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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第12章 佳客
255/304

第255話 悲劇のプリンセス(1)

ドアを閉めて、息を吐く。タティの不安そうな顔が目の奥に残った。

離宮からこっちに戻ってからというもの、僕がタティに手を出さないばかりか、寝室も完全に分けてしまったものだから、タティはきっと自分が捨てられてしまうかもしれないとでも勘違いをしていたのだろう。

あんな顔をさせてしまうくらいなら、本当は今夜はそのままタティの部屋に泊って、じっくりとその心配を解いてあげたいところではあった。が、そういうことをやってしまうと、泊るだけでは済まなくて、何もかもなし崩しになってしまうのは目に見えているからやっぱり今はそうするわけにはいかない。強い決意で、後ろ髪を引かれる気分で部屋を出た。

風が流れたのを頬に感じ、顔を上げると、対角線上の夜の廊下でシエラが立っている。

僕は目を疑い、何かの間違いではないかと目を凝らしてみたが、確かにそれはシエラ本人であるようだ。

サンメープル城は夜間でも灯りを絶やすことがないため、橙色の灯りが、彼女の僅か後方でチラチラと揺れている。言うまでもなく、時間は深夜だ。タティの部屋は専属魔術師として仕えるルイーズのような特別室ではない、ここは主に貴族階級の使用人が使う部屋が並ぶ廊下のひとつだが、さすがにこの時間では廊下を行き交う者の姿もない。

なのにシエラはこんな夜更けにたった一人で、こんな場所で何をしているのだろう。お姫様育ちの彼女は、使用人の暮らす区域になんか日頃は近づくことさえしないはずなのに。

まさかとは思ったが、僕を尾行して、一緒にいるために真夜中にここでずっと待っていたのだろうか?

それともまたタティに直接文句でも言おうと思い立ったのだろうか?

シエラは決して悪い子ではないが、いずれにしても、やはりそろそろ何かシエラが嫌がるようなことをして、彼女が僕を嫌いになるように仕向けることを考えるべき時期か……、こんな美少女に好意を寄せて貰っているのに、それを棒に振るのはもったいないとは思うのだが、単純に僕を好きでいてくれるだけならともかく、こうやってタティと張り合おうとされると、それはちょっと困るのだ。

勿論最善は、シエラが速やかにフレデリック様を好きになることなのだが。

シエラが殿下が少し年下くらいのことは気にせず、遠慮なく殿下の胸に飛び込んでくれたら話は早いのだが……、と言うかフレデリック様も僕に言わせれば意気地がなさすぎなのだ。確かに所作や話し方からして上品そうな王子ではあったが、王子なんだから、気取っていないで少々強引くらいの態度でシエラに迫ってくれればいいのに……、自分だったら明らかに気がなさそうな女を相手にそれができるかと言われると、自信はないけれども。

と、シエラが赤いスカートの裾を持ち、長い髪を揺らして微笑んだ。


「こんばんは、アレックス様」

「ああ……、こんばんは。ここで何してるの?」


シエラは僕のその質問が思いがけなかったようで、戸惑い気味に応じた。


「……私、もっと喜んでくださると思ったのに。ここで私に会えたこと」

「いや、うん……、まだ起きてたの?」

「眠れなくて。だから……、城内を歩いていたの。このお城はとても綺麗ね。夜でも灯りを落とさないなんて、まるで光のお姫様のお城みたい。光のお姫様のお城もね、夜中じゅう輝いているお城なのよ」

「ホリーホックも灯りは落とさないんじゃないのかい」

「ええ。でもホリーホックはここのお城ほどお洒落じゃないの。ねえ、ロマンチックですね」

「ロマンチック?」

「だって、こんな夜更けに偶然こんな場所で出会うなんて、やっぱりアレックス様と私は運命の赤い糸で結ばれているのだわ。私には分かるの」

「君はこんな時間に城内を散歩していて偶然、ここを通ったの? そしてたまたま君がここに来たとき、偶然僕が廊下に出て来た?」

「ええ」

「こんな時間にこんな場所で会うのが偶然だって?」

「ええ」


シエラは頷いた。

僕は苦笑した。


「それはちょっと、納得できないかな……。

ほんとは僕のことつけてたんじゃないか? もしそうなら、あんまり感心できないよ。そりゃあ、城内は間違いなく安全だけど、もし僕が外に出たら、君も後をついて来たってことだろう。

夜に一人で女が出歩くのは、作法以前の問題。危ないよ。これはシエラのために言っているんだ。世間知らずで話が通ることと、通らないことがある。女の人はその辺は過剰に慎重なくらいで丁度いいくらいなんだよ。もし、君が剣を使えてもね。魔法が使えても駄目だ、これは僕の経験から言うけど、女の魔法使いは幾ら魔法が強くても、物理的に弱すぎるから距離を詰められたら終わりなんだ。腕力で押さえ込まれると抵抗できないからだよ。なのに相手が知り合いとかだと、警戒しなかったりするから……、たとえばまだ子供だと思ってる相手だとかね。

