第254話 月と秘匿(5)
「……、夢見がちなところとか……、とにかくすごく、そんな気がします。貴方とシエラ様はなんて言うか、善くも悪くも似ているんです。わたしは間近で見ていてつくづくそう感じていました。
縁って、しばしば似た者同士の男女を結び合わせるとも言うでしょう。
でもわたしは彼女のようにはいられなかった……。わたしはそういうふうに……、お姫様のままで生きて来られた彼女の恵まれた環境も羨ましいんです。容姿も、気持ちも、ずっと純粋なままでいられた彼女のすべてが」
「うーん、でも、それも善し悪しな気がするよ。そんなに羨ましがるほどのことじゃない気がするけど。純粋ってそんなにいいこと? 僕は全然羨ましくないし」
「……」
「不安?」
僕はたずね、タティは頷いた。
「困ったね……」
「わたし」
タティは言った。
「うん」
「病気になって離れにいるときに、あまりやることがないから、いろいろ考えていたんです」
「考えていたの?」
「ええ」
「どんなこと?」
「わたしはこのまま死んでしまったら、生まれ変わっても、またアレックス様の傍に来たいなって」
「タティ……」
「そしたら今度はわたし、アレックス様よりずっと年下になるって考えていたんです。シエラ様より年下。今度はもっと美人に生まれて……、誰もが羨むようなすごい美少女になって。綺麗で可愛くて、みんなの憧れの的なんです。今みたいな、ドジで鈍臭いわたしじゃないんですよ。眼鏡もしてなくて、お姫様みたいで、そうしたらアレックス様が、わたしにぞっこんになって、求婚してくれるかも。なんて……」
タティは睫毛を伏せた。
「馬鹿みたいだけど、そんなこと考えてました。今もときどき」
「タティ……」
「別人になったら、タティだって分からないよ」
僕はタティに言った。
「第一それだと、僕って中年になってるんじゃない?」
「でも男の人は、あんまり年齢のこと言われないでしょう。女ほど世間の風当たりだってきつくないし。でも女は駄目。わたし、次の誕生日が来なければいいのにと思うもの。またアレックス様より年上になっちゃうから」
「タティ、年上って言ったって、たった半年じゃないか。すぐ僕も二十一歳になるよ。同じ年に生まれた人間を年上とは言わないし」
「でも、年齢が若いとそれだけで……、周りに愛して貰いやすいから。女は特にそう」
タティは肩を竦め、僕にばつが悪そうな顔をした。
「困らせてごめんなさい。わたし、さっきから何を言っているのかしら。ごめんなさい。全部、只の妄想です。もしそうだったらって。暇だったから」
「ならいいけど……。タティはどうも、陰気と言うか、後ろ向きなんだよね。そういうこと考えてるから落ち込むんだよ。
言っておくけど、タティはその眼鏡のせいで、容姿の評価が半分以下になっちゃってるだけなんだって。それがなかったら美人なんだよ。コンチータが美人だって言われてるの知ってるだろう? 瞳の色も深くてすごくいいし、逸材だよ。眼鏡をはずして鏡をよおく見てご覧。自分が可愛い顔してるの分かるから」
「よく分からなくて。眼鏡を取るとぼやけるから」
僕は苦笑した。
「そうだ、じゃあデートしようか」
僕は提案した。
「そうだよ、明日デートしよう。きっと気晴らしになるよ。デートって言っても、本当のところ、何するのかよく分からないんだけど……、取り敢えず何処か行って甘い物食べたりとかさ。タティにドレスと、宝石を買ってあげるよ。あと、えっと、それともタティが行きたいところに行ったりとか」
するとタティはにっこり微笑んだ。
「美味しい物やドレスも宝石もいいですけど、それならわたし、貴方と一緒にお散歩がしたいです」
「お散歩?」
あまりに質素な提案に、僕は訝ってしまった。
何せ、女の人はお洒落と甘い物とお金が好きなはずなのだ。タティはお洒落とお金はともかく、甘い物には目がないはずなのだが。
「前みたいに、裏の森に行って、昔みたいに虫を探したりしたいです」
「でもタティ、虫は恐いんじゃない」
タティは頷いた。
