第258話 招いてない煩客(1)
朝からとんだ妨害が入ったが、僕は時間より早めに行動していたので、兄さんに絡まれた時間はデートの致命的な遅刻にはならずによかった。
そう、昨晩タティとデートの約束をしたので、僕は今朝は執務室に顔だけ出すことにしていた。どうせ来週から王都に行くし、もうやることは大した仕事でもないから、後のことはカイトに任せるつもりで、指示だけしておこうと思ったのだ。
もしかするとこれから何年かは王都暮らしになるかもしれないので、故郷での思い出をタティと一緒に刻んでおきたい。もっとも帰ろうと思えば、ハリエットを使えばすぐ戻って来ることはできるのだが、それでも住まいを変えるのは、僕もタティも生まれて初めてのことなのだ。
デートをシエラにみつかったら面倒なので、タティとは厨房前で待ち合わせしている。厨房にランチやかごを用意させるからだ。お姫様育ちのシエラは、基本的に使用人やら業者やらが出入りしているような区域には行かないし、逆にタティはちょこちょこ趣味のために厨房辺りをうろついているから、さすがにそこでデートの待ち合わせをしているなんてことは、シエラは気づかないだろう。
僕がタティを部屋に迎えに行ったり、執務室にタティを来させるなんてことをすると、怪しまれるのは明らかなので、それはしない。僕らは子供の頃にしていたみたいに、虫の瓶や木苺のかごを持って、厨房に昼食のバスケットを作らせて、二人きりでピクニックをするという算段だった。
ところがそんな日に限って、またしても、兄さんに輪をかけて非常に鬱陶しい人物が、朝から執務室を陣取っていたりするものなのである。
「おほほほほっ! ご機嫌ようアレックス様。いい朝ですことね」
「ああ、おはようヴァレリア……、何か用?」
朝から立て続けての二度目の妨害は、さすがに僕を疲弊した気分にさせた。
呼びもしないのに勝手に湧いたヴァレリアは、僕の執務机の前で、相変わらずの高飛車な態度だった。わざわざ本人に言うつもりはないが、黙っていれば結構美人である。きつい感じがする顔つきは微妙にカイトに似ているのだが、そんなことを言うと激怒されそうだから、細かいことはいちいち言わない。
それにしても、ヴァレリアには実に惚れ惚れするような風格みたいなものがある。風格なんて、普通は若いうちにはそうそう身につかないものだと思うのに、若い頃からこれを持っているっていうのは、彼女は確かに生まれながらの貴族というやつなのかもしれない。
今のところ、やりすぎて高慢ちきになってしまっている感はあるが、彼女は上品ではあるのだ。我を適切に抑えるということを学んだなら、界隈に右に出る者のないというくらいの貴婦人として、結構大成するんじゃないかというくらい……、と、僕に礼儀を払うでもなく、ヴァレリアは勝手に怒り出した。
「ちょっと! 朝の挨拶もなしにいきなり何か用っていうのは失礼じゃなくて!? まるでわたくしが邪魔みたいじゃないの!」
「いや、邪魔ってわけじゃないんだけど……。挨拶したんだけど、聞こえなかった?」
「こっちはこれほどの美女よ。貴方も男なら、もっと気を遣って欲しいわね」
ヴァレリアは長い黒髪に手を入れて、それを払ってみせた。
「う、うん」
僕は頷いた。
「当然でございましょう、美女を見たら、挨拶代わりに褒めるのは」
それからヴァレリアは腕組みをして僕を睨んだ。
「えっ?」
「わたくしを褒めろって、言っているんでしてよ。貴方も空気を読んで」
「ああ……、君は相変わらず美人だね。また綺麗になった?」
催促されたので僕が言うと、ヴァレリアは例によって手を口許に添え、得意げに笑った。
ちなみにその薬指には、赤いルビーが光っている。僕は宝石の目利きができるわけじゃないが、これはカイトは結構頑張ったんじゃないかと思えるような品物だった。だからヴァレリアはわざと見せているのかもしれなかったが、この上に自慢を聞かされるのも何だか面倒臭いので、触れないでおいた。
「おほほほほ、嫌だわアレックス様、貴方ってなんて正直な方。あんまり正直すぎるのも困ったものよ、わたくしがいかに絶世の美女だからと言って!
平均以下のブスのくせに、ファンクラブなんてくだらないものにいい気になっている何処かの下品な馬鹿女と違って、わたくしの美しさは正真正銘本物だから!