それにやっぱり後をつけられたら、誰だって気分はよくないよ。幾ら相手がか弱い女の子でもね」

「いいえ」


シエラは首を横に振った。


「私、つけてなんていません」

「そう?」

「それよりアレックス様こそこちらで何をしていらしたの? こんなに遅い時間に。ここはタティさんのお部屋のある廊下よ。タティさんと……、会っていらしたの……?」

「うん、ちょっとね……」

「私に言えないことですか?」

「まあ」

「どうしても……?」

「うん」

「そう……。私のお部屋には、まだ来てくださったことはなかったのにタティさんのお部屋には真夜中でもいらっしゃるの……。

タティさんはお妾さんなのに、貴方に会うために私の許しを乞わないなんて、なんて非常識な人かしら……。お妾さんは折につけ本妻に頭を下げに来るのが当たり前なのに……。

こんな勝手をされて、私が傷つかないとでも思っているの……」


シエラは眉間を寄せた。


「彼女は私が嫌いだから、意地悪して、私を傷つけたくてたまらないのね……」

「シエラ……、タティはそんなこと考えてないよ。今はちょっと僕が話があったから行っただけ。タティが呼んだわけじゃない。君、最近ちょっと様子がおかしいよ」

「……、そんなことありません。私は私だもの」

「いや、前はもっとなんて言うか……、シエラはそんな暗い顔する子じゃなかったよ」

「私、暗くなんてしていないわ。毎日楽しくて幸せよ」


シエラは言うと、途端に楽しげな表情をしてみせた。


「そう。じゃあ……、もう遅いから、部屋に戻ってお休み」

「イヤです」


シエラはかぶりを振った。


「貴方がタティさんと会っていた分だけ、私も貴方と時間を過ごすわ」

「シエラ……」

「私、もう決めたの。タティさんの存在にすごく傷つけられているけど、彼女に腹を立てているだけでは、状況は全然よくならないわ。私には誰も味方はいないけど、貴方を好きな気持ちだけは負けない自信があるもの。

貴方はまだ結婚していない。だから、私はやましいことをしているわけじゃない。タティさんなんて認めない。私はこの恋に私のすべてを賭けているの。頑張っていれば、気持ちは必ず貴方に伝わるわ」

「シエラ、あのね……」

「神様は頑張る女の子を見捨てたりしない。そうでしょう? 正しい者は必ず報われる。光のお姫様を苦しめる闇の魔女は、いずれ罰を受けていなくなる。

心配しないでアレックス様、きっとすぐに元通りになるわ。アレックス様と私、二人だけの時間を取り戻せるようになるわ。

だって、アレックス様と私が運命の恋人であることは、絶対なんだもの。確信があるの。私が貴方の本物だって。それが気に入らないからって、私を虐める闇の魔女は、いずれ必ず滅び去る……、それが世界の法則だわ。正義は勝つの。たとえ今は苦しくても。誰も私の味方をしてくれなくても。私が光のお姫様なんだもの。アレックスとシエラが結ばれるのが運命なんだもの」

「シエラ……、できれば……」


僕は少し迷い、切り出した。


「そうやってあんまりタティを追い詰めないであげて欲しい。タティは闇の魔女じゃないよ。僕は別にどっちでもいいけど、たぶんそれって女の子が言われると傷つく言葉なんじゃない? 誰だってヒロインの、光のお姫様になりたいって思う話なんじゃないかな?

タティは君よりなんて言うか、人に話をするのに慣れてないんだ。君は小さい頃からずっと召使いとかに命令をしてきた立場だろうけど、タティは厳密に言うとそうじゃないから。

前もね、僕の部屋付きの召使いに苛められたりとかって、あったみたいなんだ。そういう連中はもう全部はずしたけど、そんなこともあって……、タティって結構気持ちが繊細なんだよ。だから、この間みたいなことになると、何も言えなくなって弱ってしまう。

僕もタティのことは気にしてあげているつもりだけど、一日中ついているわけにはいかないし、今は病み上がりってこともあるしね。

だから、気を遣ってあげてとは言わないけど、できればもうちょっとタティに優しくしてあげて欲しい。君に優しさがあるなら、あまりタティが嫌がるようなことをしないであげて。タティは病気だったんだ。そこは、分かってくれるね」


シエラは理解できないというふうに僕を見た。


「みんなに苛められているのは、私よ……?

タティさんはハリエットさんや、貴方のお部屋の召使いたちや、大勢味方にして毎日のように私を攻撃しているわ。みんな私のことが嫌いなのよ。いつもそう……。みんな私のことが嫌いなの……。

でも私には、誰も味方がいないのよ。毎日のようにみんなに苛められて、誰も私の話さえ聞いてくれないのに、貴方まで……」


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