「でも、アレックス様はそのほうが楽しいでしょう。それにわたしは、貴方が楽しい顔をしているのを見ているのがいちばん楽しいですもの。
アレックス様、わたしは、貴方といられるだけで幸せなんです。手を繋いで、貴方が傍にいてくれたら、わたしはそれだけでとっても幸せ。だから……、それに、木苺を集めたりして、後でジャムを作りましょう」
「じゃあ、虫の瓶を用意しなきゃ! 王都に行ったらとても虫採りなんてできないから、持って行きたい。蟻を入れて、机の上で飼うんだ」
「それにジャムの瓶も」
そして僕らは微笑みあった。
「やっぱりタティはいいな」
僕は言った。
「気が楽だよ。一緒にいても余計な神経遣わなくていいから」
「それは、だってわたし、貴方の幼なじみですから」
「うん」
僕は頷いた。
「それにタティは僕のこと、何でも分かってくれてる」
「それは、だってわたし、貴方の幼なじみですから」
「それだけ? 僕が好きだからじゃなくて?」
「それは、好きだから……、です……」
そして僕とタティはみつめあった。
しばらくそうしていると、ベッドの上にもいることだし、しかも夜だし、僕は非常に何と言うかそういうことがしたいと思うのだが、でもそれは駄目なことなので、勇気をもって腰かけていたベッドから立ち上がった。
「じゃ、じゃあタティ。そういうことでね。まだここにいて君と話していたいけど、僕はもう寝ないといけないから行くよ。冷えると悪いから見送りはいらないよ」
「あっ、はい、お休みなさい……」
タティは背筋を伸ばして、ぎこちなく僕に言った。
僕はそのまま毅然とタティに背を向けて、歩を進め、タティの寝室を出ようと思ったが、ドアの取っ手に手を置くほんの少し前に、抗いがたい誘惑が僕を捉えた。僕の身体は引き戻され、寝台に腰かけているタティに半ば倒れかかる。
僕の下で僕をみつめる瑠璃色の瞳が潤んでいる。
でも今はどうしても我慢しないといけない。
「アレックス様、わたし……」
「うん」
タティは泣きそうな目をして僕をみつめた。
「……アレックス様は、もし、伯爵様の立場だったとして……」
「うん」
「もう一度、アレクシス様を愛せると思いますか? 他の男の方に……、不本意でも、触れられた彼女のことを、それまでと同じように……」
僕はまばたきをした。
「それ、どういう意味?」
タティは目をそらした。
「……何でもありません」
「タティ? まさか、僕の他に誰かいるの!?」
「いいえっ、違いますっ。ただちょっと……、聞いてみただけです……」
「なら、いいんだけど……。変なタティ」
「ええ。わたし、少し変なんです……」
タティは独り言のように囁いた。
「アレックス様、わたしも何か貴方のお役に立ちたいです……。いつも貴方と一緒にいたい。聖なる杖を操れるマリーシア様のような、特別なことはできなくても、わたしも何か、貴方の……」
「分かってる。でも子作りはまだ考えないでいいよ。元気になったからって調子に乗ったら駄目。今はゆっくり体力を回復させないと。タティ……」
僕はタティに覆い被さったまま、彼女の額を撫でた。
「あんまり自分を卑下しないで。タティは可愛いよ。他の人と自分を比べることなんてないんだよ。誰が何と言おうと、僕にとってのお姫様はタティだ。だから、あんまり自分がダメとか、変なこと考えないで」
「アレックス様……」
「もうちょっとだよ。あともうちょっとで、絶対全部上手くいく。僕はまだ頼りないかもしれないけど、僕を信用して。これでもちょっとはマシになったんだ。
僕は何があっても必ずタティをお嫁さんにする。
僕は王子様じゃないけど、お姫様のタティを守ってあげる。約束するよ」
「アレックス様……」
「うん」
「わたし、いつも貴方の傍にいたいです……」
「いつも傍にいるよ。ちゃんと王都にだって連れて行く」
「離れたくありません……」
タティの大胆な言葉に、僕は思わず照れ笑いした。
「分かってる。でも……、キスだけだよ、今夜はキスだけ。お休みなさいのキスをし忘れたから」
僕はタティにそう断りを入れ、顔を近づけて、彼女にキスした。




