第253話 月と秘匿(4)
するとタティは、自分の服の中に手を入れて、鎖をつけてペンダントにした指輪を服の中から取り出して僕に見せた。
「これ見よがしに指にしていたら、シエラ様が、怒るといけないから……」
「ああ……、そうか。悪いね、気を遣わせて」
僕は息を吐いた。
「タティはそれ、いつも身につけててね」
僕はタティの瑠璃色の瞳を見て言った。
「ムーンストーンって、あれなんだって。旅人を守る石なんだってさ。恋人に持たせておくと、月の加護の力で離れてもまた戻れるとかって。本当かなって、最初その話を聞いたときは思ったんだけど、でも……、それを持たせておいたからタティが病気から戻れたっていうこともあるかもしれない。それに、ムーンストーンにはちょっとした家族の逸話があってね」
「家族の逸話?」
「そう。アレクシスがね、僕のお母さんが、やっぱり誕生石がそれなんだ。それで、ずっと昔に兄さんにたぶん指輪を貰ったのかな? まだ十代の頃の話だけど。それで、彼女は二十年を経て兄さんのところに戻って来た。
僕がアレクシスに近づくと恐がられるし、今は気がふれているから話を聞いたりはできないけど、もしかするとアレクシスも、ずっと兄さんを信じていて、ムーンストーンを身につけていたのかも。
だからタティもそれ身につけていて。不吉な夢を見ているならなおさら」
「そうすれば、遠く離れてもまた戻れるから……?」
タティは不安そうに眉と唇をへの字にした。
「じゃあ、わたし、またアレックス様と離れるんですか……?」
「いや、離れないよ。離れないけど、でもそういう御守りって持っていたら気が楽にならない? 貸してご覧、僕がタティのために特別の祈りを込めるから」
僕は手を出し、タティから鎖のついたムーンストーンの指輪を受け取った。ルイーズのように守護の魔法は入れられないが、それを両手に閉じ込めて取り敢えず念を込めた。
「アレックス様、なんて祈りを? わたしが遠くに行かないで、ずっと貴方の傍にいられるように……?」
「いや、傍にいるのは当り前なんだから。指輪よタティの貞操を守り給えって感じ。やっぱり最低限それだけはやって貰わないと。タティは僕の物なんだし」
「ロマンチックじゃないです……」
タティは不平を言った。
「アレックス様はもっとロマンチストだと思っていたのに。もっとこう、繊細で……。でもちょっと変わりましたね、なんて言うか、上手く言えないですけど……」
「男らしい?」
僕はわくわくして聞いた。
タティは僕を見て、妥協的に何度か頷いた。
「……男らしくない?」
「前よりちょっとタフになったかも」
「うん、そうなんだ」
事実なので、僕はそれを認めた。
「でもその分、前より遠くなった気もして……。
アレックス様も、いつかは伯爵様みたいになってしまうのかしらって。アレックス様は格好いいもの。背も高くて、きっと女の子が放っておかない。虫を摘まんで見せたりだとか、そういうことをしなくて、あと、引っ込み思案になっていなかったら。
シエラ様みたいな美人の子たちが放っておかないような、そういう貴公子になってしまったら、ああ、やっぱりわたしなんかじゃって、思っちゃう……」
「それ買いかぶりすぎ」
僕は肩を竦めた。
「そんなにもてたことないよ。僕なんて、いっつも兄さんの引き立て役になっちゃうんだから。夜会でだって歴然だったよ。注目されるのは、アディンセル伯爵の弟ってことばっかりだったし」
「でも、分かるんです。何だか、前よりそういう感じになって来てるって。伯爵様とはタイプが違うけど、前までとは明らかに何かが違うんです。
わたし、これでも魔法使いの卵だったから、今でもちょっとは勘がいいところって、あるんですよ」
「タティ、僕はタティを裏切ったりしないって」
「……ええ、分かってます。でも、貴方がそう思っていても、もし、たとえばシエラ様が……」
「タティ、シエラのことなら本当にないんだって。誓ってもいい」
僕はタティの二の腕を掴んで、僕に向き直らせた。
「タティ、この際だからはっきり言っておくね」
タティの瞳をみつめて、ゆっくりと切り出した。
「僕はタティが好きだよ。タティがいちばん好きだ。だからどんなに時間がかかっても、最後にはタティと結婚するつもり。
それで、シエラは好きじゃない。だからシエラと結婚する気はまったくない。大事なことだから、憶えておいて。僕は絶対にタティと結婚する」
「アレックス様……」
「でもこれは殿下が絡んでる話だから、今はしょうがないからのらりくらりとシエラが僕に飽きるか、どうにかして離れてくれるのを待ってるんだ。僕がタティよりシエラを愛してるなんてことはないから。今もそうだし、これから先も絶対ない。
一昨日のことだって、シエラを愛してるなんて言ったけど、あれはシエラを納得させるために言った方便さ。僕の本心じゃない。タティは真に受けてたから心配してたけど……、ほら、ベッドルームでのこと」
「方便……?」
タティは意外そうに僕を見た。
「そうさ。嘘も方便って言うだろう。あの場では仕方なかった」
「アレックス様が……、貴方もそんな伯爵様みたいなこと、いつの間にかおできになれるようになったのね……」
「うん、それっていいことだろう? 男が頭が悪かったら、救いがないからね。
だからタティにこの問題の全体的な説明をすると、僕はタティとシエラの板挟みになって鼻の下を伸ばしているわけじゃなくて、要するにこれはフレデリック王子殿下の御機嫌取りのためなんだ。フレデリック王子に気に入られてるシエラのことは、こっちもそのつもりで接待しないと駄目ってこと。シエラは王子様絡みのお客様だから。ただそれだけ。
つまり僕が気にしてるのはシエラのことじゃなくて、本当はフレデリック様のことなんだ。フレデリック様に嫌われないために、僕は必死になってる。未来の国王陛下には、もう必死になって取り入らなきゃ。でないとタティと平穏な結婚生活も送れないだろう? シエラはそのついでの、只のゲストさ。
シエラは確かに可愛いと思うけど、タティのほうが更に、もっと、ものすごく可愛いと思うから大丈夫。タティはシエラより美人だよ」
「それ、さすがにお世辞っぽくないですか……?」
タティは最初、素直に嬉しそうな顔をしたが、すぐきゅっと眉を寄せて文句を言った。
「みんながシエラ様が美人だと思っていることなんて、わたし、分かってるんです。だって、カイト様とかオニール様とかがお部屋に来たとき、やっぱり露骨にシエラ様のこと見る回数が多かったし……。もしかして、二人ともシエラ様のことが好きなんじゃないかって思うくらい。恋してるみたいに、本当に熱心に見ていらしたのよ」
「あんな変態たちのことはどうだっていいんだよ。あいつらは、物の分からない奴らだから。年中盛ってるから、女なら何でもいいんだ」
「そうかしら……」
「とにかく僕にとってタティはシエラ以上だから。それにシエラってなんて言うか、恋に恋してるって言うのかな。お伽の世界に生きているところがあって、たぶんシエラは僕自身を見ているわけではないんだ。たまたま、彼女の理想の異性像に僕が近かっただけ。彼女の王子様像は、そもそもお兄様がモデルなんだって話してて思ったんだけど」
「でも何だかシエラ様って、アレックス様と似た者同士って感じがしませんか?」
タティは言った。
「二人は似てるの」
「えっ、それどういう意味?」




