主体性を持ち、そんなふうにだけはなるまいと思って……」
「あれっ、どうしたヴァレリア、その割に、だんだん声が小さくなってきたなー!?
そんななのに、もしかしてこの結婚に未練があるとかー?」
オニールが、髪を揺らしてヴァレリアの顔を下から覗き込んだ。
「あららん、その困惑顔はもしかしておまえ、躊躇ってる!? てことは、下男ごときを本気で好きになっちゃってるのかなー?
それじゃあ、他所になんて行けないよな。好きになっちゃったんなら。カイト君に会えなくなっちゃうんだから。
そっか、ヴァレリアも結局は自分の夢や志より、男を選ぶつまんない女だったか。そっかそっかー」
そしてオニールは歯を見せて嘲笑い、ヴァレリアは怒りながらも徐々に頬を染めた。
僕にはもう、ヴァレリアが何をしたいのかがよく分からないのだが、要するにアホなんだろうと思った。それともどんなに優秀でも、女は男を知ったら終わりみたいなことを兄さんが前に言っていた気がするが、それはもしかするとこういう意味なのかもしれない。
「ったく、分かりやすいなあ。てかおまえもうこの場にいる全員にバレまくってるのによく平気で話していられるな。やることが杜撰と言うか、図太いヤツだぜ……」
「煩いおまえ! おまえって奴はほんっと性格悪い男ねっ!」
「確かにね」
オニールは素直にそれを認めた。
「でもそれが僕ちんのすべてじゃないことは分かってるだろ。僕はおまえがどっちに気持ちが揺れているかを察して、そんならもうそういう強がった態度は改めて、今のうちからカイト君を大事にしとけって言ってるの。ヴァレリアほどの奴でも、結局は只の女だったのかって思うと、僕としてはちょっと残念な部分もあるけどな。
でもまあよ、こうなった以上、しょうがないよな。僕はそれを責めたりはしないぜ。
カイト君の性格は何度も教えてやったろ? あいつは男を立ててくれる従順な女が好きなんだよ。なのにそんな相手にあんま厳しくやりすぎると、おまえに敵対心持つどころか愛想尽かして他に女作っちゃうぜ。後の祭り状態になる前に、友だちの有難いアドバイスは聞いておくべき」
「ふん、浮気なんか。やれるものならやってみろって言うのよ!」
「そうなったらいちばん困るのはヴァレリアなのになんでそこまで意地張るのよ。
こういうことは、惚れたほうが負けって言うだろ。観念しろよ。好きって言って抱きつけって。それでだいたいのことは解決なんだからよ」
「鬱陶しいわねっ! だから、わたくしは、カイトなんかこれっぽっちも好きじゃないって何度も言っているじゃないのよっ!
それにね、今ちょっと中央に行くのを躊躇ったのは、それは、それは、そうよ、わたくしは、飽くまで伯爵様に忠誠を誓っているからよっ!
たとえ陛下直属であろうと、だから迷ったのよ、だって……、ウェブスター家は古くからアディンセル家に仕えて来た家柄なんですからっ!
それを、勝手にあれこれ邪推して決めつけないでよねっ、誰がカイトなんか! あんなの最初から問題外なのよ! あんな卑賤の男をなんでこのわたくしが!? おほほほほっ、そんなわけがないじゃないのよ、まったくわたくしを誰だと思っているのよ!
だいたいわたくしと貴方がたは年齢だって同じなんだから、頭の内容が説教されなきゃいけないほど違うわけないって言うのに男だってだけでいちいち偉そうにっ!」
「どうしてそこで好きと言えないんだろうかね。これはラブコメじゃないんだよ。僕は情けないぜ」
オニールが両手をあげて首を振る。
「何だよ、君は否定ばっかり、批判ばっかりだ。なんでタティみたいに可愛くできないんだよ。もうお仲間のオニールとでも結婚すればいい。君にはそれがお似合い」
僕は言った。
すると、意外にもオニールが即答した。
「やだよ」
ヴァレリアがすかさず怒る。
「ちょっとオニール、やだってどういう意味よ!」
「ええっ、だってさあ……」
「こんな美人を嫌だなんて言う権利、そのご面相であるとでも思っているのかしら!
もっとも、わたくしこそオニールなんてごめんだけど。三男なんて、将来の保証なんてないんだから。わたくし、貧乏って大っ嫌いなのよね。貧乏人も大っ嫌いだし、平民も大っ嫌い。家が裕福でも領地を貰えない男も大っ嫌い。代がわりしたら貧乏になるから」
「ひどいぜ、好きで三男に生まれたわけじゃないのに。それに僕はイケメン……」
「おほほほ、残念ね! 三男ってだけでおまえは負け組! スペアのスペアじゃお話にならないわ!
その証拠におまえのところには、お兄様たちのようには良質の縁談なんてなかなか来ないでしょう。何せ、三男なんてもうよっぽど何かないと家督とは縁がない存在なんですから。だからおまえのところに来るのは余り物のブスか格落ちの家柄の娘ばっかり! しかも格落ちでも美人は来ない。美人は容姿でずっと上狙えるから!」
「ひどいよ! なんて格差社会だよ!」
「おほほほほっ!」
「カイトも嫌、オニールも嫌って言うんだったら、誰ならいいんだよ」
僕が文句を言うと、ヴァレリアは少し考え、答えた。
「とてもわたくしの理想通りの男性なんていないわね。世界一強くて、世界一頭がよくて、世界一美しいわたくしの次に美しくて、誠実で、わたくしだけを絶対に一生愛してくれる、そういう人だから。
できれば一国を所有する立場であって欲しいし、もっと言えば世界で最強の存在であって欲しい。でも、わたくしたちの立場は対等なのよ。そしてわたくしはその素敵な方の唯一の妻として永遠に幸せに暮らすの」
「ぎゃはははっ、おまえ自分をどれほどの女だと思ってんのよヴァレリア。すげえな、王子様の花嫁になりたいとかなら分からんでもないが、世界最強の男って。どんだけ見栄っ張りなんだよ」
「煩いおまえ!」
「ふうん、意外にドリーマーなんだね。シエラみたいだ」
僕は率直な感想を言った。
ヴァレリアはそれを鼻で笑った。
「あんなのと一緒にしないで頂戴よ。馬鹿らしい」
「そうかな、でも同じようなこと言ってたよ。女の子の想像って可愛いよね。エロさより、王子様待望のお伽話ベースだから」
「ちょっと、だから貴方、わたくしの話を他の女の妄想なんかと一緒にしないで頂戴。なんでどいつもこいつもシエラシエラって、なに勝手なこと言ってるのよっ!」
ヴァレリアは、今度は僕の鼻先に人差し指を向けた。
「いいこと、わたくしの場合は想像じゃなくて、事実をもとに言っているのよ。だってそうでしょうっ!?
見ての通りわたくしは超絶美形で世界一可愛くて美しいし、何をやっても完璧で、清純で、愛らしくて、わたくしは他の女と違って特別なんだからっ!」
「せっかくさっきまですごくいいこと言っていたのに。それじゃ、言ってることがシエラとほとんど同じじゃないのよ……」
「お黙りなさいハリエット!」