あんな売女もさながらのあばずれよりも、わたくしのほうが何千億倍も清純で純粋で素直で控え目で可愛くて美しいのよ! そうでしょうっ!」
ヴァレリアが僕をギッと睨んだので、僕は慌ててその通りだと同意した。
「当然よ!」
ヴァレリアは足を踏み鳴らした。
「でもさすが、貴方は生粋の名門貴族だわ。女性に対する礼儀を知ってらっしゃるもの。何処かのケチな下男とは大違い。
それに引き換えあの下男は、わたくしを美しいなんて言ったことがないんだから。頭に来るわ。あの野蛮人は、自分の立場が全然分かっていないのよ。平民は貴族様を崇拝すべきだということが。ましてやこんな美女よ」
今日のヴァレリアは、いつにもまして、妙に容姿のことについてこだわっているように感じつつ、僕は執務室内を見まわした。
室内には他にカイトとハリエットとオニールがいる。ハリエットはヴァレリアに、部外者は早く帰りなさいみたいなことを厳しく言っている。ヴァレリアはまったく取り合っていないようだが、このお嬢様に対して物怖じもせずにそんな口をきけるとは、ハリエットは度胸がある奴だと僕は密かに彼女を見直した。
目があうと、ハリエットが両手を軽く上げて僕に言う。
「どっちも最低であるにしても、ヴァレリアのほうが人間性はまだマシだと思うけどね」
「何の話?」
また別のところでは、例によってカイトが部屋の隅で置物のようになっている。ヴァレリアが聞えよがしにカイトを批判しているが、彼は反論は一切しない。
日頃あんまり本心を顔に出さないカイトだが、ヴァレリアが近くにいると、彼女のことが苦手でしょうがないという雰囲気を醸し出すことがある。彼は滅多に嫌な顔とかはしないし、誰かに何かを言われても、飄々と受け流す男なのだが、そんなカイトにも実は人並みに感情機構ってものが備わっているんだなというのが垣間見える瞬間なわけだ。
特に冬頃、結婚が決まった直後なんかは、かなりヴァレリアが嫌そうだった気がしたのを憶えている。でも今は開き直ったのか、それとも観念したのか、もうそれほどでもなかった。と言ってヴァレリアと婚約者らしくするということもなく、壁際にただ立っている。
そんなわけで、これまで僕の執務室に我が物顔で居座っていたヴァレリアと、親しく談笑をしていたのはオニールだったようだ。
「閣下もケチだよな。ヴァレリアも使ってやればいいのに。
アレックス様、確かにヴァレリアは我侭ではあるけど、結構剣術も上手なんだよ。それに行動力がある。その辺の女みたいにすぐにめそめそしないし、使いどころはあると思うんだけどな」
ヴァレリアと一緒になって、勝手に執務机前を陣取っていたオニールが言った。
この間はヴァレリアのことをなんちゃって騎士とか言っていたくせに、今日はどういうわけか、随分と言うことが違うようである。所詮はオニールなんていうのは、口八丁の小物ということは分かっているのだが。
逆にヴァレリアには人を従え慣れた者が持つ風格、それに変なカリスマ性みたいなものがあったりする。したがってオニールみたいな小物のカスは、こういうボス的な雰囲気の相手に、引きずられる傾向にあるに違いない。
ちなみに僕はと言えば、さしずめ一匹狼といったところだろう。孤高とニヒルさを持つ男には相応しい表現だ。だから友だちはいないんじゃなくて、特に必要としない。寧ろそんなものは、真の男にとって煩わしいものなのだ。
かつては友だちが一人もいないと思って泣いた日々もあったが、それは大いに間違っていた。僕は既に、それを必要としないレベルの人間だったのだ。もっともカイトだけはどうしてもと言うから、最近は友だちにしてやっているけど。
「おほほほ、それは勿論よ。女の見苦しいところっていうのは、そうやってすぐ弱者になりたがるってところなんだから」
ヴァレリアがオニールの言い分を元に、彼女のいつもの見解を口にした。
「どいつもこいつも男どもと戦おうとせず、媚びたがるのよ。しかも根性の図太い何処かの馬鹿女みたいなのに限って、自分は純情可憐だって演技をより完璧にしてみせるもんだから始末に負えない。それに本来はまともな女たちだって、男社会にすっかり騙されて、男に媚びて弱者のふりをすること自体が何ともプライドのない、ずるいことこの上ない思考回路なんだって自覚すらもない。
まあもっとも、いちばん悪いのは男であり、この男社会なんだけど。女が馬鹿であるように仕向けているから。男に頼らないと生きられない社会の不平等な仕組みもそうだし、そういう弱い女こそが賛美されて、それこそが女らしいっていうそういう指標が作られているからこそ、馬鹿な女たちはもっと弱く、もっと馬鹿になろうとするわけ。
そして男側としても、必死で男の機嫌を窺って、馬鹿になってへらへらしている駄目な女ばかりのほうが、そりゃあ幾らだって見下せて、何か都合の悪い問題が起これば女が悪い、女が馬鹿だってことで全部片づけられるし、気分はいいって寸法よ」
「うーん。まあヴァレリアが言ってることは分からなくはないんだけど。男っていっしょくたにされても、考え方はいろいろなんだけどな」
「おまえはそうでも、だいたいの男は女を馬鹿にしていれば済むと思っている奴らばっかりなのよオニール!」
お嬢様はオニールを叱りつけた。
「オニール、おまえは意外とわたくしの言うことが理解できる男、これは知っているけど。
わたくしのお父様にしたって、伯爵様にしたって、ここにいるアレックス様にしたって、男っていうのはね、息をするように女を馬鹿にして、差別する連中なんだから!」
「でもヴァレリア、おまえが面白くないのは重々分かるけどさ、それがここでの常識って言うかさ。ヴァレリアも本気で騎士をやりたいなら、そこはそろそろ踏まえておいたほうがいいのかも。だからさっきも擦り合わせの話をしたんじゃん。おまえが論理を振りかざしたって社会が変わるわけじゃない。それに実際女が前に出ても、事が上手くまわらないんだよ。いちいち角が立つんだよね。
これは何重もの意味で、すごく根深い問題なんだけど、女っていうのは女からも差別される存在なんだよ。その証拠に、ヴァレリアだって女に命令されたら意外とむかつくんじゃないの。想像してみ、ましてそれが自分より若い女だったらどうよ」
「煩いわねっ! だから、それは、男がそういう社会を作って、そういう風潮にしちゃってるからじゃないのよ!」




