第252話 月と秘匿(3)
「タティ……、でもさ、魔術師が主人と結婚って例はほとんどないから、その意味ではかえってこれでよかったんじゃないかな。タティは僕の魔術師より、僕のお嫁さんのほうがいいよ」
タティは途方に暮れた顔で僕を見た。
「でもそれには赤ちゃんを生まないと……」
「そうなんだけどね。まったく、家長の許可がないと婚姻が成立しないとか、ふざけた制度があったものだよ。おまけに兄さんは結婚証明書の可否を決める領主だし」
僕は腕組みをした。
「でもその件では、兄さんの弱みを握れないかと思ってるんだ。それって言うのはね、ほら、兄さんってあれだけ遊びまわっていたくせしてさ、アレクシスの前だと妙にいい子ぶるんだよ」
「伯爵様が、いい子ぶるんですか?」
タティが意外そうに僕の顔を覗き見た。
僕は笑って頷いた。
「そう、何かね、すごくいつもと違うんだ。不自然なくらい好青年っぽい態度なんだよね。あんな兄さんは初めて見たな。僕がいるといつも通り偉そうなんだけど、ちらっと後から覗き見したことがあってさ。そうしたら何か」
「好青年!?」
「そう。何なんだろう。アレクシスに何種類か花を持って行って、優しい顔でその花の名前とか聴いてた。悪だくみみたいな政治談議する人にとって、たぶんくだらない会話だよ。普通なら興味ないだろうにね。アレクシスと共通の会話を持とうとしたんだろうけど。
まあ、あれが本当の兄さんなのかなってところ。そんなに部屋に通うくらい気になるんだったら、意地張らないで結婚すればいいのに……」
「アレックス様、それが本当のことなら、伯爵様ってお母様に脈あると思います」
タティは言った。
「えっ、ほんと?」
「ええ! 今は、慎重に確かめているだけではないですか? アレックス様のお母様が、今でもご自分をちゃんと好きかどうか。
今はまだ、意思の確認ができないのに勝手に指輪嵌められないって思っていらっしゃるのよ。アレクシス様のこと、そのくらい心から大切にしていらっしゃるってことだと思います」
「そ、そうか。タティはよく分かるね」
「そりゃあ、わたしだって、女ですから……。大丈夫、伯爵様はきっとアレクシス様のことが大好きなはずよ。だって、病室に通うなんて、そんなことって、大好きじゃなかったらしないことだわ。
伯爵様がアレックス様の前で彼女に興味なさそうな態度を取るのは、単純に照れくさいからではないでしょうか」
「十一歳のときに子供作った奴が、今更何を恥ずかしがる必要があるって言うんだ……」
「うふふっ。だから、もしかしたら結婚だってありますよ。ちゃんとお考えに入っているって思います!
今はまだ時期を見ていらっしゃるのよ。それにアレクシス様の回復と。でもきっとお二人は結婚されるんじゃないかしら。何だかそんな気がします。よかったですね、アレックス様!」
「ま、まあね。そうしてこそ男の責任ってものだからね……」
僕は、厳しい道徳観をもって言った。
「そうか、結婚はありかあ」
「ええ、きっと」
「えへへ!」
「アレックス様、嬉しそう。よかった。わたしも嬉しい」
「でねっ、僕が見たところ、あれは自分が何股もかけて女と関係持っていたなんていかがわしいことを、絶対彼女に知られたくないんだよ。それに初夜権とか馬鹿言ってさ、自分もトバイアと同じようなことやっていたんだからそれを隠したいのは当然なんだろうけど。
まあ人間、悪いことはできないということだよ。
だからそれで上手いこと脅せないかなってね。これまでは、アレクシスが正気でないから、細かいことを上手く誤魔化していられたけどさ。でもさっき話した通り、マリーシアの聖杖の力で、もし、本当に正気が戻ったら……。
これまでのことをアレクシスにばらされたくなかったら、タティとの結婚を許可しろって、これ絶対兄さんに対する脅かしに使えるよね。あっ、タティ、この場合の脅迫は、別に悪いことを要求しているわけじゃないから、悪い脅迫じゃないからね。
とにかくアレクシスの正気が戻ったら、たぶんこれでごり押しできると思うんだ」
そして僕は微笑いかけたのだが、タティは一転して不安そうに僕を見た。
「でもそんなことをして、もし伯爵様のお怒りを買ったら……」
「怒らせておけばいいんだよ。とにかく兄さんはアレクシスに、自分が遊びまくっていたことを知られたくないんだ。僕の予想だとたぶん、純愛路線で行きたいんだよ。今更純愛って柄でもないだろうにね、でもそのおかげでアドバンテージは僕らにある」
僕は隣に座るタティの手に、手を乗せた。
「タティ、これからはすべてが上手く運ぶんだ。それに前の僕は頼りなかったかもしれないけど、もうそうじゃない。僕は必要とあらば兄さんだって脅かして、目的を果たす男なんだ」
「アレックス様……」
「タティ、本当だよ。僕は前の僕とは違うんだよ。あっ、もしかして、シエラの件で怒ってるんだろう。僕がシエラをきっぱり断らないから。
でも僕、本当にシエラには興味ないんだ。どうしてかなって自分でも思うんだけど、たぶん性格とかが合わないのかも。上手く言えないけど、シエラは可愛いは可愛いんだけど、彼女といると、世間知らずがひどすぎて、気を遣っちゃうんだと思う。なんて言うか、落ちつかないんだよね。それともマリーシアのことが引っかかってるの?」
「いいえ、そうじゃないんですけど……」
タティはうつむいた。
「じゃあどうしてそんな暗い顔になるの。今すごく未来について盛り上がっていたのに。兄さんとアレクシスが結婚して、僕とタティが結婚する。最高のプランだよ!
何か、問題あった? それともタティ、もしかして何か悩んでる?」
「……毎晩、夢を見るんです」
「夢?」
「ええ……、すごく嫌な夢。とても恐くて……。
あの人がね、コリンさんが、夢の中に出て来るんです……」
「コリンって誰?」
僕は首を傾げ、それから何秒かして胸のむかつきと同時にそいつが誰であるかを思い出した。
「パーシーか」
タティは頷いた。
「これは、お城の離れにいるときから、ときどき見ていた夢なんです。そのときは、わたしはもうじき肺病で死ぬから、コリンさんが天国からわたしを迎えに来ているんだって思っていたんです。わたしのせいで彼を死なせてしまうことになってしまったから、わたしのことをきっと怒っているんだろうって。
ごめんなさいって、いつも心の中でお祈りしていたけど……でも、コリンさんはわたしのために伯爵様に抗議しただけだったのに、あんなことになるなんて、謝られたって、彼はとても納得できるわけがないんですよね。
でも、病気が治っても、ここのところは毎晩見るんです……。
わたしだけが助かったから、彼はもっと怒っているのかもしれない……、そう思うと、気持ちが塞いで……」
「タティ、それは違うよ」
僕は言った。
「あいつは殺されて当然だ。使用人風情が何言ってるんだか。タティ、考えてご覧。伯爵家の男子である僕の女に、厨房で鍋掻きまわしてるうだつの上がらない使用人ごときが気を向けるなんて、おかしくないか。誰だって頭に来ることだよ。悪いのは全部あいつだよ。
だいたい兄さんに物を言うなんて、僕ですら怒られることなのに、知能が低いんだよ。まるでダンゴ虫以下だ。その上未練がましくタティの夢に出て来るなんて、死んでまで図々しい奴。全部あいつが悪い」
「ア、アレックス様……」
「それよりタティは僕の夢を見るようにするといいよ」
僕は言って、自分を指差した。
「そ、そうしたいのはやまやまなんですけど……」
タティはうつむいて、両手を組み合わせてもじもじした。
「タティ、指輪は?」
僕はふと、タティの左手の薬指に指輪が嵌まっていないことを指摘した。
「失くした!?」
「いいえっ」




